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第三話 ウサギ酒

「元気そうで安心した。」

「って、週一で連絡してるよね。」

 ちゃぶ台でお茶を淹れながら塩沢真紀(しおざわまき)は苦笑する。

 畳の上に足を伸ばした菅谷那海(すがやなみ)は「ちがうちがう」と手を振る。

「生は別!」

「生って、生鮮品扱い?」

「そんな感じ。」

「間違って保冷バッグに入れないでよ。」

「それ、いーね。」

「相変わらず意味不意だなぁ。」

「そお?インスタレーションできると思うけどなぁ。」

「却下!」

「えー!」残念、と言って彼女はお茶をすする。

 明るい色のウェーブのかかった長い髪に、ナチュラルカラーのネイル。華やかな服の似合う友人は、万年ジーンズの真紀とは正反対もいいところ。作る物もそんな感じだが、どういうわけか学生時代から気が合って、卒業後もこうして時折会っている。

 今日も頼みごとついでに「同居人が不在なので泊まりに来ないか」と持ちかけたら、すぐに「つまみ持ってくねー」と乗り気の返事が来たのだ。

「シオマキに会いたいなぁって思ってたから、連絡くれて嬉しかった。」

 それが忌憚ない言葉なのは、七年越しの付き合いでわかっている。

葉月(はづき)さん、大阪行ってんだっけ?」

 従姉で同居人の葉月が勤めていたかつての会社、今はクライアントが関西に引越し、ときどきお呼びがかかることは那海も知っている。

「ついでに伯父さんに会ってくるみたいだけど。」

「伯父さんって葉月父?」

「うん、名古屋にいるから。」

 葉月が母を亡くしたのは中学間もないとき。仕事が忙しかった伯父は当時まだ健在だった妻の両親……葉月と真紀の祖父母に彼女を託した。その後、仕事で赴任した先で新しい家族を得たのは葉月が大学生、真紀が高校生の頃。再婚同士で互いの子供も大きかったので、あっさり子離れし別世帯になったのだ。

 仲が悪いわけではないが、特段良いでもない……というのが葉月の談。

「シオマキも親御さんと会ってる?」

「上京すると、うち泊まってく。」

 何しろここは母の実家でもあるのだから。

「だからきれいにしてるのか。」

「期待はずれで残念でしたー。」あはは、と真紀は笑う。

「で、これ。」那海は持ってきた大きな紙袋をずいっと押し出す。

「頼まれたもの。使えそうなものだけ使って。」

 中にはビニールに包まれた白い布らしきもの。

「こんなにいいの?てか重かったよね?」

「重かったよ~。でも残り布だし使ってもらえるなら嬉しいよ。使って。使って。」

「感謝感謝。」真紀は大仰に頭を下げる。

「じゃ、お礼にお酒出すよ。」

 真紀は台所に立つと用意してあったつまみ……半分は商店街で買ったもの、半分は昨日のうちに葉月が仕込んでくれたものを皿にきれいに並べる。

「やった!イカ刺し!」

「塩辛もあるよー。魚屋さんとこの自家製。」

「ああ、もう!だからシオマキ大好き!ウチの仕事場女子が多いからさ、飲み会っていうと横文字の店なんだよね。」

 おいおい、と真紀は苦笑する。

「あたしも女子なんだけど。」

「シオマキは同士だもん。」

 真紀から受け取った小皿と箸を並べる那海は、そう宣言しなければオシャレな店にいておかしくない。しかし、実は大の日本酒と焼酎党でしかもザル。それを知って恐れをなした男もいるらしい。

