第一話 春のヒマワリ
「ご予約の藤塚さん、ですね。」
はい、と藤塚由佳里は頷いた。
「メールでご連絡したとおり、基本料金は前払い。時間と材料に追加があれば、あとでお支払いいただきます。作業中の怪我はこちらの不備でない限り自己責任になります。と言っても……」
由佳里の不安な様子を察したのか、カウンターを挟んで向かい合う相手は微笑んだ。
「今日使うのはハサミとミシンとアイロンなので、日常生活の範囲ですね。」
「その、日常生活的な道具すら使うことがあんまり、なくて……」
カウンター、と言ってもシンプルな木製机……ただし足元が一段高くなっているので、座っている相手との目線は近く、その近さで相手は「大丈夫ですよ」と言った。
「ホントですか?」
「ええ。」と応えながら彼女は事務椅子をくるりと回転させ、背後に置いたプリンターの吐き出した紙を拾い上げる。
由佳里より少し年上だろうか。薄化粧に長い髪を頭の上でまとめた彼女は、由佳里の目を真っ直ぐ見上げてにっこり笑った。
「ちゃんと、うちのスタッフがサポートしますから。」
アサヒ工房、という名前から想像したのは薄暗い倉庫のような店。
けれどスマホを片手にたどり着いたその場所は、白い壁と木の床を基調とした明るい店だった。
駅と駅を結ぶ長くゆるい商店街……厳密にはいくつかの商店街がリレー式に繋がってるらしい……の中ほどにあるその店は細い道と商店街が交差する角地にあった。向かって右、角地に面したところはショーウィンドウになっていて、やや左にある入り口のガラス扉と、それを支えるタイル張りの壁面が昭和の面影を遺している。二階は別の事務所の看板が掲げられており、そちらの入り口は裏手の細い道に面しているようだ。中に入ると、店の真ん中に白い壁。外からは気がつかなかったが、店を二つの縦長空間に仕切っている。
扉を入ったすぐのこちらには場所は天井に設置されたピクチャーレールから額装された水彩画が下げられていて、奥にささやかな丸テーブルと椅子が置いてある。そういえば、店のホームページにギャラリー併設と書いてあった気がする。
受付は入り口近くの仕切り壁の一部を凹ませた場所にあり、店に入った者はもれなく風呂屋の番台よろしくその前を通過するのだ。
促されて店の奥に進むと、突き当たりの手前で白い壁の一部がぽっかり空いており、「工房」と染め抜かれた膝丈までの暖簾がかかっていた。
暖簾を払って中に入ると、一転して雑多にモノが並ぶ作業場。
由佳里が外から垣間見た大きな机が中央にあり、窓際には細長い机の上に姿形の違うミシンやアイロンや名前の知らない道具が並んでいる。
「おまちしてました。」
出迎えたのは化粧っ化のない若い女性で、由佳里より若い、二十代半ばほどと見受けられる。小柄だが華奢というより活発な印象で、色あせたジーンズに濃紺のニット、その上から「アサヒ工房」と店名の入った帆布のエプロンをしている。セミロングの髪をゴム留めし、なぜか額に絆創膏。
注視する由佳里の視線に気づいて照れたように笑った。
「棚から物取ろうとしたら、雪崩が起きちゃって。」
たんこぶができたのだと笑って説明する。
見れば一番奥にスチールの棚があって、ダンボールやプラスティックのコンテナがぎっしり詰まっている。更にその上にはビニールに包まれた反物と思しき素材の山も。
高校の美術室もこんな感じだったなと、由佳里は懐かしく思い出す。
「まったく。」
いつの間にカウンターを出たのか、受付の女性が傍らに立っていた。
「ちゃんと脚立使いなさいって言ってるのに。」
「いつもは大丈夫なんだけどな。」
「安全第一でやってね。」
「了解!では、こちらへどうぞ。」
指示されたスチールロッカーに貴重品を入れ、作業机の前に腰かける。
「今日お手伝いさせていただく塩沢真紀です。」
慌てて由佳里も頭を下げる。
「今日はミシンを使ってのバッグ作り、でよろしいんですよね?」
さきほど記入した申込用紙を見ながら、真紀は確認する。
「あ、はい。幼稚園で作るようにって指定されて……でも家にミシンがないのと、そのぉ……そういうの、やったことなくて。」
「そのための場所ですから。素材は持ち込みですよね?」
由佳里は頷くと膝の上に持っていたビニール包みを出した。包みの中には買ったまま開いてないキルティングの布と、ミシン糸、それに持ち手用の布ベルトが入っている。
