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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

怪談

こっくりさん

作者: 波留 六

 あれは三〇年以上も前の僕が小学四年生だった頃の話だ。

 今では鄙びた年寄りの暮らす街であるが、引っ越してきた当時は新興住宅地であった。そこには何件もの若い家族が暮らしていた。

 季節は春か秋だったように思う。暑くもなく寒くもなく、長袖の制服を着ていたことを覚えている。あの頃の記憶は、思い出そうとすればするほど、鮮明さと不明瞭な部分が重なり合い、目を閉じればたちまち淡く白んでいく。


 隣の家に住んでいたのは、クラスメイトのめぐみちゃんだった。同じ転校生同士、仲良くなった。僕は彼女のことが好きだったのだろう。僕が心を惹かれる女性には、常にめぐみちゃんの面影が宿っている。


 毎日の登下校はいつも一緒だった。クラスのやつらから冷やかされたことで嫌になり、突き放そうとしたこともあったけれど、めぐみちゃんはしつこくついてきた。それがたまらなく嬉しかったのに、僕は素直になれず、いつも気持ちとは裏腹な態度を取り続けた。



 学校中で「こっくりさん」が流行っていた。


 鳥居と『はい』と『いいえ』、それに五十音図を書いた紙。そして一枚の五円玉。鳥居をくぐってきた名も知らぬ神様は、日常の悩みから未来のことまで何でも答えてくれる。


 紙の上に五円玉を置いて人差し指を添える。何人でも指を添えていい。南向きの窓を少しだけ開き、皆で唱える。「こっくりさん、こっくりさん、南の窓からお入りください。お入りくださったら鳥居へ進んでください」。

 もしこっくりさんが訪れれば、ひとりでに五円玉は動き出し、鳥居へと入っていく。質問をすると、五円玉は紙の上を滑って答えを示す。

 必ず守らなければならないことは、南の窓から帰ってもらうこと、それまでは五円玉から指を放してはいけないこと、そして、最後に紙を破ること。

 これを破れば呪われる。


 クラスの女子で一人、五円玉がするする動く子がいた。名前は思い出せないけれど、明るく活発で、少し勝ち気な性格だったように思う。顔も髪型も全く思い出せないのが不思議だ。

 その時のクラスメイトで顔を覚えているのはめぐみちゃんだけだった。


 ある放課後、めぐみちゃんはその子に誘われてこっくりさんをすることになった。いや、もしかしたら、めぐみちゃんが誘ったのかもしれない。とにかく、めぐみちゃんは僕に一緒に残って欲しいと頼んできた。


「やだよ、帰る」


 わざと面倒くさそうな振りをして、僕はランドセルを背負って帰るそぶりを見せる。めぐみちゃんは僕のランドセルの端をつかんで、頭を下げた。


「えーっ、だって怖いんだもん」

「だったら、やめとけよ」

「でも、聞きたいことがあるの」

「聞きたい事って、なに?」


 振り向いて尋ねると、めぐみちゃんは黙り込み視線をそらした。


「……言えない」


 めぐみちゃんの「言えないこと」。僕はたまらなく気になった。そして、残ることに決める。いや、本当は最初から残るつもりだったんだ。


「しょうがないなぁ。僕は見てるだけだぞ」

「うん!」


 めぐみちゃんは嬉しそうに頷いた。


 放課後、からっぽの教室に居るのは僕たち三人だけだった。鍵はかかっていないものの、扉は全て閉められ、薄暗く妙な閉塞感があった。普段の賑やかさが嘘のように静まり返った教室は、それだけで心細くなる。鉛筆の擦れる音が、僕たちの心をきゅっと締め付けた。


 名前を思い出せない女の子は窓際の席に座り、机に突っ伏すようにして紙に五十音図を書き込んでいる。普段なら外の景色がよく見えるはずの窓は、カーテンが閉められ、三人は影のようだった。めぐみちゃんは向かいの席に座り、その様子を覗き込んでいる。僕は少し離れた机の上に座って、二人を眺めていた。めぐみちゃんの肩越しに女の子の肩が見える。


