お稲荷さん3
その風はあまりにも強くて、辭は両腕で視界を庇う。
気がつけば風が止んでいて、目の前にはあの男が気絶していた。
目が醒める前に路地から抜け出した。起きたら面倒事になりかねない。
ほんの少しだけ近道しようと思い、屋根の上を移動する。風が茶色のロングを優しく撫でる。軽やかに跳ぶのは好き。何も気にしなくて済むから。
(それにしても、先程の風……)
ほんの微かだが、妖の気配がした。力量もかなりのものだ。あれが今回の退治すべき妖なのだろうか。悪意は微塵も感じなかった。
荷物の重さなど見ている者には感じさせない程、身軽に目的地の屋根から降りる。
あの後、トラブルに巻き込まれることもなく、辭は無事に宿へ辿り着いた。
辺りは少しオレンジ色に染まっている。本当ならもう少し早く着く予定だったのに。とんだロスタイムを喰らってしまった。
(約束の時間より、随分とかかってしまった。怒っているだろうか。それとも心配して倒れてはいないだろうか)
辭はその人物をよく知っているため、頭の中をそんな考えばかりが駆け巡る。
今自分がどんな顔をしているのか、辭自身分かる。きっと、顔の表情筋がひくついているに違いない。
小さく溜息をついて、宿の扉に手をかけて開けた。と、途端に辭に飛び付いてくる黒い影が。
「良かったー! 辭 、事故か何かに巻き込まれたのかと思ったよ!!」
「あ……の、時雨……さ……」
「大丈夫だった?! 辭はすごくすごーく美人さんで背が小さくて可愛いから私てっきり変な輩にあんなこととかこんなととかに巻き込まれたんじゃないかって心配で心配で仕方なかったんだから! もう本当無事で良かった! で、変な輩に絡まれたの?! どうなの?! ほら言いなさい!! 私がボコボコにしてあげるからどこのどいつか吐いちゃいなさい!!」
「いや、もう……大丈夫です……間に合って、ます……」
マシンガントークな上に頭が取れてしまうのではないかと思う程、肩を揺さぶられる。
辭に飛び付いてきたのは、この宿の宿主の楿 時雨。
時雨は辭の親戚にあたる方で、とても優しい人だ。美人さんで術の才能もピカイチ。辭なんてとてもじゃないけど、足元にも及ばない。
だが、一つだけ残念な所がある。
それはーー
「え?! 絡まれたの!? 案内なさい!! 私がボコボコのギタギタにしてあげるから!!」
マシンガントークなのはいいが、馬耳東風なのだ。全くもって人の話を聞かない。
なんとか時雨さんを止めながら、改めて宿の中を見渡す。
ちっとも変わっていない。懐かしくて落ち着く。
気づいただろうが、京都だけではなく、楿家が運営する宿は全国各地にある。
辭はよく京都の任を任されるため、他の所は滅多に行かない。
だから、辭にとって京都は行きつけの馴染み深い所なのだ。八ツ橋は美味しいし、抹茶も美味。
(いけない。考えてるだけで楽しみが増えていく)
任が終わったら行きつけのお茶屋さんでも行こう。