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紅里の風  作者: 泉 五月
第一章
26/55

4-7

 

「具体的には、何か考えてることがあるの?」

「まだ……。でも、列佳れっかの兵士になったところで、今の列佳の軍備じゃ宋重そうじゅうとは戦えないし。それならいっそのこと、宋重に行ってみるのも手かもしれないと思ってる」

「へえ」


 予想していなかった手だったのか、微申びしんがわずかに眉を上げた。この考えを口にしたのは初めてだが、そばで聞いていた下央かおうは無反応だった。

 微申がおもしろそうに首を傾げる。


反宋はんそう軍に掛け合うでもなく、列佳れっかの兵士になるでもなく、宋重そうじゅうに行くの?」

「いっそのこと飛び込んでしまったほうが、弱点がわかるかも、とか……宋重が弱くなれば、今の列佳の力でも取り戻す隙ができるかもしれないし」

「でも、具体的な策はまだなのね」

「まあ……うん」


 兵士として志願するのか、どこぞの貴族の下働きにでもなるのか。まだ、何もかもが頭の中での試行錯誤の段階だ。

 しばらく朱夏しゅかの顔を見つめた後、微申びしん下央かおうを見上げた。


「……だってよ? 薄情なお兄さん」

「ああ」


 下央の反応はたった一言だった。


「それだけ?」

「それがこいつが考えた結論なら、別に俺に止めるつもりはない。……何だ?」


 微申びしん下央かおうを交互に見ている朱夏に、下央の目が向いた。


「いや……二人とも、反対しないんだなと思って」


 その反応を疑う気持ちが半分、そしてあとの半分は拍子抜けしていた。

 これまで朱夏の考えることは、途斗ととに、矢己しきに、村の人たちに、散々反対されてきた。下央だって付き合ってくれてはいるが、この考えを明かせば、何かしら言われるかと思っていたのだ。だって、自分で考えていることとはいえ、大それている。現時点で仲間の一人もいない自分が、国境を変えたいと言っているのだ。何の妙案もなしに、宋重に行くことさえ検討し始めている。

 しかし、下央の態度はあっさりとしたものだった。


「別に俺はお前の家族じゃないし、お前が復讐に走って死んだところで、困りはしない。まあ、お前にかけた時間が無駄になるってことは大いに癪だが。……そもそも。俺が何を言っても、やめるつもりはないんだろう?」


 下央かおうの問いに、朱夏しゅかは頷いた。


「じゃあ言うだけ無駄だ。お前はせいぜい死なないような方法を考えるんだな。もしあまりにも大それたことを言い出したら、忠告くらいはしてやる」

「素っ気ないわねえ」


 微申びしんが呆れたように口を挟む。


「そう言うお前も止めてはないだろ」

「だってこの子、目が本気なんだもん」

「じゃあ手伝ってやればどうだ」

「それはお断り」


 微申は両手を顔の横に広げた。


「まあ、あんたの願いが叶うかどうかは別にして、何にも考えてなかった時に比べたら、進歩かしらね?」


 微申びしんの言葉に、ほっとする。して初めて、まだ付き合いは浅いのにも関わらず、自分は微申のことが結構好きなんだなと気付く。思えばキスパに来て、一番長い時間を一緒に過ごしているのは下央かおうだが、一番言葉を交わしているのは微申かもしれない。 


「……さあて。じゃあ話も一周したことだし、あたしはそろそろ行こうかしらね」


 広げた両手を膝に置き、微申が立ち上がる。それを下央が呼び止めた。


「今年の冬は下りるのか?」

「しばらくしたらね。今年はもう雇い主が決まってるから。そっちは?」

「下りる」

「この子は?」

「それはこいつ次第だな」


 ふうん、と微申びしんは相槌を打つと朱夏しゅかに目をやった。


「じゃあ朱夏、頑張んなさいよ」

「うん。しばらく会えないの?」

「やだ。寂しい?」

「ちょっとだけ」

「かわいいやつ」


 微申は微笑むと朱夏の頭を撫でた。


「あんたが生きてれば、また会えるわよ」


 じゃあね、と言い置くと、微申びしんは一つにまとめた赤毛を背中に翻し去っていった。しばらく会えないと言った割には、いともあっさりと離れて行く。

 その背中が消えてから、朱夏は下央に視線をやった。


「……それで、何が、あたし次第なの?」


 少し離れたところに座る下央かおうは、手入れしていた長槍の穂先にふっと息を吹きかけた。


「もうすぐ、雪が降る」

「は?」


 確かに、キスパ山脈は毎年多かれ少なかれ雪化粧をする。これまで平地で暮らしていた朱夏は、雪が降ることは言われるまで頭になかったが、確かに近頃は随分と寒くなってきていた。

