case3-3 言の葉の雫
青い空の下、燦々と降り注ぐ陽の光の中で五色の小さな砂利が砂浜として広がっている。風が柔らかな波を作り上げ、優しくたゆたう碧海。
空と海の境界線は淡く溶け合い、地球の丸さを教えていた。
目をこらすと、彼方に小さな島がある。そこにあるのは神社らしいが、肉眼では見えなかった。
「今日は久々に釣りでもするか」
「そういたしましょう」
「神々廻、釣りは得意ですカー?」
「…………え?」
呆然とした神々廻の肩に飛び乗り、アリスは黒い翼で頬をピシャリと叩く。驚いたままの彼を見て、彼女はおかしそうに笑った。
「釣り、釣りですよ!しっかりしてください!これも大事なお仕事ですよ!?ねー、鬼一さーん」
「そうですね、私たちが一番多くやってきた修行です」
「ウンウン。こうなったら競争しませんカー?私と鬼一さん、神々廻と白石、って感じで」
「釣果を競いましょう。お忙しい星野さんに鯛を差し上げたいです」
「え、ダジャレですカー!?」
「……違います」
「あははは!!いいですね、リズムが戻ってきたみたいで!じゃあさっさと釣りしましょー!」
ばさばさと羽音を響かせて飛び去るアリス、彼女と鬼一はいち早く堤防の先にある桟橋に陣取った。
手にしているのは庭にあった竹を刈り取り、糸を巻き付けて針をつけた簡素な釣竿。普通、海釣りではこんな竿を使わない。海の魚は力が強く、大きいものが多いからだ。そして、餌はつけないと言うものだから、呆れてしまった。
「いや、餌つけなきゃ釣れないだろ……」
「釣れるぜ、やり方があるんだ」
「また不可思議現象ですか」
「他にねぇだろ?」
「……はぁ……」
眉を顰めた神々廻を連れて、白石も桟橋に腰かける。足袋を脱いで着物の裾を捲りあげ、足を海水に浸して釣竿を海面に下ろした。
何もかもに納得できないままの神々廻は口をつぐんでいる。先程『鬼一がいいなら構わない』といってしまった手前、謎の展開にも従うしかないのだ。
照りつける日差しが強く、海面から跳ね返る光が眩しい。桟橋も焼けるように熱かった。
誰もそのことを気にしていないが、彼はジャケットを脱いで尻の下に敷いた。
シャツの袖を捲り上げていると、白石が釣竿を渡してくる。仕方なく受け取り、そっと針を下ろした。魚は複数影を見せているが、当然食い付くはずもない。
静かな波音を聴き、風のそよぎのなかで思わず白石を見つめる。穏やかな笑みで返され、出そうになった言葉を飲み込んだ。
青の中に佇む彼は、何か大切なことを言おうとしているような気がしたから。
「ここは神の庭、俺たちの女神の作った棲家だ。神域だから、架空の空間って感じだ。現世にも存在しているが、次元の軸をずらしていて土地は無限にある。
現世の次元軸にも繋がっててるから、魚が釣れるって仕組みだな」
「……ハイ」
「この辺りの説明は宇宙物理学に通じるぜ。多元生の宇宙ってやつ。知ってるか?」
「聞いたことありますけど、うーん」
「よし、次の話題だ。今回の事件は、今すぐはどうにもならん。これは広域で展開されている呪術によるもの。侵食を目的としている」
「!?っ、な、事件の話が突然始まるんですか!?」
「釣りに来たのは遊びじゃないぜ。左近が言ってたろ?俺の言うとおりにしろって」
「ハイ」
「ぼうっと釣りしてても勿体無いから、鍛錬も含めて話そう。まずは姿勢から。
背筋を伸ばして腰の筋肉を立たせろ。地面にべたっと座るんじゃなく、いつでも立てるように身体を起こしておけ」
「は……はいっ!」
突然始まった指導に緊張が走る。背筋にそっと手を添えられて、神々廻はしゃんと体の軸を立てた。力んで上がった肩に白石の指先が触れて、首から上の力を抜く。臀部の筋肉から足の筋肉を連動させて、いつでも立ち上がれるように意識した。
「うん、いいぞ。丹田に力を入れるのはもう知ってるな。武道は何が得意だ?」
「弓道と剣道です」
「そりゃいい。筋肉のつきかたもバランスがいいし、鍛えがいがありそうだ」
「オレにも、指導してもらえるんですか?」
「必要なものだから一時的にな。陰陽術は体力勝負だ。お前さんみたいに『目覚め』を迎えてない一般人は苦労するぜ」
「……魔法使いになれって、ことですか」
「そうだ。警察の上層部は全員使える。そう言うふうに教育する部門があるから。
公安の『特務課』を作ったのも俺だ。特殊類希事件捜査課も例外じゃない」
「……」
「ま、最近じゃ特務課は修行を怠けているみてぇだな。狐憑きと怨霊憑きを間違えるようじゃ使い物にならん。
あぁ、腕を下げるな。掲げたまま……清眼の構えでわかるか?」
