6 特別なんかじゃない、特別なあたしたち (下)
「――結城さんには月よりも太陽の方が似合っていると、私はずっと思っていましたから」
カップを両手で頼りなく包み込んで紡がれた沓掛さんの言葉を、あたしは正直よくわからないまま受け止めることしかできなかった。
だって、ほんとうによくわからない。あたしには月よりも太陽の方が似合ってるって、そんなわけないよねって思うしかないから。
「えー、そうかなぁ。あたしはそう思わないんだけど、沓掛さんはどうしてそう思うの?」
「それは、結城さんが特別な人、だからです」
特別な、ってところにやけに力を込めて、沓掛さんがはっきり答える。
「私にとって結城さんは、クラスのみんなに愛される人気者で、誰とでも仲良くできるとても優しい人で、わた、私みたいにただ成績が良いだけの人間よりも委員長にふさわしい人、ですから。で、ですから、私にとって結城さんは太陽みたいな人なのだと、そういうわけですっ」
元委員長がほっぺたを真っ赤に染めて、時折どもるようにしながら必死そうに紡ぐ言葉を、あたしはなんとも言えない気分で受け止めるしかできなかった。
他ならぬ沓掛さんがあたしのことをちゃんと見て評価してくれたことが嬉しくて、でもその内容があたしにとっては思いがけないもの過ぎて、どう反応すればいいのかわからない。面映ゆくてくすぐったいような、場違いな評価をもらってしまって居心地が悪すぎるような、そんな気分だった。
「えー、と。うーん、と。とりあえず、ありがとう、でいいのかなぁ」
とりあえず褒められたのは間違いないから、お礼を言うのは間違っていない、はずだよね?
「でも、うーん、それって沓掛さんの過大評価だと思うよ。だって、あたしそんな大した人間じゃないもん」
沓掛さんがどうしてあたしのことをそこまで評価してくれるのかは知らないけど、それがただの勘違いだってことはあたし自身がよく知っている。
だって、本当のあたしはずっと沓掛さんに嫉妬しまくりで、彼女を追い越そうと頑張っても結局できなかったからって、諦めて別のやり方を選ぶような。そんな情けないヤツなんだから。
だからあたしは太陽なんかじゃ絶対にない。あたしが光っているとしたら、それはただ沓掛さんからの光を反射して、光っているだけなんだから。それこそ――まるで月みたいに(ああでも、沓掛さんだとどちらかっていうと暗黒太陽って感じになっちゃうのかな。なんて、そんなこと言ったら怒られるから、絶対に言えないんだけど)。
「そんなことは――」
「だってさ、結局あたしは沓掛さんに勉強で勝つことはできなかったわけじゃん。それで開き直って、あたしが勝てる方法を選んだってだけだし、ねぇ? そんな卑怯者がたまたまみんなと仲良くできただけなんだから、沓掛さんに"特別"とか思われるような人間じゃないでしょ?」
「そんなことはありません――っっ!!」
皮肉でもなんでもなく、率直な気持ちをありのまま吐き出してみたら、なぜか目の前の特別な女の子が人形みたいに整った顔をくしゃくしゃに歪めて叫んでくる。
「それこそ、結城さんの過小評価ですっ。自分のことをわかっていないだけですからっ」
「いやぁ、そんな」
「たまたまなんて、そんなこと絶対にありえませんっ。結城さんだから、みなさんに愛されたのに決まっています! 結城さんじゃなければっ、もしも私だったら、みんなと仲良くすることなんてできるはずありませんっ」
沓掛さんの勢いがもの凄くて、あたしが口を挟む隙間なんてどこにもない。だからあたしはただ、彼女の心の叫びを叩きつけられるサンドバッグになるしかなかった。
「それなのに、どうしてそんなに自分を卑下するのですか! 私のことなにも知らなかったはずなのに、あんな歌詞を書いて私を救ってくれたのだから、"特別"だと思ってなにがおかしいのです!? そもそも――勝てる方法を選ぶことのなにが卑怯なのですか!? 勝てないからと、逃げ出してしまう方が卑怯に決まっているでしょう――っ!」
そこまで言ってようやくみんな吐き出し終えたのか、言葉のマシンガンを撃ち終えた沓掛さんがぜいぜいと乱した息を整えようと、肩を何度も上下させる。そんな彼女の剣幕に圧倒されてばかりだったあたしは、そこでやっと口を出すことができた。
「え……っと。勝てないからって逃げ出してしまうって、もしかして、沓掛さんに言うだけ言ったくせに、それからコンクールに出てこなくなった子のこと?」
「…………黙秘権を、行使させていただきます」
まだ肩を上下させたままで、憮然とした表情と声で返してくる"お姫様"。
