case3-4 溢れ落つ先
神々廻 直、25歳。男。
彼は実の親を3歳の時に亡くしている。山道からの転落事故で、原因は不明のままだ。
他に親族もおらず、養護施設に入ったものの、賢く見た目も愛らしい彼は直ぐに里親の元へ引き取られた。
義理の両親は心から彼を愛しうる善人だったが、本人は「愛」を「生存条件」だと認知していた。
――『義両親を失えば、小さくて弱い自分は生き残れない』
幼い彼が導き出した答えは、完璧な『いい子』を演じ抜くことだった。
欲しいものを聞かれれば『何も無い』と答え、小遣いも遊びの誘いを断って勉学に励んだ。
自分を追い詰め、常に上限値を叩き出す。そうしなければ〝見捨てられる〟という強迫観念は、少年の成長期を支配していたのだろう。
彼は、自分自身を鍛えることを怠らなかった。知識で武装し、肉体を鍛えて『強い自分にならなければならない』と常に言い聞かせて生きてきた。
小、中共に文武両道で数々の賞を獲り高校進学に関して多数勧誘があった。『ぜひうちに』と打診があった遠方の有名校を志望せず、徒歩で通える身近な場所を選んだ。学費は無料になったとしても、交通費がかかることを懸念していたから。
高校卒業後は、警官になるべく警察学校へ行き、首席で卒業。
警官になってからは規律通り四年半交番勤務を勤め、巡査部長への昇任試験に合格。さらに三年後警部補に昇級。公安課に正式配属された。
現在は特殊類希事件捜査課に異動。異例の抜擢で警部の階級を持つ。
高卒二十五歳としては警部補の積むべき実務年数三年をスキップした計算である――
神々廻の身辺調査書類を一通り見終わり、文机の上に戻す。目の前で揺れる白いしっぽを眺めながら、白石はそれの持ち主と目を合わせた。
「真面目でお堅い神々廻のステップアップは上手くいったんだな」
「ええ、最後は無理やり持ち上げました。雪山で出会えたのは僥倖でしたね」
「そうかなぁ、放っておいても昇進はしたと思うが」
「はい、ただし……公安に使い潰されていたでしょう。彼はあの雪山で、初めて人に助けを求めたのですから」
「不器用な奴だよな……って、これは自分にも取って返す刃か」
「全くもってその通りです。白石も大概不器用でしょう。タイミングは間違いなく良かったのですよ、血縁者の居ない神々廻は……そろそろ潜入捜査員になる盤面でした」
「死んでも文句言われねぇ駒を使う、か」
「そこでも死ななかったでしょうけど。彼は山の神の『加護』を持っていますから」
「加護じゃねぇよ『呪い』だろ。純粋すぎて山神に惚れられちまったんだ。事故で死んだはずが呼び戻されて、魂が囚われている」
「魂移しはご法度ですが、そのようですね」
「うん。間違いなく大綱に触れる。……こんなことができる奴は存在しない。俺たちの女神以外には」
「はい」
「何かがこぼれ落ちてるな、彼女の掌から」
「……はい」
二人は互いに視線を逸らし、中庭へ目を向けた。かつて三人いれば手狭だったその場所は、今や端が見えないほどの広大な庭園と化している。
主である女神の力が強まりすぎた結果、無尽蔵な神力を拡散させるために〝庭そのもの〟が膨張し続けるしかなかったのだ。
「そろそろ整理整頓しなきゃならんか。神々を地上に下ろし、元々の配置に戻そう」
「そうするしかありませんね」
「うん、俺たちはアイツを失う訳には行かない。てかこのままだと荒神堕ちするよな」
「荒神堕ち、で済めばいいですね。星ごと消し飛ばしてしまいますよ」
「そうならないように、しなきゃならんだろ?」
「さて、どうでしょうか。僕にとってはあの方がなさる事が全てですから。年々お綺麗になる女神を愛していますので」
「……愛してる、って。お前、そんなこと言うようになったのか」
「彼女は身のうちに宿した八百万の神々を吸収している。命が溶ける度に姿をなくした友を思い、後悔の念に沈む。
そして、徐々に狂い落ちています」
「…………」
「あの方の闇はとてもとても美しい。愛されれば愛されるほど深くなるそれは、唯一無二なのですよ」
「お前も、大概おかしくなってるな?」
「ええ、僕は彼女の右腕ですよ?常に傍らにあり、あの方の命を預かる者として生きてきた。女神のなさることは、僕にとっての森羅万象です」
伏見はどこか歪んだ、けれど清徹な笑みを浮かべた。
「僕こそ、最初からあの方に狂い堕ちていますよ。果たされぬ妄念を抱え、清い心のままで」
