ぼっちたちの会合と嘘つき少女
前々から気になっていたところを少し直しました。2015/05/08
私はその会合に参加して、すぐに後悔した。
ネットのオフ会に参加したのだ。とあるSNSサイトに開かれたコミュニティ、ぼっち会のオフ。
メンバーは五人いた。見た目だけリア充、ゲヒ、ごきゅ、豆、そして黒子(私)。商店街入り口付近で待ち合わせをして、そこからゲヒが行きたいと言っていたゲームバーに向かって。
常人が待つ海原へ、不退転の心で出発したはずの私たちは、開始五分で今にも沈んでしまいそうだった。
「と、とりあえず自己紹介しようよ」
沈黙した空気を振り払うように、ごきゅが言う。明らかに声が上ずっていて、彼がそのときどれだけ勇気を振り絞ったことか。本来であれば私たちは「よく頑張った!」と今すぐ彼の手を握り、惜しみない賞賛を送るべきだったのだが、誰もそれを実行できなかった。何故なら今のが彼の今日初めての発言で、全員が虚を突かれてしまったのだから。
前屈みに身を乗り出した彼の喉仏がごきゅっ、と音を鳴らし、野に咲いたちっぽけな勇気を無言の圧力が容赦無く打ち据えるとき――
突然、「名案じゃあ!」と甲高い声が聞こえた。
「ごきゅ殿、それ名案じゃあ!」
私はそのとき何故、ゲヒが大河のワンシーンの物真似のような言い方をしたのか分からない。はっきり言えば、私はそのゲヒという人物を一目見た瞬間から嫌いだった。
見た目はともかく、リアル世界で殿と言ったり、オタク用語を見境もなく使ったりするような人間とは、私は絶対に付き合いたくない。
私が嫌う要素を彼は全て兼ね備えていた。
「そうじゃ! 名案じゃぞ、ごきゅ殿! 名案じゃあ!」
一拍遅れて見た目だけリア充がそう発言したとき、自殺したくなったのは多分私だけではないだろう。
なぜ迎合するのかということ、周りから見れば私もこの人たちの仲間なのだということ。ふたつの事柄が、どこまでも私を辱めてゆく。
ぼっちが、無理をするなよ。痛いだけなんだよ。
「じ、じゃあ自己紹介を始めようか。僕から時計回りで」
誰から始めようか、とそこで見た目だけリア充が言わなかったことだけは、称えなければいけなかった。
「俺は見た目だけリア充。見た目だけは良いって言われるんだけど、ぼっちです」
彼がそれだけで自己紹介を終えたとき、本当に見た目だけだな、と私は心の中で毒づいた。
出会った当初、私は本当に彼に期待していたのだ。おそらく180センチは優にある長身で、足もスッとしてスタイルが良かった。栗色に染められた髪はロングコートのファーも相まって、ゴールデンレトリバーの毛並みみたいにふわふわしてそう。おまけに顔は道端で見かけたら思わずチラ見しそうなぐらいには整っていたのだから、期待しないわけにはいかなかった。クラスカースト制で言えば第一層にくるのは間違いなしという感じで、私はそんな人たちとまともに話した経験がないから、一体何を話せばいいのかって舞い上がってしまって。今となっては、その評価は地に落ちているけど。
「拙者はゲヒでござる〜! 笑うとゲヒゲヒしててキモいからゲヒと言われているでござる〜! もちろんぼっちでござる〜!」
見た目だけリア充の評価が地に落ちているならば、ゲヒの評価は地を突き抜けている。もう全てがどうしようもなかった。二十代にしてハゲかけている頭とか、メガネの奥で怪しく光っている目だとか、自己申告があった下卑た微笑だとか、見た目の問題は自分もなんとも言えないから置いておくとして、なぜ彼はこんな気持ち悪い喋り方をするのだろう。それにそのままずっと喋ってくれるならまだいいのだが、自分の喋りがはまっていないとみるとすぐに黙りこくってしまうから、場には不穏な空気だけが残るのだった。彼に関しては、本当に悪口しかでてこない。
まさかみんな最後にぼっちと付けるんじゃないだろうな、と目の前に暗雲が立ち込め始めた頃、ごきゅっ、と音が鳴った。
「ぼ、僕はごきゅです、喉がいつもごきゅって鳴るからごきゅって言われていました。今日は皆さんと、仲良したいです」
再びごきゅっ、と音が鳴り、やはり私たちのうちの誰かが勇気を出して彼を助けてあげるべきなのだ、と私は思った。