「できた」


 女の子は笑って丁寧に書き込まれた五十音図を僕とめぐみちゃんに見せる。


「それじゃあ、始めよっか?」


 女の子は窓をわずかに開けると、カーテンがふわりと揺れる。

 そしてそろりと五円玉を紙の上に置いた。大きく深呼吸し、人差し指を五円玉に乗せる。めぐみちゃんも慌てて指を添えた。


「来てくれるかな?」

「きっと、来るよ」


 女の子はそう答えると、こっくりさんを呼ぶ呪文を唱え始めた。


「こっくりさん、こっくりさん、南の窓からお入りください。お入りくださったら鳥居へ進んでください」


 五円玉は動かない。彼女は繰り返し唱えた。たどたどしいながらも、めぐみちゃんも一緒に唱える。


「こっくりさん、こっくりさん、南の窓からお入りください。お入りくださったら鳥居へ進んでください。こっくりさん、こっくりさん、南の窓からお入りください。お入りくださったら鳥居へ進んでください……」

「来ないね」


 めぐみちゃんが呟いたその時、カーテンが大きく揺れた。生暖かい風とともに、すえた匂いが鼻を突いた。

 そして五円玉がずるずると動き始めた。


「きゃっ!」

「放しちゃダメ! こっくりさんが帰るまで絶対に放しちゃダメだよ!」


 悲鳴を上げて思わず指を放そうとするめぐみちゃんに、女の子が叫んだ。

 めぐみちゃんは怯えながら頷き、目をきつく閉じる。五円玉はのろのろと鳥居へ動き、そして止まる。


「ありがとう」


 女の子はそう言うと、「じゃあ、最初の質問」と、他愛もない質問を始めた。彼女が何を質問したのか、まったく覚えていない。

 質問を繰り返すうちに、たどたどしく「はい」と「いいえ」の間を動いていた五円玉は、やがてなめらかに動くようになった。


「すごいね!」


 先ほどの恐怖心はやわらいだのか、めぐみちゃんの声は少し弾んでいた。僕もその不思議な光景に心を奪われ、ただ、五円玉の動きを見つめていた。

 ただ素直に感心している彼女に、女の子は視線を向ける。


「聞きたいことがあるんでしょ?」


 めぐみちゃんは困ったように眉を下げ、一瞬だけ僕を見たが、すぐに視線を五円玉の上に戻した。


「……」

「言いなよ」


 女の子の言葉にしばらくためらうように黙り込んだあと、やがてめぐみちゃんは小さくうなずいた。


「うん、わたしね、好きな人がいるんだけど、その子もわたしの事が好きかな?」


 知らなかった。めぐみちゃんに好きな人がいる? 好きな人って、誰? 僕はめぐみちゃんを見つめたが、彼女はうつ向いたまま僕を見ようとしない。仕方なく五円玉に視線を移す。五円玉は何もないところで止まり、動かない。


「名前を言わないと、こっくりさんも分からないんじゃない?」

「うん……、でも……、『はい』じゃないと……言えない」


 歯切れの悪いめぐみちゃんの言葉に、女の子も黙り込む。


 僕は呆然とうつろな気持ちで、どこか遠くに聞こえる二人のやり取りを聞いていた。めぐみちゃんの好きな人。気になる。聞きたい。なにがなんでも聞き出したい。でも、聞きたくない。とても聞けない。気持ちばかり焦って、何も言えない。めぐみちゃんは相変わらず黙って五円玉を見つめている。


「秘密は守るよ。バラしたりしない」


 女の子はそう言って僕を見た。


「ぼ、僕だって……、誰かに言ったりしない」


 上ずった声で答えた。だけど、めぐみちゃんは首を振るだけだった。

 静かな教室。動かない五円玉。


「もし、『はい』だったらどうする?」


 女の子が尋ねた。


「わたしね、時間がないの……。そのときは気持ちを伝えたい」


 時間がない。その言葉は、「気持ちを伝えたい」という言葉にかき消された。胸が締め付けられるように痛かった。今すぐにこの教室を飛び出したいが、身体はこの教室に縛られたように動かなかった。

