31話 限界大学生と余裕の高校生
「それで、何であんなところで寝てたんですか」
両手を膝の上で重ね、肩を上げている女性に対して、僕はそう問いかける。あからさまに怯えているというか、僕を目の前にして警戒態勢である彼女はようやく話す気になったのかポツポツとその境遇を語り始めた。
「えっと……。人生に絶望して……」
「物騒ですね」
目を泳がせ、気まずそうに言う女性。自分でも珍妙なことを言っている自覚があるのか、尻すぼみになる声音。
なんというか、見た目から受ける印象とは真逆な態度に、流石の僕も対応に迷う。この人を相手にどうするのが正解なのか分からない。
女装姿ではなく、正真正銘本来の僕の姿であるから遠慮してしまっているという面も大きいのかもしれない。
どうするべきかと悩んでいたが、最初はお互い距離を縮める所から始めるのが良いだろう。そう言えば、まだ彼女の名前すら知らない。いやまあ、本来は名前を聞くような関係性じゃないのは重々承知だが、もう一対一で飲食店に訪れる所まで来てしまったのだ。過程は置いておいて。
だったら、名前くらい聞いても罰は当たらないだろう。
そう考え、僕は彼女に名前を聞くことにする。
「まず自己紹介でもしましょう。お互い名前すら知らないよりは、名前くらい明かすことで気楽になるかもしれませんし」
僕がそう提案しても、彼女の方からは何も話そうとしないので先に僕から敵意がないことを示す意味も込めて自己紹介を始める。
「僕の名前は矢吹時雨と言います。えーっと……年は15で、好きな食べ物は焼肉です」
自分でも何を言い出したのか全く理解できないけど、名前だけ言うのではダメな気がした。相手に寄り添っていることをアピールするためにもある程度の個人に関する情報は明かす必要があるんだ。
そうすれば、彼女もゆっくりと口を開き始めた。
「アタシの名前は、刑部蓬です……。年齢は22歳。就活に失敗して、付き合っていた彼女にも振られて絶望して、お酒を浴びるように飲んでから先の記憶が全くない……です」
「あー……」
うん。なんて声をかければいいのか全く分からない。
表情は悲壮感に溢れているし、付き合っていた彼女というフレーズに僅かに心を惹かれたけど、そんなことを喜べるような内容ではなかった。僕は百合は好きだが、時と場所は弁える人間だ。
「酔っぱらって外で寝ていたところを年下の、しかも男の子に介抱される情けない女です……」
なんか涙目になり始めた。僕はセラピストじゃないんだ、誰か心理職の人呼んで!
今にも泣きそうな刑部さんを見て、僕は微妙な表情を浮かべて考える。現在22歳で就活に失敗したという話を聞くに、恐らく大学生だろう。年齢的に、留年している可能性が最も高い。
なら、まだ絶望するような年齢じゃないはずだ。まだ若いんだし、やり直すチャンスはいくらでもあるって。僕が言うなって話かもしれないけど。でもたった一度の失敗程度でそこまで絶望することは無いんじゃないかな。
なんて、赤の他人である僕でも無責任に慰めることはできない。
不幸の度合いなんて、個人によって様々だし。当人にしかその辛さは分からない。例え第三者目線で見れば大したことのないことでも、当人からしてみれば想像を絶する苦痛であることもある。
それに、パートナーと別れると言うのは一般的に重度のストレスを感じるらしい。今まで一度も付き合ったことも別れた経験もない僕だけど、就活に失敗して付き合っていた人に振られるのなんて、どちらか一つでも辛いのに両方ともなると苦痛だろう。
そんなことを永遠と考えていると、自分でも何を言ったらいいのか分からなくなり、僕は斜め下の質問をしてしまった。
「えーっと……。僕で良ければ慰めますけど、何か言って欲しい言葉とかありますか?」
「えっ…………」
あ、固まっちゃった。
流石に慰めるから言われたい言葉があるかなんて意味不明な質問をするのはダメだったか。デリカシーとか以前に、普通に意味不明なこと言っているからね。
僕の発言に思考が止まったのか、刑部さんは目を見開いて固まったままだ。発言を撤回しようかなと思ったのも束の間、固まっていた刑部さんは動き出した。
「じゃあ……」
そうして、僕に課せられたのはどこぞのASMRかと疑うほどのものだった。
「君はよく頑張た。偉い。生きてるだけで偉い。悪いのはこの世界なんだ、僕は君の味方だよ。って、言ってもらってもいいですか」
自重をしろよ。僕から提案しておいてなんですけど、それを見ず知らずの高校生に頼むって相当ですよ。
白昼堂々どんなプレイをしようとしているのか。僕の理性はツッコミを入れるが、だが言い出したのは僕だ。責任の半分くらいは僕にもある。何より吐いた唾は吞めぬ。
刑部さんは冗談でそんなことを言っているわけではないようだし、というより彼女の目は虚ろでまともな状態ではないことは一目でわかる。
抵抗はあるが、だがこれを言わなければ刑部さんが本当に報われないだろうし、恥を忍んで僕は言う。
でも、台詞としては結構恥ずかしいので、せめてもの妥協案として僕は刑部さんの隣に移動してあまり声を張り上げないように小さく囁く。
後から気づいたけど、こっちの方が余計に何らかのプレイっぽくてダメだった。
だが、この時の僕は他の人に聞かれたくない一心でこんな行動を取ってしまったのだ。忘れよう。このことは忘れるべきだ。それが僕の精神衛生上必要なことだ。
「えっと……。行きますよ。君はよく頑張た。偉い。生きてるだけで偉い。悪いのはこの世界なんだ、僕は君の味方だよ……」
そうして、僕は刑部さんの対面に戻る。
恥ずかしさと僕は何をやっているのかという自問自答によって複雑な気分だ。極めてガラじゃないことをやったと思う。前世含め、僕はこんなことを囁くなんて経験はない。
刑部さんにどうだったか感想を聞こうと、彼女の顔を見る。すると、そこには呆然とした表情で一筋の涙を流す彼女の姿があった。
まさか涙を流すなんて思わず、僕は混乱して目をあちらこちらに泳がせる。何か気を利かせて話しかけた方が良いのだろうか、しかし何を言えば。そんな思いが口に出る。
「えっ……。あっ……と……」
何を言うべきかも分からずに、言葉にもならない音を発する僕に対して、刑部さんは儚げな笑みを浮かべていた。
そんな彼女の表情に目を奪われていると、次の瞬間には刑部さんは机に突っ伏していた。
「アタシは……未成年の男の子に同人ボイスみたいな慰めをさせて、あまつさえ涙を流した情けない大人です……」
ああ。なんか次は自己嫌悪し始めた。
気持ちは分かる。自分よりも7つも下の年齢の異性にあんなこと言わせたら普通恥ずかしくて死にたくなるものだけど、今の刑部さんは精神的にかなり追い詰められている状態だ。情状酌量の余地はある。
でも、そろそろ叔父さんを待たせているんだよなとスマホに目を落とす。
そこで、僕は思いついた。そう言えば、叔父さんのやっているお店で従業員を募集しているではないかと。
「刑部さん。良い話があるんですけど、乗りますか?」
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