作業台に広げたそれらを見た真紀が、首をかしげた。
「二人分?ですか?」
「甥っ子と姪っ子。双子なんです。」
うわぁ!と真紀は目を丸くする。
「そう来ましたかぁ!」
無理ですよ、と言われるのかと思いきや、彼女は笑顔でガッツポーズをする。
「じゃあ、二人のためにがんばりましょう!」
エイエイオー、と言い出しそうな勢いに由佳里は面食らう。が、次の一言で現実に戻された。
「ときに藤塚さん、裁縫経験は。」
「中学の家庭科以来。ミシンの糸掛けとか忘れてるし。」すみません、と肩をすぼめる。
「じゃあちょっと練習しましょうか。それから布の裁断しましょう。」
言われてミシンの前に移動する。
「今日は普通の縫い方が得意なミシン使いますね。」
「他になにがあるんですか?」
「この店にあるのはロックミシンと革……レザー用でしょ。あ!足踏みミシンもありますよ。」
「足踏み?」
「停電のときに便利です。たぶん。」
「たぶん、なんですね。」
「まだ実践したことないんです。ではこちらを使いましょう。」
心の中で「ひぇー」と泣きながら、由佳里はミシンに上糸を掛ける。渡されたハギレを置くと、恐る恐るフットコントローラーを踏んだ。
「なんか曲がりそう。」
「力まずミシンに任せれば大丈夫。」
そう言われても難しい。
思惑と裏腹に、押さえる手に力が入ってしまう。けれど何枚かハギレを犠牲にすると、どうにか「ひどく曲がらない」程度縫えるようになった。
「お、いいですね。じやあ本番、行きましょうか。」
由佳里が布にアイロンを当ててる間、真紀はプリントの数字を確認する。
「うん。大丈夫そう。」と呟くと、あらかじめ用意していた厚紙を由佳里に渡した。
「ええと……」
「型紙です。」
すでに用意されているのを見ると、由佳里のように切羽詰った人が他にも来るのだろう。
厚紙を定規にして線を引き、裁ちばさみの刃を布に差し入れる。
ジョキ。と、小気味よい音を立ててハサミが布を裁つ。
ささやかな裁断だが、由佳里には失敗の許されない責任重大の作業だ。それにこんな風に手先に神経を集中させるのが久しぶりで、切り終えたときには深く息を吐き出してしまった。
「そんなに緊張しなくても大丈夫ですよぉ。」
「でも失敗したらどうしようって……」
「そんときはそんとき、どうにかすればいいんです。」
「どうにか、なるんですか?」
「どうにか、するんです。」
真紀はプリントをぴらぴら振りながら、
「だってバッグとして使えればオッケーなんですよね。ツギハギはダメ、とか書いてないし。」
「それはそうですけど……」
「デザインだって言い切れば、誰も気にしませんって。」
そんなアバウトでいいのか?
それにこのインストラクターは、どうしてこうも屈託なく言うのだろう。
少なくとも、由佳里の周りで失敗を「大丈夫」という人は少ない。というかいない。
かといって彼女がいい加減かというとそうでなく、作業のポイントポイントで「しなければならない」ことは的確に、そして簡潔に指導してくれる。ただその言い方が気さくでどこかのんびりした印象があるせいか、もっと堅苦しいことを想像していた由佳里は拍子抜けした。例えるなら、学生時代の先輩から指導してもらってるような雰囲気。
「じゃあミシン縫い、しましょう。」
最初はおっかなびっくり。
そのせいか、姪っ子用のバッグは時間がかかってしまった。しかも一度失敗して解いたので針の跡が気になる。
対して甥っ子用のバッグは思った以上に早く、綺麗に仕上がった。
「手仕事って習うより馴れろ、なんですよねー。」
言われて、その通りだと由佳里は頷く。
姪っ子用のバッグの針跡を指でなぞる。
「この跡、目立ってません?」
「気になります?」
「うーん、女の子はうるさいからなぁ。」
この布を選ぶときも時間がかかったと言うと、真紀は「そっか」と腕組みして眉間を指先で押さえる。
ややあって、パッと顔を上げた。
「目を逸らす作戦で行こう!」
ちょっと待ってて、と言うと奥のスチール棚からプラスティックケースを下ろす。
「オプションでこういうの、どうですか?」
そう言って作業台にぶちまけたのは、いろんな柄のワッペンだった。
「店じまいした手芸屋さんから譲ってもらったんです。ちょっとレトロっぽいけど、ワンポイントにちょうどいいんじゃないかな。」
色とりどり、いかにも子供が好きそうな動物や車、往年のアニメキャラクターもある。
