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13 SIN/KAIを沈める



「――もちろん、厳重に抗議するべきです。お嬢様の曲を踏みにじるような不届き者に、情けを掛ける必要はございません」


 昂ぶる感情を抑えるために、でしょうか。眼鏡を指で押さえながら、静が冷ややかに言い放ちます。

 私はそのあまりに強い口調と態度に、ゴクリと唾を飲み込んでしまいながら、膝に抱えたゴマフアザラシの(ノイ)ぬいぐるみ()をぎゅっと抱きしめました。



 結局、昼休みどころか授業が終わって放課後になっても、私の中でKarinの歌に対する結論は出ないままでした。

 なので、どうすればいいのかのアドバイスを貰うために、静に事の顛末を伝えたわけですが。

 私が事前に予想していたよりも、静の反応は激しいものでした。そう、私が思わず怯えてしまうくらいには。


「お嬢様の許可がいただけるのでしたら、訴訟の準備もすぐに整えさせていただきますが。いかがいたしましょう?」

「静、待って(ステイ)。いいから、少し落ち着いて」


 彼女のあまりの入れ込みぶりに、思わず当事者であるはずの私が諫める側になってしまいます。おかげで、少しは私も冷静になれたでしょうか。


「とりあえず、訴訟はなしの方向でいいから。もちろん動画の差し止めはしてもらえるよう抗議はするつもりだけど、そこまで大げさなものにはしたくないもの。いいでしょ、静?」


 感情的にも道義的にも、Karinの投稿を見過ごす結論は取れませんでした。

 恐怖よりも怒りの方がわずかにですが、上回ったようです。或いは、先に聖域を踏みにじられたのは私の方だと、そう思ってしまったことも後押ししたかもしれません。

 静の苛烈な態度の影響は……考えないことにしましょう。


「それで、彼女に――Karinに抗議文を送りたいのだけど、どうすればいいのかしら。Wetubeからだと、whispersには送れないのよね?」


 そうなると後はKarinに抗議文を送るだけですが、機械音痴の私にはどうにもやり方がわかりません。なので、ここは機械にも強い静に全面的に頼ることにしたのです。


「……そうね。残念ながら、whispersにはwhispersからでないとメッセージは送れないわ。プロバイダに開示請求を要求してそれが通れば直接連絡が取れるようにできるはずだけど、紫苑はそれはしたくないのよね?」


 ようやく落ち着いてくれたのか、口調が従者モードからプライベートモードへ戻った静にそう尋ねられたので、私はすぐに頷き返しました。


「そう。だったら、使い捨てで構わないからwhispersのアカウントを取ってもらわないとね。紫苑、やり方はわかる? わからない? ああ、そう。なら仕方ないわね。ほら、私にスマホを貸して。アプリは入ってるわよね? OK、それなら後は紫苑のメルアドを入力して、と。――はい、これでいいわよ」


 ソファから身体を起こした私がスマホを渡すなり、ものの数秒で静はwhispersのアカウントを作ってくれたようです。思わず拍手してしまう私でした。


「――さて、それでどうしよっか? 抗議文、紫苑が書いてみる? それとも私が文面考えた方がいい?」

「ああ……そう、ね。文面……か。……静だったら、どんな風に書くつもりなの?」


 アカウントの件が解決したと思ったら、すぐさま抗議文本体の問題がやってきます。

 私も現代文の文章問題の解答や読書感想文なら簡単に書けるのですが、さすがにこの手の文章は書いたことがありません。ですからここは、先達である静に参考になってもらうつもりだったのですが。


「私? そうね、私ならまずは即時の動画差し止めを要求するとして。許可も取らずに勝手に紫苑の曲を使用したことへの謝罪文を10万文字ほど書いてもらった上で、たんまりと慰謝料をふんだくらせてもらおうかしら。後は、そうね。ちょうど史郎様のところで手が足りない部署があるようなことを仰っていたから、そちらに派遣して馬車馬のように――当然、無給で――働いてもらうのもいいわね。それと――」

「静、黙って(ステイ)。……いいから、もう、私が書くから。静はそれを確認してくれればいいから。……お願い」


 矢継ぎ早に繰り出される悪辣非道のアイデアに、たまらず私は静に制止の声を掛けました。

 忠誠心が高い、のはありがたい話ではあるのですが。どうにも静は勢い余って暴走してしまうきらいがあるので、そこだけが悩みどころではあるのです。

 それさえなければ、本当に最高の従者、なのですけど。


「…………はぁ……」


 大きなため息をひとつ。肺の中の空気を全部吐き出してから、腕を組む代わりにノイエを抱きしめて気分一新。ルーズリーフとボールペンをローテ-ブルの上に持ち出して、抗議文の文面を考え始めます。