彼はそのひ弱で華奢な外見、小学生の頃からずっと変わっていないような髪型、パッとしない服装、全身から醸し出される薄暗い雰囲気が、まさにぼっちであることを示していた。テレビの人生相談番組で出てきそうなぐらいの、ミスターぼっち。ひと目見たとき彼の評価は高くなかったのだけど、残りの二人の男が酷すぎるせいで、相対的に価値が上がっていた。誠実というには大袈裟だったのだけど、少なくとも、私たちと仲良くなろう、そういう気持ちを弱々しくながらも彼は放っていたのだ。だから本当に、私たちのうちの誰かが彼を助けてあげるべきなのだけど。もしゲヒでも、今何かをしてくれれば評価は上がるのに。
「私は、豆です……」
そしてごきゅよりも小さく、か細く、弱々しい存在が豆だった。
豆は私と同じく女だったのだけど、本当にすごく小さい。私でもギリギリ150あるくらいなのに、豆は140すらないんじゃないかと思うほど。たぶんデコピンでピンッと弾いたらどこかへ飛んでいって、そのままどこに行ったのか分からなくなって忘れ去られてしまうような。間違いなく今まで出会った人たちの中で、最もちっぽけな存在だった。私は他の三人に対しては、出会ったことで評価を再考しなければならなかったけど、彼女に対しては再考する必要がなかった。何故ならネット上でも、彼女は今みたいにほとんど発言しない存在だったので。
豆がたった一言の自己紹介を終えて、私に出番が回ってきた。
「最後なので言わなくてもいいかもしれませんが、私が黒子です」
私はわざと、言う必要がない言葉を言った。少しでも長く話そうと思ったからだ。
正直、私は皆の自己紹介に苛立っていた。
せっかくの話題なのに、一言で終わらせてどうするんだよ。
だから自分が手本を見せてやらないと、と思っていた。
「黒子というのは小学校からのあだ名で、髪が昔からすっごく黒くて、で、他の人たちよりも肌が黒くて、あの、それで運動とかあんまりできなかったから皆がドッジボールするのを遠くからこっそり見てて、けど向こうからこちらを見られるのは嫌で、その、柱からこっそり隠れて見てたらいつのまにか黒子になってましたっ」
皆の視線が集まって、背中に冷や汗をかきはじめるのが分かって、それでも私は話を続けた。
「それで、初めは黒子って呼ばれているだけだったんですけど、小学四年生の頃から、ちょっと虐めらるようになって、ぶつかられて黒いから気づかなかったとか、漂白するぞって黒板消し投げられたりとか、あの、こんな話をしても、皆さん面白くないですよね?」
私はそのとき精一杯笑顔を作ったのだけど、周りからはどう見えていたのだろう。少なくとも皆は無表情で微動だにしなかったから、彼らに向けては何も効果がなかったのだ。そして私たちが座っているテーブルの向かいにあるカウンター席の、さらに向こう側からそのときバーの店長がこちらを見つめているのが分かったとき、私はボッと頭から煙を吹き出しそうになった。
本当に、私は何をやっているのだ、本当に。
「それで、今の趣味は小説を読むことで、あっ、けど、ジャンプは皆さんも……あの、ソウルキャッチャーズが好きで、その……」
私は完全に俯いていて、手元を見つめながら話していた。
恥ずかしい、もう前を向けない。
「あの、よろしくお願いします」
ついに私の心は打ち砕かれて、よくわからないまま締めてしまった。一拍、二拍、三拍間をおいて、見た目だけリア充が慌てて「い、イエーッ」と手を叩く。ゲヒとごきゅまでもが釣られて不恰好に手を叩き、それから氷のような静寂が訪れて、私は再び死にたくなった。もうこんなところに来なければよかったのだ。
結果だけを見れば、嘘をついている者は誰もいなかった。見た目だけリア充も、ゲヒも、ごきゅも、豆も、そして黒子も、みな自己申告どおり。彼らが発信している情報を鵜呑みにすれば、こうなることだと事前に分かっていたはずなのだ。なのに私たちはぼっちじゃなくなるのだ、そんな魔法にいつのまにか惑わされて集まって、このような羽目に。
「そ、そうだ、ゲームやるでござる、ゲーム」
沈黙が永遠のものになるかと思われたとき、ゲヒがそう言って慌てて立ち上がった。
そうだ、ここはゲームバーなのだ。
もとはと言えばゲームがしたいと言って、ゲヒが私たちをここに連れてきた。
ゲヒはぼっちとは言っても、本当にたまに大学の同級生と遊ぶことがあるらしい。そのときに行くのがこのゲームバーらしいのだ。
「ボードゲームがたくさんあるでござるよ〜www」
ネット上では、本当に行きつけの店のようにゲヒは言っていたのだけど、実際に行きつけなのはゲヒの友達だったのだろう。自分が率先してここに来たのは初めてで、それ故に動作が不自然になっている。
