表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
紅里の風  作者: 泉 五月
第一章
23/55

4-4

 

 目が覚めると、枕元に置いていた剣を取り、外に出る。少し前まで寝起きは手ぶらだったが、一度無防備に歩いているシカを見かけ、もし武器を持っていたら、稽古後の疲れた体でわざわざ狩りに行く必要もなくなったのにと後悔してからは、少しの外出でも肌身離さず持つようになった。


 キスパに暮らすようになって二つ目の我が家である小さな洞穴から、近くの小川まで歩き、まず岩を並べて作った囲いに魚が入っているか確認する。入っていたら入り口に適当な岩を置き、とりあえず閉じ込めておく。後に、その魚がその日のご飯になる。入っていなかったらそのまま、顔を洗い、両手いっぱいの水を飲み干す頃には、残っていた眠気も完全に消える。


 利布りぶを離れ、下央かおうについて来た日から、五ヶ月が経っていた。青々としていた山は、今は枯葉も落ちきってどこか寒々しい。

 洞穴に戻って昨日の夜ごはんのスープを温めなおし(鍋は胡摸こもに古くなったものをもらった)、顔を洗った帰り道に見つけた山葡萄の実を食べてから、いつもの場所に行くと、そこにはすでに下央かおうの姿があった。


「早いね」

「お前が遅い」


 言いながら立ち上がった下央かおうが持っていたのは、長槍だった。


「それ、どっから持ってきたの?」


 初めて見る下央かおうの武器に尋ねると、「昔ここにいた兵士崩れが置いていった」と答えた。

 胡摸こもに引き合わされてからは、下央と過ごす時間がぐんと増えた。以前は昼までだった稽古も、今ではほぼ一日中だ。下央はたまに出かけると数日いなくなることもあるが、それ以外は付きっきりで稽古をつけてくれている。どこから調達してくるのか、湾刀、鞭、それに今日持っている長槍など、扱う武器も増えた。


 下央かおうが何も言わずに槍を構える。それで朱夏しゅかも、右手に持っていた剣の鞘を左手に持ち替え、腰を少し落とした。

 ある時を境に、下央との稽古の始まりに、「かかってこい」という言葉はなくなった。下央曰く、「どうぞ」「じゃあ行きますよ」と馬鹿正直に告げて挑んでくる相手がどれだけいると思う、ということだった。

 相手の気配を読め。話そうとしているのか、逃げようとしているのか、襲いかかろうとしているのか。相手がまとう空気や表情で、それを察しろと。だからたまに、姿を見せた途端、いきなり下央から打ちかかって来ることもあった。


 毎日が、あっという間に過ぎていった。どうやったら隙を作れるのか、それにはどう動けばいいのか。下央かおうと対峙し散々しごかれた後は、いくら疲れていようが食べるものを探さなければならない。そうなると今度はどうやったら獲物を仕留められるのか、そのためには何をすればいいのか、それには何がいるのかを考え、実行することの繰り返しだ。どの方角に何があり、どこが近道で、どこが危険で、どこまでなら自分の足で行って帰れる距離なのか常に考えることが重要だった。試行錯誤の末、使う道具や手段も増えることで、空腹で眠れない夜を迎えることはなくなったが、動物相手とは話が別で、下央かおうが相手となると、その力の差は、じれったいほどに縮まらなかった。


 ここへ来たばかりの頃は、まともに打ち合うことができなかった朱夏しゅかだったが、徐々に剣を持っていられる時間は長くなり、後ずさるばかりの状況も減り、日を追うごとに、毎回の稽古で負う傷は少なくなっていた。以前より剣を振るうのが楽になり、息が長く続くようになり、自分に闘う力が備わってきているのは実感できたが、相手をする下央は下央で、朱夏が力をつけるのに合わせて、繰り出す手数や力加減を徐々に変えているようだった。そしてまだまだ、その動きには余裕があるのだ。出会ったばかりの頃が三割だとしたら、今はせいぜい、六割くらいだろうか。はっきりと本人に聞いたことはないが、手加減されていることはわかる。というのも、朱夏と立ち合った後でも、下央はまったく息を乱していないからだ。


 下央かおうが片手で繰り出した長槍の穂先に絡め取られて、剣を取り落とした。拾いに行こうとして、足をすくわれる。膝をつくと即座に背後から槍が降ってきた。ほんのわずかな捻りで交わす。刃は潰しているものの、当たれば皮膚は裂ける。下央は剣を拾う暇さえ与えてくれない。

 振り向きざま右手で引っかいた土を巻き上げると、難なくかわされた。立ち上がり、腰の鞘を抜きざま首を狙うと、素手で止められる。


「鞘で人は殺せないぞ」

「気絶させるくらいはできる」

「どうやって?」


 掴まれた鞘を引っ張られた。体を反転させられ、背後から鞘で首を締められる。これじゃ気絶させるどころかさせられる。


「こンのっ……!」


 両手で首を締め上げる鞘を掴み、腰を折って背後の下央かおうを背負い投げようとする。すると下央は逆に自分から地面を蹴り、器用に体を捻って今度は真向かいに着地した。力づくで鞘も奪われる。奪われた鞘で横腹と膝を打たれ、足元がおぼつかなくなったところで鳩尾に突きを入れられた。尻餅をついたところで、額に一振り。