 しかし、それが朱夏の質問の答えとはどういうことだろう。


「雪が降れば、このあたりは全部真っ白になる。ひどい時は膝の辺りまで雪が積もって、山を登るのも下りるのも難しくなる。お前、冬の備えはしてるのか?」


 そもそも、雪が降ることさえ頭になかった朱夏が備えなどしているはずがない。首を横に振ると、下央かおうが「だろうな」と呟いて槍を地面に置いた。


「ここの冬は、平地の冬なんかとは比べ物にならないくらい寒い。お前みたいなのが準備もせずに冬を迎えたら、早々に凍死するぞ」

「準備も何も、何からすれば……」


 平地とは比べ物にならない寒さ。一体どんなものだろう。稽古中はどうせ暑くなるからと着ていないが、寝床に帰れば一応、かなりいびつではあるものの、毛皮をつないで作った胴着もある。今以上に寒くなったら、確かに眠るのには苦労するかもしれない。 


万理ばんりに行くか?」

「え……?」


 唐突な下央かおうの提案に、朱夏は瞬いた。

 冬の備えの話をしているのに、なぜ城都の名前が出てくるのか。


かん茗野めいのが気になってるんだろう」


 久しぶりに出てきた名前に、自然と背筋が伸びた。


(――茗野めいの


 朱夏しゅかが、忘れてはならない人の名前。

 下央について来たことは後悔していないが、自分のせいで捕まった茗野をそのままにしておくことは、朱夏の中でずっと気がかりになっていた。


 一度下央かおうに、茗野めいのがまだ無事かどうか、今どこにいるかを探りに行ってはだめかと頼んだことがある。下央の答えは否だった。最初に打ち明けた時と同じように、いかに宋重そうじゅうでも、貴族を簡単に殺しはしないこと、そしてその時の朱夏が行ったところで、おそらくできることは何もないことを告げ、助けたければしばらくは自分のことに集中しろと言われた。

 下央かおうの態度を冷たいとも思ったが、その数日後には、一体どこから仕入れてきたのか、茗野めいの万理ばんりの城内にいるらしいこと、自由ではないが完全な捕らわれの身でもないらしいことを教えてくれた。だからこそ朱夏も、五ヶ月もの間山から出ずにいられたのだ。


「もういいの?」

「何が?」

「前はまだ行くべきじゃないって言ってたでしょ」

「行くなとは一度も言ってない。行ってもお前が捕まるだけだと言ったんだ」

「同じことじゃない」

「まあ今回万理ばんりに行くとしても、余計なことはせず大人しくしているほうがいいだろうな」


 自覚はなかったが不満そうな顔をしたのだろう、下央かおうが釘を刺してきた。


「まだ仲間もいないお前が、一人で何ができる。せいぜい万理を見て、城下の道を覚えるくらいが関の山だ」

「道を覚えて何になるの?」

「さあな。いつか城下を逃げ回ることになった時、役に立つかもしれない」

「どうしてそんなことになるのよ」

「城から助け出すつもりなら、追っ手がかかるかもしれないだろう」


 そう言われると、言い返せない。


「でも、何で?」

「何がだ」

下央かおうは、あたしのやることには興味ないんじゃなかったの?」


 それなのになぜ、万理ばんりへ連れて行ってくれるのか。


「あっちに用があるから、そのついでだ。何もお前のために行くわけじゃない」


 それに、と付け加える。


「最終的にお前がどこで何をしようがお前の勝手だが、その結果何が起きても、手助けはしない。覚えておけ」


 そう言われたところで、怯むどころか朱夏しゅかの気持ちは早くも勇み始めていた。ようやく、ここから一歩踏み出すことができる。


「いつ出発するの?」

「お前がその気なら、明後日にでも」

「明後日?」


 かなり急な話だ。


「何か困ることでもあるか?」


 そう聞かれて考えてみたが、今の朱夏は身ひとつだ。困ることなど何もなかった。ただ、長い間留守にするのなら、出発の前に胡摸こもにだけは挨拶をしていこうと思った。



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