4 離れない音(メロディ)
ぬるま湯につかったような微睡みを、つんざくような雷鳴にも似た音が粉々にした。
「んぁぁぁ、んん~~~~っ」
獣のようにうめきながら、あたしは天国を粉々にしてくれた轟音の主に裁きの鉄槌を喰らわせる。拳に金属の感触を感じると同時に、忌々しい音がやんでくれた。
それを確認してからも少しの間布団にしがみついていたあたしだけど、二度寝になる前にどうにかベッドから脱出する。
「うー、朝。朝、かぁ……。ふぁぁぁぁ……っ」
あくびしながら起き上がり、もそもそとパジャマを脱ぎ下着も脱いですっぽんぽんになってから、枕元に置いてある新しい下着に手を伸ばす。ブラとショーツを身につけキャミソールに頭をくぐらせたところで、あたしは頭が爆発していることに気づいて顔をしかめた。
「うぁぁ、髪、ヤバいことになっちゃってる。そういや今日は雨、だっけ」
あたしの悩みどころのひとつが、この癖毛だ。普段はそんなでもないけど、雨が降るなど湿気がヒドかったりすると、とたんに好き勝手に撥ねまくってくれる。今日が雨だとすぐわかるのが便利だって両親はそろって言うけれど、本人のあたしからだと笑い事ではすまされない。
いつもの髪型にまとめるのは一苦労だし、ワックスで固めないといけない場合は出費も重なって懐が寂しくなってしまう。いっそゆっこみたいに短くするのもありだけど、あたし的にはやっぱり髪は長いのがいいんだよね。
「はーあ、いっそパーマでもかけてみるかなぁ」
ふわふわくるくる巻き毛にしてイメチェンでもしてみようか、なんてイメージしたとたん似合わないと没にするアイデアを口にして、むりやり気分を変えてみる。
そんな風に気分がノらないのは、単純に寝不足だから。あれからいつまで経っても頭の中からあの曲が消えてくれなくて、眠ることが全然できなかったからだった。
とてもいい曲だと思ったし、お気に入りにすぐ入れるくらい気に入ってしまった曲だけど、まさかこんなしっぺ返しが待っているとは予想できるはずもない。あたしだってこんなことははじめてだから、正直戸惑ってしまっている。
「…………ご飯、食べよ」
とは言え、時間が止まってくれるわけもないので、制服に着替え終わったあたしはそのままバッグを持って部屋を出る。後はいつものように朝食を食べて歯磨きして顔を洗い、家を出る頃にはちゃんといつもどおりのあたしに戻ることができているはずだと信じて。
――できることはなかった。
朝食の間も、家を出るときも、学校についてさえあの曲は耳にこびりついたままだった。
(うーん、なんなんだろこれ。ちょっとヤバい? ヤバくない?)
それは授業中も変わらない。当然のようにあのピアノの冷たい響きが、雨音と教師の声に混じって頭の中にこだましてしまっている。
「ラブライクア、シャドウ、フライズ、フェンっと、サブスタンスラブ……パ、パーシューズ? パーシュ、っリング? ザットフライズ、アンドフライング……ホワット、パ、パーシューズ?」
当てられたクラスメイトの紡ぐたどたどしい英文が、まるでピアノソロを伴奏にした朗読みたいに聞こえるのが少しおかしくて、あたしは笑いをかみ殺してしまう。
それはそれで面白くはあるけど、鬱陶しいことに変わりはない。あたりまえの日常生活を送るのに邪魔なのはわかりきってるからどうにかしたいのに、どうすればいいのかがわからない。気づけば勝手に指が鍵盤を叩くようにリズムを取っているのだから、もうどうしようもない。
ピアノなんて弾いたこともないのに、ホントどうなってるんだろうね?
