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紅里の風  作者: 泉 五月
第一章
39/55

7-4

 

「帰れ!」

茗野めいの様を返せ!」

「そんな事実はないと言ってるだろう!」

「じゃあ何で茗野様は姿を見せないんだ!」

「知らん!」


 外輪そとわの門を破り、辿り着いた内輪うちわの門の前では、押しかけた民衆と門衛との言い争いが続いていた。騒ぎに対応して増員された兵士は手に槍を持ち、その穂先を民衆には向けていないものの、横一列に立ちはだかり、先へ通す様子も見せなかった。その背後の内輪へと続く門は、固く閉ざされている。


「これ以上騒ぎを大きくするのなら、無理矢理にでも押し返さなきゃならなくなる。頼むから引いてくれ」

「何でお前たちが止めるんだよ!」

列佳れっかの兵士だろう!」

宋重そうじゅうの肩を持つつもりか!」

「そういう話ではない! 上は、そんな事実はないと言っている!」

「じゃああの噂は何なんだ! 何で使者は出てこない! 茗野様は!」

「だから知らんと言ってるだろう!」


 民と兵士、双方に苛立ちが見える。

 内輪の門に押しかけてから、すでに一刻は過ぎていた。

 何でこうまでして、粘るのか。兵が増員されたということは、門の内側にもこの事態は伝わっているはずだ。それほどまで、茗野を外に出したくないのか。だがそれならそれで、別の人間が事態を収めに出て来てもいいはずだ。なぜ、何の反応もないのか。


 朱夏しゅかは、群集のかなり前のほうまで来ていた。しかし、さっきまで高揚していた気持ちには、ここにきて焦りが混じり始めている。

 胸がざわついていた。時間が経つにつれ、より一層団結していく群衆の中で、朱夏はなぜかその雰囲気から自分の心が離れていくような気がしていた。確かに、冷静でいなければならないのだが、その状態は、冷静さとは違うものだった。

 思い通りに事は運んでいるはずだった。あとは茗野が出てくるのを待つだけだった。だけど。


(もしも――これでもまだ、茗野めいのを解放しなかったら……)


 その可能性が頭にちらついた時、ぞわりと、胸のざわつきがうごめいた気がした。

 人々の怒りは渦巻き、集まることで増幅され、今にも弾けそうだ。

 この大勢の群集の怒りの受け皿が、用意されないのだとしたら。

 もし――そんなことがあるのだとしたら。

 すでに生まれてしまった人たちのうねりは、一体どこへ向かうのだろう。

 後から来る人に押され、門を守る兵と押し寄せる人の距離はどんどん近くなっていく。その距離が、ほとんどなくなった時。

 一人の兵士に押し返された女が、尻餅をついた。すぐそばにいた男が、兵士を睨みつける。


「何するんだ!」

「そっちが押し寄せてくるからだろう!」

「女相手に手を上げるのか!」

「違う! 少し押し返しただけだ!」


 兵士は慌てて言い繕ったが、周りからは、次々と兵士を非難する声が上がった。


「もう我慢ならねえ……! お前らも、茗野様を閉じ込めてるやつらと一緒だ!」


 男が兵士の持っている槍に掴みかかり、奪おうとした。


「やめろ!」

「俺たちが争ってどうする!」

「お前らは宋重のやつらと一緒だ!」


 止める声とそれを打ち消す声がぶつかる。

 男を振り払おうとした槍の柄が、その横っ面を殴った、その瞬間。

 何かが、弾けた。


「てめえ!」


 最前列にいた別の男が、槍を持ったまま唖然としていた兵士に殴りかかった。それを止めに入った兵士が、さらに別の男に殴られる。一瞬後には、兵士と民が向かい合うそこここで、殴りあいが起きていた。どこかで女の悲鳴が聞こえる。


「……待って」


 目の前で起こった出来事に、朱夏の昂っていた気持ちは、冷水をかけられたように一気に冷めた。

 待って。

 これじゃいけない。

 ここまでする必要はない。

 もう少し待てば、出てくるはずなのに。茗野は、この門の向こうにいるはずななのに。


「早く……」


 出てきて。

 茗野じゃなくてもいい。

 葉楠はなんの使者でも、違う誰かでもいい。今ぴたりと閉じられた門を開け、この騒ぎを止めてくれるなら。

 門前の混乱は、どんどん広がっていく。


「早く!」


 しかし、門を睨んでも、その扉が開くことはない。その目の前で、人々が取っ組み合っている。血を流している。

 何で反応がないのだ。城の中にいる宋重そうじゅうの役人は、民が怒り、傷付いたところで、関係がないと思っているのか。群集をなだめるために噂を否定するでも、武力で鎮圧するでもない。門衛に相手をさせて、ひたすら関わろうとしないなんて。

