アイザック
「マツシタは守ったぞ…本当の生成法を教えてくれ」
ボロが安堵しているザラナドに言った。
「分かった…」
ボロから紙を受け取ると、1つの数字に横線を引いて消し、新しい数字を書き込んだ。
ニトの呪文のような言葉で悪魔はどこかに消えた。
「マツシタさん!」
ボロい布きれ1枚のナガルに抱きつかれてびっくりした。
「…大丈夫だ…天国に戻ろう…」
「…今朝…家に急に青い服の人が来て…何を聞いても答えてくれなくて…」
ナガルは震えていた。
「ニトさん…。何をしたんだ?」
「…天使には悪魔を止める呪文が教えられているんだ…」
ボロがこっちに来た。
「急ごう。呪文を使ったことで、我々のことが『神』に知られた。ここや階層4に送られる可能性もある。その前に会いに行こう」
天国に戻って、ニトの部屋に行った。
「どこにも、安全と言える場所はないが…他の場所よりはこの部屋の方がいいはずだ…天使の家に、同僚の天使は多少踏み込みにくいだろう…」
ニトに続いてボロが話し出す。
「…私とニトで『神』のところまで行く…」
「俺も行く…」
ザラナドに対して、ボロはふっとニトの方を見てから答える。
「…分かった…。マツシタとナガルは?」
「…ここに残る」
「私も…そうします」
ナガルは曇った、はっきりしない表情を浮かべていた。ちなみに、ニトの家にあった服に着替えていた。
「…では行こう」
ボロの号令で3人が出て行った。
ボロ、ザラナド、ニトの3人はエレベータのある部屋に入った。
「…よし…」
壁を下敷き代わりにして紙にがりがり計算していたボロが数字を端末に入力し、エレベータのドアが開いて3人が乗り込む。エレベーターが最上階まで登っていく長い間、ザラナドがボロにたずねる。
「…お前も天使なのか?」
「…そうだ。天使だった…死後、『神』に任命されたんだ…」
「階層3にいた男にはなぜ嫌われていた?」
「天使同士にもいざこざはあるさ…元人間だからな…」
「なぜ地獄に落とされた?」
「『神』に逆らったからだ。『神』は正気を失ってしまった…裁判の結果に従わずに地獄行きを決め、天国の異常を無視した。意見を言った私は逆らったとみなされたようだな…」
「…地獄に送られる前に会いに行こうと言ったな…。神に会ったら問答無用で地獄行きにはならないのか?」
「…ならないとは言えない…が、私は天使としての使命を全うしなければならない…」
ガタン…
エレベーターが止まった。エレベーターを出て、部屋を出て、全面ガラス張りの廊下を進む。雲の上らしく、ガラスの向こうは空ばかりで、床下地面は雲しか見えなかった。長い廊下の突き当たりに真っ白いドアがあった。
「開けるぞ…」
ニトが確認し、2人が頷いた。
がちゃ
「待っていたよ…」
開けた途端、だだっ広い部屋の真ん中のイスに座っている男が話かけてきた。
「神か?」
ザラナドが確認し、ボロとニトが小さく頷く。神は話を続ける。
「ボロ…君の欠点は何をするにも誰かと一緒に行動しようとするところだ。もし1人で動いていたらまだ私は気づいていなかっただろう」
ボロは苦笑して返す。
「…気づいていたんだろう?だからマツシタの知り合いを地獄に送った…」
「あの時点ではまだ確証はなかった」
「……さて、あの世を元に戻す気はないのか?」
「ないね。…ニトと…ザラナドといったか…2人ともボロと同じ目的で来たのか?」
「…なぜ裁判の結果を無視して罪の無い者を地獄に送る?なぜ多くの人が眠ったままになったり、天国が荒れる?」
ニトが質問した。
「裁判の結果を無視したのは、世を導くためだ。天国で起こっていることは私の力不足だな」
神は笑った。それを見てボロが言う。
「あの世に興味がなくなったのか?」
「そんなことはないさ…さて、ザラナドはどうだ?」
「妻が眠ったままになっている…何の罪も犯していないはずだ。治してもらいたい…」
「分かった、すぐに治そう」
神は即答してから、急に笑顔をなくしてボロの方を向いた。
「…どうして最初にここに来た?」
「…なら、こちらから聞こう。どうしてすぐ地獄に送らなかった?…同じ理由だ」
「…そうか。だが、元に戻す気はない…このまま続けるつもりだ…と言ったら?」
「どうしてもか?」
「ああ…君達を消し去っても…だ」
ボロは振り返った。
「…帰るぞ…急ごう」
ニトとザラナドも着いていく。神はザラナドに後ろから話しかける。
「ザラナド…君も僕に歯向かうか?」
「大丈夫だ…。私にも治すあてがある」
ボロが小声で話した。それを聞いてザラナドが振り向く。
「妻を治してくれるなら、どちらでもかまわない…だが、お前よりボロを信じる…」
「…そうか…分かった…。さようなら、ボロ…」
神の一言を聞いてボロは足を止めて、振り向かずに言う。
「…さようなら、アイザック」
エレベーターに乗り込んでから、ザラナドがボロに訪ねる。
「アイザック?神…の名前なのか?」
「そうだ…」
「会話の内容がよく理解できなかったが…お前とアイザックは同等の立場なように聞こえた。本当に神なのか?」
「神とは…世界を創造できるものであると私は思っている。アイザックはあの世を創った。現世は創っていないが、あの世を押さえているものに、いずれは死ぬ現世の人間が逆らえるはずもない…。事実上神と同じだよ…たとえ1人の人間でも」
「人間?」
「人間さ…」
まだ俺とナガルはニトの部屋にいる。
「すいません…本当は神様に会いたいと思っているんですよね…」
ナガルはうつむいていた。
「…俺が行ってもやることないしな…」
「…」
「…」
2人とも黙ってしまった。気楽な話をする場合でもないし、真剣な話をするにも2人にできることはなく、話すことがない。
「…ナーラさんが天国に来れて…天国の生活に戻れたら、幸せ?」
「え?」
ナガルは当たり前だろうという顔で、どうして俺が聞くのか分からないようだった。
「地獄にいたころは辛かったから、天国に逃げたいと思ってた…でも、来てみると…やっぱり…違和感がある…まだ続くのかってさ…」
「…私は病気がちでしたから…普通に生きていられれば幸せです。それがずっと続く…いいと思うんですが…単純、ですか…?」
「いや…俺が変なんだろうな…」
「…」
「…」
「なぜ…生きていたくないと思うんですか?」
「それは…なんでだろう…」
「現世で…辛いことがあっても…ここからやり直せば」
「別に…辛いことがあったからじゃない…」
(天国や地獄が気に入らないって思ってた…でも…本当に気に入らないのは…自分が存在することなんだな…)
「…意識を持っていることが…存在することが…嫌なんだな…。どうしてそう思うか…自分でもよく分からない…」
「あなたは、私を助けてくれました。…人のことを思える人なんですよ…自分のことも…」
(…かみ合わないな…当たり前か、自分でもよく分からないんだから…)
その時、ふっと、気分が晴れた気がした。
「ごめん…やっぱり、神に会いにいくよ…」
「え?」
突然言われて、驚いたらしい。俺はナガルを無視してマンションを出た。
(本当に…ごめん…)
息を吸い込んで、吐く。
(俺を消させてくれないのなら…あの世もろとも…)