あ、と由佳里は手を伸ばした。引っ張り出したのは……
「ヒマワリですね。」
「同じのもう一つ、あるかしら?」
「それ、いくつかあったはずですよ。」
真紀はワッペンの小山をトランプの札のようにかき回すと、下のほうから同じヒマワリを探し出した。
貼り付ける位置を決めると、アイロンを使って丁寧に接着する。
「なんか、上手く着かない……」
「糊が劣化してるかも。」
真紀は作業台の下の引き出しから接着剤を取り出すと、ヘラでさっと塗ってドライヤーで乾かす。その手際のよさに、由佳里は心底感心する。
「器用なんですね服とか簡単に作っちゃいそう。」
「服は学園祭で作ったことあるけど、苦手かなー。」
「そうなんですか?」
てっきり服飾の専門家と思ったが、違うらしい。
「あたしが作ってるのはああいうの。」
真紀は笑いながら、ショーウィンドウを目で示した。
そこに並んでいるのはカラフルな動物たち。
モフモフさはないが、どこかユーモラスな表情をしたぬいぐるみ、というより人形たちだった。
「あれ、作ったんですか?」
「はい。かわいい系はあんまないんだけど。」
確かに。
イグアナやナマケモノといった微妙な動物ばかりである。けれどどこかユーモラスで存在感があるそれらは見る人を惹きつける。大きさもさまざまで、小さい物は掌に乗るくらいから、大きいのは抱き枕ほどもある。
「すごい!」
「いちおー、作家名乗ってるんで。」
「人形作家さんなんですか?」
「といっても資格があるわけじゃなくて自称だから、微妙な肩書きなんですけどね。」
「でもギャラリーに作品置いたり……」
「それは定期的に。」
「イベント出たり。」
「あとは公募展出したり、ワークショップ開いたり。ときどきディスプレイの造形作ったり……もあるかな。」
「すごい!」
「こっちもすごい!一度に二つ完成!」
「あー、ちゃんと作れた。っていうか、よかったぁ……」
へにゃ、とその場に脱力しそうな由佳里の後ろから「できたの?」と声がした。
「あ、葉月ちゃん、見てみて!」
じゃーん、と効果音つきで机の上にきれいに並べる。
一つはオレンジがかった赤の花柄に、赤い持ち手。もう一つは空色を基調とした乗り物満載の柄にブルーの持ち手。どちらも黄色のヒマワリ付きである。
「あら素敵。」と、受付の彼女……葉月は微笑む。
「ヒマワリ、いいよねぇ。」
「お揃いって感じがしていいわね。他のと間違えることなさそうだし。」
言われてみれば、そうかもしれない。
「でも季節はずれですよね。」
「全然オッケーだと思うけどな。」
「それより、ずいぶん集中したから疲れたでしょう。」
それほどでも、と言いかけて壁の時計を見た由佳里は「ええーっ!」と声を上げた。
「やだ、もうこんな時間?」
自分の腕時計と見比べて、間違いでないことを確認する。
確かに途中で「延長でいいですか?」と問われ、「お願いします」と応えたが、まさか外がすでに暗いと思わなかった。
慌てて片付けと精算をする。
ビニール袋に丁寧に包んでもらった作品を受け取ると、「また来ます」と言って、脱兎のごとく店を後にした。
一ヶ月後。
平日の夕刻近くに現れた由佳里を、葉月は笑顔で出迎えた。
「今日はお礼と、コーヒー飲みに。この間、飲みそこねたちゃったから。」
手書きのメニューが気になっていたのだが、時間的にも気持ち的にも余裕がなく、心残りだったのだ。
「ありがとうございます。」と、言って葉月がギャラリースペースのテーブルに案内してくれる。
そこではじめて由佳里は彼女が長身の部類に入ることに気がついた。さらにフルネームが五十嵐葉月であることを知る。
「塩沢さんは?」
「もうじき戻ります。」
「展示、変ったんですね。」
「前回は近所のご隠居さんの水彩画。今月は近所のご住職の書です。意外に趣味人が多くて、見るのが楽しいんですよ。」
と、そこに大きな紙袋を両手に提げた真紀が戻ってきた。
「ただいまぁ!いやぁー重たい重たい。」
「お帰り。また仕入れたわね。それとお客さま。」
「あ、藤塚さん!」
ぺこん、と由佳里は頭を下げる。
「先日のお礼にきました。」
由佳里は無事に入園式が終わったこと、そして双子の甥と姪が件のバッグを毎日使ってることを報告する。
「二人ともヒマワリのワッペン、物凄く気に入ってくれたんです。」
「ヒマワリ好き?」
「八月生まれなんです。」
由佳里はスマホを出すと、幼稚園の制服に身を包んだ双子の写真を表示させる。
