リコール・アッセンブリ Ⅱ
真夜中だからなのか人はほとんどおらず、たまにトイレに行くために車から降りてくる人がポツポツといるだけだった。
「ほらよ」
自販機で買った『あたたかい』缶コーヒーを下から取り出すなり、男はそのまま投げてきた。急だったのであたふたしながらも、なんとかキャッチする。
「えっと……いただきます……」
「ああ」
(…………)
2年ぶりの外気は不思議な感覚だった。自然とは無縁の場所でずっと過ごしていたからか、風が素知らぬ顔で肌の上をスルッと通り過ぎていくようで馴染まない。
据え付けのベンチに二人して腰掛けた。運転手の男は、ひとりトイレに向かって以降、姿を見かけていない。
「落ち着いたか」
「はい……」
「酸欠みたいなもんだな。部屋も普段換気してなかったろ。よく中毒にならなかったな」
男はそう言って胸ポケットからタバコを一本取り出し、口に咥えた。あらかじめ右手に持っていたライターで火をつける。男が肩を上げると同時に先端が赤く光った。ふかした煙が夜の闇に溶けていく。
「その……さっきは取り乱してすみませんでした」
「…………」
一拍置いても男は何も話さない。気まずい────。
さっきまでの一触即発の雰囲気から一転、こうして横に並ぶシチュエーションに違和感を抱かずにはいられなかった。張りつめた空気に身体が強ばる。
もう一往復の燻りを経て、やっと男の口が開いた。
「俺がこれから言うことは、あくまで憶測だ。もし見当違いなら、そのときは肚ん中で笑ってくれ」
(何だ……?)
「俺は……君のことを典型的な人間不信の類いだと思っていた。大切な何かに裏切られて、受けた傷に蓋をするように殻に閉じこもった、言っちゃあ悪いが王道パターンの引きこもりだと思った。部屋をこじ開けて、初めて君の顔を見たときもその印象は変わらなかった」
「…………」
「だが、さっきの様子じゃ、事はそう単純じゃないと思った」
男は続ける。
「君は『運』というワードに強く反応した。人ってのはだいたい、身に降りかかった不幸の責任を問うとき、プライドが邪魔して自分に原因があると思わない。だからそういうときは、妥当性の境界を曖昧にするために、相手もしくは運のせいと言ってしまえばおおかた溜飲は下がる。なのに君はそれを受け入れるどころか、胸ぐらを掴んでまで反抗してきた。絶対に認めないという確固たる意志を持ってね」
「…………」
「あのとき、やり場のない怒りそのものを嘆いてるように見えた」
缶を握る手に力が入る。
「人と向き合いたい。感情を共有したい。でも、無理だった。自ら望んでいることなのに心が拒否するから」
なんだ、この感情は……。
「それすらもひっくるめて君は必然だったと言いたかったんだろ? 生まれながらにしてハンデを背負った者の当然の宿命だと。だから『運が悪い』と言われて腹が立った。自分の性格と必死に向き合って生きてきた人生を否定されたように聞こえたから」
…………あれ、なんで涙が……。
「……やるせないな」
止まらない。拭いても拭いても、とめどなくあふれてくる。
昔から人に“思われる”のが嫌だった。それがたとえ、良い感情だったとしても。
他人の心の中に“自分”がいることに我慢ならなかった。でないと、他人の中に映し出された自分を見て、その人の感情を何通りも考えてしまうから。
どんなふうに映っている? 表情は? 仕草は? 挙動は? 考えれば考えるほど、次にとるべき行動のパターンが指数関数的に増えていく。関わりが増えてくると、あの子は俺のことをこういう風に思っているなどの根拠のない決めつけが横行し、自分らしくない行動もとったりした。いや、もはや自分が何なのかすらわからなくなっていた。
そんなことを続けていれば当然、周りから人が減る。何を考えているかわからない、と。気付いたときには自分も、仮面をいくつ着けて、いくつ外したかも忘れていた。
ある日授業が終わって帰宅し、手を洗っていた時にふと、鏡に映る自分の顔を見て驚いた。そこにいたのは、見てくれを完璧に見せようと継ぎ接ぎして取り繕ったキメラだった。ゾッとした。顔のそれぞれの部位が何か別々の意思で動いていた。
トラウマを植え付けられてから数日後、不安定な俺に追い打ちをかけるように父が事故に遭って亡くなった。そのとき、かろうじて俺を繋ぎ止めていたものが音を立てて崩れ落ちた。限界はとうに超えていた。すべてが面倒になって学校にも行かなくなり、そこから2年の引きこもり生活が始まった。
わからない。いま横にいるのは、無理やり俺を外に連れ出した最も憎い存在。なのにどうして彼の言葉は俺の心を揺さぶる?
手に握らされた『あたたかな』他意に惑わされているだけ?
「でも、今は違うよな」
俺の目を覗き込んで男は言う。
「少なくともさっき、君は真っ向から俺と向き合っていた。100パーセントの感情を俺にぶつけていた。どうしてそんなことができたか。それはな、俺のことを『敵』だと思っていたからだ」
「敵……?」
「相手と明確な立場の違いを感じたら、自分がどんな行動をとったって比較対象にはならないだろ? なぜなら、そこには社会的な優劣があらかじめ存在しているから。行動一つで何か変わる世界でもない。俺を『敵』とみなした君は、さしずめ俺との関係悪化をためらうことなく、玉砕覚悟の暴挙に出たというところか」
見かけによらず、彼は俺のアクションに至るまでの行動心理を論理的に説明してみせた。だが得意げに語るでもなく、推論の正誤を確かめようとする素振りもせず、ただただ淡々と言葉を生み出しているように見えた。
「君は、対等な関係を築くのが苦手なだけなんだと思う。そこは、アプローチ次第で簡単に優劣が入れ替わる世界だから。試行を重ねるほど、自分と相手との『差』が浮き彫りになっていく」
ストンッと胸の中で何かが落ちた。初めての体験だった。生きてきて十数年、正体がつかめないまま俺を苦しめ続けてきた“何か”の輪郭が少しずつ鮮明になってきた。
「だったらさ、無理に迎合なんてしなくていい。接し方なんて無限にある。神でも祀ってんのかってくらい、君は『人間みな平等』精神を崇高しているきらいがあるように思う」
もっと卑しく生きていいんだよ、とたしなめるように男は暗闇に向かって煙と同時に吐き捨てた。遠くを見つめるその横顔からは、わずかに悲壮感が漂っていた。
どうも、月圏です。