やがてゲヒは棚に飾られた数々のボードゲームの中から、某ブロック落としゲームの絵が描かれた大きな箱を持ってきた。
「こ、これにするでござる〜」
「それ、五人じゃできないですよ」
えっ、と私は声がした方向を振り向く。
声を出したのは店長だった。
私たちのあまりもの酷さに見かねたのだろうか。
しかしカウンター越しにこちらを見つめるその佇まいは、今までずっと私たちと話していたんじゃないかと思うほど、ひどく自然だった。
「そ、そうでござるか?」
「そうでござる」
焦るゲヒに対し、近寄りながら言う店長の「そうでござる」もとても通りがよくて。
「じ、じゃあ他に」
「五人でできるのって何があるかなあ。ちょっと待ってくださいね?」
そしてやはり自然にゲームを探し始める店長に、彼のような人材こそがこの場には必要なのだと私は思った。
ぼっちはいくら集まっても、所詮ぼっちなのだ。場を回せるリア充がひとりいなければ、何も起こせぬまま終わってしまう。
どうせならこのまま参加してくれないだろうか。物乞いをするように、店長の横姿をじっと見つめてみる。
「あ、そうだ。これがあった」
店長はトランプのような大きさの箱を取り出し、私たちの座るテーブルに差し出した。
その箱の柄を見て、私はギョッとした。
「ワンナイト人狼というゲームです」
バカか、と私は思った。
そのワンナイト人狼というゲームを私はネット動画で見て知っていて、一言でいえば騙し合いをするゲームだった。楽しむためにはトーク力が必須の、私たちには絶対不向きのゲーム。
「皆さんはこのゲーム知っていますか? とても面白いんですよ」
どうやら知っているのは私だけだったようで、というよりゲヒも見た目だけリア充も、この場にいる全員が自分の役割を放棄して、店長の采配に身を委ねることに決めたようだった。
「このゲームはね、村に紛れている狼を当てるゲームなんですよ」
そうして店長が話し始めたのは、私が知っているルールそのままだった。五人であれば七枚のカード、村人三人、占い師一人、怪盗一人、人狼二人。七枚のうち五枚が各人にランダムで配られて、誰が人狼なのかを当てる。人狼を当てるのは多数決で、票を集められた人が人狼だったら村人の勝ち、それ以外であれば人狼の勝ち。占い師と怪盗は特殊で、占い師は誰か一人のカードを見ることができる。怪盗は自分と誰かのカードを取り替えることができるのだ。
店長はカードを配りながら、そのルールを説明した。
「とりあえず一回やってみましょうか。これで結構トーク弾んだりするんですよ」
もしかして怪訝な感じが表情に浮き出ていたのだろうか。店長が私の顔を見つめながら言ったので、思わず俯いてしまった。
もうここまで来たら、私も店長に身を委ねるしかない。
「皆さん、自分のカードは確認しましたか? じゃあ顔を伏せて机をトントン叩いてください」
そして私たちは言われたとおり、机をトントン叩き始めたのだった。これは人狼や占い師・怪盗が行動するときに、誰が動いたのかわかりにくくするためである。
「じゃあ占い師のひと、どれか一人のカードか、真ん中の二枚のカードをめくってください」
場には各人が持つ五枚のカードと、真ん中に二枚が置かれている。人狼は二枚だから、実は誰も人狼ではなかったということもあり得るのだ。そういうとき、占い師が真ん中のカードをめくってそこに人狼が二枚あることを見つけると、この村には人狼がいない――平和村であると主張することができる。
「次は人狼のひと、顔を上げて他に人狼がいないか確認してください」
人狼は、他に人狼がいないかを確認する。仲間がいる場合は、ふたりで協力して行動できるのだ。例えばひとりが占い師であるとを偽って、もうひとりが村人であると偽りの証言をすることができる。
「最後に怪盗のひと、誰か他のひとと自分のカードを取り替えてください」
最後に怪盗が行動して、誰かと自分のカードを取り替える。占い師と取り替えたのであれば、誰かが占い師を主張したとき、その真偽を知ることができる。人狼と取り替えたのであれば、自分が人狼として行動しなければならなくなるのだ。
「さあ、顔を上げてください」
そして顔を上げて、話し合いが始まる。私は村人なので、人狼を探り当てなければならない。
「まず占い師の方はいらっしゃいますか」
