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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

イノセントアイズ

作者: 広津 雪露

 冷蔵庫を開けると、冷たい空気が流れ心地よかった。缶ビールと何かツマミになるものを探す。彼女の綾はいつも仕事帰りに近所のスーパーへ寄って帰る。


 夏の暑さも盛りになる8月に入り、空調設備のメンテナンスの仕事をしている智樹にとっては一年で最も忙しい時期だ。一日中車で移動しながら4、5台の空調機を修理し、会社に帰り事務処理をしていたらマンションに帰る頃には夜中になる。事務員を雇えば良いのに社長は必要ないと頑なで僕ら5人の社員は毎日安い賃金で身を粉にしている。


 綾はパン屋で働いており朝が早いため、智樹が帰ったころには寝ていることが殆どだ。綾にプロポーズするため、仕事を変えるか、独立をしようかと考えてみる。しかし、35歳にもなるとすべてが億劫になってしまう。

 綾とは幼馴染で、2ヶ月前の偶然の再会には、お互い運命を感じた。先輩と二人でエアコンの修理に行った先のマンションの住人が綾だったのだ。


 無意識にハーッとため息を吐きながら冷蔵庫を探る。手前にあったビールと木綿豆腐を手に取る。

 先週までは手作りの夕飯を作り置きしてくれていたが、それも無くなってしまった。一度夏バテで食欲がなかったので、手をつけなかったのがきっかけだ。

 最後に綾と交わした言葉はなんだっか、、、。そんなことを考えながら豆腐の水を切るために流し台へ行くと何かのパックが置いてあった。スッと手を伸ばして確認する。

 「アジか、、、夕飯用に買ってきたのか?」

 買ってきたものは、その日の内に料理するだろうし、何よりそのままにしてあることを不思議に感じた。


 、、、なぜだろう。

 目が離せなかった。

 

 アジの目が動いた気がする。そんな筈ない。

 ギョロリとした目に意識が吸い込まれる。

 智樹の脳裏に少年時代の記憶が蘇った。忘れていた記憶、思い出したくない記憶に人は蓋をするのだ。




 山に囲まれ川の流れる小さな町だ。小学校も全校生徒合わせて150人くらいしかいない。綾と僕は小学5年生のころに付き合っていた。とはいっても小学生の恋愛などたまに一緒に帰ったりするくらいだが、それでも十分にドキドキした。可愛くて優しい1番の人気者だった綾。その隣にいることが誇らしかった。


 8月。夏休み中の登校日。学校は昼までだった。

 綾は親友の絵梨香ちゃんと談笑を終えるとこちらに向かってきた。

 「智くん一緒に帰ろう!」眩しい笑顔で声をかけてくる。チャームポイントの笑窪と短い髪と日焼けした肌。見事に調和していた。

 綾はこの歳の子供には珍しく臆面がない。ヒューヒューと周りの男子が茶化すのも気にしなかった。 この町にも一応弱小ながら野球クラブがあり、綾は女の子ながら3番エースピッチャーを任されていたので、男勝りだったのだ。

 僕はというと、勉強もダメ、運動もダメ、見た目だって冴えないし言葉下手。ただ、母子家庭だったから少しだけ周りの子よりは大人びてたかもしれない。偶々、綾の家とは近所で母親同士が仲良しだったから一緒に遊ぶことが多かった。だから姉と弟の方がしっくりくる。実際に僕は綾について行って話に頷くばかりだった。


 2人で川沿いを歩いていた。もっとも学校からの帰り道はずっと川沿いだったが。浅いし、川幅もないが、増水すると危ない。前にクラスの脚を滑らせて亡くなった子もいるらしい。

