今日は
◆
俺と対面する人は大抵物憂げな表情を見せる。さっきの男然り、受付の女性然り……どこか俺を心配するような態度を示してくる。だが、いま俺の後ろに立っている人は例外だった。
「……まだぁ?」
後ろからカーテン越しに気だるげな声が聞こえてくる。
「…………まだ洗ってる最中なんですけど」
「そんなもんパパッとやっちゃってよ! あーもう、この瞬間にも時間が溶けていくぅ~」
……何だこの人は。
受付の女性が言うには、彼女は凄腕のエンジニアらしい。確か……『水島』と呼んでたか?
男から受付嬢へ、受付嬢からこの女性へとたらい回しにされた訳だが……なぜか俺はシャワーを浴びさせられている。
「ったく……適任者がいないからってなんで私がガキの案内しないといけないのよ」
「『私には受付業務がありますので』ってなによ。ボーッと突っ立ってるだけじゃない!」
たらたらと不満を垂れる水島。待たせるのも嫌だし、さっさと済ませちゃおう。
キュッキュッ……。
シャワーの蛇口を締める。
「終わった? じゃあ早速これに着替えて!」
すかさずカーテンの隙間から、バスローブのような白い服が投げ込まれる。
「……まだ体拭いてないですって」
「そんなの知らないから。ほら、早くっ!」
(せっかちすぎるだろ……)
2年ぶりのシャワーがこんなにもコンパクトになるとは思わなかった。
急いで髪と体を拭いて、白装束に腕を通した。
「おっ、やっとか」
白衣を身にまとった、いかにも研究に没頭してそうな女性がカーテンの向こうで俺を出迎えた。前髪ごと後ろで束ね、露わになったおでこの下で赤縁のメガネが光る。
「んじゃ、行くぞ」
そう言って水島は早足でシャワー室を出た。離されないように俺もそのステップに食らいつく。長い廊下、エレベーター、また長い廊下と、まるで迷路のような紆余を抜け、おそらくVR装置があるであろう別棟へ通ずる専用の渡り廊下に差し掛かった。結構な高さだ。遠くに見える木々のそれぞれが髪の毛のように細い。風も強い。高所恐怖症の人からしたらたまったもんじゃないな。
「ここからの景色、風、そして重力……その感覚を忘れないことね」
前を歩く水島がひとりごとのようにポツリとこぼした。あいにく俺はその言葉の真意を知っている。
────そこに入ったら、二度と現実に帰れないからだ。
あの男の言葉が頭の中でこだまする。
「聞かないの?」
水島は振り向きざまに訊いてきた。
「どこに連れていかれるかーとか、何をされるかーとか」
…………そうか。彼女はまだ俺が仮想世界の存在を知らないと思っているのか。
「……まあ、なんとなく予想はついています。シャワーを浴びさせた理由も」
おそらく仮想世界に意識を移している間、現実の体を管理しやすくするためにあらかじめ清潔にさせたんだろう。
「…………ふーん」
やがて俺への興味が尽きたのか、水島は何も言わなくなった。お互い無言のまま廊下を歩く。やがて端までたどり着き、彼女は別棟のドアのスキャナーらしきものに首から提げたカードをかざした。すると認証完了のSEとともにドアが開いた。侵入者対策は徹底してあるみたいだ。
ドアの向こうにもエレベーターがあるようで、二人して中に乗り込む。下降していく最中、ポケットに手を突っ込む水島がおもむろに口を開いた。
「凌君だったよね」
「あっ……はい」
「凌君はさ、『完全』と『完璧』の違いはわかる?」
『完全』と『完璧』……? 答えもわからないし、何より質問の意図も不明だ。俺から何を引き出そうとしている?