えっ、とごきゅが反応した。
すぐさま平静を装おうとしたけれど、ごきゅっ、と音が鳴り、もう誰が占い師なのかバレバレである。
「別に名乗り出なくてもいいんですよ。ただ、占い師は誰が人狼か人狼でないのか、見極めるのにとても参考になりますからね。皆に教えてあげたほうがいいかもしれません」
その言葉に押されて、ごきゅがぴんと手を挙げた。そのままプールに飛び込んでしまいそうな勢いのある挙げ方だった。
「お、あなたが占い師ですか? では誰を占ったのか教えてください」
「げ、ゲヒさんです」
上擦った声に、「せ、拙者でござるか?」という声が重なる。
「結果はどうでした?」
「じ、人狼でした」
「拙者がでござるか? 違うでござるよ〜」とゲヒが下卑た笑いを浮かべながら否定したが、その動きは不審者そのものである。
「そういうごきゅ殿が嘘をついているのではござらぬか?」
「えっ、えっ、僕は嘘は……」
ゲヒの言葉に動揺するごきゅ。
たしかにあり得ないことではない。テンプレートどおりの返しだが、それなりに有効ではあるのだ。しかし悲しいかな、ゲヒが不審に見えるということ以上に、この人はきっと嘘をつけないだろうと思わせるごぎゅの人柄が、戦局を完全に決定づけていた。ここでごきゅを疑うなんて誰ができようか。
「あなたはどう思います?」
「え……」
店長に指差され、自己紹介以来喋っていない口が開かれる。
豆の存在は小さく、今まで本当にゲームに参加していたのかと疑えるほどで。
「ゲヒさんとごきゅさん、どちらが嘘をついていると思いますか?」
店長はすかさず耳にした二人の名前を言って、そのことにも私は心の中で感心していたのだが、同時にここで豆がどう答えるかも聞き物だった。ここでゲヒと答えれば、ある程度まともな思考を備えていると考えられる。ごきゅと答えれば、もう、どうしようもない……
「ゲヒ……さんだと思います」
ゲヒが「そんな〜」と声を上げるなか、私はほっとする。彼女は正常な思考を備えていたのだ。
「お、俺はごきゅさんが嘘をついていると思うっ」
しかしそのとき、まるで映画で絶対劣勢の裁判が行われて、今にも判決が下ろうするときに差し込まれた一つの声――見た目だけリア充の声が場に響いたのだった。
怯むごきゅ。全員が一斉に見た目だけリア充に注目して、
「おお、反論者が出ましたね。では何故ごきゅさんが嘘をついていると思われたのか、説得力のある説明をしてもらいましょう」
えっ、と見た目だけリア充の声が聞こえた。そうくるとは予想していなかったのだろうか。たしかに豆のときは理由を問われなかったのだから何も聞かれないと思ったのかもしれないが、今は全員一致でゲヒが人狼であると決まるところだったのである。それを覆すからには、それなりの理由があると思われるのは想像に難くない。
「えっと……なんとなく、です」
おいおい、と私は心の中で呟く。
こんなの、見た目だけリア充も人狼で、ゲヒを何とか救おうとしているだけにしか見えないではないか。
それ以上答えが出ないのを見て、「じゃあ、この中に怪盗はいませんか?」と店長が聞いた。誰も名乗り出ない。
これはもう決定だ決定。
そして私が心の中で投票先を決めたとき、店長は私にパッと顔を向けた。
「さて、このふたりとこのふたりで2―2に分かれましたね。黒子さん、あなたの投票で全てが決まりますよ」
えっ、と声を出すのは今度は私の番だった。
「あなたがゲヒさんに投票すれば、ごきゅさん達の勝ち。あなたがごきゅさん達に投票すれば、ゲヒさんたちの勝ち。どちらにするかよく考えてくださいよー」
ごくりと喉が鳴りそうになる。まさか私がそんな状況に持って行かれるとは思っていなかったのだ。
それでも、と私が心を決めたとき、店長が新たな言葉を差し込んでくる。
「最後に怪盗が出てきませんでしたからね。本当にいなかったのか、それとも人狼と取り替えたので黙っているのか。よーく考えないといけません」
うっ、と思わず頭の中でえずく。
怪盗が、人狼と取り替えた? それってつまり――
もう一度状況を整理してみる。
ごきゅは嘘を騙る度胸はないはずだから、人狼や怪盗ではなかったはずだ。だから占い師というのは本当で、だからゲヒが人狼というのも本当で。ということはもし誰かが怪盗だとしたら、ゲヒとカードを入れ替えて……けどそれをやるとしたら、ひとりしかいないじゃない!
