殺人事件を起こした、元有名小説家の贖罪 ~第五章~
第五章
藤田は、自分の部屋の中で、どうしようもない虚しさに襲われていた。
ここまで、自分の過去を消し去りたいと思うことが今まであっただろうか?
出所してからというもの、様々な人から白い目で見られ、罵倒された。
しかし、ここに来てからは、宿の女将達から自分の過去について
詳しく尋ねられることなど一度もなかった。
ようやく、心の深い傷がほんの少しずつではあるが、塞がってきていたのだ。
それが、あの純粋無垢な娘に職業を尋ねられただけで、再び抉られ、さらに広がった。
あの娘の目には、職業を聞かれたぐらいで黙り込み、そのあと自分の言葉に全く反応しなくなった私がどのように映っていたであろうか。さぞかし、奇怪に映ったに違いない。この客はいったい何者なのだろうかと。宿に来てから、自分のことは一切話さず、部屋に閉じこもっているばかりで他人と少しも交わろうとしない、この男は…
それもこれも全て、自らが招いた結果だ。これからも、自らが犯した過ちの代償を一生涯払い続けることになるのであろう。
藤田が自らの人生を呪っているところへ、お幸が声を掛けてきた。
「夕食をお持ちしました。入ってもよろしいですか?」
「どうぞ。」
出来る限り、今の自分の陰惨な感情を表に出さぬよう、平静を装った声で返事をする。
「失礼します。」
お幸は雪見障子を静かに開け、部屋に入って来た。
入るとすぐに、机の上に料理を並べる。
その後、お幸はすぐには部屋から出ようとしなかった。
こちらを向いて何かを言いたげに、部屋の入口あたりに両膝をついて座っているのだ。
中々言い出さないので、藤田が促す。
「何か、言いたいことがあるのですか?」
「ええっと… ごめんなさい!
私の質問のせいで、不快な思いをさせてしまいました。どうかお許し下さい。」
正座して、深々と頭を下げるお幸。
それを見て、また胸に陰惨な感情が湧き上がってくる。
そこで唐突に藤田は気付いた。何故、お幸に素っ気ない態度を取ってしまうのかを。
自分はお幸に怯えているのだ。眩しすぎるのだ、お幸のその純粋さが。
彼女の清廉さを穢してしまうのではないかと怖がっているのだ。
彼女に自分の過去を知られたくない。だから冷たくあしらい、距離を置く。
そうすれば、傷つかずに済む。そうやって、いつまでも避け続けていれば…
「あの…、藤田さん?」
「ああ…、すみません。少し考え事を。」
「やはり、まだ怒っていらっしゃったのですか…」
「いえいえ、とんでもない。こちらこそ、お見苦しいところをお見せしました。誠に申し訳ない。」
藤田の方も、深々と頭を下げた。
「良いんです。私の方の配慮が足りなかったんですから。頭を上げてください。」
そう言われ、頭を上げると…
お幸は、にっこりと微笑んでいた。
それを見て、さっきまでの胸の痞えが嘘のように下りていく。
「では、夕食が終わったら呼んでください。片付けに上がりますから。」
そう言って、お幸は軽くお辞儀をして、階下へと戻っていった。
しばらくして、食事に手を付け始める。
雲に隠されていた月が明るさを取り戻すように、藤田の顔には穏やかさが戻っていた。
<次回に続く>