 真紀は冷えた日本酒と大き目の酒器をちゃぶ台に置いた。

「ぐい飲みにしては大きいね。蕎麦猪口?」

 灰色と白の混じったような薄手の器を持ち上げた那海は、その軽さに驚いた。しかも中を覗くと……

「やだウサギ~!」

 器の底に、シンプルな線のウサギが描かれている。立ち上がり、月でも見上げているのだろうか。もう一つの器を覗くと、こちらは、てろんと座ったウサギの後姿。

 どちらもお酒を注ぐと、ウサギがゆらりと揺れるのがまたいい。

 再会に乾杯して口をつける。

「ううーん。口当たりもよいし、お酒も一段と美味しい。」うふふ、と嬉しそうに箸を取る。

「少し前にウチで展示した作家さんの作品なんだ。あたしも葉月ちゃんもめんどくさがりだから、たくさんお酒入っていいかなーって。」

「アタシも欲しいなぁ。」

「ウサギ以外もあるよ。確か。」

 真紀は柿の種を口に放り込むと、ノートパソコンを引き寄せて開いた。登録していたホームページの一つを呼び出し那海に画面を向ける。

「表立ってネット販売してないけど、問い合わせすれば対応してくれる。なんなら取り次いでもいいし。」

「ホント?うわぁ。ラッコとか、いいなぁ。ビールグラスもあるんだ。でもやっぱり、蕎麦猪口いいなぁ。」

 那海はしっとり湿気を帯びた器を手に取る。確かに酒器としては大きいが、他の物を入れるのにも使えそうだ。

 散々悩んで、結局他のウサギの在庫がないか、あれば画像を送って欲しい旨のメールを真紀に送ってもらう。

「返事、来るかなぁ。」

「いろんな人に見て欲しいって言ってたから、対応してくれるよ。」

「他にもよさげな作家さんいたら教えて。」

「んー、クラフト分野の人はあんまり。これからそういう展示したいねって話してるけど。」

「つまり作るほうじゃなくて企画するほう、ってこと?」

 学生時代から己の作風があった真紀が、作る以外のことをすると聞いて驚く。

 そりゃあ、と真紀は焼き鳥をかじりながら笑った。

「作るのに専念したいけど、それだけじゃ難しいよ。商店街のイベントの企画も手伝ってる。」

「でも、作家シオダマキとしての依頼も来てるんでしょ。」

「それはたまたま……」

「出版社の仕事とかいってたよね?」

「作家本人からのオファー。」

「何の作家さん?」

「絵本作家。絵本に出てくる生き物を作ってほしいって。」

 元ネタの本は一階の工房に置いてきたから、とパソコンで作家のホームページを開く。

 ほうほうと那海は頷いた。

 確かに絵本や雑誌の挿絵などを手がけているらしい。優しい色彩と空想の混じった作風は那海も嫌いでない部類だ。

「プロフィールから察すると若くないよね?」

「んーでも見た目、うちの親世代には見えなかったな。絵描きっていうか、学者っていうか、学生みたいだった。」

「五十過ぎてそりゃないでしょ。そもそも、どっから来た話なのよ。」

「兄貴が仕事仲間にうちの店を紹介してくれたんだよね。で、その人がいっぺん展示見に来てくれて……」

 快活な女性だった。

 兄の昌尚とは会社の同期で、けれど今はそこを辞めて実家が経営する会社にいるのだと言っていた。ギャラリー巡りが趣味で、覗きに来たのだ、とも。

「ギャラリーカフェはよくあるけど、ギャラリー工房は初めて聞いたな。こういうの面白いと思う。」

 そう言って店の名刺を束で持って行った。その一枚が件の作家の手に渡ったらしい。

「作品を見せて欲しい」と来たメールに、葉月が了解の返事を出して会見に至った。そこで切り出されたのは、作家の本に出てくる生き物を作って欲しい、という依頼。

「来年原画展するから、一緒に並べたいんだって。」

「すごい!」

 本心から那海は言った。

「作品見た上でのオファーってことは、かなり本気だもんね。」

「そーなんだけど。」

「なんでいまひとつなの?」

「なんで、あたしなんだろうなーって。」

「ゴリ押しされたとか?」

 眉をひそめる那海に、真紀は首を振る。

 むしろ控え目だった。

 あくまで真紀の都合を優先してくれと言った。

「どうしても無理なら、断ってくれて構いません。」

「無理じゃないですけど、そのぉ、ファンが怒りませんか?」

 提示された原作本は絵本と童話の中間のような作品で、すでにシリーズ化して何冊か出ている。コアなファンもいるだろうし、その中には自分こそがふさわしいと名乗る造形作家とているだろう。