私がぐるんと顔を向けると、見つめられた人物はびくっと震えた。豆だ。豆がゲヒとカードを取り替えたのだとしたら、自分はそのまま人狼で、村人(怪盗)となったゲヒを嵌めようとすることが考えられる。だとしたらこのままゲヒを多数決で処刑すると、私たち村人チームの負けになってしまう――
「じゃあそろそろ、多数決にしましょうか。それぞれ、この人は人狼だと思う人物を一斉に指差してください」
ろくに考えがまとまらないうちに最終フェーズまで持って行ってしまう店長。
「それではいいですか? いっせーのーでっ!」
私は迷いに迷った挙句、ゲヒを指差した。ごきゅと豆と私がゲヒを指し、見た目だけリア充とゲヒがごきゅを指す。3対2。
「さ、ゲヒさんが一番疑われてしまいましたねー。じゃあゲヒさん、皆さんに自分のカードを見せてあげてください」
ゲヒが野太い指で、自分の前にあるカードをめくる。
よかった、人狼だ。
「さあ、皆さんのカードもオープンしてください」
そうして出てきたカードは、見た目だけリア充が人狼、ごきゅが占い師、豆と私が村人。強盗は真ん中の二枚のうちの片方に埋まっていた。
「やりましたねー、村人チームの勝ちです」
それは私に向けられた言葉のような気がして、「くそー、拙者いつも疑われるんだよなー」というゲヒの悪態も気持ち良く思えた。ござると言わなくて、やっぱりその口調作っていたのかということと、ゲヒもやっぱりやったことあるんじゃんということも。今日この会合が始まって、初めて胸が少しすっとした。店長の言うとおり、このゲームをやってよかったのだ。店長のサポートが必須だけれども。
「さ、第二戦です。今の経験を活かしてくださいよー」
そして第二戦が始まって、今度は見た目だけリア充が占い師だっだ。見た目だけリア充は真ん中のカードを占って、二枚とも村人だったということだった。次にゲヒは怪盗で、私とカードを交換したけれど村人だったと主張して、私はそれについて何ともいえない思いを抱いたけど、ゲヒの言うことは信用できた。私が最初に目を開けたとき、目の前のカードの向きが変わっていることに気がついたのだ。これはつまり誰かの手によりカードが入れ替えられたことを示していて、ゲヒの主張と一致している。あとは人狼がふたりいるという見た目だけリア充の主張を信じるか、ごきゅと豆を信じるか。しかしこれも簡単だったのだ。人狼ではないか? とごきゅが問われた時、明らかに狼狽した反応を示したので。やはり彼は嘘がつけないのだということを、私はあらためて確信した。
「二戦とも村人の勝ちですか。人狼になった人はもっと頑張らないといけないですね」
店長の言うことは最もだった。私たちはみな、嘘をつくことに慣れていないのだ。どうすれば相手を騙せるのか、自分を信用してもらえるか、もっと考えていかないと。
そして同じように、三戦目に突入しようとしたときだった。
「遊びにきましたよ、てんちょー」
ぞろぞろと、二十代と思われる男たちの集団が入店してきた。彼らは本当に馴染みの客という感じで、誰もがリラックスしていた。
「あれ、いつものテーブル埋まってるの」
「そうなんですよ、おかげさまで。奥へどうぞ」
店長は笑顔で彼らを奥のVIP席みたいなところへ案内し始めて。
「すみませんが、私抜きで続きを進めておいてください」
和みかけていた場の空気が一気に冷えていくのがわかった。
私抜きでやってくださいって、今まで店長がほとんど一人で喋っていたじゃない! どうやってできるんだよ!