「はい!鹿島新當流ですか!」
「おん、よく知ってるな?」
「塚原卜伝剣聖が、好きなんです」
「ふふ、鬼一の剣は卜伝の直伝だぞ。まぁ前世だから俺が教え直してるけど。俺も直伝に近いかな」
「じ……直伝!?!?」
「ふっ、おもしれー顔。与太話はここまでにして、本題に入ろう。いいよな、全部知らなくても構わないんだろ?」
「くっ……」
しばらく難しい顔をしていた神々廻だが、横並びに座った鬼一も同じ姿勢を保っていることに気づいた。彼女は靴を履いたまま足を垂らしていて、つま先まで神経を通わせている。
肩に乗ったアリスはじっとその様子を見て、時々力のバランスを指摘した。
カラスのアリスもまさか、剣を使うのだろうか。確かに隙がないような気もするが、いかんせん鳥故わかりにくい。
ただ、鬼一の強さは折り紙付きだ。そして目の前にいる白石は泰然としていてリラックスしているように見える。しかし、一部の隙もないのは間違いない。
――これが、師匠の教えか。と彼は納得せざるを得なかった。
「――さて、事件の概要だが。カミキリムシについては後回しにするぜ。振り返りからやろう。こう言うのは区切りが大事だから」
「はい、事件の振り返りですか?」
「うん、そうだ。と言っても、俺が〝何をしたか〟だけ教えてやる。今のお前に必要なのは『不可思議なもの』に対する知識だ」
「何を、したか」
「やってみりゃわかるかな。俺はベテランだから、ちっと本流とはやり方が違う。だが、お前さんにはこっちを覚えてもらいたい。特務課には教えさせねぇよ」
「は、えぇ……?て言うか、警察が陰陽師なのは確定なんですか」
「一部は昔から存在していたぞ。平安時代は国家公務員だぜ?」
「ファンタジーすぎる」
「目の前で見たのに?」
「………………」
「くっくっ、責めてるわけじゃない。俺たちもお前さんみたいなパターンは初めてなんだよ、確かめただけだ。優しく教えてやるから、そう構えなくていい」
「ハイ」
白石は、神々廻の真横で次々と魚を釣り上げてはしゃぐ二人に一瞬目を逸らす。そして神々廻に視線を戻したが、彼は全く気づいていない。
桁違いの集中力、教えたらすぐに実践できる吸収力は凄まじい。そして『修行』と言った瞬間から真剣に取り組み始めたのも素直すぎる。だが、大成するのはこう言う器を持つ人であるべきだろう。
かつて『陰陽師の鬼才』として名高かった人の名を思い浮かべ、彼はそれを噛み締めた。
「一から十まで説明はしない、俺が教えるのは点だ。それを線にするのはお前の仕事だぜ」
「了解です」
「ん、最初は言葉の持つ力から。原理としては『振動・共鳴』だ。この地球に存在するものは石でも、木でも全部がわずかに震えて振動している。それらはかすかな音となり、さまざまな影響を及ぼし、共鳴し合う」
「天然石とかが『パワーストーン』って言われる由来ですね」
「そうだ。その最たるものが俺たちの持つ『声』だ。言葉の振動、周波数は〝言霊〟になり得る。共鳴を起こす力になる。
水に汲んだコップに嫌な言葉を投げ続けたら、腐った話を聞いたことあるか?」
「はい」
「人の発した言葉は意味も、音も影響力を持つんだ。それを利用して『言霊』を術として使う。魔法の呪文ってところだな。
言霊で猫又探しも、怨霊の正体明かしもできる。お前さんが毎回帰り道石につまづくのも俺のせいだよ」
「…………そういうの、良くないっす」
いつものセリフを聞いて、白石は満足げに笑んだ。そして、幾つもの和歌を読み上げる。
――たち別れ いなばの山の 峰に生ふる まつとし聞かば 今帰り来む
別れを惜しむ歌は、失せ物が戻るおまじない。
――恋しくば 尋ね来て見よ 和泉なる 信田の森の うらみ葛の葉
裏見、と恨みをかけた歌は、正体を明かす呪文。
――かきくもり 夕立つ波の 荒き日に 寄らぬ片端 どこへ行くべき
――瀬をはやみ 岩にせかるる 滝川の われても末に 逢はむとぞ思ふ
運命に彷徨い行方を覚えぬ様を詠んだ歌はちょっとした困難に遭う因果を。
今は別れても、また会えると詠んだ歌は、相手の無事を願う呪文。
朗々と詠う声は涼やかに、静かに心の奥まで沁みてくる。
そして、白石は告げた。心を込めて、最大限の言霊として口から発する。
「お前の親御さんには、きっとまた会える。俺が保証するから、安心しろ。
神々廻には自分の未来を望む資格がある。そろそろその重荷を下ろせ、話はそこからだ」
「……………………は、い」
雫の落ちる音を聞き、二人は波音に耳を澄ませる。優しい漣は神々廻の涙を優しく隠した。




