7-1
「茗野様が城に閉じ込められてるって本当か?」
「茗野様って?」
「冠の茗野様だよ。お前も見たことあるだろ」
「ああ、よく城下に来てたあの?」
「そうそう」
「それが何だって?」
「閉じ込められてるって」
「何で?」
「さあ。みんなが噂してるよ」
「何かしたの?」
「茗野様が? 何を?」
「あの人が捕まるような悪いことするかね」
「じゃあ何で閉じ込められてるんだよ」
「そんなのわからないよ」
「誰かお偉いさんとでも喧嘩したのかね」
「あの人よりも偉いって、そうそういないぞ」
「それこそ、累王子とか」
「まさか。そりゃ姉弟みたいに育ったんだから、喧嘩くらいはするかもしれないけど、閉じ込めるなんて」
「じゃあ、城のお宝を盗んだとか?」
「盗まなくても持ってるだろ」
「違う違う。確か、茗野様が何かしたんじゃなくて、宋重のやつらの仕業だとか」
「宋重が? 今さらなんで?」
「俺が知るかよ。でも、城にはまだ宋重の役人がいるんだろ?」
「それでも何で、茗野様を閉じ込めることになるんだよ」
「知らねえよ」
「そういえば何年か前、あの人が反宋軍に手を貸してるって噂があったよな」
「あれ本当なの?」
「さあ……でなけりゃ他にどんな理由があるんだよ」
「やつらを怒らせるような何かをしたとか」
「茗野様が?」
「いや、あり得ない話じゃない。あの方は気が強いから」
「でも、怒らせたんだとしても、きっと理由があるに決まってる」
「もしかしたら累王子を支える茗野様が、目障りだったんじゃないか」
「目障り?」
「だってあいつらにとっちゃ、累王子は扱いやすいほうがいいから」
「味方は減らしとけってことか?」
「やつらならやりかねないよ」
「でも、茗野様が閉じ込められてるんなら、累王子が動くんじゃないの?」
「王子も動けないとしたら?」
「まさか」
「いくらやつらでも、王子にまで手出しはしないだろ」
「馬鹿、そもそもやつらは王様を殺してるんだぞ」
「それに、宋重は弟の祢主様を連れて行ってるじゃないか」
「祢主王子は今、おいくつになられた?」
「確か、十五くらいじゃ……」
「累王子を廃して、自分たちの考えを植えつけた祢主王子を列佳の王にするつもりじゃ……」
「そんな」
「だってそうしたほうが、やつらが支配しやすいだろ」
「そういえば、朴羊に宋重から来た人が住み始めてるって知ってる?」
「え? 何でだ?」
「わからないけど」
「だからあいつらは、この国を乗っ取るつもりなんだろ」
「累王子の味方を遠ざけて、祢主王子を王にして?」
「少しずつ自分たちの国の民を列佳に移して、いつか完全に自分のものにするつもりなんだ」
「じゃあ俺たちはどうなる」
「知るかよ」
「まさか奴隷?」
「宋重に奴隷制はないだろ」
「今はそんな問題じゃないよ」
「とにかく、茗野様だって」
「確かめてみるか」
「どうやって?」
「城で働いてるやつに聞いてみるんだよ」
「あたし、城に食料を届けてる知り合いがいるから、聞いてみる」
「外輪の冠のお屋敷に行ってみたらいいんじゃないか?」
「誰もいなかったって言ってたよ」
「本当に監禁されてるのかな」
「されてるとしたら、どこに?」
「わかるわけないだろ」
「ちゃんと食事はもらえてるのかな」
「食事まで抜く理由がどこにある」
「わかんないよ、やつらのやることだもん」
「大丈夫かな」
「誰か知ってるやついないのかよ」
「門衛に聞いてみる?」
「やつらが知ってるか?」
「あたしたちよりは知ってるでしょ」
「それよりももっと中で働いてるやつに……」
噂は瞬く間に広がった。朱夏が想像した以上に色んな方向に話は広がっていたが、それはその噂が確実に、城下の民の関心を得たという証拠だった。