「……じ、じゃあ始めようか」
「始めるでござる」
数秒の静寂ののち、見た目だけリア充が口を開いて、ゲヒがそれに追従して。店長がサポートに入る前と同じ状況だ。しかも顔を伏せる段階になり、「占い師のひと行動してください」と語るひとがいないことに気づく始末。ゲヒがその役に立候補したのだけど、声は恐る恐るという感じで、これでは完全に場が冷え切ってしまう。しかも運の悪いことにこの三戦目は、占い師役も怪盗役もゲームが始まって名乗り出てこなかったのだ。
「占い師も怪盗も名乗り出てこないということは……」
「このなかに人狼がふたりいるでござるよ」
しかしヒントも無しにこの中で狼を探せとは、私たちにとってひどく酷なことで。ゲヒが豆に「あなたが人狼でござるか」と聞いて、「違う……私じゃ、ないです」と答えて、続いて同じ質問を受けたごきゅも同じように答えて。前までのゲームならこの時点でごきゅは白だと確定できたのだけど、ゲヒの言い方があまりにも形だけのものだったので、この程度なら彼でも流石にしっぽは出さないのではないかと思ってしまった。続いて私にも見た目だけリア充にも同じ質問が続いて、
「まいった。これじゃあわからないでござるよ」
その後も進展なく、人狼を炙り出せないまま多数決フェーズになり、皆が思い思いの人物を指差して、「やっぱり拙者が疑われるでござるか〜」と沈んだ声でゲヒが言った。結局人狼は見た目だけリア充と豆だったのだけど、どちらも全然嬉しそうではなかった。
やっぱり私たちには、このゲームは高度すぎたのだ。
「よーし、次は勝つでござる〜。もう一戦やるでござるよ」
もうやめておけ、と私は心の中で呟く。
私たちは一言一言、発言するたびに自分を傷つけていた。
もうよくわかった、十分じゃないか。私たちがリアルで集まろうとしたこと自体、間違いだったのだ。
しかし今その言葉が吐けるのであれば、私はこんなところにはいないはずで。お願い誰か助けて、と心の中で呟きつつカードをめくる。
人狼だった。
ハッとしてカードをすぐ机に伏せる。周りからすれば、その動きはとても不自然なように見えたかも。しかし皆はそれぞれ自分のことに夢中で、私のことなど誰も気にかけていないように思えた。
人狼だから、なんだって言うんだ。こんな雰囲気ではどんなカードがきたって楽しめやしない。
しかし顔を伏せて、人狼のターンになって顔をあげたとき、私一人しか人狼がいないことに気づいてしまった。そのとき、決して持つべきではない強烈な使命感が私を襲ったのだ。
人狼は、私ひとりなんだ。だから私が場を盛り上げなければいけないんだ。
ここでそんなことしたって、駄目に決まっている。自己紹介のときみたいに自分を辱めるだけだと決まっているのに――
だけど私は前にネットの動画投稿サイトを巡っていて、ワンナイト人狼を楽しそうにプレイする動画を見つけたとき、自分もそれをやっているような気分になったのだ。相手をどうやって貶めるか想像して。私は頭の中ではワンナイト人狼の玄人で、自由自在に場を操って一人勝ちしてしまうのだ。そんな誇大妄想がいま頭の中に蘇ってきて、離れようとしてくれない。
怪盗のターンが終わり、顔を上げる時間になった。
最初に確認すべきことは、自分のカードの状態だ。
誰かと入れ替えられていないか。
カードの向きは、顔を伏せる前とまったく同じだ。入れ替えられていない。
「じ、じゃあ占い師は誰でござるか」
「俺、です」
恐る恐る見た目だけリア充が手を上げて、
「ゲヒさんを占ったんですけど、村人でした」
「嘘です」
えっ、と見た目だけリア充が声を上げる。
……時が止まった。
ぼっちは場を乱さない――その暗黙の決まりを破り、私は嘘をついたのだった。
皆の視線が一斉に突き刺さり、そのまま全身を串刺しされたみたいに動けなくなって。だけどこのとき私の感覚は鋭敏に、バー内の全ての動きがわかるのだと錯覚するほど鋭敏になり、さきほど入店してきた男の人たちが別のテーブルゲームで盛り上がっている姿、そしてそこにドリンクをサービスしてからこちらに、正確にはカウンターに戻ろうとする店長が場の変化を認めて、そしてその原因が私であることをきっと認めていると感じたとき、勇気が湧いた。ひとりだけで前に進むのは怖いけど、それでも前に、前に、進まなきゃ。
