2.目指すものは一つ!
近衛兵たちが、じりじりと近づいてくる。王太子の命に従い、ミーティアの身を捕らえようというのだ。
その背後に立つラインハルトは、すでに婚約者——もとい“元”婚約者への関心は失せたようで、代わりに広間の端に立つ一人の女性を見つめている。
詰襟の、色あせた紺色のドレスを身に纏ったその女性は、視線に気づくと控えめに彼に微笑みを返した。
(……なんなのかしら? ラインハルト様とリーナの、あの目線でのやりとり。もしかして、二人は好き合っているのかしら? それで私が邪魔になって、こんな一方的な婚約破棄を? ————あぁ、だめよ。落ち着いて。今はそんなことを考えている場合じゃないわ。集中しなきゃ。もうアレが始まるんだから)
広間にかかる大時計をチラリと見ると、ミーティアは心の中で秒読みをはじめる。
(5、4、3、2、1)
ボーン……ボーン……ボーン……
思ったとおりのタイミングで、時計が昼の12時を告げた。
文字盤が上下に分かれ、なかから可愛らしい人形が外に出てきてダンスをはじめる。
城ができた当初からあるこの大時計は、一日に二度、午前零時と正午にだけカラクリが作動する仕掛けとなっている。
魔法使いが時計の中から出てきて、針に触れると、長針が王子に、短針が姫に変身して踊る——という趣向のこのカラクリは、生きているのかと紛うほどの細密な動きと、魅惑的な音楽とで見る者を虜にする。
これが始まると誰しも手を止めて、人形たちの束の間の逢瀬に夢中になるのだ。
ミーティアは、近衛兵たちの意識が一瞬、それに移った瞬間を見逃しはしなかった。
(——いまよ!!)
サッと素早くドレスをたくし上げ、くるりと後ろを向く。そして大広間にあるたった一つの扉へと向かって、全速力で駆けだした。
「なっ!?」
王太子や近衛兵、招かれていた貴族達は予想外の出来事に固まって動けない。
「お、おい! 待て!!」
ラインハルトがうろたえて声をあげるのを無視して、ミーティアは広間にいる人々の間を縫うようにして走り抜けた。
警備の兵士二人が行く手を阻もうとするが、この動きはすでに記憶済み。覚えておけばなんてことはない。軽く体を左右に振るだけで、かわす。
あまりに素早い動きに、兵士らの気力は削がれたようだ。彼らに与えられた職務からすれば甚だ怠慢ともいえるが、背後から再び追ってこようとする気配は感じられなかった。
(さあ、あと少し!)
前を遮る者は、もういない。ミーティアは更に走るスピードをあげた。
「えいっ!!」
自分を鼓舞する掛け声とともに、扉の隙間にむかって一気に足を滑り込ませた。
床との摩擦で、絹製の靴下が悲鳴をあげる。
多少破れた気もするが、今そんなことには構っていられない。
シュッッーーーッ
風切り音をたて、一陣の疾風かのようにミーティアは外へ出た。
(やったっ!! でも念には念を)
即座に振り返り、扉に取りつけられていた横木を滑らせて閂をかける。
(これで時間稼ぎができるはず!)
そして、すぐにまた駆け出した。
◇◇
実はミーティアが、ラインハルトに婚約破棄されるのは、これで《25回目》だ 。
といっても、酔狂な王太子が婚約破棄を何回も繰り返しているわけではない。
繰り返されているのは、まったく同じ瞬間ーー婚約破棄される場面ーーへの時間の巻き戻りだ。
ミーティアは知っている。
婚約破棄の次に待っているのは、城の地下にある牢屋への幽閉だということを。
そして、そこに一人やって来るラインハルトに、無言で喉元に剣を突きつけられることも。
だが、喉元に伝わる冷たい感覚に恐怖で目を瞑った次の瞬間ーーなぜか毎回、婚約破棄される場面に戻ってきてしまうのだ。
これは、なかなか……いや、相当に辛いものだった。
そもそも最初は、ラインハルトとの正式な婚姻の日取りを発表するからと言われて、大広間に呼び出されたのだ。
浮き立っていた心を折られ、さらに命まで奪われかける。これは、何度繰り返しても慣れることはできない。
さらにこのループは、いつ終わるのか見当もつかない。これで終わるのか、はたまた永遠に続くのか、それすら知れないのだ。
「……これがずっと続くなら、死んだ方がましだわ」
何回めかのループで、絶望してそう思ったとき、ある人の言葉が、ふいに頭をよぎった。
『困ったら探してごらん。願いがきっと叶うから』
(……そうよ! 『あの場所』に行けば、もしかしたら助かるかもしれない!!)
それからというもの、大広間から脱出することだけを考えてきた。
——でも、なかなか思うようにはいかない。
近衛兵に捕まったり、途中で貴族たちに取り押さえられたり、出入り口を守る兵士に羽交い締めにされたり……それはもう散々なものだった。
でも、不思議と諦める気にもなれなかった。
毎度決まって繰り返される人や物の動きを徹底的に覚え、逃げるための動きを考え、試す。
ーーーー何度も挫けそうになりながらも、それをひたすら積み重ねることで、次第に広間の扉に近づけるようになってきていた。
◇◇
(よし! ここまでは上出来ね。まだ誰も来ていないわ)
扉の正面にあった階段を駆け上がり、その先の廊下をひた走って角を曲がったところで、ミーティアは後ろをうかがい安堵した。
今回はとてもうまくいっている。ここまでたどり着けたのは初めてだ。
25回目にしてやっと遂げた快挙に、小さく拳を握って喜びを噛み締める。
ただ、こんな大きな城の中をたった一人で逃げるのは、さすがに無謀。逃げていられるのも、もってあと僅かだろう。
(それまでに、なんとか『あの場所』にたどり着かなきゃ……!)
目指すものは、ただひとつ。
この城にある、限られた人間しか立ち入ることが許されない秘密の場所。
通称「王家の庭」だ。