 そんな僕を無視して、彼女たちの会話は続く。


「名前、言えない?」

「うん」

「どうしても?」


 めぐみちゃんは頷いた。諦めたように、女の子はため息をついた。


「こっくりさんはわからないかもしれないけど、私、めぐみちゃんの好きな人知ってるよ」


 驚いて、僕とめぐみちゃんは目を見開いて女の子を見た。女の子は一度だけ僕を見返した後に話を続けた。


「大丈夫。絶対大丈夫だから、言っちゃいなよ」


 相変わらず話そうとしないめぐみちゃんに、もう一度「大丈夫だから」と柔らかな言葉でいった。

 その言葉に引き寄せられたように、めぐみちゃんはゆっくりと顔を上げた。


「わかった。言うね」


 そのときだった。


 教室の扉がいきなり開いた。その音が、薄暗い教室にやけに大きく響いた。

 三人の視線の先には、担任の先生が立っていた。険しい表情で僕たちを見ている。


「何をしている! 早く帰りなさい!」


 先生からめぐみちゃんたちに視線を戻す。二人の指は、五円玉から離れていた。



 太陽は西の空に溶けかけている。

 下校の道は、何もかもが橙色に染められていた。


 先生に怒られた後、僕たちは慌てて教室を出た。五円玉も五十音図の紙も、丸められて女の子のランドセルの中に入っている。

 ふわふわとした気持ちで歩く。聞きたいことは山ほどあったけれど、僕は何も言えなかった。僕たち三人は話すこともなく、ただ歩いていく。


 いや、女の子だけは俯いて何かをつぶやいていた。よく聞こえないから「何を話しているの?」と聞いても、彼女は一心不乱に低い声でつぶやき続けている。

 交差点に差し掛かっても、彼女はやめなかった。


 重低音のエンジン音が迫ってくる。

 トラックが来ていた。僕とめぐみちゃんは立ち止まったが、女の子だけはそのまま歩いていく。


 止めようとした。だけど、差し出した手は女の子の体には届かず、空を切った。

 彼女は何事もなく歩いていく。そして、トラックにはねられた。



 数日後、僕の家にめぐみちゃんとその両親が来た。父親の転勤で、再び引っ越しをするらしい。

 一ヶ月前に急に決まったことで、このときまで僕は何も知らなかった。僕たちは離ればなれになってしまう。すべてがうやむやのままだった。


 めぐみちゃんが何かを言いたそうに僕を見ている。


「なに?」


 聞くと、めぐみちゃんはしばらく僕を見つめたあと、軽く目を伏せる。


「あのとき……」


 あのとき?


「――ちゃんがね、何を言ってるのか、わたしは聞こえてた」


 事故の時のこと?

 あの後、女の子がどうなったのか、どれだけ思い出そうとしても無理だった。あんなにショッキングな出来事だったのに。あんなに真っ赤だったのに。彼女が二度と学校へ来ることがなかったことだけは覚えている。


「何を言ってたの?」


 できるだけ他人事のように、なんでもないことのように聞いた。


 めぐみちゃんは近づくと、僕の耳元で囁いた。


「次はおまえだ次はおまえだ次はおまえだって……」

読んでいただきありがとうございます。

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― 新着の感想 ―
良いですねー。  最後のオチに持っていくまでが全てという構成。  最後の最後で暗転するような締め方。  そして訳がわからい  これぞ怪談と言った構成でいい感じでゾッとできました。  夏にはこういうのも…
放課後の教室、淡い青春の記憶だから、"名前の思い出せない女の子"だと思って読み進めました。 顔も髪型も思い出せない。 この女の子の顔がないことで、ラスト、よりぞっとしました……
うおおお… これは恐ろしい……
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