「私が占い師です。見た目だけリア充さんを占って、人狼でした」
ごきゅっ、と音が聞こえる。
いやー、これはえらいことになったでござる、とゲヒが素っ頓狂な声を上げる。
豆は隣でいま、どうしているのだろう。
しかし私はそちらを見ることができなかった。いま私は、見た目だけリア充と真剣勝負を繰り広げているのだから。
「い、いや、俺は占い師だよ」
「嘘ですっ。だって私が占い師だもん」
話は平行線を辿った。ゲヒだけが忙しなく首を左右に振り、見た目だけリア充と私を交互に見比べている。
どうせなら、こいつも嵌めてやろうと思った。
「村人だなんて簡単に言えますよ。相手が人狼であれば」
えっ、と今度はゲヒが声をあげる番だった。
「つまりですね、ゲヒさんが人狼だったとすれば、見た目だけリア充さんがゲヒさんのことを村人だと言うのは、すごく簡単なことなんですよ」
「ちょっ、ちょっと待つでござる」
完全な潔白なのに疑いの目を向けられたゲヒが、慌てた様子で言葉を差し込んでくる。
「拙者は本当に村人でござるよ、人狼だなんて」
「だけど見た目だけリア充さんが人狼なんですよ。それならあなただって……」
「そ、そんなこと言われても拙者は本当に村人でござるよっ」
「では証明してください」
「し、証明?」
ゲヒが戸惑ったのを見て、私はこくりと頷き畳み掛ける。
「自分は人狼じゃないっていう証明」
「っ、そんなのできるわけ……! じゃあ黒子は、自分が人狼じゃないことを証明できるでござるか?!」
「私には、占い師を騙るメリットがないよ」
ゲヒが突然大声を出したのでびっくりしてしまったが、なんとか私は怯まず、ゲヒと真正面から向き合うことができた。
「他に占い師がいないなら騙る意味もあるけど。既に占い師が出てるのに、後から言ったら今みたいに疑いがかかるだけじゃない。それでも私が言ったのは、見た目だけリア充さんの勝ちを阻止するためなんだよ。あのままじゃあ私とごきゅさんと豆さんのうちの誰かが殺されて、それで人狼の勝ちになってしまうでしょう」
まっすぐ目を見据えて堂々と言ったので、ゲヒはその勢いに圧倒されたようだった。迫真の演技だったのだ。何しろ私はこのとき、今にも泣きそうだったのだから。
「そんなこと言われても、拙者は人狼ではないでござるよ……」
「この際、ゲヒさんが人狼かどうかはどうでもいいです」
そして私は、今度は見た目だけリア充のほうを見つめた。彼は未だに私の反乱を信じられないのか、唖然とした表情でこちらを見返している。
「見た目だけリア充さんが適当に言っただけかもしれないので。とにかく見た目だけリア充さんを吊れば、村人チームの勝ちなんです」
「ちょっ、ちょっと待ってよ。俺は本物の占い師だ」
「だけど証明できないでしょう?」
「そんなの……」
「ごきゅさんは、どちらが本当のことを言っていると思いますか?」
「えっ……と」
「私が嘘をつける人間だなんて思いますか?」
嘘だ。大嘘だった。
何故こんなゲームで真剣になっているのかわからない。私も、他のみんなも。たかがゲームじゃないか。迫真の演技で人を騙して、騙されたほうは、くそー騙されたって、単純に悔しがるだけでいいじゃないか。何をそんなに考えているんだよ。あなたが私を信じてくれれば、豆だって。
「ぼ、僕は……」
「豆さんは、私のことを信じてくれますよね?」
これ以上ごきゅに期待することはできず、豆のほうを振り向く。隣の豆は小さくなっていて、すでに質問がくることを予期していたように俯いていた。その姿を見たとき、もしかしてこの人は全てを看破しているんじゃないかと思った。私のことを――
「豆さん、お願い、信じてっ……」
それでも私はもう、豆を信じること以外はできなくなっていた。ここまできたらもう、豆を引き入れるしか道はない。
こくりと小さく、豆が頷いた。
「豆さん、本当に? 私のことを信じてくれるの?」
