6-5
「やってくれたな」
朱夏の顔を見て第一声、ギイは言った。
朱夏がノカに会った日から、五日が経っていた。ギイが店に来るのを待てず、朱夏は翌日すぐに家を訪ねたのだが、あいにくギイは父親の仕事について万理を出ていたのだ。おそらくノカが家に手紙でも出して、帰ってきたギイに朱夏がやって来たことを伝わるようにしていたのだろう。
仲間に囲まれて不適に笑ったギイに、怒った様子はなかったが、「やってくれたな」という言葉から、単純にいいことだとも思っていないことはわかった。
「飲み比べじゃまだ、当分勝てる気がしなかったから」
ここ数日ずっとギイを待ち構えていた朱夏は、そう返した。
周りが何のことだと興味を示す中で、ギイは「とりあえず飯な」と空いている席に座った。早く話をしたい朱夏にとってはもどかしかったが、他の人に聞かせる話でもない。他の卓からも呼ばれ、仕方なく普段どおりの仕事をして、ようやくギイと向かい合ったのはどっぷりと夜も更けた頃だった。ギイと一緒に店にやって来た仲間はとうに帰り、残るは入り口のそばで仕事場の親方の愚痴を言っている職人が二人だけだ。
今日もだいぶ酒を飲んでいながら、まったく普段と変わらないギイは、「ちょっと借りるぞ」と宜安に声をかけた。宜安は「いいぞ」とは言わなかったが、「駄目だ」とも言わなかった。ギイは構わず、朱夏に向かいの椅子を指差した。
「まあ、座りな。話の内容によっちゃ、協力してやる。お前はちゃんと俺の知ってるお前だと、ノカに言ってやるよ」
ギイの切り出しは、朱夏にとって意外だった。そう言うよりも前に、もっと嫌味を言われるかと思っていたからだ。
「……でも前は、勝負に勝ったらって言ったじゃない」
「そりゃ、お前が何も話さないからだ。会いたい人がいるってだけで、それが知り合いなのか恋人なのか、親の仇なのかもわからない。城に入ったお前がとんでもない悪事をしでかそうとしてるなら、手を貸す俺や、紹介するノカの身だって危なくなるんだからな。そんなやつに、簡単に協力するわけないだろ」
「悪事なんて……」
「じゃあ何だ。会いたい人ってのは誰で、何をするつもりだ。納得できる理由と目的なら、俺だって勝負なんかせずに協力するさ」
どうやらノカは、朱夏の会いたい人が茗野だということは伝えていないらしい。
「ノカは、あたしのことを何て?」
「探したい人がいるらしいけど、本当に俺の知り合いかわからないから断った。理由は聞いてないけど、もし本当に俺の知り合いで、探す目的がまっとうなもので、自分の主人に迷惑がかからないことなら、協力しないこともない、だと」
つまり、姉弟揃って考えは同じということだ。
「何だ、やっぱり言えないのか?」
「…………」
答えを待つ間に杯を煽ったギイは、中に酒が残っていないことに気付いて席を立った。朱夏には頼まずに、自分で宜安のところへ取りに行く。
ギイは、朱夏が宜安の店に来る前からの常連だ。少なくとも、身元はわかっている。おそらく反宋軍にも関わっていない。それでも今、話すのを躊躇っている自分がいる。
話しても協力してくれるとは限らないからか。だが、そもそも話さなければ協力は得られない。過去の失敗を知られるのが嫌だからか。だがそんな見栄に、しがみついている場合ではない。目的のためには、何でもする覚悟はできていたはずだ。恥をかくことくらい、何なのだ。そもそもそれだけのことをしてしまったのだ。
ギイが酒の注がれた杯と干し肉のかけらを片手に戻ってきた。椅子に腰を下ろし、最初の一口を飲んだところで、朱夏は口を開いた。
「……ここに来る前は、あたし、利布にいたの」
「利布? 利布って確か……」
「春に、宋重の兵士たちに焼かれた村」
「あー……そうだ。今年は取引が無理だって話してたのを聞いたな。村ぐるみで反宋軍を匿ってたんだろ」
「匿ってたって言うのは、ちょっと違う気がするけど……」
村の人たちはただ、一緒に住んでいただけだ。彼らが来たのを、拒まなかっただけ。それに、きっと村を焼かれた原因は、自分にもある。自分が、あの男を怒らせたから。
「その時、宋重の兵士たちに連れて行かれた人がいて」
「へえ」
「その人が連れて行かれたのは、あたしを、助けようとしたからなの」
「お前何か、ヘマしたのか。っていうか何だ、お前反宋軍なのか? その歳で?」
「違う。あたしは反宋軍じゃない、けど……反宋軍の残党を探してた宋重の兵士を、怒らせて」
「で、連れてかれたやつは、お前を庇ったから、連れて行かれたのか」
話が早い。朱夏は頷いた。
「で? そいつが今、城内にいるのか?」
「たぶん」
「たぶん、ねえ……」
ギイが視線を浮かせた。指に挟んだ干し肉を揺らして、しばらく何かを考えた後、朱夏に目を戻す。
「お前自身は、反宋軍じゃないんだよな?」
頷く。
「連れてかれたやつは?」
「…………」
「水を差して悪いが、そいつはもう、殺されてるんじゃないのか?」
「生きてる」
すぐに否定した。茗野は生きている。これからも、命の危険はない。それは確かに希望も混じっているけど、ある程度は事実だった。
「何で言い切れる?」
「そう聞いたから」
「じゃあ、お前にそう言ったやつに協力を頼めばいいだろう」
「してくれないから」
「頼み方が悪いんじゃないのか?」
「どう頼んだところで、協力してくれないから」
「ふうん?」
ギイは手首の先で持っていた杯を回した。理由を尋ねられることが嫌で、朱夏はギイの視線を避けるように、その中で揺れる水面を見つめる。
