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リコール・アッセンブリ Ⅲ

 缶の中身が次第に冷めていき、男が持つタバコも徐々に短くなっていった。周りの空気も眠ったように停滞し始めたころ、突拍子もなく彼は俺に問いかけた。


「…………『ラプラスの悪魔』って知ってるか」


(ラプラスの……悪魔……?)

  

 たしか、この宇宙すべての粒子の状態を特定する知性を持っていて、未来を計算通りに見通すことができるとかいう、いまとなっては空想物理学の中でしか生きられなくなった架空の存在……だったはず。


「はい……(おおむ)ねは」

「流石だな。俺はそこらへんの分野に明るくないが……どうやらこの宇宙にそんな奴はいないらしい」


 ……いきなり何を言い出すんだ? 心理学を散々力説した後は物理学?

 男の口調も何か変だ。さっきまで言葉の節々にあらわれていた、ちょっとやそっとじゃ曲がりそうにない強い芯もいまは感じない。むしろ、少しばかり迷いを感じる。

 横目で男のほうを見る。男の体は揺れていた。かかとは震えるように上下し、人差し指と中指に挟んだたばこはペン回しのようにクルクルさせていた。なにをそんなにソワソワしているんだろう。

 

 やがて決心したのか、男は踏ん切りをつけたように言葉をつづけた。


「君を、────そんな悪魔が存在する世界に連れていくと言ったら……どうする」

 

 目が合った。その眼差しはいたって真剣そのものだった。嘘をついているようには見えない。


「でも、悪魔はいないってさっき……」

()()()()には、だ」


 男は俺に顔を近づけて言った。

 

「“仮想世界”なら話は変わる」

「仮想……世界……?」

「ああ。そこは物理法則がすべて数値化された世界。空気、水、光……それぞれがどういった挙動をするのか、原子レベルで予測することができる。つまり、全てのことに偶然が存在しない。架空の悪魔が仮の姿を手に入れたんだ」


 話が飛躍しすぎじゃないか? なんだ仮想世界って。SFじゃあるまいし。そんなものが実際にあるなら報道陣が黙ってないぞ。


「俺らの仕事は、君みたいな子どもをその悪魔が()む場所に送り届けることだ」

「ちょ……ちょっと待ってください! そんな現実味がないことを言われても!」

「信じられないだろう? 俺だって最初は鼻で笑ったよ。どの世界線のファンタジーだっつって。でも、ダイブするための装置や設備を実際にこの目で見て、この世の常識なんてものは吹っ飛んだよ」


 嘘だろ……。本当にそんな空想科学の産物があるのか……?

 不気味だけど、なぜか少し興味が惹かれる。そんなものがあるなら是非お目にかかりたい。

 俺のやぶさかではなさそうな雰囲気を感じ取ったのか、男は牽制するように一段と声を低くした。


「どうして俺がこんな話をしたかわかるか?」

「えっ、いえ…………」


 男の喉仏がせり上がった。


 


「そこに入ったら、二度と現実に帰れないからだ」


 その瞬間、風が吹きつけた。感嘆のレスポンスが気流に乗っかって(さら)われていった。


「そ、それって……どういうことですか」

「これ以上詳しいことは言えない。組織の末端といえど守秘義務はある。わかってくれ」


 男はうなだれた。


「俺は……君をそんなところに連れて行きたくない。何か、違うんだ。君は……あの場所にはふさわしくない」


 車の中では仮想世界のことを“良い環境”だとか言っていたのに、どういう風の吹き回しだ。これがコイツの素顔なのか? 情報が入り乱れすぎて、もはやどれが真実かわからない。


「おじさんは……反対しているんですか? その……組織のやり方に」

「……わからない。社会への使命と正義感で仕事をする意向は今でも変わらない。でも、違うんだよ……。くそっ…………!」


 男がどうしてここまで葛藤しているのか、理解できない。それも、“俺”を連れていくことに否定的な様子。何が違う? 何が男の考えを変えた?


(…………)

 

 男が頭を抱える横で俺は考えた。多分だけど、俺のこの性格は荒治療でも治らない。それこそ、悪魔にすがってもどうにもならないと思う。


 …………ああ、俺の悪い癖だ。気になったら答えが出るまで止まらない。逆に試してみたくなった。そんな完璧な空間があるなら、その悪魔とやらはどうやって俺を導くのか。あの部屋で余生を虚しく生きるよりかは、今さっき浮かび上がった人生の命題にケリをつけて死んだほうが潔いんじゃないか。


 心の中で俺は2、3度頷いた。


「おじさん、確かめたいことができた。だから、俺は行くよ。その仮想世界とやらに」

「っ……正気か!? 出られないんだぞ!?」

「もう腹は括ったよ」


 怪訝そうな顔を見せた男だったが、俺の目を見てこれ以上説得しても聞かないと悟ったかのように、口を固く閉ざした。


「はあ……これだから子どもはわかんねえ。本当にいいんだな? 俺は言ったからな。後悔しても知らねえぞ?」

「覚悟の上です」

「チッ……清々しい顔しやがって。何なんだ……」


 気付いてないかもしれないけど、おじさんが俺の苦しみを和らげたんだ。自分の正体を縁取ったあと、さらに『卑しく生きろ』なんて助言まで授けてくれた。一見理解不能な行動でも、そこにおじさんの因子は確かにある。だけどこれは言葉にしないで、心に奥にしまっておく。自分の言葉で子どもの人生を変えてしまったなんて、思ってほしくないから。


 一斉にベンチから立ち上がる。飲み干した缶は自販機横のゴミ箱へ、湿気たモクは再びシガーケースにしまわれた。男は「ほら」と顎で車に乗れと合図し、二人並んで車へと向かった。中にはすでにハンドルを握る男の姿があった。

この世界では、フルダイブVRというものは実現不可能なものだと数年前に結論付けられていました。現代、または近未来のオーパーツとして。


どうも、月圏げっけんです。

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