「こっちの男の子が日向、女の子が葵。」
あ、と葉月が驚く。
「……ヒマワリ、だ。」
「え?え?」と真紀が目を丸くする。
しょうがないなぁと呟いた葉月は、カウンターの上から自分のスマホを持ってくると変換した文字を真紀に見せる。
「ヒマワリって漢字で書くと、こうなるの。」
その字を見た真紀も「ああ!」と納得した。
「順番違うけど、日向と葵で、向日葵なんだ。」
はい、と由佳里も頷く。
「だからヒマワリは二人の花なんです。」
「なぁるほど~。」
「姉が好きな花でもあるんです。ホントは人に見せるなって言われたんだけど……」由佳里はスマホを操作して別の写真を見せた。
そこに映っているのはスーツ姿の女性。ただし……
「松葉杖?」
「このときまだギプスしてたから、写真撮るの嫌がったんだけど……」
いわく、雨の日に滑って転んであっさり骨折し、数日前にやっとギプスが取れたのだと言う。
「バッグも本当は姉が作るはずだったんです。でも入院してそれどころじゃなくなっちゃって。」
手先が器用な母親が健在なら頼めただろうが、姉妹の母親は二年前に亡くなっており、かといってお金を出して人に作ってもらうことに姉はいい顔をしなかった。
「それで思わず言っちゃったんです。わたしが作ってあげるって。」
しかも義兄と双子のいる前で言ってしまったので、有言実行するしかなかった。
「姉はわたしが不器用なの知ってるから、ホントにできるの?って言われて。」由佳里は肩を竦める。
「意地でも作ってやるって思ったから、本当に助かりました。」
「一大プロジェクトだったのね。それで、お姉さまの感想は?」
「まぁまぁね、って。」
「キビシいなぁー。」うわぁ、と真紀が目を丸くする。
「お姉さま、自分ができなくて口惜しかったんじゃない?」
「かもしれません。」
そう言われてもバッグを使う当事者たちが喜んでいるのだから、由佳里としては腹が立つどころか、やったね、という気持ちのほうが勝っている。
「わたし、家族の中でずーっと不器用って言われてたんです。だからこういうのずっと敬遠してたんだけど、達成感っていうか……」
作業してる間は会社のことも嫌なことも、頭からすっぱり抜けてたし、あんなに長時間集中できたことに、自分自身驚いた。
「塩沢さんが、失敗したらそのときはどうにかするって言ってくれて、そういう考え方あるんだって目から鱗でした。」
「そういう考え方しか、しない子だから。」ごめんなさいね、と葉月は苦笑する。
「それ、あたしが考えなしに適当なことしてるみたいだよ?」
「作品作りに関しちゃ、当たらずとも遠からずでしょ。」
「それ以外は普通だよー。」
「真紀の普通は普通の人のちょっと変、だから。」
ひどっ、とむくれる真紀と容赦ない葉月のやり取りに、由佳里は笑った。
でもね、と真紀は真顔になる。
「藤塚さん、不器用じゃないです。作業に慣れてないだけ。それにオシャレセンスあるから、アクセサリーなんか作ったら、素敵なのできそう。」
「そういうのも、教えてくれるんですか?」
もちろん、と真紀は頷く。
「そのための工房ですもん。」
「でもこの場所、最初からそういう工房……じゃないですよね?」
ええ、と葉月が頷く。
「前はいわゆる町の洋品店。」
「あたし母親と、葉月ちゃんの母親の実家だったんだけどね。」
つまり二人は従姉妹同士というわけか。
祖父母が亡くなったのち、二人の仕事場兼、ワークスペースにしたのだとか。
「店で服の直しもしてたから、道具もずいぶん残ってたんです。処分したものもありますけど。ああ、でも店名は引き継いだんですよ。」
「アサヒって名前ね。洋品店じゃなくて工房だけど。」
「真紀ちゃんが譲らなかったんでしょ。その名前じゃなきゃやだ、って。」
「だって他に思いつかなかったんだもん。」
「昭和っぽくて、いいと思います。」
それに工房、という場所そのものも。
帰り際、由佳里はもう一度二人に礼を述べると、
「次はアクセサリー作り、教わりに来ます。」
「それは、」
「もちろん!大歓迎」
真紀と葉月の声が揃う。
そして笑顔。
「いつでも、どうぞ。」
「お待ちしております。」
久しぶりの投稿です&一話完結で4本ほど予定してます。
次回更新は11月末・・・あるいは12月に入ってしまうかも。遅れる場合は活動報告にてお知らせします。
今回もお付き合いいただければ幸いです。