2.王子の誕生と呪い
戦争が回避されてから数年後、お妃様が懐妊した。
国中がその事実を喜んだ。
国全体がお祝いムードで慶事を喜んでいた。
戦争になるかもしれなかったということは国民も貴族も民も、ほとんどの人たちが忘れていた。
平和な国では穏やかな時間が過ぎていた。
ただ一人、夜露だけは日ごとに呪いに代わる魔法を抱えてそれどころではなかったけれど、それ以外のすべての民はその事実を喜んだ。
勿論王様もとても喜んだ。
二人に子供ができるのはこれが初めてだからだ。
王様とお妃様には長い間子ができなかった。
それゆえ喜びもひとしおだ。
夜露は日ごとに呪いに変わりゆく魔法の残渣を抱えながら途方に暮れていた。
別に国が亡びるほどの大量の対価が必要な訳ではない。
戦争を回避するために作った迷いの森の対価は王様が個人所有している宝石類よりも少ない対価で支払いが終えられるはずのものだった。
けれど、浮かれている王家からはなんの連絡も無かった。
夜露はもはや生活するのにも支障をきたす程呪いに変わろうとする魔法を制御することで手一杯だった。
それから数か月後、王子様が生まれたと知らせられた。
金髪がまるで絹糸の様で瞳はエメラルド色をしたとても美しい赤子だという。
喜ばしい知らせが国中に広がった。
夜露以外の国民は皆笑って、皆将来の統治者である王子の誕生を喜んだ。
王様は王子の誕生を祝うパーティを盛大に執り行う事とした。
国中の貴族、それから賢者と呼ばれる魔法使いがパーティに呼ばれた。
その中に夜露はいなかった。
夜露が招待されていない事を不思議がるものも、異議を唱える者もだれもいなかった。
誰ももう夜露の事は覚えていなかった。ただ、嫌われ者の魔法使いが辺鄙な場所で一人で暮らしているという事だけを皆が知っていた。
嫌われ者の魔法使いをおめでたいパーティーに呼ぼうと思う者はいないのは当たり前だった。
おめでたいパーティはこの国に必要とされているもの、能力の高いもの、人望を集めるものだけでやればいいのだ。
嫌われ者の魔法使いはそのどれにも当てはまらないとこの国のほとんどの人は思っていた。
* * *
誕生パーティー当日。
会場はとても華やかで、招待された人すべてがめでたい事実に浮かれていた。
宮殿で盛大に開かれたパーティは豪華に飾り付けられ、おいしそうなごちそうが並んでいる。
参加した人たちは誰も彼も皆、美しく着飾って王子の誕生を祝う。
幸せな雰囲気に会場全体が包まれていた。
迷いの森は相変わらず人を迷わせるが、馬車に札を貼ることで問題なく貿易をおこなう事も出来たし、観光に行き来することもできた。
出入国の管理もしやすくなったし、観光は特別感があっていいと評判になっている。
今までよりもこの国は良くなっている、と誰しもが思った。
王子が生まれてこの国も安泰だと誰しもが思った。
沢山の豪華な食事ときらびやかなドレス。
穏やかに微笑む貴族たち。
隣国が攻めてくる前と何も変わらなかった。
むしろ生活には余裕がある。
和やかな雰囲気の中で生誕パーティは進んでいく。
「それでは、私は富を」
ある魔法使いが、一人歩み出て王子の前で呪文を唱える。
彼女の持っていた綺麗な髪の毛の束が、一瞬で跡形もなく消える。
彼女の後ろには何人も何人も魔法使いらしき人々がずらりと並んでいる。
この国では王族が生まれると決まって魔法使いから“祝福”を受ける風習があった。
魔法使いが持ち寄った対価で、王子に簡単な魔法をかけていく。
少しでも賢く、美しく、豊かに。王族の素晴らしい未来を願って魔法をかけていく。
それは魔法使いの力の強さによってさまざまな願いになるが、ある程度の強制力をもって働く魔法となって、王子に降り注ぐ。
富をと魔法使いが祝福を与えれば王子は一生富を得ることができるし、美貌をと言えば元々持っている美貌が崩れにくくなる。
昔からそうやって魔法使い達は王族に祝福を与えてきた。
今の王様も生まれたときにたくさんの祝福を与えられている。
そうやって魔法使いが一人一人並んで祝福を与えていっていた。