噂が広まるのが早かったのは、かつて茗野が頻繁に城下に足を運び、民も茗野の顔を見知っていることが大きかった。茗野が城下に足を運んでいたのは、反宋軍との接触のためだと朱夏は思っていたが、人々の話によると、茗野はそれ以前、つまり宋重に支配される前から、よく城下を歩いていたらしい。その頃の茗野は、「私が見たものが、そのまま累の見たものになる」とよく言っていたという。つまり、王子の代わりに、城下を見ているのだと。尊大にも聞こえる言葉だが、それを聞いた城下の人々の多くは、茗野に敵意ではなく好意を抱いていた。そう思わせる何かが、茗野の人柄にはあったのだろう。朱夏にはそれがわかる。だからこそ、その茗野の噂に、町の人も口を閉ざしてはいなかったのだ。ノカの協力も得たことで、城下だけでなく、城内からも噂を流すことができたのが大きかった。
噂が広まるのと同時に、人々が知りたがったのはやはりその理由だった。朱夏が広めた噂の原形は、「冠の茗野が宋重の手によって城に監禁されているらしい」という、いたってシンプルなものだった。今あちこちで囁かれている理由は、すべて町の人が作り上げたものに過ぎない。中には、真相にかなり近いものもあったが。
「累王子の身代わり、宋重の役人との喧嘩、実は反宋軍のリーダーだったから……」
朱夏から聞いた町の人の噂を、ギイが呟いている。その手には、数枚の紙を持っていた。これから届いた商品の検品に立ち会うらしい。宜安の店の買い出しの前にギイの商家を訪ねた朱夏は、その後ろを歩いていた。
ギイの家の敷地は広い。自分たちが暮らす住まいはもちろん、訪れた商人たちが休む部屋や商談をする部屋がある建物、荷解きをする中庭や、集めた商品を保管しておく蔵、馬や荷車を止めておく広場など、とても個人の持ち物とは思えない広さだ。今日も最初に家のほうに足を運んだら、「ここにはいない」と言われて、ずいぶん待たされた。新たな荷を入れるために、蔵を整理していたらしい。今は父親がすべてを仕切っているが、いずれはこれらがすべて、ギイのものになると言う。
「ギイの言うとおりだった」
「何が?」
「理由は噂を聞いた人が、勝手に用意してくれるって」
ああ、とギイが相槌を打つ。
噂は監禁の理由の他にも、姿が見えないのはそもそも監禁ではなく、国外へ遊学に行っているからだとか、我が物顔で城内を歩く宋重の役人に嫌気がさして、領地の葉楠から出てこないだけだとか、実に様々なものがあった。
それでも、その中に茗野自身を貶めるものがないのが、彼女のすごさを表している。可能性を議論するうえで誰かが口にすることはあっても、他の誰かにすぐに否定されていた。いわく、茗野様がそんなことをするはずがない、と。それはひとえに、これまでの茗野の町の人に対する行いの結果だろう。
広まる噂に、人々はその真相を知りたがった。だが、それが大きなうねりとなって動き出すには、まだ何かが足りないようだった。なぜなら噂は噂であって、その実態を知る人間がいなかったからである。茗野が軟禁されている事実は、想像以上に限られた人間しか知らないらしい。そして知っているはずの反宋軍も宋重の関係者でさえ、表に出てくる気配を見せなかった。
信憑性のない噂が人々に与えるのは、暇つぶしの話題とぼんやりとした不安だけだ。この状態が続けば、いずれは噂自体が消えてしまうような気がした。
「やっぱり、監禁じゃなくて、殺されたっていう噂にしたほうがよかったかな」
ギイが、歩きながらチェックしていた商品のリストから顔を上げてこちらを見る。
「お前、可愛い顔して、結構ひどいこと言うよな」
「だって……」
「まあ、今の状態を見るに、噂に刺激が少なかったことは確かだけど」
丸めた紙で軽く首を叩く。
「ただ、今でさえ半信半疑なのに、さらに『殺された』って噂を流したところで、果たして信じるやつがいるかどうか」
じゃあ、どうすればいいのか。
答えは簡単だ。証拠があればいい。だが、その証拠を、どうやって示すかが問題なのである。
それこそ、茗野と仲がいいとされている累王子が出てきて喋れば、人々はすぐにでも信じるだろうが、朱夏が証言したところで、何人が信じてくれるだろう。城下の人にとって、朱夏は「茗野と親しい人間」ではなく、「どこぞの見知らぬ少女」である。
町の誰もが知っていて、「茗野と親しい人物」か、「監禁の事実を知っていてもおかしくない人物」がいれば。そしてその人が喋ってくれさえすれば、少しは事態も変わるのだろうが。
石畳が続く先の中庭で、商隊が荷解きをしているのが見えた。