「っ!」


 くるだろう痛みに目を閉じたが、何もない。ゆっくりと瞼を上げると、振り下ろされた鞘は、頭上で寸止めされていた。


「どんな状況でも目は閉じるな。たとえ斬られてもだ。反撃の隙はいつできるかわからない」

「……わかった」


 鞘を放って返される。


微申びしん、暇なら代われ」

「え?」


 下央かおうの第三者への呼びかけに、朱夏しゅかは振り返った。

 すると、広場を囲む大木の一本の葉陰から、しなやかな動作で一人の男が飛び降りた。下央よりもわずかに背の高いその姿を、すでに朱夏も知っている。


微申びしん、いたの」

「いたわよ、ちょっと前からね。あんた短い間でずいぶん腕を上げたじゃない」

「そう?」


 褒め言葉に、つい頬が緩む。


「あら、嬉しそうな顔しちゃって」

「やめろ、調子に乗る」

「あいかわらずあんたは厳しいわね」


 下央かおうに返すと、微申びしんは首筋にかかる髪を払いながら、こちらへ近付いてきた。微申は顔も体もれっきとした男だったが、それに反して態度や言葉遣いは女性的だった。これまで周りにそういう人がいなかった朱夏ははじめ戸惑ったが、対する微申びしんの態度があまりにも堂々としていたため、次第にこういう人もいるのだと自分を納得させた。彼女がなぜそういう態度をとっているのか、いつからそうなのか、今でも朱夏は知らなかったが、微申びしんという人間自体は、慣れてしまえばとても気さくで話しやすい人だった。ちなみに朱夏しゅか微申びしんのことを、外見よりも中身から、「彼女」と識別している。これは今でも少し、迷うところではあるのだが。


 朱夏が落とした剣を拾うと、微申は刃についた土を払って持ってきてくれた。


「にしてもあんた、ずいぶん戦い方が小汚くなったわね。あ、これ褒めてるのよ?」

「利用できるものは片っ端から使えと教えてあるからな」

「それは正解ね。どんな手段にせよ、最後まで立ってたほうが勝ちだもの」


 微申びしんがにっこり笑った。

 キスパに来て五ヶ月。下央かおうにはまだまだ及ばないものの、朱夏自身はずいぶんと腕を上げた。そしてそれは下央だけでなく、時折ふらりと現れるキスパの住人たちの力も大きかった。最初のうちこそ誰にも会わなかったが、それは人がいなかったのではなく、全員が意図的に朱夏を避けていたからだった。下央が牽制していたのもあるし、そんなことをされなくとも得体の知れない少女に進んで関わろうという人間はいなかったからだ。ただ、狩りで獣の気配がわかるようになってきた頃には、朱夏も自分の周囲に人がいないわけではないことがわかっていた。たまにだが人が息を殺す気配が、どこかから自分を見る視線を感じることがあった。


 だが、実際に喋りかけてくる人はそういなかった。微申びしんは数少ないうちの一人だ。下央より一回り背が高く、肩より少し長い黒髪を、後ろで一つに結んで垂らしている。肌は日に焼けていて、長い手足は鍛えられ、決して細くはないのだが、身長の割には重たさを感じさせない。

 微申びしん朱夏しゅかの相手をおもしろがってしてくれた。たまにそれ以外の人も、下央や微申に連れられて相手をしてくれることがあった。彼らには、男も女も、歳も関係なかった。気に入るか気に入らないか、強いか強くないか、ここでの判断基準は実に明快だ。

 黒雀こくじゃくは、朱夏が想像していた集団とはだいぶ違っていた。というかそもそも、胡摸こもに初めて会った時に言われたとおり、集団ですらなかった。ここにいる人間は、ほとんどがみんな「個」だ。群れない。そして頼らない。手を組んで一緒に動くこともあるが、目的を果たせばすぐに別れる。それぞれが単独で行動し、山のいたるところを寝床にしているため、ここには村のようなものがない。二、三人で一緒に暮らしている人もいるらしいが少数派で、それもほとんどが家族などではないという。


 そんな中での唯一の例外が、胡摸こもの家だった。普段群れない彼らだが、唯一胡摸こもの家だけは彼らの寄り合い場所のようになっているらしい。一同に会することはないが、いつも誰かしらが立ち寄っている。下央かおうによれば、胡摸は誰よりも長くこの山に暮らしているらしい。そのせいか、ここでは身分の上下はないが、どうやら胡摸だけは少し特別な立ち位置のようだった。


 胡摸こもに引き合わされてからは三ヶ月になるが、朱夏しゅかはあの家以外で胡摸の姿を見たことがない。まずあの細い足でこの山の中を歩き回れるのかが疑問だった。が、外に出なければ食べ物も手に入らないのだから、もちろん生活できるだけの体力と能力は持ち合わせているのだろう。たまに狩りの獲物を差し入れたりすると、胡摸こもは代わりに傷薬や朱夏の知らない調味料をくれた。


「で? 迷子の羊ちゃんは、自分の復讐が何か、具体的なことはわかったの?」


 素手での組み合いを終えた後で、休憩を挟んでいると微申びしんが尋ねてきた。朱夏の斜向かいに胡坐をかいた微申は、髪をまとめていた紐を解き、口にくわえる。緩んでこぼれていた毛先をすくい上げると、再び紐を巻きつけ一つに縛った。


 微申びしんは朱夏がなぜここにいて、下央かおうに稽古をつけてもらっているのか、その理由を知っている。すべてを話したわけではないが、かつて宋重そうじゅうによって焼かれた村の出身で、復讐のために強くなりたいのだと大まかに説明していた。


 微申びしんの問いかけに、朱夏は「きた」と思った。

 実は数日前、今日と同じようにふらっと現れて稽古をつけてくれた後、微申びしんに聞かれたのだ。


「あんたの言ってる復讐って、つまりは実際に何をすることなの?」と。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