ああ、だけど一番厄介なことは――いきなり降って湧いた不思議な事態を、困っているくせにどこかで楽しんでしまっている自分がいることだろう。そう、少しだけ退屈だったあたりまえの日常が特別なものに変わったような気がして。
そうして本日の授業を終え帰りのHRがお開きになっても、昼休みにはすっかり止んでいた雨と違って、あの曲――『SIN/KAI』だっけ?――はやはり耳から離れてくれていなかった。
そんなおかしな状態になっていることを、どうにか今日一日周囲には隠し通せたことに安堵しながら、あたしがさっさと帰ろうと教科書を詰め込んだバッグを肩に掛けたところで――
「かりーん、今日時間空いてる? 空いてるなら、せっかく雨止んだんだし久しぶりにZIP行ってみない? てゆーか行こうよー」
金髪ギャルのクラスメイトが呼びかけてくる。
「あー、今からZIPかー。うーん、どうしよっか」
少し悩んでしまうあたし。今のおかしな状態を考えたら、とりあえず今日はこのまま誰とも付き合わず帰りたい気持ちはある。ついでにZIPに行くってことは、当然DDRをしようってことだから、うーんコンディション的にはなしの方なんだよねー。
ただ、声を掛けてきた彼女は昨日のカラオケを断ってしまった相手だ。埋め合わせすることを考えたら、早いほうがいいのは確かなわけだし。うーん、行くべきか帰るべきかそれが問題か。
なんて、ハムレットばりに悩んでみたあたしだけど、結局はクラスメイトの誘いを受けることにした。今のあたしのおかしなところなんて、どうにかごまかしきれると信じることにして。
「いいよー、昨日ハブにしちゃった分、今日はナツキたちに付き合うことにしよっか。ただ、寝つきが悪くてちょっち睡眠不足気味だから、できれば短めでよろしくね」
「やったー、さっすがかりん。そのやさしいところだいすきー」
「オッケー、そういうことならあーしらもわがまま言わずに、なるはやで済ませちゃうね」
あたしの返事にナツキたちははしゃいだ声を上げると、善は急げとばかりに急ぎ足で教室を出て行く。そんなクラスメイトの様子に苦笑しながら、彼女たちにおいていかれないようにあたしも続いて教室から出て行った。
――それから、三十分後。
「うっわー、なにこの点数。ここまで低いのってあたしはじめてなんだけど、うーん、やっぱ今日はダメな日ってことみたいだね」
機械仕掛けの小さなステージから降りて、表示されたスコアを見上げたあたしは悲鳴みたいな声を上げてみる。
「うん、ちょっとビックリだよねー。ここまでミスりまくる夏凛ってはじめて見たし。ホント、ど-したの?」
「でもでも、これって大チャンスだよね。よーし、今日こそ夏凛に勝っちゃうぞー」
ニヤリと口元を吊り上げたナツキが、あたしと入れ替わりに意気揚々とステージに上がる。それから、投入口にコインを投入して、いつものArcadiaを選んだ。
すぐに流れ出したお馴染みのメロディーに合わせて、次々と点滅するステージ上のパネル。金髪と引き締まった身体をリズミカルに揺らしながら、ナツキが軽やかなステップで次々とそいつらを踏みつけていく。
それに合わせてスコアが着実に積み上がっていくものの、時折点滅とステップのタイミングがズレるミスも重なっていることもあり、彼女のハイスコア更新とはいかなさそうだった。
いつものあたしのスコアなら当然それを確実に上回れる――けれど、今日のあたしのスコアだとギリギリで負けてしまうだろう。そうなってしまった原因ははっきりしている。
今もArcadiaのリズムをかき消すように、別の曲のピアノのリズムがあたしの頭の中で響いているからだ。
本来合わせないといけないリズムが別の曲のものと混線してしまったら、当然ちゃんと踊れるわけがない。あたしのプレイがガタガタになってしまうのも、あたりまえの話だった。
――だけど、そんなものあたしの問題でしかないから。
「ああもう、2回目のBメロでミス連発しなかったら、ハイスコア更新できたかもなのに。くっやしぃぃーっ」
「ナツキ、おっしぃー。あ、でもでも、夏凛のスコアは上回ってるじゃん。やったね、初勝利~♪」
「おぉぉっ、マジで? やっりー、あーしちゃん大勝利ってか?」
表示されたスコアを見て喜び回るナツキたちに水を差すことはせず、ただ祝福の言葉を掛けるだけにする。
「おぉ、よもやこの我が負けてしまうとは。見事であるぞ、勇者よ。褒めてつかわそう。だが、忘れるでないぞ。この我はただの魔王のひとりでしかなく、その上には偉大なる大魔王様がおられることを」
「うっわ、大魔王様きちゃったよ。やばいじゃん、どうしよっか勇者様」
「えぇー、これ以上はあーしにはちょっとキツいかなぁ。スイマセン、魔王さまー、これ以上は勘弁してくださーい」
「よろしい、勘弁してやろう。さすればこれは我が倒した褒美である、持って行くがよい」
唐突に始まった寸劇に笑いながら参加してくれたナツキに、あたしも笑いながら買ってあった缶ジュースを投げ渡す。
ご褒美代わりのジュースをしっかり受け取めると、ナツキは白い歯を見せながらプルタブを開け、美味しそうにジュースに口をつけた。
――そんな風にクラスメイトたちとはしゃぎ回る時間は、もちろん楽しいものだけど。
それでもあたしの中のどこかに空っぽの気持ちが隠れていることを、頭の中で鳴り止まないピアノの音がそっと教えてくれているようだった。