 そう懸念する真紀に彼は「そうかもしれませんね」と言った。

「でもぼくが必要なのは、ぼくの絵とコラボレーションしてくれる作家さんなんです。」

「それがあたし……ですか?」

「ええ。シオダさんの作品なら、ぼくのイメージをもっと広げてくれそうな気がするんです。」

 そんな大げさな、と恐縮する真紀に葉月がくすくす笑う。

「こういうものって、感覚ですものね。お気に入りの店とか、お気に入りの絵とか。」

「ええ。ぼくの中でシオダさんの作風はまさに、そんな感じなんです。ホームページの作品を見て、実物を見たいなと思いました。実際見せていただいて……」

「どう思いました?」

「受けていただけると嬉しいな、と思ってます。」眼鏡の奥の瞳が優しく笑う。

 真紀はかろうじて「ありがとうございます。」と言った。

 でもまだ正式に了承してないと言うと、那海は目を丸くする。

「そこは、がんばります!でしょーよ!」

「面と向かって言われると、裏があるんじゃないかって思うんだよ。」

 なに言ってるんだ?と言おうとして、那海は思い出す。

 真紀が会社勤めをやめたのがパワハラによるもので、その頃彼女に連絡しても全くレスポンスがなかったことを。

 昔はチャンスがあれば猪突猛進していた彼女が躊躇するのは、そのとき何かしらあったからだろう。

 あれから一年以上経ったというべきか、まだ一年ちょっというべきか。

「商店街の仕事と大差ないと思うけど?」

「この辺は小さいときから知ってる場所だから、安心して請け負えるんだよね。」

「大学も?先生の手伝い、してるんだよね?」

「ときどきね。」ふぅ、と真紀は息を吐き出す。

「もったいない話だってわかってる。でもどこかでなんか怖いな、って思うんだよね。」

 あれ?と那海は首をひねる、昔、これに似たことがあった気がする。うんうん、と眉間に皺を寄せながらお酒をくいっと呑む。

 酒器の中でゆらゆらとウサギが揺れる。

 なんだっけ?と心の中で問いかけてハッと思い出す。

「シオマキは……さ。」

「ん?」

「作りたいの?作りたくないの?」

 友人に真っ直ぐ見据えられて、真紀は目を丸くする。

 那海は続けた。

「無理に作るなら、やめたほうがいい。でも作りたいなら、作ったほうがいい。アタシはマキが作りたくて作った物を見たい。」

 えっ!と、と今度は真紀が額を指で押さえた。

「なんかさ、昔、同じこと言われた気がするんだけど気のせい?」

「なわけないでしょ!」

「あー!あー!そうだ、公募展だぁ!」うがぁと頭を抱える。

 締め切りに間に合わない、どうしようと悩む真紀に那海が言い放った言葉。

「作りたくないなら辞めちゃいなよ。」

 その後に言った台詞は今と全く同じだった。あのときは確か……

「締め切りに間に合わせて、ウサギ出したじゃない。」

 選外だったが、そのウサギは一階の工房にいまだ鎮座している。

 そうだ。

 あのとき、この友人が「見たい」と言ったから真紀は必死で仕上げたのだ。

「今回も同じだよ。要は作りたいか、作りたくないか。」

「あたしは……」

 真紀は那海が持ってきた紙袋をチラリと見る。試作のために普段扱わない素材を持って来てもらったのは、保険のようなもの……のはずだった。けれど素材を目の前にしたら、どう作ろうかと考えてる自分がいる。

 そう白状すると那海は「だろうね」と頷いた。

「あんたは気持ちより先に手が動くんだから。」

 反論できない。

「それに勘だけどこの作家さんの絵、シオマキに合ってると思う。一緒に並んだら、確かに世界観広がりそうな気がする。見てみたい、って思うもん。たぶん……この作家さん、当麻栄一郎(とうまえいいちろう)さんも同じ気持ちだと思う。」すっごく感覚的だけどね、と笑う。

 でもその感覚に何度も助けられたことを真紀は思い出す。

「ファンタジーな生き物、苦手なんだけど。」

「コモドドラゴンにコウモリ足せばいいじゃん。」

「そういうゲテモノは作る気ない!」

「優秀な営業に相談すればいいじゃない。」

「葉月ちゃん、遠慮なくダメ出しするもん。それに甘えてるみたいで……」

「使えるものは使え。使えるときに使え!」

「出た!ナミさま語録。」思わず笑う。

 でも、その通りかもしれないと思う。

「やって……みようかな。」

 呟く真紀に那海はニヤリと笑う。

「できる?」

「やる!」

 売り言葉に買い言葉。

 よぉし!と那海は真紀の器に酒を注いだ。

 改めて乾杯して傾ける。

 つと、顔を離すと、杯の中でウサギが笑ったような気した。

次回更新は2019年1月末の予定です。

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