「いえ……わからないです」
「そうか……じゃあ、次会うときにまた答えを聞かせてよ」
「さっきから何を────」
ポーン。
俺の問いかけはエレベーターのチャイムに遮られた。だが、次の瞬間にはそんなことすらどうでもよくなっていた。扉がスライドして現れた光景に、俺は思わずハッと息を呑んだ。
(嘘だろ……)
ドーム状の真っ白な空間。中心部には地球を模した巨大なホログラム。その周りをあちこち行き交う研究員。本当にSF映画の世界に潜り込んだみたいだ。
「あれ? 水島さん今日は遅番じゃなかったっけ?」
こちらもまた白衣を着た、まだ若い研究員らしき男がこっちに近寄ってくる。
「上っ面だけの野郎に叩き起されたんだっての。詫びも入れずにガキを連れてけだってさ。ホントやってらんねぇよ」
「ハハッそれはとんだ災難だったな。ってことはその子が……?」
「ああそうだ。駆け込み乗車もいいところだぜ」
「まったくだ」と同意した研究員の男は、水島から俺に目線をシフトさせた。
「心配ないよ。ちょっとした実験に協力してもらうだけだから」
「…………」
上っ面だけなのはコイツも同じみたいだ。危険な笑顔を嗅ぎ分けることくらい、俺にとっては造作もないこと。その笑みはうわべのものでしかない。
「……くだらねえ。こちとら時間が惜しいんだ、じゃあな」
そう言って水島は男に背を向け歩き出した。俺もその後をついていく。
ここが最終的な目的地というわけではなく、さらに下へと階段を降りていく。1階、2階……と果てしない螺旋を繰り返した後、とある階で廊下に出た。青白い蛍光灯が不気味に辺りを照らしている。夜の病院のような静けさを肌身に感じた。
「ここだ」
水島がドアの前で立ち止まり、再びカードをスキャナーにかざす。認証を終え、鉄製のドアが自動的にスライドした。
「っ……!」
目の前に現れたのは、おびただしい数のカプセル。横に4つずつ並べられ、それが縦に長い部屋の奥まで敷き詰められている。ざっと100台近くありそうだ。
「うわっ……!」
手前4台にはすでに人が入っていた。カプセルの中で仰向けに寝転がり、生気のない表情で眠っている。顔色が悪く見えるのは、この蛍光灯の照明のせいでもあるのだろう。
中に入ると後ろで扉が閉まった。水島は整然と並ぶカプセルをかきわけ、空きのカプセルを見つけるとボタンを押して蓋を開けた。部屋の奥で彼女が手招きしている。
そこに向かう途中、通り過ぎるカプセルを横目に覗いてみる。すると妙なことに気づいた。中で眠っていたのは大人ではなく、子どもだった。それも俺と同年代くらいの。
「靴と靴下は脱いでね」
何だ……何だこの違和感は……。
「じゃあ中に入って────」
謎の研究施設に収容された子ども……。
「仰向けになって────」
二度と現実には戻れない仮想世界……。
「目を瞑って────」
『ラプラスの悪魔』が存在する空間……。
「ふふっ」
笑っている……? 彼女が……?
「君、考え事をしていると顔に出るタイプだね。いいよ、君の疑問を見越して私が特大ヒントを出してあげる」
何だ……胸騒ぎがする……。
「今日は……何月何日?」
彼女の言葉を聞いた瞬間鳥肌が立った。俺はそのことをすっかり見落としていた。どうして気づかなかったのだろう。
4月1日────。
年に一度、子どもが産まれ変わる日。
「じゃあ、グッドラック~!」
カチッ。
閉められた。もう逃げられない。
迂闊だった。あの研究員が言っていた『実験』……それは俺ら子どもでしか実施できないものだったんだ。
最悪だ。またあの日々を繰り返すというのか。それも永久的に。
逃げなきゃ。こうなったら力ずくで……って、あれ? 体に力が……。
(くそっ……なんだか急に眠気が……)
麻酔ガスかよ。こんなの反則だろ……。
(ダメだ……意識……が……)
引き込まれる……。
(っ…………)
「……移送完了」
これにてプロローグ編終わりです。こんなに長くなるとは思いませんでした。スンマセン。
どうも、月圏です。




