case1-3 越境
こつこつ、とか踵を合わせて彼女は歩いていく。眉根を寄せたまま後についてくる神々廻を横目に、住宅街の同じ区画をすでに30分は歩いている。
『何も聞かない』と言うことを条件に、鬼一は『銀の警笛』としてふさわしい人物を紹介してくれると言うからついてきたのに……と、彼は謎の行為を繰り返す相棒を見るしかない。
何度めかの同じ電柱看板を目にして、耐えきれず口を開こうとした瞬間、ポニーテールが揺れて真剣な表情の彼女が振り向く。
「二度めの忠告です。口を開かないでください」
(なんでだよ、お前は喋れるのに)
「今道を開いています。言葉の穢れで結界が効力を発揮しますから、喋らないでください。解呪の最中ですから術者は喋れます」
(けがれ??けっかい??かいじゅ?)
「後で説明します。全部で百八回繰り返さなければ辿り着けずに帰れなくなりますから、絶対に口を開かぬように」
(はいはい、わかりましたよ。……って、オレ口に出してないのに意思疎通してる?!)
「それも後で。ここから難しいんですから邪魔しないでくださいね」
(…………)
釈然としないまま、彼は真剣な顔で奇行を続ける彼女を見つめるしかなくなった。時折通りすがる人からも怪訝な目で見られ、塀の上で眠っていた猫は呆れた顔をしている。
頭の中で先ほどの謎ワードを繰り返し、ぼんやりと思い浮かぶのは。
(道を開くって、開墾の意味じゃないよな。整備されてる住宅街のアスファルトの道路は綺麗だし。けっかい、ってそう言えばテレビで聞いたことあるな。かいじゅ、じゅつしゃはわからん。そして、鬼一はオレの頭の中が覗けるのか?)
疑問をぐるぐると繰り返していると、突然ふわりと温かさが頬を撫でる。冷たい空気の中に花の香りが届き、髪を揺らすほどに風が吹き始めた。
「はぁ、はぁ……」
(えっ、汗だく?)
「えぇ、とても強いお師匠さんの御宅に伺わなければならないので。私はまだ未熟者ですから、苦労するんです」
(つよい、って)
「全ては到着してからです。さて、最後の関門ですよ」
虚空を見つめ、額の汗を拭った鬼一はジャケットを脱ぐ。思わず手を差し伸べ、上着を受け取るとそこに満面の笑みが見えた。
「ありがとうございます」
(お、おう)
初めて見た彼女の眩しい笑顔に驚きつつ、神々廻は口をつぐむしかなかった。
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(探偵事務所……)
「ええ、ここに私の師匠がいらっしゃるんです。もう口を開いても構いませんよ」
紫竹のささらに椿の木がびっしりと生えた生垣が囲む、小さな木造の家。
木の門柱に飾られた表札には『陰陽師探偵事務所』と記されている。
「お前、スピリチュアル系の人なのか」
「あなたがどう言う意味で言っているかによります。ただ、今経験されたことは事実です」
「たしかに、そうだけど……」
神々廻は辺りを見渡し、首を傾げずにはいられない。先ほどからぐるぐると回っていた住宅街の一区画が、まるで別世界になっている。事実であることに間違いないが、不思議な出来事を受け止めきれずにいた。
コンクリートの塀、アパート、一戸建てが建ち並んでいたはずのそこに忽然と現れた木造住宅。先ほどまでいた通行人はぴたりと途絶え、猫もいなくなっている。
花の香りが漂うここは、まるでひだまりのように明るく暖かい。花が千々に咲き乱れているが、季節が狂ってしまったかのように無規則な種類が並んでいる。
住宅を囲む椿は赤い花がびっしりと咲き、その上から背の高いひまわりが顔を覗かせていた。その横にあるのは桜で、薄桃色の花びらがハラハラと舞っている。先ほどから香るこれは金木犀だろう。
春は桜、夏はひまわり、秋は金木犀、冬は椿。それらは季節を越えることのないもののはずだった。
「さて、新しい注意事項です。師匠に対する言葉遣いは注意して下さい。不遜な態度を取れば追い返されます」
「師匠は怖い人だな。というか、 ……まだ説明してもらってないのにまた注意事項?」
「中に入って説明すると言いましたよ。スケジュールでは3時間ほど待たなければお会いできませんので、ちょうどいいでしょう」
「え、3時間も待つのか????」
「中に入れば私たちの世界の時間は止まったままです。ここは隠世ですから」
「かくり……ううむ。時間が止まるって、どうやって」
「私も師匠が何の術を使用されているのか、わかりません。修行中の身なもので」
「あ!仕事の後ここに来てるって事か?だから就業時間に厳しいのか」
「はい。本日は来訪者があります。法務大臣の結城、官房長官の東雲、それから」
「は?は??……え??」
「師匠のお客です。最近物騒な事件が続いていますから、頼まざるを得ないのでしょう。断られると思いますけど」
「いやいや、お偉いさんばっかりじゃ……え、断る????」
「はい、彼の方は人間がお嫌いですから」
「…………」
何もかもがわからないまま、呆然としてしまう。
(政治家のお偉いさんが客?しかも、なんで鬼一までその人らを呼び捨てにしてる?)
神々廻の頭の中の疑問に答えず、鬼一は門前で頭を下げる。それを見送り、彼はふと頭上を見上げた。
太い木で作られた門柱は、頭上で組まれている。これは、どう見ても鳥居だ。
「おい、ここ神社なのか?」
「そのようなものです。ここは神様のお住まいですから」
「は?いや、師匠の家じゃ……ま、待ってくれ!」
さっさと歩いていってしまう彼女を追いかけ、ふと足を止める。さほえをうっすらと思い出した彼は鳥居に頭を下げ、その邸宅の敷地に足を踏み入れた。




