第65話 涼州の反乱は一筋縄ではいかないか
さて、益州の反乱をなんとか鎮圧したと思ったら今度は涼州で反乱が起きてしまった。
涼州は俺の地元でもあるし、親族となっているものも多い。
この頃冀州の皇甫嵩と盧植は、下曲陽で張角3兄弟の最後の1人である張宝を討ち、冀州と幽州の黄巾は降伏して東は無事平定されている。
南の交州でも刺史に任命された賈琮が、反乱の原因を調査し、反乱の原因が重税による民衆の困窮にあることをつきとめ、現在の強欲な太守や県令を罷免し、清廉な人物を改めて選んで太守や県令に任命し、反乱の指導者を処刑することを条件に降伏したものは命を助け、逃亡した民衆は呼び戻し、賦役を免除することを約束したので反乱は終息したそうだ。
結局売官による金だけは集めたいバカが、徴税権を持ってるのが問題なわけなんだ。
そしてそれは涼州でも同じだろう。
「益州は賈龍に任せて涼州に急ぐぞ」
「そうしましょう!」
特に益州出身組は真剣だ、下手すれば家族や親族が巻き込まれかれないからな。
どうも反乱を越したのは先零羌や湟中義從胡以外にも流民の集団の群盜も加わったようだが、北宮伯玉と李文侯以外の涼州義從の異民族である宋建や王国であったらしい。
つまり、最初はほとんど異民族による反乱だったんだな。
宋建や王国はてっきり漢人だと思っていたよ。
最も馬騰のように母は羌族というハーフの場合もあるからなんとも言えないけどな。
で、そんな事になっているのに涼州刺史の左昌は、この非常時に手元にある本來は兵を集めたり武具を揃えたりするための数千万銭を着服した。
本来なら、蓋勳がそれを諌めて左昌は逆ギレして、蓋勳を最前線に送り出して、その結果蓋勳が敵を防いだんだが、俺が蓋勳などを俺の元へ呼んだから左昌はあっさり殺された。
反乱が起きたのに兵を集めるための金を着服するとかアホとしか言いようがないがな。
本来は韓遂はこの時期は涼州の県令で親友の辺章とともに会計の報告で洛陽に来ていたので、その際に大将軍の何進と面会して宦官を誅するように説得したんだが、何進はそれに従わず、彼らを早急に故郷に帰るよう求め、失望した彼らは実際に涼州に帰っていった。
で、韓遂たちが金城郡へ帰った時に、ちょうど先に記した異民族による反乱が起こって宋建・王国らが偽装降伏して辺章、韓遂を人質とし、宋建と王国は金城郡へと兵を進め蓋勳が金城郡を救援するように進言するが、左昌は聞き入れず、金城太守の陳懿は殺されてしまった。
これで隴西郡の政府は辺章、韓遂を反乱軍の主とみなし、さらに涼州の刺史の左昌は辺章、韓遂にそれぞれ千戸侯の賞金首をかけた。
これが宦官誅殺を提案されたことに対しての何進の口封じなのかはわからないが、それによって漢の元へ帰らないと決意した、二人は本来の名前である辺允と韓約と言う名前を捨てて辺章、韓遂と改名しているのだけどな。
このあたりはお尋ね者になったりして名前を変えた関羽や張遼などと同じだ。
結局は辺章、韓遂は北宮伯玉に脅されてなのか彼らを軍師として任命され後漢からは彼らこそが反乱を起こした張本人とされたのだが、実際は違うというわけだ。
ちなみに今の状況の辺章はこの時期は司隸弘農郡にある新安県の長である新安令なので涼州にはいない、ただ家族などは金城郡に残ってる可能性も高い。
俺たちは騎兵だけを先行させて涼州の武都から漢陽や隴西に全速力で移動して、まずはそれぞれの家族一族を保護した。
俺は母をまず第一に保護したよ。
「ふう、間に合ってよかった、です母上」
「ずいぶん久しぶりですね。
元気そうでよかったですよ」
ちなみに父は病でだいぶ前に亡くなっている。
あちこち移動している間だったので俺は父親の喪に服すこともしていないけどな。
また攻めてきている先零と戦いつつ投降を呼びかけた。
「この中には以前に段将軍と共に戦ったものもいるだろう。
重税や以前との扱いの違いが問題であればそれに関しては俺が中央にとりなすので、ここはおとなしく従ってほしい。
だが従わぬと言うならば斬る!」
「わかった、我々と家族の生活と安全を保証してくれるならば、従い戦おう」
「うむ、そうしてくれるならばありがたい」
おそらく段熲が中央に進出した後は、彼らは肩身が狭かったのだろうな。
そして、歩兵たちが追いつくのを待ってから、群盗や王国・宋建がいる金城へ向ったのだ。
「金城の賊徒を討つぞ!」
「おう!」