8 (お)歌詞を作りましょう(難易度:A) (下)
いつもより重く感じる身体を引きずるようにして、あたしはドアを開けるとそのままベッドに倒れ込んだ。
「なんの、成果も……得られません、でした……」
悲痛な声が、勝手に口から漏れる。
あれから放課後になるまで、昼休み以外は授業中もひたすら歌詞作りに励んでいたのだけど。結局、一行もまともに書き出すこともできないあたしだった。
こんなに打ちのめされた気分になるのは、なんだか久しぶりな気がする。あれは、そう、中学生になりたてのこと。どうしても彼女に勝てないと、毎日悔しい思いをしてたっけ。
「懐かしいな……なにしてるかな、沓掛さん」
二年になるのと同時に転校して以来、まったく消息を聞かなくなった本物の特別な女の子。目の上のたんこぶで、そして――だった人。今はどうしてるだろうと、少し懐かしい気分に浸ってしまう。
だけど今のあたしには、彼女のことを思う余裕なんてない。
「なーんて、感傷にふける暇があるなら、頑張んないとだね」
あたしは天井に向けて伸ばした手をぎゅっと握りしめる。それから気合いを込め直してベッドから起き上がると、そのまま勉強机に向かう。
椅子を引いたところで、制服のままなのに気づいたけど、「ま、いっか」とそのままにしておくことにした。今はそれよりも、すぐにでも歌詞作りのとっかかりが欲しかったから。
ひとまずタブレットを再起動してから、改めて部屋中を見回してみる。
あたしの部屋は、どうやら同級生の子たちよりも少し広いらしい(遊びに来た子たちがよく羨ましげに言ってたし、実際何度か遊びに行った子たちの部屋は確かにあたしの部屋より少し狭かった)。でも、置いてあるものは別に他の子たちと変わらないんじゃないかな。
ベッドに小学校から使ってる勉強机、壁に作り付けのクロゼットに本棚。可愛いぬいぐるみは置いてないけど、その代わりにいろいろと小物の類――たとえばサボテンの鉢植えとか――が置かれているのは、可愛いJKの部屋としては間違ってないはず。
あたしはそんな普通のJKの部屋の中にある、本棚の中をひとつひとつ確認していく。
高校の教科書は勉強机の上の棚に置いてあるから、置かれている教科書は小学校、中学校のものになる。その中から国語の教科書を引っ張り出して、パラパラとめくってみる。
懐かしい物語に心惹かれなくもないけど、今は小説よりも詩の方が必要だったから次の機会に回すことにして、とりあえず谷川俊太郎や高村光太郎辺りの詩を拾い読みしてみた。
「……うーん、悪くないんだけど。ちょっち違うかなぁ……」
ふたりとも嫌いじゃないし素敵な詩だとも感じるけど、今あたしが求めているものじゃあないって気がする。やっぱり散文詩と歌詞は似て非なるものってことなんだろう。
外れだと結論づけると、あたしは教科書を元の位置に戻して再び本棚に視線を向ける。
国語以外だと音楽の教科書? でも、そこに載っている曲の歌詞は王道すぎる気がして、いまいちそそらないんだよね。もう少し毒があった方がいい気がするし。
かといって、他に参考になりそうなものがあるかというと――
参考書は参考になるわけがない。SERAPHIMの写真集? うん、ありえない。付録目当てに買ったファッション誌も当然却下だし、マンガやラノベもだいたい異世界ファンタジーものばかりで音楽モノなんて一冊もないから、これもダメ、と。
「あー、これならCDもいくつか買っといた方がよかったのかなー」
音楽は基本配信で買うかサブスクで間に合わせてるから、CDなんて一枚も持っていない。だから歌詞カード片手に参照なんてできないわけで、便利すぎるのも時にはすっごく不便だなーってことを思い知らされるあたしだった。
なので、物理本を参考にするのはとりま諦めることにして、あたしは机に向かうことにする。
いつもの流れでタブレットをつけて、イヤホンを耳に取り付ける。
――確か、二年前くらいだったかな。たまたま見たアニメではじめての歌詞作りに悩んでたアイドルが出てきたけど、彼女にプロデューサーから与えられたアドバイスは曲への理解を高めようってものだったはず。
そう、結局のところなにかを参考にするよりも前に、あたしにはあの曲に対する理解が足りないってこと。だからとりあえずラブソングにしようかと方針が決まっても、そこから先へ進めないんだと思う。
だとしたら、今あたしがすべきことは歌詞の作り方を学ぶことじゃなくて、まずはあの曲を通じて作曲者がなにを伝えようとしているかを理解することなんだと。
そう理解したあたしは、当然のように『SIN/KAI』を再生させる。
数秒の沈黙の後に、静かにピアノが旋律を奏で始める。ゆったりとしたリズムで紡がれるメロディはとてもシンプルだけど、それだけに曲自体が持ってる美しさを全面に見せつけていた。
あたしにはピアノの腕なんてこれっぽっちもわからないけど、それでも最初の数十秒でプロ級の腕前を持ってることはわかる――わからせられる。
