【第5章】 最後に“問うた”のはいつですか?
「最近、生徒に“教える”って感覚がなくなってきた」
職員室で、ベテラン教師の佐原がつぶやいた。
「っていうか、“問いノート”に何書いてくるかわかんないから、
こっちが考えさせられるんだよな」
別の教師が笑う。
「“昨日の晩ごはん、覚えてる?”って問いにガチで悩んだ生徒いてさ」
「問いが生活に繋がってんだよな……」
「でもなぁ、俺……」
佐原が急に黙った。
「俺、もうずっと“問う”ことをやめてたかもしれない」
20年以上、黙々と黒板に向き合ってきた。
指導案、単元構成、定期テスト。
求められるのは“回せる授業”で、“評価される指導”。
その中でいつしか、自分は“教える人”になった。
“学ぶ人”ではなくなっていた。
ふと、佐原は机の引き出しから、古びたノートを取り出した。
大学時代、教師を志した頃の自分が書いた“問い”が並んでいた。
『この世界に、“教育”がないとしたら?』
『子どもに“教える資格”って、どうやって得られるんだろう?』
『人は、なぜ“育てたい”と思うのか?』
──忘れていた。
夕方、教室に残っていた生徒に声をかける。
「おい、◯◯。問いノート、見せてくれないか?」
「え?先生、見ちゃうんすか。恥ずいけど……」
そこにはこう書かれていた。
『“いい先生”って、誰が決めるんだろう?』
佐原は、しばらく黙っていた。
そして、生徒に問い返した。
「……お前は、どう思う?」
未来人はその夜、職員室の前で黒板を立てていた。
誰にも見つからないように、チョークで一言だけ書く。
『あなたが最後に“問うた”のは、いつですか?』
そして黙って立ち去った。
【次章予告】
第6章:問いを残して、未来人は去る
制度ではない。思想でもない。問いという余白だけが、残る。
教育とは、“学ぶ”ことではなく、“問い続ける場”なのかもしれない。
未来人、最後の沈黙へ。