 「ねぇ、智くんは将来何かなりたいものあるの?」

 「んー、特に無いよ、、」

 「そんなんじゃ駄目だよ!お嫁さんを幸せにできないよ?ちゃんと考えとかなきゃ」

 「うん、、、」

 綾の一人称はウチだった。個性的で魅力的な女の子。その横で何者でもない僕。

 「ウチはパン屋さん!そうだ、智くんも一緒にやろうよ!ねっ」と言ってお決まりの笑顔を向けてくる。あまりにも僕には眩しかった。


 家まであと少しの所で前方から、バシャバシャと水の跳ねる音と、何人かの喋り声が聞こえてきた。見ると川沿いの空き地に自転車が何台が止まっていて、野球のボールやバット、グローブが転がっている。どうやら野球クラブの子たちが水遊びをしているようだ。

 「ねーっ!みんな何してんの?」綾が訊く。

 「おお、エースピッチャー、見たらわかるだろ?魚とってんだよ」

 野球クラブのキャプテンである浩司が応えた。手には青いバケツを持っている。中ではビチビチ音がして、水が跳ねているから結構な数の魚が入ってるようだ。他の子たちもジャブジャブと腕まくりした手を水につけて魚を掴み獲ろうとしていた。

 「持って帰って飼うの?」再び綾が訊くと浩司がこちらを向きニヤリと笑った。嫌な感じの笑顔は綾ではなく僕に向けられているように感じた。

 浩司たちは暫くしたら川から上がってきて、持っていたバケツをゴトッとコンクリートの地面に置いた。僕と綾が覗き込むと、中には何匹、いや何十匹もいるのか、とにかく魚がたくさん蠢いていた。フナのようだが、こんだけ沢山集まると気味が悪い。

 綾も同じ思いなのか、珍しく眉間に皺が寄っている。再び僕がバケツに目を戻した時だった。

 浩司の手が伸び、ガシッとフナの1匹を掴んだ。次の瞬間、浩司はそのフナを天空に向かって放り投げた。僕と綾はアッと声をだしたが、その直後にフナはコンクリートの地面へと真っ逆さまに落下した。ミジジッという嫌な音と共に血が飛びウロコが飛ぶ。フナはまだ小さく動きながら口をパクパクさせている。

 「おーっすげぇ、気持ち悪りぃ、おい次だ次」というと今度は他のやつがバケツからフナを掴みだし放り投げる。上空でピタリと止まり落下する。爆ぜる。

 また別のやつが投げる。爆ぜる。

 投げる。爆ぜる。

「おい、高さ勝負しようぜ!」「バット使え!バット」「踏んでみろよ」

 そこからは地獄絵図のようだった。ある者はそのまま地面に叩きつけたり、またある者はフナをボールに見立ててバットで打ち、フナたちの命は何の為になることも無くただひたすらに奪われていった。コンクリートの空き地の上には血とウロコが広がり、フナたちは無抵抗に横たわる。ギョロリとした目が、なんで?と訴えているように感じた。

 「なぁお前らもやらね?」浩司がフナを片手に聞いてきた。僕は無言で首を振る。綾も言葉を失っていた。小さく震えているみたいだ。

「なんだよ、こんなんでビビリやがって。おい、みんなそろそろ帰ろうぜぇ」そう言って、僕らの方にニヤリと再びイヤな笑みを向けて浩司たちは帰っていった。



 彼らは何故こんなことをしたのだろう。子供だからこその無邪気さからか、はたまた綾と付き合ってる僕へのあてつけか、女の子ながら野球クラブのエースで人気者の綾に対する嫌がらせだったのか、、あるいはその全てか。

 周りの子達は雰囲気に流されてやっただけかもしれない。

 

 

 僕と綾はこの地獄と化した空き地に2人で立ち尽くしていた。何か言わなきゃと思いながら僕は何も言わなかった。5分、いやもっと長かったかもしれないし、逆にもっと短かったのかもしれない。