 列佳れっかの役人は何をしているのか。るい王子は。自国の民が傷付けあっているのに、宋重の意向を無視して駆けつけられないほど、この国の役人は、累王子は、非力なのか。

 突然、ものすごい力で腕を掴まれた。


「ここで何してる?!」


 驚いて振り返ると、腕を掴んでいたのは矢己しきだった。


矢己しき……!」


 何で、こんなところに。

 突如現れた姿に驚いたがしかし、ここまでの騒ぎになれば、反宋はんそう軍から様子を見に来る人間がいたっておかしくはない。それでも、こんな大勢の人がひしめき合う中で、どうして矢己は、朱夏を見つけてしまうのだろう。


「ここは危ない。離れろ」

「でも」

「巻き添えをくらうぞ。第一、こんなことをしても肝心の茗野はいないのに」

「え……?」


 朱夏の腕を引っ張って、騒ぎから離れようとする矢己の横顔を見る。


「茗野は今、ここにはいない」


 矢己が言ったことが、すぐには頭で理解できなかった。


「何で……」


 いると言ったのは矢己ではないか。途斗ととではないか。下央かおうだって、そう言っていたのに。そこである可能性に気付いて、はっとした。


「嘘を……」


 みんな、自分に嘘をついていたのか。愕然と見つめ返すと、矢己が首を振った。


「違う。今はいないって意味だ。茗野はしばらく前から、宋重へ行っている」

「そうじゅう?」

「よりにもよって、そんな時にこんなことが起こるなんて……」


 苦々しくあたりを見回す矢己しきを、呆然と見つめる。

 頭がついていかない。

 何で。

 何で茗野が宋重に。

 何より、茗野がいないのなら。


「それじゃ、何のために……」


 何のために、この騒動を起こしたのか。

 何のために、ここに集まった人たちは傷付いているのか。

 朱夏の呟きに、群衆の外へ出ようとしていた矢己が足を止めた。


「お前、まさか……」


 見開かれた矢己の目に、自分の顔が映っている。


「この騒ぎを煽ったの、まさか……」


 ――お前なのか。

 矢己の口がそう動いた。声は聞こえなかった。矢己の声だけじゃなく、周りの怒号も何もかも、聞こえなくなっていた。

 人波を崩した何かが、思いきりぶつかってくる。腕を掴んでいた矢己が支えたため倒れることはなかったが、大きくよろめいた。ぶつかってきたのは、男だった。地面に倒れた男は、顔の下半分を押さえている。近くにいた女が、助け起こそうと膝をつく。男が背中を丸めて咳き込んだ。地面に赤い色と、何か小石のようなものが散った。口から手を離した男の手は真っ赤だった。転がった小石は、折れた男の歯だった。

 ふと、途斗ととの言葉が頭を過ぎる。


『――いつかお前のせいで、仲間を失うことになる』


「違う……」


 この人たちは、仲間じゃない。

 でも。

 傷付いていい人たちでもない。

 周囲を見渡すと、最初に手を貸そうとした女以外、もう誰もこちらを見ていなかった。門の前には兵士が立ちはだかり、槍の柄で容赦なく民を突き返している。だが民も民で、兵士に掴みかかっている者もいれば、槍を奪い取って振りかざしている者もいた。しかしその足下には、腹を押さえてうずくまっている者、腕を押さえた指の隙間から血を流している者、騒ぎの中もみくちゃにされ、立ち上がれずに頭をかばっている者がいる。

 すべての音が、くぐもって聞こえた。

 掴んだ腕を揺らし、まだ何か問い詰めてくる矢己の顔が怖かった。周りで起こっている出来事のすべてが、朱夏を押し潰そうとしていた。


 ここまで騒ぎがひどいものになるとは、思っていなかったのだ。こうなるよりも前に、宋重が折れると――事実を明かすか、隠したままでも、民を納得させるために茗野の姿は表に出すだろうと思っていた。それなのに、茗野はいない。騒ぎを治める人間も現れない。頑なに、知らぬふりを続けている。悪いのはやつらだ。こうなった責任は、やつらに――。


「おい! 聞いてるのか!」


 両肩を掴んだ矢己しきの鋭い声が、くぐもった音を引き裂いた。

 その目は、明らかに怒っていた。朱夏を非難していた。


(違う)


 違う。違う!


「あたしのせいじゃない!」


 身を捩って矢己の手を振り払うと、朱夏は駆け出した。押し寄せる人にもみくちゃにされながら、その波に逆らって走った。

 殴りあう人も、怒号も、土埃も。

 自分が引き起こした何もかもから逃げるように、ただひたすらに、走った。



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