1話 新生活
第1話 新生活
キヨキウ街。かつて、そこは多くの冒険者で溢れ、活気に満ちた街だった。
しかし、ある時を境に魔王が姿を消したことで、冒険者たちの熱狂的なブームは去った。今や、当時の華やかな歴史を語るだけの「タイムスリップの観光地」として、時が止まったままだ。
そんな街の中央に店を構える老舗「セキノ魔法道具屋」は、私の祖父が営む店だ。今日も薄暗い倉庫の奥で、祖父は悲しげな背中を丸め、売れ残った魔法道具の手入れをしている。
「おじぃ……」
倉庫の戸口から声を掛けようとして、私は言葉を飲み込んだ。祖父であり、私の憧れの職人でもある彼に、どんな言葉をかければ元気を出してもらえるのか分からなかったのだ。
祖父の寂しげな様子を呆然と見つめていると、不意に背後から声が飛んできた。
「ヌヤ〜。どこにいるんだ〜。こっちを……手伝ってくれ〜!」
父のオゼサだ。そうだ、今日は引っ越しの真っ最中だった。倉庫へは魔法道具を取りに来ただけだったと思い出し、私は棚に置かれた道具を手に取った。
「おじぃ! これ、持ってくね!」
「……好きにしなさい」
「大事にするよ! いつもありがとう、おじぃ」
私が満面の笑みで告げると、祖父は「そうかい」と短く返し、目尻の皺を少しだけ柔らかくした。
両手に魔法道具を抱え、私は祖父の背中と倉庫を後にした。
家の中に戻ると、リビングでは父が引っ越し用の小箱に無理やりソファーを詰め込もうと悪戦苦闘していた。どう見てもサイズが合っていない。
「もう少し、大きい箱に詰めたらどうかな。お父さん、それ絶対無理だと思うよ」
「ちょうどいい箱は使い切ってしまってな。入りそうなのがこれしかないって訳だ」
父は額の汗を拭いながら、なぜか清々しい顔で答えた。
「仕方ないな〜。この私が、箱の容量を増やしてあげるよ」
「や〜、流石は自慢の娘だ! チャチャッと頼むよ」
父は私の頭をわしゃわしゃと撫でた。
私は腰のポーチから使い慣れたドライバーとネジ、そして機械のコアを取り出す。慣れた手つきで箱の底面の蓋を外し、内部の空間拡張機構に直接手を加える。ものの数分で、ただの小箱の容量を二倍に広げる改造が完了した。
「いつもながら、完璧な仕上がりだ! ありがとうな〜」
笑いながらお礼を言うと、父は再びソファーを小箱へと押し込んだ。今度は嘘のように、スルスルと吸い込まれるように入っていく。しかし、あまりにもスムーズすぎたせいで、父は体勢を崩し、ソファーもろとも小箱の中へダイブしてしまった。
「わぁ……ッ!」
父の情けない叫びも虚しく、その姿は完全に箱の中へと吸い込まれていった。
別の道具の片付けに夢中になっていた私は、その決定的な瞬間にまったく気付いていなかった。
「あなた! タンスは後で詰めてって言ったじゃない!」
パタパタと慌ただしい足音を立てて、母のマーリがリビングに駆け込んできた。その腕には、新居へ持っていくと思われる服が何着か抱えられている。
「あれ、ヌヤ。お父さんはどこ?」
「……え?」
顔を上げてリビングを見渡す。ついさっきまでそこに居たはずの父の姿が、忽然と消えていた。
「分かんないな。さっきまではここに居たんだけど」
「も〜、どこ行ったのかしら」
母はプクッと頬を膨らませ、呆れたように自室へと踵を返していった。私も自室の荷物に詰め忘れがないか、確認しに行こう。そう思い立ち上がった時だ。
「うん?」
視界の隅で、床に置かれた小箱が微かに揺れた。
気のせいかと思い近寄ると、もう一度「ゴトッ」と鈍い音を立てて揺れる。
「もしかして……」
恐る恐る箱の蓋を開けると、中からピョコッと父が顔を出した。
「や〜。良かった、良かった。マーちゃんには怒られなかったし、ヌヤには見つけて貰えたし。一石二鳥だッ……」
(……見つけなければ良かった)
私は無言のまま、スッと箱の蓋を閉めた。母には報告しておこう。ガタガタと激しく揺れ始めた小箱を冷たく放置し、私は母の部屋へ寄った後、自分の部屋へと向かった。
すでにほとんどの物が片付けられ、ガランとした自室。開け放たれた窓から、涼しげな風がスッと流れ込んでくる。窓枠では、昔私が作った『風力で動く鳥の置物』が、風を受けて楽しそうに踊っていた。
「試作の道具も全部持って行きたいけど、荷物になっちゃうからな……」
