case1-4 無番地の箱庭
神々廻は美しい若草色の畳の上に座り、ぼんやりと視線を漂わせていた。室内から障子戸を開け放った先には、庭園があった。季節を無視した花々は中から見ると多数あるようだ。その中庭から暖かな空気が漂い、邸内は常春の様相だった。
(いや、これを中庭と言っていいものだろうか……大庭園だよな?奥の方が霞んで見える。こんな広大な土地どうやってこんな場所に?意味がわからない)
胸のうちで呟き、先程から黙ったままの鬼一を眺める。彼女は背筋をただし、正座のまま身動ぎもせずまぶたを閉じている。
鳥居をくぐった先にあった東屋に上がり、「少々お待ちください」と言われ、既に30分以上そのままだ。
庭にある池に注がれる水の音、時折日本庭園に定番の『カポーン』という音が聞こえる。
竹で作られた鹿威しは、もともと作物を荒らす獣を追いやるためのもの。こういった庭園にある場合、『静寂さ』を際立たせるためにある装飾物だ。
――そういった何もかもを知らないままただ待たされていた彼は、ため息を落とした。
ここは、鬼一の『師匠』の住まい。神社のようなもので……〝神の住まい〟という単語は聞かなかったことにしたらしい。
神々廻も鬼一は武芸ごとが得意だと聞いている。誰に彼女のことを聞いても最初に出てくるのは『武芸達者だ』と答えられた。
理由は、全国警察剣道選手権大会で常に上位を取得しているから。大会は一年に一度、トーナメント形式で全国の猛者が参戦する。年齢、経験関係なく試合が組まれるため若い者は上位に上がることはほとんどない……はずが、彼女はいつも3位、4位を奪取していた。
そも、警察官は武芸に秀でていなければならない。武道経験の無い者も、採用後にほとんどが柔道や剣道の初段を取得するのが通例だった。
そんな中でも、鬼一が『いつ一位をとってもおかしくない』『あれは稀代の剣豪だ』と上層部が噂しているらしい。
(――となると〝師匠〟は武芸の?いや、表札には『陰陽師』って書いてあったな。妙ちくりんな専門用語らしきものを使っていたし、実際にこうして住所録にない場所に家が建ってる)
そう、警察や市役所の記録にない場所が現在地であるのは事実だ。
神々廻には『紙に書かれた文字を一度見たら忘れない』という特技がある。それ故に警察学校をトップで卒業し、初配属が公安になった。
頭の中の住所録にない場所だ、とすでに確認を済ませてある。
だが、しかし。
(この世に不思議なものがあるって?そんな訳ない。あってたまるか)
神々廻直は、この世の不可思議なものを信じていない。というか、嫌いなのだ。
彼は強い意志を持って『ふん!』と鼻息を吐き、鬼一のジャケットの裾を引っ張った。
「なぁ、そろそろ話してくれよ。さっきのよくわからん言葉と、今の状況。報連相は大事だろ」
「はぁ……課長がそれを言いますか。私の携帯の履歴には、あなたの着信履歴はひとつもありませんが」
「すまんて」
「まぁ、ちょうどお話が終わったところです。後2時間半きっちり待機してくれとの事でした」
「オハナシ、」
「念通話と言います。各個の能力によって通話可能距離が変わりますが、手練れでしたら世界のどこにいても会話可能です。頭の中で」
「フーン」
「では説明いたします。メモをお取りになりますか?」
「あ、ハイ」
彼に向き直った彼女は冷静なまま、メモ帳を取り出す様子を眺めている。『胡散臭い』と言う態度を前面に出した相棒の姿にも、眉ひとつ動かさなかった。
(前から思ってたけど、こいつ肝が据わりすぎじゃないか?年寄りくさいというか、おっさんぽいっていうか)
「長年の癖は抜けないものです。よろしいですか」
「ハイ」
『おっさんぽい』のか、『肝が据わっている』のか、そのどちらもなのかはわからないが「『長年の癖』というには、二十年は短いだろ」と思いつつメモ帳を開いた。
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「えーと、要するにお前さんは魔法使い⭐︎ってことでいいか」
「今の説明でそう解釈されたなら構いません。似たようなものです」
「フーン」
「今は認められなくても、そのうち慣れます」
「フーン」
1時間きっちりで謎の用語たちを説明し終え、鬼一は緑茶を啜っている。
(――これを持ってきたのが、狐だったなんてオレは認めないぞ。白くてふわふわしたしっぽが柔らかそうだったが、騙されないからな)
頭をガシガシと掻き、彼もあたたかい湯呑み茶碗を手に取った。淡い緑の液体は海苔や干し草のような深く甘い香りを漂わせている。高い茶葉の代表である『玉露』の匂いだ。
「玉露は日光を遮って育てる過程がある。その時に含有物のテアニンからジメチルスルフィドが生成され、独特の甘さが最大限に引き出される」
「知ってますよ」
「何でだよ。まぁ、そういうことだ。高いお茶だと思って飲んだ結果美味いと感じるのはプラシーボ効果だ。心理、生理的現象って事だな?」
「あなたが『超常』に関して辟易されている事は存じています。しかし、現実主義者でしたら目前の事実を無視するのはいかがかと」
「ぐぅ」
「鬼一の話をそのまま信じるわけにはいかない」と暗に言うはずが、手痛いしっぺ返しに彼は敗北した。課長であるはずの神々廻は、部下の鬼一にやり込められてがっくりと肩を落とした。
「生まれてこの方、んなもん経験したことがないんだよ。認めるにも原理がわからないから、納得できない」
「原理を教えても今は理解できませんよ、あなたはそう言ったセンスがありませんから」
「センス……シックスセンスか?」
「科学的根拠のない名詞を使われますか?映画が元の名称ですよ、それ」
「くそぅ……じゃあ無意識の知覚、脳の統合能力、あとは東洋的な思想で言えば六根ってやつだ!」
神々廻の言葉に鬼一は穏やかな笑みを浮かべる。心底幸せそうなその顔がどの言葉で引き出されたのかは、神々廻にはわからなかった。
「目、耳、鼻、舌、身、意の六根と言うことにしておきます」
「オレが鈍いって言いたいのかい」
「正解です。珍しいですね」
「く……」
憎まれ口しかもらえない神々廻は項垂れつつも、先程撮ったメモを真剣に読み直し始めた。
鬼一の笑顔はより一層深くなり、柔らかな光の降り注ぐ庭へと視線が移る。そこには、一羽の黒い蝶が飛んでいた。