後十数人、となったところで、突然パーティをしていた広間の灯りが落ちる。
数秒後灯りは元の通り灯ったけれど、そこにはその場に似つかわしくない男が立っていた。
いつも通りの薄汚い黒いローブを被った魔法使い、夜露だった。
夜露の顔には脂汗が滲んでいる。
眉根は寄せられていて夜露は酷く苦しそうだ。
「以前使った魔法の対価をいただけなかったため、それは呪いになってしまいました」
夜露は静かに言った。
ここまでずっと対価の支払いはかけらほども無かった。
対価を払えなかった魔法は完全に呪いになってしまった。
もうどうすることもできない。
魔法を使った夜露自身にも、どうすることもできなくなっていた。
彼は今日まで呪いになってしまった魔法を、止めようとはしていた。けれど、何もできなかった。
呪いがどのような内容になるのか、魔法使いである夜露にも分からない。
夜露が呪いの種類を決めることもできない。決められたなら、あるいは楽だったのかもしれない。
誰にも迷惑をかけず、静かに呪いとともにあれただろうから。
「なるべく影響範囲が小さくなるよう今まで研究を重ねました。
それでも呪いはゼロにはできませんでした」
パーティーに呼ばれていた紅玉が、青い顔をして夜露に話しかける。
「国王様は対価をお支払いくださららなかったの!?」
夜露が黙って少しだけ困ったような笑みを浮かべた。
それが答えだった。
夜露の視線はもう虚ろだった。
夜露は今王子の生誕パーティーをしていることにも気が付いていない様子だ。
その位苦しそうに夜露はふらふらとしていた。
真っ暗な、闇の様にどす暗いものが夜露の体から流れ出る。
「ひっ……!」
お妃様の悲鳴が聞こえる。
「呪いは呪いとして、魔法を望んだものに返さねばなりません」
静かに、夜露は言う。
それが魔法を行使するということだ。
魔法を使う上での理だ。
夜露は大きく息を吐いてそして二人で並ぶ王様とお妃様に言った。
その声は淡々としていて、誰もが夜露を恐ろしいと思ってしまった。
人の心があるとは思えない声が王子の誕生パーティーに響き渡る。
『この王子は初めて恋をした瞬間、彼の時は止まるでしょう』
声は夜露の少しだけ低い声とは別物の禍々しい低い低い声だった。
「戯言を!」
と王様が言った。
宮殿の魔法使いが進言した。
「彼が言った事は本当です。
魔法は対価を払わないと呪いになって返ってきます」
青い顔で、そう王様とお妃さまに伝えた。
こうなってしまうと、宮殿の魔法使いにももうどうしようもない。
宮殿の魔法使いも、今の今まで夜露の存在を忘れていたのだ。対価のことなど覚えてはいなかった。
なんの対策もしてこなかった。
呪いを跳ね返す準備も、彼を封じる準備もしていない。そもそも対価を払いさえすれば済む話だ。
それでも何故王子に。
王子の誕生を祝うために訪れていた人々は思った。
迷いの森の事ならば森に、さもなければ夜露に命令した王様や大臣に呪いが返ればいいのに、何故生まれたばかりの何の関係もない王子に呪いがかかってしまったのか。
皆、その不条理に気まずそうな、そして嫌そうな目を夜露に向けた。
けれど、夜露が生まれたばかりの赤子を選んだ訳ではない。
恐らく呪いの発動した瞬間、王様も大臣も生まれたばかりの王子の事ばかり考えていて、彼らにとってその時一番大切なものが王子と呪いが判断したのだろうと、この場に集まった魔法使い達は分析をした。
けれど、夜露にとってまるで罰の様に、夜露が一番悲しむ呪いになってしまったと夜露は思った。
夜露自身が勝手に魔法を使ったということになって彼自身が消えてしまった方がよほどよかった。
それか迷いの森に入ると何か一つだけ荷物が減る。そんな呪いならよかった。
対価を払わなかった王様自身に呪いがかかれば、それでもせめて自業自得と思えたのかもしれない。
実際は生まれたばかりの何の罪もない王子に呪いがかかってしまった。
夜露はこんなことになる筈ではなかったと自分を責めた。
王様とお妃様は途方に暮れた。
このままでは王子はいつか時を止めてしまう。