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「あっ!魚が食いついた!!お師さん!」
「ん……あぁ、すぐに引っ張らねぇとアゴに針が刺さらんぞ」
「先に言ってくださいよ!あーー、逃げた……」
「くっくっ、太公望には程遠いな」
回想の余韻を振り払い、白石は目の前で悪戦苦闘する神々廻に目を向けた。
この『釣り』は、彼自身も若い頃にやった鍛錬である。
人が生きる力は『生命力』、それを練り上げ幾層も重ねて作り出すのが『霊力』。陰陽術は、この霊力と、人間らしい感情――憎しみ、悲しみ、苦しみを根源とする『呪力』を組み合わせて使う。
己の内に眠る力を血に溶かし、全身に巡らせることで術の根源である力を産み、それを針先に宿す。あえて貧弱に作った竿を強化し、魚を釣り上げることで達成とする……陰陽師力学として最も平和な方法だ。
だが、これは一朝一夕にできるものではなく神々廻はまだ一匹も釣れていなかった。
白石は自分の原初を思い出す。何も知らされぬまま謎の修行を強いられ、叩き出された力。それを見出したのは、かつての怨敵だった。
霊力よりも呪力を多く溜め込んでいた彼を正しく導いたのは、彼らが拝する女神だ。彼女は仲間も世界も護り抜き、今も戦い続けている。
胸のうちにちくりとした痛みを覚え、彼は瞼を閉じた。
(焦るな、今はできることをするしかない。俺は俺の与えられた仕事を全うして、大切な人を守るんだ――)
彼の内心を知ってか知らずか、神々廻がすぐそばで唸り出す。口端に笑みを乗せ、白石はそっと瞼を開いた。
海と空との青に囲まれた世界……今は白石が住まう地に、かつての仲間が再び集結し出している。
さらに新しいメンバーが加わったなんて……こんなこと、何千年ぶりだろうか。
女神を守る近衛として、最後に加わった白石。彼はようやく新人を迎えることができた。長く生きた上で得られなかった経験を今になって得たのだ。
「くそぅ、霊力ってなんなんだよ。スピリチュアルすぎるだろ」
「スピリチュアルっちゃそうだよな、名前からして。んで、現実主義者的な解釈はどうなった?」
「認識操作術は外部電子、磁気刺激による脳内伝達物質の錯乱ッス」
「ほぉ、電子パルスの錯乱だと」
「はい。霊力は超感覚的な知覚、研ぎ澄まされた本能を収斂させた現象物質。脳みそがギンギンに冴え渡ってる状態で生み出されます」
「インスピレーションが活発に起こるってか?」
「インスピレーションは『内に息を吹き込む』って意味ですよ。西洋神話では息に魂が含まれるとされ、吹き込むことでspiritusが宿ると言われます。……息が霊だなんて訳がわかりませんけど」
「おぉ、すげーな。勉強したのか?」
「そうしろって伏見が言ってたんで。ただし、結局のところ不可思議な力とは、お師さんの言っていた『振動・共鳴』が物理的に増幅されたものじゃないかと思ってます」
「そうきたか。それをどうやって起こす?」
「あー、原理としては……怒ると頭に血が上りますよね。血圧が上がって、生体内での電気的励起が発生します」
「ほんほん?」
「血管、心臓の動脈センサー……『圧受容体』ってのがあるんですけど。それにPiezo類タンパク質ってのが存在してる。物理的な血圧上昇に伴って、そこが電気信号を発生させる。つまり、」
「あっはは!じゃあ何か、お前さんは力めば電気が生まれるから、それが霊力だって?それが振動を起こして呪術になるってか」
「…………そうじゃないかな、と思ってますけど」
「おもしれー!聞いたかアリス!」
神々廻の解釈を聞き、はしゃぐ白石。それを冷ややかに一瞥したアリスはふんっ、と鼻息を吐いた。
「ブツクサ小難しいこと言ってないで、早く魚を釣ってください。下らない考察より実績です。働かざるもの食うべからずですよ!カー!」
「確かにそうだな」
「くっ!」
眉を顰めた神々廻はうんうんと唸りながら力んだ。わずかに体を巡る霊力が、頼りなくも針の先へと宿る。
その時、ついに手応えがあった。
「今だ!引け!」
「えいやっ!」
「いいぞ!そのまま引き上げろ!」
「はい!!」
勢いよく釣り竿を掲げ、水面を割って現れたのは――指先ほどの小さな小魚。
沈黙の後、全員が笑い転げた。神々廻は頬を膨らませて小魚を水へ返すと、再び唸りながら糸を垂らす。
次第に笑顔になる彼の瞳は、少年のように澄み渡っていた。
ひとしきり笑い終えた白石は、胸の奥に燻る鬱念をそっとしまい込む。そして、目の前の愛すべき弟子に集中することにした。