そういうところだと思った。
言いたい放題言っても許されるはずなのに、けっして言いたい放題なんかせずに我慢してしまうところ。必要以上に他人を責めようとしないところ。そういうところがあたしが尊敬しているところで、今ではもどかしくも感じてしまうところだった。
「う……ん。沓掛さんがあたしのこと、その、ビックリするくらい評価してくれてるのは、わかったかな。正直、まだ、なんで? って気分なんだけど」
ポリポリと耳の裏を掻きながらあたしはそう言ってみる。頬の辺りがなんだか熱くなってる気がするけど、たぶん気のせいだろうと思い込ませながら。
「でもさ、それが本当だったとしても、沓掛さんが自分を卑下する必要もないんじゃないの? それこそ過小評価でしょ?」
「……どういう、ことですか?」
あたしの言葉がピンときていない様子の沓掛さんに、さてどうやってわからせたものだろうと首をひねりながら、とりあえず言葉を続けてみる。
「成績が良いだけの自分は委員長にふさわしくない、みたいに聞こえたけど、しょーじき意味わかんないかな。委員長なんて、基本成績が良い人の役目じゃん。だったら一度も抜けなかったあたしよりも、沓掛さんのが委員長にふさわしいよね」
「そう、でしょうか……?」
「そうに決まってる、と思うよ。所詮中学なんだし、難しいこと考える必要ないってば。白羚はお嬢様学校なんだから、委員長がどれだけヘタレだって問題起こす子なんてそうそういないはずだしさ」
ヘタレ、のところで沓掛さんのこめかみの辺りがピクリと動いた気がしたけど、口を挟んでくることはないみたいだった。
「だいたい沓掛さんがみんなに愛されてないって、そんなわけないじゃん。まぁ、沓掛さんが変に壁作ってたせいで仲良くはできなかったみたいだけど。沓掛さんがもう少し心開けてたら、ふつーにみんな仲良くしてくれたはずだって、あたしは思ってるよ」
少なくとも、今の沓掛さんの姿を教室でも見せることができるなら、みんなに愛されないわけがないに決まってるよね。うん、あたしなら絶対に放っておかないし。
「……そう、思ってくれるのは、結城さん、だけ、でしょう……?」
「あー、もう。この"お姫様"は、どれだけヘタレなんだっての。そう思ってるのは沓掛さん本人だけ! そうじゃなきゃ、みんな"お姫様"なんてあだ名つけたりしないって」
もちろん、中には勝手に嫌がるあだ名をつけてイジメに使う人もいるけれど。あたしの知る限りだと、みんなの"お姫様"って呼び方にそんな陰湿な匂いは一切感じなかったから。みんな一定の愛情を持って、それこそ敬して遠ざけるの良い意味の方で接してると思うんだよね。
「……そう、です。私はヘタレで、臆病者で、どうしようもない愚か者ですから。"お姫様"だなんて呼び方、私には似つかわしくない、ただの過大評価でしか、ありませんから……」
なのに、当の本人は自分への過小評価を崩してくれそうもない。
ああもう、本当にしつこいなぁこのヘタレちゃんは! 頑固者って言い忘れてんじゃないの!?
そう思って苛立ちをぶつけかけたその瞬間に、ふとあることに気づいてしまったあたしは、結局なにも言わずに黙り込んでしまった。
それどころか、我慢しきれずに吹き出してしまう。
「ぷっ、ははっ、くっ、ははっ」
「……な、なんなのですっ。突然、笑い出したりしてっ」
「いや、だってさ、おかしいでしょ。二人して、自分のことは過大評価されてるって言い張ってるくせに、相手のことは過小評価してるって責めまくってるんだから。普通、逆じゃない? なのに二人とも自分より相手のことを評価しちゃってるんだから、それがおかしくって。いくらなんでも相思相愛過ぎでしょ。なに、もうあたしたち付き合っちゃう?」
笑い転げるあたしの態度に最初は気色ばんでいた沓掛さんも、あたしの言葉を聞いていくうちに表情が微妙なものになっていき、やがて彼女の方もたまらなくなったように吹き出してしまう。
「たし、かに、おかしい、ですわね。二人とも、相手は褒めちぎるくせに、自分は褒められるのを、全力で拒否している、のですから」
「そうそう、一人だけならまだしも、お互いにやってるのがヤバいよねー。息が合ってるにしても、も少し合い方があるっての。コントじゃないんだからさ」
ツボに妙に入ってしまったのか、なかなか笑いが止まってくれない。その上、お互いが笑ってるところを見てさらに笑ってしまうのだから、もうどうしようもなかった。
そんなわけでしばらくバカみたいに笑い合ったのは、数分くらいかな。それだけかけて、ようやくあたしたちの発作は治まってくれた。
