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第98話 袁紹が洛陽を事実上制圧したか

 揚州を会稽郡を除いてはほぼ制圧した頃、弘農では皇甫堅寿が配下の兵や曹操が洛陽から脱出を手引きした妻子とともに俺のもとに下ってきたようだ。


「ふむ、皇甫堅寿と無駄な争いをしないでにすんで良かったな」


 賈詡は俺の言葉にうなずいた。


「もともと董将軍や私と皇甫将軍は并州で共に戦ったこともありますしな」


 董超も同じようにうなずいた。


「そうですな、弟(董越)もできれば戦いたくはなかったでしょう」


 場合によっては親子兄弟でも殺し合いになるような時勢ではあるが、なるべくならそういったことは少ないほうが良い。


 その頃、洛陽は袁紹配下の麹義率いる騎馬隊により攻撃を受けたらしい。


「ふむ、洛陽は曹(操)孟徳がうまくやってくれるであろう」


 それにしても麹義も涼州出身らしいが、出身が金城郡のあたりだと俺が小さい頃は縁がなかったし、俺が征西将軍地位についた頃には涼州にはいなかったのかもしれないな。


 史実の袁紹の軍においての活躍では、公孫瓚との界橋の戦いで大活躍するなど、おそらく袁紹軍では一番であったのだが、劉備などが関わっていないことから微妙にマイナーな人物でもあったりする。


 生涯を通して見ればおそらく袁紹に使えていた張郃の方が名声は高いのだが、袁紹が公孫瓚を打ち破り華北の雄となれたのは、麹義の活躍におうところが大きかったらしい。


 まあそれを鼻にかけて命令無視などを繰り返したために最終的には粛清されてるんだが。


「弘農と河東の守りを厳にするよう伝えよ」


「かしこまりました」


 しばらくして麹義は洛陽の守備隊を打ち破って落城させ、羌族などの兵士によって略奪の限りを尽くされ、女は犯されといった状況になったようだ。


「こうなると天子はどうなったかが問題だな……」


 しばらくして曹操が献帝や近習の者たちの救出に成功したという連絡が入り俺はホッとした。


 後漢の権威は失墜しきっているが、その復興を考えている豪族などは多い。


 なので体裁を整えるのは意外と重要だ。


 洛陽に残っていた皇甫酈は防戦の最中に討ち死にしたがその首は市にさらされているらしい。


 そして兗州の陳留郡から洛陽への帰途に着き始めていたらしい皇甫嵩軍は、洛陽陥落と天子の消息不明という報が届けられたタイミングで袁紹の本部隊により急襲されて瓦解したようだ。


 もっとも皇甫嵩の生死どころか消息も不明だが、何れにせよ皇甫嵩政権の瓦解は決定的になったな。


 そして揚州の会稽だが、劉繇や許貢(きょこう)、王朗らが降伏したようだ。


 朱儁も喪を開けて復帰するようだし、賀斉もそこへ加わったようだ。


 賀斉は当時は県長官の代理であったが、県の長官である斯従の悪事を明らかにしてそれを斬り、その一族郎党が県の役所に攻め寄せてきたときもそれも打ち破ったそうだ。


 やはりそういった真面目で軍事能力があるものが加わるに越したことはないからな。


「ふむ、揚州はこれで片がついたか」


 これで大雑把な勢力としては献帝をようする俺、幽州・青州の劉虞をようする公孫瓚、冀州・兗州の劉寵をようする袁紹とに勢力はほぼまとまったと見ていいだろう。


 交州には劉焉がいるけどまあ天下争覇の争いには加わらない気がするしな。

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