もう一度、豆がテーブルの端を見つめながら頷く。
「ありがとう、豆さんっ……」
私はそのとき本当に、少し泣いてしまったのかもしれなかった。
出てきたのは涙声で、もう迫真の演技とかそんなの関係ない。豆が、他人が私を信じてくれたのだ。このときは、それだけが重要なことで。
「これで、こちらは三人だよ」
えっ、という声と、ごきゅっ、という音と、両方聞こえた。
まだ一人しか説得できていないことは、私にも分かっている。だけど彼はぼっちだから、こういうことを言われると絶対に逆らえないはずなのだ。ごきゅは絶対にこちら側へつく。そしてゲヒはその状況を悟るはずだから、ゲヒだって。そして残るのは見た目だけリア充ただひとり。
私がキッと見た目だけリア充を睨むと、彼はたじろいだ。本当に正しいのは彼なのに、清廉潔白なのに。信じてもらえないほうが悪いんだ、ざまあみろなんだ。
「じゃあ、多数決を」
「ちょっ、ちょっと待って。その前に、この場に怪盗はいない?」
見た目だけリア充の反撃に、少しだけぞっとした。私は怪盗の存在を少しのあいだ忘れていて、もし見た目だけリア充と怪盗がカードを交換していれば、彼が真の占い師だということが証明されてしまうから。だけど誰も、このときは名乗り出てこなかった。このタイミングで名乗り出てこないのはあり得ない。このままでは黙っていても3対2で、敗北濃厚なのだから。
「いないみたいですね」
とどめを告げるように私は言った。
死刑判決を受けたかのように、見た目だけリア充の顔がみるみる青ざめていく。
「じ、じゃあ多数決するでござる」
ゲヒが最後に自分の役割を思い出し、投票が始まったのだった。
「4対1……見た目だけリア充殿が処刑でござるな」
最後通告を突きつける声は震えていた。おそらくゲヒは、嘘をついているのが私だと気がついているのだろう。彼はそれぐらいの脳味噌は備えている。だけどそれを言うだけの度胸もなければ自信もなくて、本当に、本当は見た目だけリア充が人狼ではないか? と無謀な可能性に身を委ねたに違いなかった。言い訳のために。
見た目だけリア充が観念して、自分のカードをめくる。
もちろん占い師だった。
ああっ、という声と、ごきゅっ、という音が聞こえて。
そう、やっぱり騙されていたのだ。当たり前じゃないか。気づけよ、それぐらい。
皆が注目する中、私がゆっくりと目の前のカードをめくる。
怪盗だった。
「えっ……?」
……怪盗?
エッ、エッ……これは一体どういうこと……?
「ああ、残念。誰かに怪盗と入れ替えられちゃってたんですねー」
すぐそばで店長の声が聞こえてきたが、私はその事実を受け入れられなかった。
だって私は目を開けたとき、真っ先に自分のカードが取り替えられた可能性を危惧していたのだ。それで、カードが目を閉じる前と向きが寸分変わらなかったから大丈夫だって。
「いま人狼カードを持っているのは誰ですか?」
一拍の後、隣でパタンとカードをめくる音がした。
豆だ。
豆が私とカードを取り替えていたのだ。
バレないよう、細心の注意を払って。
「おおー、すごい。あなただったんですね。これは狙っていたんですか?」
「いえ……」
か細い声で豆が呟いた。
「たまたま取り替えたら、そういう展開になっただけで……」
嘘だ。
この小さな女は本当に嘘つきなのだと私は思った。
だって私を騙そうとしていなければ、私が目を凝らしてもわからないぐらい、慎重にカードを入れ替えようとするはずがない。ずっとずっと私を騙そうとしていたのだ。私が騙りを始めたときも、おそらく横でほくそ笑んで。
私が信じてと縋ったとき、この人は一体どんな気持ちだったのだろう。全てを把握している自分に向かって、馬鹿みたいに迫真の演技を続けていた女のことを。ありがとうと私が伝えたとき、この人は……
このとき私は、彼女のこれまでの人生を悟った。
おそらく彼女は、この種の嘘をずっとつき続けて生きてきたのだ。(完)
長編を書いている途中だったのですが、突然短編のネタを思いつき、書きました。
五人のキャラクターを考えるのがしんどかった、というかゲヒの扱いが酷いことに……