 基本的な形式は、企業間の抗議文の定型を叩き台にすればいいでしょう。後はどこまでKarinに要求をするか、ですが。

 私はそこでちらりと、隣に視線を送りました。


 おそらく静は不満に思うでしょうが、私は彼女になにか罰を与えたいとは思いません。

 心から許せないと思っているくせに、おかしいことかもしれません。

 甘すぎると、思われるかもしれません。


 ですが私は、やはりこれ以上誰かを傷つけることはしたくないのです。

 たとえ私自身が傷つけられたとしても、大切なものを踏みにじられたとしても、それを他の誰かを傷つける理由にはしたくありません。それが私が無意識に傷つけ、踏みにじってきた人たちへできる唯一の(あがな)いなのですから。


「……あるいは、私への罰、かもしれませんね……」


 静には聞こえないよう、小さな声で独りごちると、私はそれをごまかすようにペンを走らせます。

 ――それから三十分ほどで、抗議文はひとまず完成させることができました。


「……これでどうかしら」


 原稿用紙一枚分ほどの文章を書き付けたルーズリーフを静に渡しながら、恐る恐るそう尋ねかけます。

 私としては過不足なく書けていると思いますが、もしかしたらまったく使い物にならないのではと、その恐怖心が私の胸をドキドキさせていました。

 静は黙ってルーズリーフを受け取ると、文面に視線を走らせます。眼鏡のレンズが反射する光が、私の目を射抜きました。


「そうね……まぁ、これで問題はないんじゃないかしら」

「っ!? ほんとう?」

「ええ、本当よ。……正直に言っちゃうと、私としては甘すぎて不満ばっかりなんだけど。紫苑がそれでいいっていうんだから仕方ないでしょ。だから、これで問題なし。文面もね」


 予想どおり、静は私の要求を甘いと思っていたようですが、それでも認めてくれたことに安堵を覚えます。

 いずれにしろ静の許可は得られたわけですから、後は文面を打ち込むだけです。

 渋面の従者からルーズリーフを返してもらうと、私はおぼつかない手つきで――間違えないよう、一言一句確かめながら――スマホに抗議文を打ち込んでいきます。

 どうにか打ち込みが完成したところで一度静に確認してもらった上で、えいやとばかりに送信ボタン? をタップしました。送信終了を告げる表示を見て、後戻りができないことを改めて実感します。


 それから私は、静に教えてもらいながらwhispersのアカウントを削除させました。

 デジタルの中のことなので今ひとつ実感が湧かないままでしたが、指をちょっと動かしただけで私がいたはずの痕跡がまったくなくなってしまうのは、なんだか不思議な気分です。

 それでも私がやるべきことがこれでできたのは確かですから、肩の荷を下ろした気分で私はほっと安堵の息をつきました。


 けれど、まだもうひとつ、やらなければならないことがあります。


「紫苑? まだなにか――」


 再びスマホを操作しだした私に、静が訝しげに声を掛けてきます。

 それをあえて無視して、私はWetubeを開き私のアカウントを呼び出します。それから、見様見真似の感覚でいくつかの操作をすると、スマホの画面には先ほどと似たような文面が出てきました。


『始音のアカウントを削除しますか?』


「紫苑、あなた――っ!?」


 悲鳴のような叫びとともに、静が私の手元(スマホ)に手を伸ばそうとするのが見えました。

 けれど、もう間に合いません。

 私の指が『はい』を押した瞬間、すべてが終わります。

 一瞬の間を置いて、『始音』のWetubeアカウントは消えてなくなりました。


「紫苑、どうして……? それで、本当にいいの……?」

「大丈夫よ、静。ちゃんと考えて決めたことだから、これでいいの。――ほら、このままにしておいたら、また他の誰かが同じようなことをしてくるかもしれないでしょ?」


 その怜悧な顔を珍しく青ざめさせて呻くように伺ってくる静に、私は冗談めかした口調を作って返しました。

 同じようなことがまた起きるだなんて、もちろんそんなことは一切考えていませんが。それでもこうして理由づけしてしまえば、静もなにも言い返せなくなるとわかっていましたから。


 『始音』のアカウントを――つまりは、『SIN/KAI』を消してしまうことに、なにも思わなかったわけはありません。

 思いがけないアクシデントで味噌がついてしまったような形にはなりましたが、それでも私にとって大切な曲であることは間違いないのですから。そんな曲をいくらネット上だけとは言え、なかったことにさせてしまうのは身が切るように痛いです。


 それでも、私はもういいと思ってしまいました。


 そう、もういいのです。

 結局、斎藤先生に聴いてもらうという願いは叶いませんでした。不愉快な歌詞を付けられて誰ともしれない人に歌われてしまうという、よくわからないことにもなってしまいました。

 不本意といえば、不本意には違いありません。


 けれど、それでもやっぱりもういいと思ってしまったのです。

 私はメッセージボトルを確かに送り出しました。誰かに届いてくれることを祈って。

 そして、それはちゃんと誰かに届いたのです。

 たとえ私の願いどおりにはなにひとつならなかったとしても、それでも誰かに届くという結果は出たのですから。

 私にできることは、その結果をただ受け止めることだけなのです。


 だから私は、そっと伸ばした糸を断ち切るように、『SIN/KAI』をネット上から消すことにしました。


 ただ、それだけのことだったのです――

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