足元には、未完成な魔法道具が詰まった大きな箱が置かれている。どれか一つくらいなら持っていってもいいだろうか。しゃがみ込んで試作品を吟味していると、控えめにドアがノックされた。
「ヌヤ、今いいかしら」
「いいよ〜」
そっと顔を覗かせたのは母だった。
「お邪魔しますっ。……試作品、見ていたの?」
「うん。一個だけならいいかなって思って」
「……」
母は静かに部屋に入ると、ふと真剣な眼差しを私に向けた。
「あのね、ヌヤ。お母さんは……ヌヤが私たちに無理して付いて来ようとしていないか、心配なの」
私は試作品をいじる手を止め、母と向き合った。その凛とした声とは裏腹に、母の目頭は微かに熱を帯びているように見えた。
母はゆっくりと歩み寄り、私を優しく抱きしめた。
「ヌヤは昔っからおじいちゃんっ子で、私たちよりもお義父さんの傍に居たわ。だからこそ、ここが貴女にとって大切な場所だとお母さんは思うし、離れがたいと感じているはずよ。今回の引っ越しは私たち夫婦で決めたこと。ヌヤまで、その責任を背負う必要はないのよ」
母の温かい腕の中で、私はゆっくりと首を振った。
「大丈夫だよ、お母さん。私も、自分から付いて行きたくて決めたの。おじぃも、私がここに残るより、外の世界へ巣立って欲しいって思ってるはずだし」
それに、と私は続ける。
「お父さんはああ見えて、一家の問題を一人で背負い込んじゃうから、私がお店を手伝わなきゃ。お母さんも、私がいなかったら寂しいでしょ?」
「ヌヤは……。貴女自身は、どうなの?」
「私はね、新しい街で新しい事業を始めるのが、すっごく楽しみだよ」
私は母の腕からそっと離れ、窓辺へと歩み寄った。眼下には、すっかり寂れてしまったキヨキウの街並みが広がっている。
「今まで作ってきた魔法道具とは違う形になるかもしれないけど、このままここに居ても売り上げがなくてお店が潰れちゃう。そっちの方が、私にとっては嫌だよ」
母も私の隣に並び、寂れた街を見下ろした。
「ずっと……ここに居られたらよかったのにね」
「そうだね、お母さん。でも、道具屋として繁盛するためには、次の場所へ行かなきゃ」
私の言葉に、母は目を丸くした。驚いたような、それでいてどこか嬉しそうな表情だ。
「道具屋は、いつの時代だって必要とされる仕事だよ。だから、私の自由に生きろって言ってくれるなら……私は歴代最高の道具屋になって、お金をいっぱい稼いで、お父さんの道具箱を『純金』にしてやろうかな〜って思ってる!」
母は、私の内に秘めた不屈の職人魂を間近で感じ取ったのだろう。ゆっくりと目を閉じ、静かに、そして誇らしげに笑った。
「ですって。貴方の道具箱、いずれ重くなるみたいだから、今から筋力トレーニングを始めなきゃいけないわね」
「……なんでそこで声を掛けるんだよ。今、すごくいい所だっただろ」
廊下で聞き耳を立てていたらしい父が、照れくさそうに頭を掻きながら部屋に入ってきた。箱からは無事に脱出できたらしい。
「ま、まずは俺の腕前を超す所からだな、可愛い道具屋さん」
「お父さんの腕前なんて、もうとっくに超えてるもん」
「やぁ〜、まだまだ足りんぞ!」
腕を組み、フンッと鼻高々に笑う父のオゼサ。その姿を見て安心したように微笑む母のマーリ。そして、絶対に負けないと胸を張る私。
「まったく、この子は誰に似たのかしら」
「この頑固さは、確実におやじ譲りだな。……よし、皆! 明日は朝が早いぞ〜。新天地ラサークへの道のりは遠いからな。忘れ物をするなよ!」
「「はーい!」」
私と母の元気な返事が、空っぽの部屋に響き渡った。
翌朝。
祖父母の温かい見送りを受け、オゼサ一家は希望と野心を胸に、新天地「ラサーク」へと出発したのだった。
――忘れられた話。
少し昔、とある勇者が魔王を倒しました。
しかし、このままにしておくと、魔王は再び復活してしまいます。
勇者は何がなんでもそれを止めようとしました。
すると、魔王の呪いを受けてしまったのです。
『勇者の強大な力を喰らい尽くし、より凶悪な魔王として復活する』
勇者は、己の存在がやがて最悪の魔王を生み出してしまう運命に絶望し、悲しみました。
そして、苦肉の策として……勇者は自分自身を『魂』ごと封印することを選んだのです。
今では魔王のいない平和が訪れました。
めでたし、めでたし。