 結局口を開いたのは綾だった。

 「ねぇ、なんで何も言ってくれないの?智樹くんはなにも思わないの?」

 そんなことはない。何か言わなきゃ。

 「このコたち可哀想じゃん。こんなの酷いよ」

 綾の目には涙が溢れていた。でも子供の僕にはどうすればいいかわからなかった。

 「ねぇ、、何か言ってよ。智樹くんて何考えてるか分かんないよ。頭おかしいんじゃないの?」

 そんな、君だけが僕のことをわかってくれてると思っていたのに。僕だけが君のことをわかっているのに。

 「ねぇ、智樹くんのお父さんて刑務所に入ってるんでしょ?だから君もおかしいんじゃない?ワタシ、お母さんに聞いたよ。可哀想な母子だから優しくしてあげなさいって言われたから仲良くしてたのに!」

 えっ?何で知ってるの?仲良くしてた?僕ら付き合ってるんだよね?ワタシ?

 「周りから付き合ってるとか、噂になってるのも我慢してきたけど、もうムリ。誰にでも優しい美少女のワタシでいたかったけどもういいや」

 嘘だよね?謝るからさ。そんな冷たい目で見ないでよ。さっきの涙は?何か言わないと、、

 「ほんとに喋んないよね!この魚たちと一緒。気持ち悪いよ君、、じゃ」

 そう言うと綾はスタスタと歩き出した。ふざけるな!頭に浮かぶ言葉は口には届かない。どうにかしないと、左右を見る。フナの血の嫌な臭気がする。血、ウロコ、ギョロリとした目で睨んでくるフナ。誰かの忘れ物のバット。

 「そうだ、明日から話しかけてこない、、ッ!?

あぁッガッ」

 振り向く綾の側頭部を僕はバットで殴っていた。 初めてバットを振った。 

 手がビリビリ震えた。

 スイッチを切ったように綾は崩れた。

 血が噴き出るのは綺麗に見えた。

 綾はもう笑顔にはならなかった。

 雨が降りだしていた。

 川に綾を突き落とした。

 川にバットを放り投げた。

 視線を感じた。

 空き地にフナが横たわっていた。

 フナを拾い集めて川に流した。

 ようやく視線がなくなった。


 ぼくはその後周りが暗くなるまで、1人で空き地に立ち尽くし、やがて母が傘を持って迎えにきた。次の日綾の死体は見つからなかった。その次の日も。学校で行方不明だと伝えられるとみんな泣いていた。僕も泣いていた。この頃から母は体調を崩して翌年亡くなった。僕は町を出て一人になった。





 あぁ、、そうだ。あの日綾は僕が殺した。

 今いるはずがないのだ。じゃあ今いる綾はいったい。すべて僕の妄想だったのか。アジのパックを手に呆然と立ち尽くしていた。あの日のように。


 ガンッッ


 突如、頭に衝撃を受け声も発せず膝から崩れた。何が起きたかは瞬時に理解できた。


 「やっと思い出した?まったく都合のいい頭してるよね。私は綾じゃない。絵梨香よ。覚えてる?あの日綾に忘れ物届けようとしてたの。そしたらびっくり。私の親友はクラスのいじめられっ子にバットで殴られて川に捨てられたの。死体見つからなかったのおかしいって思わなかったの?あれはね、私が引き上げたの。大変だったのよ。それであなたのお母さんに何があったか話して協力してもらった。綾は2人で山に埋めたよ。この顔どう?整形したの。まぁ元々似てたんだけどね。それにしても人殺しておいてよく普通に暮らしてこれたよね。ほら、手がこんなに震えてる。ちなみにあなたと会ったのも偶然じゃないから。ちゃんと調べた上でだから。ねぇ、まだ意識ある?簡単に死なないでよ。綾の真似して我慢してあんたの彼女してたんだから。苦しんで死んでもらわなきゃ。地元から離れたあんたを探すのも苦労したんだから、、ねぇ聞いてる?まったく綾もよく言ってたけど、本当しゃべらないし、キモいやつね!それに、、、、、、、、、、」




 目の前にアジが転がっている。ジロリとこっちを見ている。これから僕はどうなるのだろう。決まってる。今日の夜は大雨の予報になっている。


 

 




 




 


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