そこで仕切り直すように咳払いをしてから、あたしは沓掛さんに向けて言い聞かせるように語りかける。
「あー、もう。なんだかよくわからなくなっちゃったけど。要はアレってことで。この際みんながどうこうってのは考えないことにしちゃってさ。あたしにとっては沓掛さんが特別な相手で、沓掛さんにとってはあたしが特別な相手だってことだけわかってたら、もうそれでいいよねってことにしようよ」
きっと、その『特別』はあたしが子供の頃に思ってた『特別』とは違ってるだろうけど。
でも、あの頃手に入れられなかった『特別』よりも、こっちの『特別』の方が嬉しく感じてしまうのはどうしてなんだろうね。
「それが、あたしたちの過大評価でも過小評価でもない適切な評価ってこと。だからこれ以上自分サゲるのは禁止。そういうことでいいよね?」
「……わかりました、そういうことにしましょう。これ以上言い合っていても、水掛け論にしかならないでしょうし。なによりも疲れました、から……」
これまでの言い争いに加えて笑い転げたことで体力を使い切ったのか、疲れ切った様子でそう応えてくれる"お姫様"。けど、その表情はなんだかすごくすっきりしたものに、あたしには見えたような気がした。
――そんな風にお互いの思いをぶちまけ合ったおかげなのか、その後の会話は実に和やかなものだった。
「――そういえば、結城さんはどうやってあの歌を録ったのですか? 録音するような機材も見当たらないようですけれど」
「え? ふつーにカラオケBOXで録ったけど」
「カラオケ、ボックスで、ですか……? なるほど、どうりで音質が悪かったはずです」
「あはは、まぁその辺りは素人なんでなんにも考えてなかったから、さぁ。……そういう沓掛さんは、どこで録ったの?」
「私は普通にスタジオでレコーディングさせていただきました」
「え? マジで!? いいなぁ、スタジオでレコーディング。あたしも一度はやってみたいって思ってたんだよね。ねぇねぇ、スタジオってどんな感じ? やっぱり――」
そんな一幕があったかと思えば――
「そういえばさ、沓掛さんが音楽室でピアノ弾いてるところにあたしが乗り込んだときなんだけど。あたしはすぐに沓掛さんのこと気づけたのに、沓掛さんの方はタイムラグあったみたいだったよね。それって、すぐにあたしのことに気づけなかったってこと?」
「……二年以上顔を合わせていなかったのですから、すぐに気づけなくてもおかしくないのではないでしょうか」
「えー、そっかなぁ。あたしは沓掛さんのことにすぐ気づけたのに? これって、やっぱ愛の差じゃない? そっかぁ、沓掛さんの愛はあたしの愛より小さいんだね。はぁ、がっかり」
「愛、ではなくて、単に髪型の問題ではありませんか。結城さんは髪型を変えていましたが、私は髪型を中等部から変えていませんでしたから。その差は考慮していただかないと」
「んー、そっ、かなぁ? あたしは沓掛さんの髪型がどんなに変わっててもすぐに気づけた自信あるんだけどなぁ。ねぇ、沓掛さん。そんなにあたしの印象って変わっちゃった?」
「それは、私が中等部から成長していないという意味でしょうか?」
「違う、違うってばぁ。そんな意味じゃないって。もう、意地悪言わないでちゃんと質問には答えてよぉ」
「……凄く、かどうかは人によって違うと思いますが、変わったのは間違いありません。いつから、伸ばし始めたのですか?」
「んん? えーと、中三、だったかな、確か」
「そうでしたか。……私としては短い髪も結城さんらしくて似合っていたと思うのですが、どうして髪を伸ばそうと思ったのです? なにか理由でも?」
「……別に、そろそろあたしも思春期になってきたから、女の子っぽく髪でも伸ばしてみようかなーって。そう思っただけだよ」
(ホントは、沓掛さんの綺麗な長い髪にずっと憧れてたから、真似して伸ばしてみただなんて。意地悪言ってくる子には、ぜーっったいに言ってやらないから。ふん、だ)
――そんな一幕もあったりなかったりして。
気がつけば、窓の外から入り込んでくる太陽の光が、少し陰ってきていた。
もう、そんな時間になったんだと思いながら、あたしはウッドテーブルの上を眺めてみる。
お代わりのお菓子を載せた竹籠も空っぽになっていて、お互いのテーカップの中身ももうなくなってしまっていた。もちろん、ティーポットの残量もゼロになっているわけで、そろそろお開きにしてもいい頃合いかな――って呑気に思ったところで、あたしは愕然としてしまう。
