冬至 丸っこい柚子の香
男と別れた、付き合いは三年、もちろん男と女の関係。独身の大人同士、至って健全なるお付き合いをしていた。奴は結婚を考えていたのだけど、私の答えは
ノォォォ!NOー!を突きつけた。きっかけは柚子ポン酢。
「嫌いなんだよな、その香り」
「私はすきなの。冬は柚子の季節よね」
グツグツと湯豆腐が煮える音、霜月の終わり、からっ風が吹いた寒い週末、彼は私の部屋に来ていた。
「料理にいれるんじゃないから、別にいいでしょ、湯豆腐だよ?取皿に取るんだから」
「うー、湯豆腐も嫌いなんだよな、キムチ鍋とか、すき焼きならいいけど」
「二人で飲もう、ってそっちが言ったから、湯豆腐にしたんじゃない、板わさもあるし、それに肉食べたいって言われるの知ってたから、唐揚げ買ってきてるし、お腹空いてんのなら飯物だそうか?冷凍の焼きおにぎりあるよ」
「えー、白い飯ないの?唐揚げ、スーパーの惣菜だよね」
「仕事が少し立て込んだから、作る時間が無かったのよ、それに揚げ物食べるのあんただけだし、それなら買うほうが安い、ご飯もそう、私は飲んだら食べないもん」
あー、疲れた、仕事帰りにスーパー寄って買い物して、帰るとピンポーン、いらっしゃいって笑って。ビール出して、そしてコレ……。嫌いなら帰ってほしいな、とその時思った。
気まずい中でグツグツ煮え立つ音、すが入るので火を止めた。その時カチリと私の中で何かが止まった。
黙って唐揚げを食べてビールを飲む奴に、さっさと食べて帰って、と豆腐をすくいながら話した。持ち帰りの仕事あるからさ、って適当に嘘をついた。
それから、師走に入ってまなしにプロポーズされたけど断った、ムリだな、って気が付いたから。どうして?と喰い付いて来たけど、どうにもならないからって、消えた火は、もうつかないのがわかっていた。
ムリして一緒になったとしても、箸の持ち上げさえにも、私はきっと苛つくに違いない、楽しく暮らせないのが見えていた、女はそんなもの。
――スーパーに寄る、冬至の夕に、赤いネットに入った風呂用とテープに書かれた柚子を買う、パックに入っている食用のと同じ物だけど、コレは大小様々、傷物。でも柚子には違いない。
女ひとりの気楽な宴にしようと、前から考えていた。別れた男は、大晦日やクリスマス、ハロウィン、花見は楽しむが、その他は鼻にも引っ掛けない、今思えばつまらない野郎だった。
鮮魚コーナーで鱈が出ていた。しめじと合わせよう、帰り道のコンビニでおでんの大根こんにゃくだけ買おう、酒は焼酎があったな、と考えて手に取ると、イカの刺し身の半額を見つけた、それもカゴに入れてレジに向かう。
部屋に戻る。浴槽にお湯をはる。ボタンひとつで便利な暮らし、いっとき一緒に住んでいた、祖父母の家を思い出した、五右衛門風呂の古い日本家屋、柴を集めて風呂炊きを手伝った子供の頃。
裏庭に大きな柚があった。物干し竿で叩いて落とした。熱い湯にとぽんとぽんと落とすと、プカプカ泳いだ黄色の丸いそれ。香りがもうもうとした中にこもった。
鱈はしめじと濡らした昆布を敷いた耐熱皿に入れ、酒をふりレンジでラップをふありとかぶせてチン。それだけ、あとは湯を沸かすだけ。ボタンを押せばいいだけにしておく。
柚子を洗い笊にあげる、赤いネットの特売品、思ったほど沢山入っていた。いくつかを食べる用に使う。半分にする、スライスする、果汁を絞る。
風呂に入れるのに二つ三つほど取り置き、残りはそのまま置いて少しずつ使おうと思う。キッチンに広がる独特の香りは冬の訪れ。旬の匂い。
お湯張りが終わる知らせを聞く、とぽんとぽんと狭い湯船に入れて蓋を置く、昔の様に湯の上に、プカプカとたくさん浮かぶほど贅沢は出来ないけれど、狭いのでこれで十分。
脱衣場で脱ぐ、ふう!身体の拘束が解ける。パンストをするりと脱ぐ、セミロングの髪をまとめていたバレッタを外す、ドアを開いてバスタイム。
飲むと面倒くさくなるので先に入る、蓋を開ける、ふうわりと鼻に届く柑橘の香り、胸に吸い込むと、ぷかりぷかりプカプカ浮いている湯に入った。
あー!幸せ、気持ちいい、ゴツゴツとしたそれを手に取る、風呂から上がるのが楽しみ、さてコレをどう使うか考える。
蒸し物に柚子ポンをかけて、おでんには果汁を味噌にいれ、そこに味醂とゴマ入れて混ぜたの、一味唐辛子を入れよっかな、イカの刺し身はエクストラバージンオイルをひとたらしに岩塩、それと果汁と柚子の皮でドレッシングを、お湯割りにはスライス。
完璧だぁ!と両手でデコボコの丸っこいそれを包みながら、ぶくぶくと沈んでみる。香りが染入る様、フフフフお前の嫌いな匂いだよ、私の大好きな香りだよ!
…………今はショックなのか、一切連絡をしてこない彼、代わりに奴との共通の友人が、あれこれ言ってくる。面倒くさいから、年明けには引っ越しをして、携帯も変えようかと考えている。
「良い子見つけなよ、籍入れて無かったんだから、バツつかないし、私は私で好きにするから、さ!」
はうぅ、いい香り。さて、髪を身体を洗いもう一度ゆっくりと温まろう、柚子の香をまとう湯上がり、そして女独りの宴を始めなきゃと、じゃぼんと湯船から出るわたし。
終。