「……ねえ」
「ん?」
「茗野は反宋軍に加わってるけど、茗野の家族はどうなんだろう?」
「家族?」
「葉楠の領主」
ギイは考えるように視線を浮かせた。
「さあ……どうだろうな」
「そもそも、知ってるのかな、茗野の家族は。茗野が捕らわれてることを」
かつては、頻繁に城下を訪れていたという。その後は、利布だ。朱夏の覚えている限り、茗野が村を長い間空けたことはない。つまり、葉楠にはずっと帰っていないことになる。茗野のやっていることを知った上で放っているのか、それとも何も知らないのか。知らないのならば、長期間の娘の不在の理由を、何だと思っているのだろう。家族ならば、この噂を絶対に放ってはおけないはずだ。
中庭に入ると、ギイに気付いた使用人がこちらに向かってきた。ギイが振り返って、丸めた紙の先を朱夏に向ける。
「悪いが、ここまでだ」
話はまたにしてくれ、と言うギイを、朱夏は引き止めた。
「ねえギイ、馬を貸して」
「は?」
「お金はちゃんと払うから。四日でいい」
宜安の店を手伝うことで、決して多くはないが、自分の自由にできるお金は持っていた。
「何するんだ?」
「葉楠に行く」
「は? 葉楠?」
「葉楠に行って、この噂を広めてくる」
思いついたら、いてもたってもいられなくなった。このまま何もしなければ、噂は噂のまま消えてしまう。それならば、少しでも事態が動く可能性のあることはやっておきたい。
自分一人が声高に叫んだところで、信じてはもらえないだろう。でも、茗野の身内が実際に動けば。城下の人々も、噂は本当なのだと信じるかもしれない。そうすれば、これまで黙って様子を見ていた人たちも、何か行動を起こすかもしれない。
葉楠は、万理から北東に二日ほどの距離だ。列佳の地理は大方、これまでの情報収集で頭に入っている。
「店はどうする」
「帰ってきてから怒られる」
朱夏の答えに、ギイは呆気に取られたように口を開けた後、吹き出した。
ひとしきり笑った後で、少し離れたところで二人の会話が終わるのを待っていた使用人を振り返ると、言った。
「おい、こいつが乗れそうな馬を一頭、連れてきてくれるか?」
「いいの?」
「ああ。ただ、金は後でしっかりもらうぞ」
すんなり受け入れたギイに、逆に戸惑う。
(――まただ)
利布を出てからというもの、ずっと不思議なことがあった。誰も、朱夏のやることを止めようとしないことだ。それは、朱夏にとって都合のいいことではあったが、ずっと不思議でもあった。なぜ、途斗も矢己も崔己も、朱夏のやることをことごとく止めたのに、今周りにいる人たちはそうじゃないのだろう。それとも、実はこれまで関わってきた人たちのほうが変わっていて――もしくは過保護で、下央やギイなど、朱夏のやりたいようにやらせてくれるほうが、普通なのだろうか。
しかし、それを問う前に、ギイが体の向きを変えた。
「それじゃ、無茶はするなよ」
「あ……ありがとう!」
片手を上げると、ギイはあっさりと離れていく。中庭に待たせていた荷駄の横で、商人や使用人たちと話すギイを見ながら、しばしの間、朱夏はそこに立ち尽くしていた。
「どうかしましたか?」
後ろからやって来た別の使用人に声をかけられ、我に返る。覗き込んできたのは、何度か見たことのある顔だった。
「多々儀様ですか?」
「え?」
「用事がおありなら、お呼びしましょうか?」
使用人がちらりとギイに視線をやったのを見て、その時初めて多々儀というのがギイの名前だと知った。
「あ、いや……ギイへの用事は、もう済んでて。今は、馬を……」
そう言っていると、先ほどギイに言いつけられた使用人が、馬を引いてこちらにやって来るのが見えた。その手綱を受け取って、礼を言う。立派な馬だった。さすが城下で一、二を争う商家にいる馬だ。
馬を引いて中庭を去りながら、帰ってきたら宜安に怒られるんだろうなとぼんやり考える。だが、それも仕方ない。店に帰っている時間も惜しい。自分には、やらなければならないことがある。先程感じた疑問を胸の奥に押しやると、朱夏はこれから自分がすべきことを考えることにした。