他の話題や言い争いにかまけて、一番重要なことを訊いていないという事実に。
「あ、あのさっ。結局、始音のアカウントと『SIN/KAI』はどうするつもりなワケっ!? なんか危うくうやむやのうちにごまかされそうだったけど、そうは問屋が卸さないからっ。ちゃんとあたしが納得できる答え返してくれないと、この家から帰らせないからねっ」
慌てて身体を思いきり乗り出してしまうあたしに、沓掛さんは少しだけ身体を後ろに反らしたかと思うと、その形のいい眉を思いきり歪めた。
「それはつまり、私は拉致監禁されたということですね。通報してもよろしいでしょうか?」
「ちょっと、人聞きの悪いこと言わないでよ!? 合意があった以上、拉致にはならないはずでしょ!?」
とんでもない言いがかりに思わず悲鳴を上げると、自称拉致被害者の美少女がくすりと口元をほころばせる。
「合意があったかは意見が分かれそうなところですが。……時間も押していますし、無駄話は程々にしておきましょう。そうですね、返事としては後者はともかく前者は復活も考えなくはありません、と言ったところでしょうか」
「え? ホント!? ――って、ちょっと待ってよ。後者はともかくってどういうこと? えーと、つまり始音のアカウントは復活するかもだけど、『SIN/KAI』の方は全然可能性はないってこと?」
回りくどい沓掛さんの返事に一瞬喜びかけたあたしは、すぐにそれだと全然意味がないことに気づき、慌てて事実確認を行うことにした。
「ええ、そういうことです。さすがですね、結城さん。わざとわかりにくく言ったつもりなのですが、ちゃんと理解できているようですから」
「ちょ、ちょっと待ってよ、沓掛さん――って、始音のがいい? ええい、とにかく、そんなのダメだってば。アカウントが復活したってなんの意味もないってば、それじゃあ」
『SIN/KAI』を、あの曲をみんなに届けられたら。
そのためだけに恥も外聞も脱ぎ捨てて、沓掛さんに大迷惑をかけてまでいろいろ頑張ってきたのに、それじゃあただの骨折り損のくたびれもうけにしかならないじゃん。
「そんなの、あたし絶対納得できないからっ。だから、ああもう、なんでもするからさぁ。沓掛さんがその気になってくれるなら、靴でもなんでも舐めるしどんな格好でもしてあげるから。だから、お願い、『SIN/KAI』を復活させてください……っ」
足下にすがりつく、はさすがに次はないと言われたのでできなかったけど。それでもそうしてでもすがりつきたい気持ちをまるごと込めて、あたしは沓掛さんに頭を下げてお願いする。
「……さすがに、靴を舐められるのは勘弁して欲しいところですし、このまま拉致監禁され続けるのも御免ですから。仕方ありません、と言って差し上げたいところですが」
少し間を開けてから、沓掛さんがやれやれといった感じに言ってくるのを、あたしは頭の上に聞き届けた。
「申し訳ありません、『SIN/KAI』の復活は不可能です」
「なんでよ――っっ!?」
反射的に頭を上げて、悲鳴のような声を張り上げる。なんでヘタレのくせにこんなにも頑固者なのよ、もう少し融通利かせてよって心の中で叫びながら。
「なんでと言われましても、結城さんのせいだと思いますけれど」
「……いや、だから、なんでよ」
ワケのわからないことを言い出した石頭の"お姫様"を睨みつけると、当の本人は涼しげな顔でなにやら意味ありげな視線を送ってくる。
「ですから、結城さんが歌詞を書いて歌をつけてしまったどころか、勝手にアカペラでフレーズを追加してしまった以上、あの曲はもはや『SIN/KAI』ではなくなってしまいましたから」
そして、にんまりと唇を三日月の形に歪めてみせると、
「そうですね。タイトルを付けるなら、『深海から月光だけを』と言ったところでしょうか」
そんなよくわからないことを言ってきた。
「えー、と。……どういうこと?」
「ああ、つまり、ですね。要するに、新しくレコーディングしないといけないと言うことです」
もうすっかり混乱中のあたしに、沓掛さんが優しく言い聞かせるように言葉を重ねてくる。
「先ほど、スタジオでのレコーディングをやってみたいと言っていましたから、いい機会です。私と一緒にスタジオでレコーディングをしてみる、ということでいかがでしょうか?」
そうして"お姫様"は最後にとんでもないアイデアを出してくると、してやったりと言いたげに笑ってみせる。
はじめて見る特別な人のその笑顔に見惚れてしまいながら、
「え?」「え?」「え?」
あたしはただ疑問符を連発しながら、目を瞬き続けてしまうのだった――