時を止めるの意味は分からないが、明らかに死を意味しているとしか思えない。
どうしたらいいのかとパーティーに参加していた魔法使い達を見回す。
王子に祝福を与えるため列に並んでいた紅玉が、王子に歩み寄る。
そして、自分の指輪を外すと「魔法が変化してしまった呪いは、解くことはできません」と言った。
「夜露を恨んではいけません」
紅玉は王様にそう言った。
それからちらりと夜露を見た。
夜露はゼイゼイと大きな息をしたままへたり込んでいる。
「彼はここまで呪いが呪いとならないように抑え込んでくれました。
それに、普通であれば制御不可能な呪いがなるべく影響を与えないように努力してくれました」
「しかし!!」
王様は叫んだ。
愛するわが子が呪いを受けてしまったのだ。
こんなことになるはずではなかった。
嫌われ者の魔法使いは勝手に一人で呪いを抱えて死んでほしかった。
そう言いたげだった。
ものすごい憎悪の籠った目で王様は夜露をにらみつけている。
「彼に危害を加えてはいけません。
呪いが本来の形でもっと酷いものをまき散らすでしょう」
呪いとなった魔法を無理になんとかしようとすると、手ひどいしっぺ返しが来る。
それは昔々からの摂理だった。
ただ、それについての研究を魔法使い達は連綿と続けていた。
それでも、と紅玉は付け加える。
「呪いは魔法でそのものを解くことはできません」
けれど、それを少し捻じ曲げる事は出来ます。
――そう、彼がしたみたいに。
夜露はずっと呪いが不特定多数に悪意をふりまく様に広がるのを抑えていた。
けれど、生まれたばかりの王子に呪いをかけたいとも思っていなかった。
夜露は悔しそうに眉根を寄せる。
それをちらりと見た後、紅玉は王子に向かって囁くように呪文を唱えた。
「王子の時は止まりますが、王子のお名前の“野茨”が王子を守るでしょう。
そして、王子が恋に落ちた相手が王子に本物の愛を伝えると再び王子の時は進み始めます」
彼女が外した指輪が跡形もなく消えてしまった。
彼女のしていた指輪は年代物で大きく透明感のあるルビーがはめ込まれていた。
彼女の一族が先祖代々受け継いできた家宝だ。
それを捧げた上、魔法使いとして一生に使える魔法のほとんどをこの魔法につぎ込むものだった。
力を使い果たした紅玉は「私の力ではこれが限界です。他の魔法使いの力をお借りして、王子が愛を得られるようにしてくださいませ」と言って倒れてしまいました。
王様は愛する我が子に呪いをかけられたことを知って彼を八つ裂きにしてやりたくなったが、思いとどまった。
今度こそ王子が、この国がどうなってしまうのか分からなかったからだ。
王様は恨みのこもった眼差しでもう一度、夜露をにらみつけた。
その場にいた誰もが夜露に冷たい視線を投げつけた。
夜露という疫病神をどうしたらいいのか、この国のの誰にも分からなかった。
誕生祝のために、対価を持ってきていた魔法使い達が、彼が愛されるための祝福をしたが、いつか来てしまう呪いの時にそれが役に立つのか誰にも分からなかった。
対価になりそうなものを皆捧げて、予定に無かった魔法使いも王子に祝福をした。
お祝いのおめでたい雰囲気はもう会場には全く無い。
パーティーはそこで中止になってしまった。
夜露は、大臣達で話し合って、城のはずれにある塔に幽閉される事になった。
昔罪を犯した人間が入れられたことのある、さびれてぼろぼろになった塔だ。
夜露は罪は侵してはいない。最初から対価が無ければそれは呪いになって降りかかるとわかっていて魔法を頼んだの王家であり、この国だ。
目覚めた紅玉が最後まで反対していたが、夜露にはもうそれはどうでもいい事だった。
何もかもどうでもいいことだった。
自分が嫌われ者だという事も、きちんと知っていた。
ただ静かに一人で一生を終えたかった。
城のはずれにあるその塔で誰からも忘れられて一人朽ち果ててしまいたかった。
誰かに嫌悪感をあらわにされるのも、にらみつけられるのも、もううんざりだった。
元々恩も無かった国だけど、この瞬間夜露にとって王国はどうでもいい国になってしまった。