だから、これまではあたしが曲の意図とか世界観とかを考えようとする前に、曲そのものに一気に引きずり込まれてしまっていたんだけど。今回こそそうならないようにと、意識して曲の分析することだけを心がけるあたし。
タンタン、タタンタタタンと指先で机を叩いて、リズムを身体に染みこませながら。
「ララ、ララララ……ララララララ、ラララララ」
透明な音を伴奏代わりに自己流の歌メロを紡いでいく。
一通り最後まで聞き直してわかるのは、途中で一度だけ――激情がこぼれ落ちたみたいに――激しく叩きつけるようなフレーズがあるものの、それを除いたら基本的にこの曲は「静」なのだということ。
分類で言えばバラード一択。だからあたしがラブソングで行こうと思ったのも、間違いじゃないはず。そして、イメージされる世界は海の底――まさに『深海』だった。深く暗い海の底に沈んでいく自分と恋人。それがこの曲から受けるあたしの印象なんだけど。
「……でも、なんで漢字じゃなくアルファベットにして、それもふたつに分けてるのかなぁ」
結局、一番わからないのはそのことだった。
普通に漢字で『深海』にすればいいのに、どうしてわざわざ『SIN/KAI』なんて表記にしたのか。ちょっと中二病的過ぎて、センスなさ過ぎじゃんって思ってしまう。曲自体はスゴく綺麗でセンスもアリアリなのに、どうしてタイトルだけこう……イケてないのかがわからない。
「うーん、でも曲を理解するってことなら、この書き方の意味も理解しないとなんだよねぇ……」
ため息をひとつこぼし、あたしは頭の後ろで両腕を組んでみた。
わざわざスラッシュでふたつの単語に分けたってことは、それぞれに意味を持たせたって考えるべきってことかな。だとしたら、SINはそのまま罪を表してるってことでいいにしても、KAIがどういう意味なのかがよくわからない。web辞書で調べても、こんな単語はでてこない。だったら、本当は日本語なのを見せ方を統一するためにアルファベット表記にしたってこと、かな?
「だとしたら、えーと、KAI、カイ、かい……海だから私は貝になりたいとか? ……違うか」
首をひねりながら、あたしはかい、かい、かいと囁き続ける。答えを探し求めて。
回、階、解、会、快……戒?
その漢字が脳裏に浮かんだ瞬間、カチリと歯車が噛み合ったような気がした。
戒――すなわち戒め。聖書の十戒が示すように、それは罪と隣り合った言葉だ。だとしたら、なるほど、この曲にはふさわしく思えてしまう。
そして、あたしの頭の中にイメージがくっきり浮かび上がる。
祝福されない恋人たち。まるでロミオとジュリエットみたいに。無理解で理不尽な周囲からの迫害は、二人の愛だけを燃え上がらせる。やがて追い詰められた恋人たちは、逃げ場を求めるように水底へ沈んでいった。深海に二人を祝福する楽園があることを夢見ながら。
「……って、ちょっとベタすぎかなぁ。うーん……ま、いっか。いいことにしよっと」
あたしの頭の中で紡がれた物語は、我ながら少し――いや、かなりベタベタなものだった。あまりにありふれすぎてて、手垢のつきすぎた物語は売り物として考えたなら失格だろう。
だけど、それはあたしが作り上げたものなのも確かだから。別に売ろうと思ってるわけじゃないから、ただあたしが特別だと感じられたこの曲を他の誰かにも届けたいと思ったから、そのために詩を歌おうと思っただけだから構わないと――あたしはただそう思っただけだから。
他の誰に構うこともなく、そのありふれた物語を大事に抱えたまま。あたしが作り出した歌メロに合わせて、あたしは紡ぎ出した歌詞をノートに記していく。
「私たちが願うのはでいいとして、二番どうしよっか。そのままじゃなくてちょっと単語変えたいんだけど、どんなのがいいのかなぁ」
時には頭を抱えて悩みながら、進んだり戻ったりを繰り返しながら。
「サビはやっぱり沈んでいくって言葉と、深海のフレーズは欲しいからっと。うーん、でもしんかいってちょい歌いにくい? だったら、うみってルビでも振っちゃおうか」
いつの間にかなにもかも忘れるほど夢中になって。
「かーりーん、晩ご飯できたわよー。さっさと降りてらっしゃい~」
……途中、ご飯を食べるために中断することになったけれど。
「やっぱここはlovemeってたたみ込むのがアガるよね。あー、だったら対になるように次のフレーズはloveyouに変えればいいのか。いいね、あたしってば冴えてるー」
その後もあたしはノートに向かい続けると、言葉を文字にして刻み続けた。
「うわ、なんか読み返してみたら恥ずかしくなってきた。いや、いい、これでいいはず。ラブソングなんて、恥ずかしいのがデフォなんだから。気にしない気にしない気にしない~~っ」
それはとても楽しくて充実した時間だったから。
「よぉぉーーっし、か、ん、せぇぇぇい~~~っっ!! ……って、あれ? もうこんな時間じゃん!?」
すっかりお風呂に入ることも忘れていたあたしは、結局二時になるまで夢中で机にかじりついた末に、なんとか一晩で歌詞を完成させることができたのでした。まる。