「お前は、そいつを助けたいのか」
ギイの問いかけに、矢己とのやりとりを思い出す。
「最初はそう思ってたんだけど。助けるのは……違うみたい」
「違う? 何が?」
「今助けても、その人のためにはならないみたいだから」
「じゃあ何がしたいんだ」
ギイが酒を置き、両腕を組む。
「会いたいの」
「は?」
「会って、謝りたいの」
それが、今の正直な気持ちだ。
「それだけのために、探してるのか?」
「あたしにとっては、大事なことなの」
茗野のことにけじめをつけないと、先に進めない。
ギイは組んだ自分の腕を、指先で叩いた。
「城にいることは確実なのか?」
「たぶん。でも、どこにいるかわからなくて」
「外輪か内輪かも?」
「外輪にはいないと思う。もしかしたら内輪の、それも城の中かもしれない」
「そこまでどうやって入るつもりだ?」
「だからそのために、お姉さんの協力が欲しかったの」
「ノカはただの使用人だぞ。それも外輪の屋敷の」
「それでも、あたしよりは詳しいでしょ」
「つまりは、城の事情に詳しければ、ノカじゃなくてもいいってことか」
「誰か知ってるの?」
「あてがないことはない」
じゃあその人を、と飛びつきたいのを堪える。ギイはまだ、協力するとは言っていない。
がたがたっと背後で椅子が鳴った。残っていた二人組の客が立ち上がり、宜安に声をかける。卓に代金の硬貨を置いて店を出ていく時も、二人はまだ親方の愚痴を続けていた。
ギイが腕を解き体を起こす。
「にしても、春に捕まえられて、まだ殺されずに城内に捕らわれてるってなると、相当な人物だな。誰なんだ?」
「協力してくれるの?」
茗野の名前はすでにノカには言っているから、焦らしたところですぐにわかることだが、まずは確約が欲しかった。
ギイは肩をすくめた。
「会いたいだけなんだろう? それなら別に、悪事でも何でもない。捕まってると言っても、手順を踏めば会える方法があるかもしれないしな。その代わりそういう方法が使えなかった場合、お前がヘマして捕まっても、俺やノカの名前は出すなよ」
釘を刺すギイを、薄情だとは思わなかった。当然の要求だ。「わかった」と頷いた。
「名前は茗野。冠の茗野」
「冠の茗野?」
ギイが聞き返した。
「……って、まさか、累王子の乳姉弟の? 葉楠の領主の娘のことか?」
「そう」
「そんなやつまで、反宋軍に関わってるのか……」
初めて茗野の素性を知った時は朱夏も驚いたが、ギイにとってもその茗野が反宋軍に関わっていることは少なからず衝撃だったらしい。
「そりゃあ、いくら宋重でも、下手に殺せないな」
下央も以前、同じことを朱夏に言った。その時はすぐに信じられなかったが、万理に来て、色んなことを見聞きするうち、その意味が朱夏にもわかっていた。
茗野が生まれた冠家というのは、元々は王家に連なる血筋であるらしい。先々代の王の妹が、王家を離れ当時の葉楠領主と結婚する際、それまでの姓に代わり、冠という苗字を賜った。茗野はその孫にあたるため、先々代の王は大伯父にあたり、未だ王位にはついていないがその第一継承者である累王子とは、はとこの関係にあたる。さらに茗野の母親は累王子の乳母を勤めていた。母親と一緒に城に上がることも多かった茗野は、累王子と姉弟のように育ったらしい。いかな宋重といえども、ここまで王家に近しい存在を、そう簡単には殺せないだろう。
「ギイは、茗野が城にいるってことは知ってた?」
「いいや。利布が焼かれたことは知ってたが、その時に誰かが捕まったって話は、それも冠の茗野だって話は、今初めて聞いたからな」
「やっぱり、伏せられてるんだ」
「まあ、冠の名前は誰でも知ってる。特に娘の茗野は頻繁に城下にも来てたし、俺ですら顔を知ってる。王家とつながりがある上、民の評判もいい。そんな人間を拘束してるとなれば、公表したところでいい感情を持たれないだろ」
「…………」
「どうした?」
ギイの問いに、すぐには答えられなかった。目の前に座るギイの顔を見ながら、注意は別のところへ向いていた。めまぐるしく、頭が回転し始めていた。
茗野が城に、万理にいることを誰も知らない。捕えられていることを知らない。それは伏せられているからで、伏せているということは、そうしなければならない理由があるからだ。その理由を、今ギイが言った。
「おい……」
「それ、広めたらどうなるのかな」
「は?」
「茗野が宋重によって、拘束されてるって」
「まあ……さっきも言ったけど、宋重にいい感情は持たないだろうな。でもそれ以上のことはないんじゃないか? 殺されたならともかく、拘束されたくらいじゃ、陰口を叩くくらいで暴動までは起こさないだろ」
「じゃあ、殺されたってことにすればどう?」
ギイの表情が止まった。
「そうすれば、騒ぎが起きるかな」
「……まさかお前、起こすつもりか?」
茗野が、民に慕われているのなら。可能性は、ある。
「起きなくてもいい。けど、起きそうになれば、それに対応しなきゃいけなくなる。茗野が生きてるって、証拠を見せなきゃいけなくなる」
「…………」
ギイがじっと、こちらを見つめていた。
「今まで、自分が中に入ることしか考えてなかったけど……あたしが入るんじゃなくて、茗野に出てきてもらうって手も、あるのかもしれない」
体の中がざわついていた。それは自分が城に忍び込むより、よほど現実的な方法のように思えた。




