階層3へ
列車が通る高架下、こういう薄暗いところには日陰に住むような人達が集まったりする。
(天国でも、それは大して変わらないらしいな…)
壁いっぱいにスプレーか何かで落書きがしてあった。
「ひどいものでしょう?」
後から来た男が話しかけてきた。
「ええ…」
「このあたり、昼間は静かなんですけどね…。夜になったらバイクの音がうるさくてねえ…」
「…現世と変わらないな…」
「その通りですよ…そういう連中は地獄行きになったと思ってたんですけどねえ…。天使が取り締まってるんですけど…十日もしたらまた沸いてくる…」
一通り愚痴を言うと男は去っていった。
(…こういうものなのかな…天国っていうのは…)
夏休みが始まってから、俺は1人で天国をあちこち歩き回っている。最初にニトから説明は聞いていたが、実際に歩くといろいろと実感できるものがあったり、新しい発見があったりする。天国には、若い人しかいない。年老いてから亡くなった人でもここにくると若返り、住んでいる人達は一定以上歳はとらない。信号待ちで立ち止まる。道の反対側にはベビーカーを押している女性がいる。ここで新しく生まれる命もあるのだ。
(…地獄に行った俺からすれば、不平等な気がするんだよな…。生まれたときから天国って…)
今度は前方に花で装飾されている白く、大人の身長くらいある柵が見えてきた。
(境界か…。きれいに飾ってあるけど…檻だよな…)
この境界を越えることは許されていない。境界がある理由は、善人同士でもどうしても馬の合わない人達がいるし、生きていたころの時代や環境があり価値観が違い、トラブルになるからだ。裁判で天国行きが決まったら境界に振り分けられて、分かれて住むことになっている。天国で揉め事があると、小さい場合はお互い違う境界に移ることになる。俺がたまたま境界の近くに住んでいるだけで、境界内は十二分に広く、普段境界を意識することはない。新しい発見は、例えば、今俺の目の前にある見渡す限りのダンボールの群れだ。
(ホームレスみたいだな…)
老廃物のほとんどでない体だから、ダンボールに住んでいる人達の顔は清潔だが、服はぼろぼろになっていて、あちこち汚れているのが分かる。
「お前もここの仲間入りか?」
1人が話しかけてきた。
「…いや…。何をしてるのかと思って…」
「何もしてねえんだよ。飯は食わないなら食わなくても生きていけるし、病気にもならん。何かする必要なんてねえ…。街の人間みてえに、物作ったり、絵描いたりする気にもならねえ」
「ここにいる人達はみんなそうなのか?」
「似たり寄ったりだな…みんな、死ぬはず無いのに死ぬのを待ってるのさ…」
日も暮れてきたのでマンションに戻った。真っ暗な部屋の中で緑色のランプが光っていた。
(留守電だな…)
ボタンを押す。
『…ニトです…ちょっとした頼みごとがあって…急で申し訳ないんだけど明日の昼頃最初に会ったマンションの部屋に来てくれないか?…ザラナドさんやボロも呼んでいる。お互いの様子も気になるだろうし…どうだろう?』
(…この間のことがあって、ニト…って何を考えているのか分からないんだよな…)
次の日、ニトのいるマンションに向かった。
「おお、久しぶりだ」
ドアを開けたのはボロだった。
「ボロさん…元気そうだな」
「マツシタ君も」
部屋に案内された。既にザラナドが来ていて、4人そろっていた。テーブルの上には軽食が用意してあったが、雰囲気が明るくはなかった。
「ザラナドさん…どうかしたのか?」
「…ナイラが…妻が、3日前から眠ったまま、目を覚まさなくなった…」
「どうして?」
「今日集まってもらったのは、それにも関係がある…」
会話を聞いていたニトが話に入ってきて、そのまま話を続ける。
「私は死後、一応…天使としてここに勤めて、4年くらいになる。最近、天国の様子がおかしくなり始めていると感じている。目を覚まさなくなったのも、ザラナドさんの奥さんだけじゃない。天国で問題を起こしてエリアを移されたり、追放された人も多すぎる…私はもともと地獄に送られるべき人が天国に来ているのではないかと思っているんだ。恐ろしいことだが…逆に、天国に来るはずなのに地獄に落とされている人もいるかもしれない」
(ナーラも…そうかもしれないな…。そういえば、階層2にいた頃にも、何もしてなくて裁判も受けてないって言っていた人がいたな…)
「…そこで」
一度息を吸って整える。
「この世界の『神』に会いに行き、異変の意味を確かめたい。協力してほしい…」
「…何をすればいいんだ?」
「『神』がいるのは塔の最上階だ。知ってのとおり、パスワードが必要になる…それを見つけ出して欲しい」
「見つけ出すって言っても…」
ニトはボロのほうを見た。ボロはポケットから紙を1枚取り出してテーブルの上に置いた。紙にはぎっしり数式が書き込まれていた。
「以前、階層2でケントという男から、パスワードの生成方法を聞いた。覚えているだろう?」
「あ、ああ」
「生成方法が分かれば、パスワードは必要ない。この数式はまだ半分だから、もう半分を探し出そう。ニトに、『神』とともにいた天使で地獄に落とされたと思われる人間を調べてもらった」
話のバトンがニトに渡される。
「階層3に1人それらしい人間が見つかったんだ…。私達とともに、階層3に来てほしいんだ。協力してくれるか?」
「…協力する。その代わり、ナーラのことをもう1度調べてくれないか?」
「約束する。…ザラナドさんは?」
「…どこにでも行くさ」
数日後、俺、ボロ、ザラナド、ニトの4人はエレベーターに乗っていて、ニトが集めた資料を片手に階層3について説明している。
「階層3は痛みの地獄と呼ばれている。私も一度も行ったことがないんだが…現世で本によく出てくるようなところで、火であぶられたり、刺されたりと…そういうところらしい…。目的の人物はエレベーターを降りて正面にずっとまっすぐ進んだところに囚われている…」
(階層2に最初行って、4には行ってないけど落ちたことになって、1にも行って…今度は3か…。地獄だけじゃなくて、天国にも行って、まだわからないけど『神』にも会うかもしれない…。あの世を全部見ることになるんだな…。面白いな、俺の人生)
苦笑した。ニトは説明を続けている。
「…悪魔達には見学と言って、我々が来ることを伝えてあるが、気性が荒くて大雑把な連中だ。私達は傷を受けても痛みは少ないし、すぐに治るが、刑罰の執行に巻き込まれないように注意してくれ」
がたん
エレベーターが止まった。エレベーターのドアが開いて、いつもどおりエレベーターのある部屋に出た。大量の、ガスマスクのようなものが並んでいることがいつもと違った。
「着けてくれ…。言い忘れていたが、毒による刑罰もある。目的地に行くにはどうしても、その場所のそばを通らなくてはいけない…」
(どこ行くんだよ…)
ドアが開き、マスクをつけて外に出た。
「う…」
全員が声を上げた。
(熱い!)
「進もう…」
ニトが先頭に立って歩き出す。
うああああ…
「焼かれてる…のか?」
俺がつぶやくと、
「そのようだな」
とボロはあっさりとした口調で答えた。