case1-2 銀の警笛
「鬼一~帰ったぞー」
「はい、おかえりなさい。報告書を用意してあります」
外回りから帰った神々廻がポカンとした表情で立ち尽くす。そう、今彼女は『報告書』と言った。
(なんで成果が上がったって知ってるんだ?オレ、報告してないのに)
首を傾げるも、こちらをちらりとも見ない唯一の相棒。彼女はパソコンを忙しなく叩き、ブルーライトカットのメガネをついと指先で押し上げる。
耳の上でぴょんとはねた髪は、彼女の硬質な性格と同じく硬そうだ。メガネのツルで押し上げられて、両側に飛び出ている。……こういう生き物、いたかもしれない、と神々廻は口の中で呟いた。
「もうすぐ終業です、早く書いて頂けますか。あなたの誤字ばかりで、事務にお小言をいただくのは私ですよ」
「へいへい、すいませんね」
ピシャリと言われてしまい、自分のデスクに座って綺麗に揃えられた報告書一式を眺める。
書類の横には暖かいコーヒーが置いてあり、かじかんだ手でマグカップを握った。じんわりと温かさが皮膚に染みて、ほっと吐息がこぼれる。
(そう言えば前にも……いや、鬼一はいつもこんな感じだよな。オレが成果をあげれば、こうして必ず書類を用意してくれてる。
今日、ホッカイロ忘れたことも知ってて暖かい飲み物を用意してくれてるし。勘がいいってことなのか?)
彼は男性で、筋肉質な身体であるものの手先の冷えが酷い。夏の盛りでも手が冷たいことが多く、今の寒い季節にはカイロを欠かさず持ち歩いている。小さな気遣いに体も心も温まりつつ、浮かんだ小さな疑問が頭から離れなかった。
ちらりと視線をあげると、鋭い視線が飛んでくる。鬼一は退勤時間に大変厳しいのだ。慌てて報告書を手に取り、書き記して行く。
「見つかったお婆さんは、お怪我されていませんでしたか」
「ああ、ピンピンしてた。二日も行方不明だったのは、友人宅で夜なべしてお茶会してたんだと」
「そうですか」
「…………」
神々廻が外回りでこなしてきた仕事は複数ある。今日は人探しをメインでやっていたが、これも報告していない。そして、人探しは複数件あり、偶然通りがかりに見つけた老婆が成果である事も言っていなかった。
GPSや盗聴器をつけられていれば、曲がりなりにも公安課にいた刑事が気付かぬはずもなく。これはさすがに「どういう事だ?」と聞かなければならない。
しかし、彼が口を開きかけたところで就業のアラームが鳴った。もちろん、これは鬼一が設定したものだ。
パソコンを閉じ、黒のロングコートを羽織り、カバンを持って彼女は頭を下げた。
「本日もおつかれさまでした。報告書は明日の朝確認しますので、デスクの上に置いてください」
「あっ、ちょ……聞きたいことが、」
「明 日 でお願いします」
「…………はい」
強い声色に肩をすくめ、神々廻は真面目に書類を書き始めた。鬼一はその姿を背後から眺め、少しだけ口端を上げる。彼のコートのポケットに好物の小さなチョコレートを忍ばせて、ドアを閉じた。
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「誤字だらけです。ちなみに報告書にこの説明は必要ありません」
「ハイ」
「文脈もおかしいです。倒置法は必要ありません」
「……ハイ」
「句読点の場所もおかしいですし、」
「待っ……まだあるのか」
「あります」
朝の陽の光を浴びながら、報告書の手直しをされている。彼は手厳しい指摘に肩を落とした。神々廻は文書作成が苦手だった。
必要な部分だけ抜き出して説明するのが不得手で、報連相を怠りがちなのもそれが理由だ。以前の部署で、仲間内に大切な伝達事項を勘違いさせたことがあるからだ。
「今日も外回りですよ。私もご一緒するんですから、早く直してくださいね」
「ハイ。あれだな、報告書は別として効率を上げるのに下請けさんが欲しいな」
「ウチの課に必要があるとは思えませんが。仕事量はあなたの古巣より断然少ないですし」
「そうだけど、そうじゃなくって」
「もしかして仕事が面倒なんですか?好きで警察官になったのに?」
「いや、……一つの事件に集中したいと言うか」
「ふむ?」
「古巣だと管外にパートナーがいたりしてさあ、情報をそこからもらったりするんだよ」
「〝銀の警笛〟が欲しいと」
「!?おま、流石になんで知ってる?その名称、公安のまあまあ機密情報だぞ」
ふん、と小さなため息をこぼした鬼一はパソコンから視線を外した。メガネを置き、スマートフォンをタップしている。公安の機密をなぜ知っているか、の追求は難しそうだ。
神々廻は古巣の激務を思い出し、頬杖をつく。公安は警視庁と警察庁のトップオブトップが在籍している。警察庁所属であれば、管内の人員を統括する側だ。
警察自体が激務と言える仕事内容ではあるが、管理側も座して楽ができる場所ではなかった。もちろん神々廻が新人ということもあったが、警察庁に身を置けば年上の人員に指示を出すこともある。
三日三晩の徹夜ではきかなかった日々は、睡眠時間よりも稼働時間のほうが長い。
窓から降り注ぐ朝日の色はあの頃とは違うように感じている。わずかな寂寥感に浸っていると、目の前にコートが差し出された。
「行きますよ」
「え?聞き込みのアポ時間にはまだ早いけど」
「佐々木さんのお宅に行く前に寄り道します」
「え?珍しいな。朝飯か?」
「いえ、あなたが欲しいとおっしゃる物に心当たりがあるので」
コートを受け取り、神々廻が首を傾げる。鬼一はドアを開けながら、眉根を寄せてつぶやいた。
「どちらにしても、佐々木さんの事件は今のままでは解決できません」
「……へ?」
ポカンとしている相棒をよそに、何かを確信している様子の鬼一は颯爽とエレベーターに向かって行った。




