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紅里の風  作者: 泉 五月
第一章
13/55

3-6


朱夏しゅか


 膝をついた途斗ととが、名前を呼んだ。その声には咎める響きがあったが、朱夏は構わず口にした。


「あんたたちは、あたしたちの暮らしをめちゃくちゃにしただけじゃない。反抗する組織ができるのだって、あんたたちに原因があるからでしょ! 何の不満もなければ、そんなもの最初からできるはずがないんだから!」


 感情の高ぶりと共に、声が大きくなった。


「朱夏」


 気付けば矢己しきが後ろにいた。朱夏の腕を強く引っ張っている。それでも朱夏は男を睨みつけたまま引かなかった。だが男のほうは、そんなものは意に介さない様子で淡々と返す。


「気をつけたほうがいい。そんな口をきくと、君も宋重そうじゅうをよく思ってない人間の一人だと思われるぞ」

「だったら何だって言うの」

「朱夏、やめろ。矢己」


 途斗が背後の矢己に、さっさと連れて行け、と顎をしゃくった。

 力を込められる前に、朱夏は矢己の手を振り解く。


「簡単に人を殺して、簡単に村を焼いて。証拠もないのに連行して拷問する。自分たちは何をしても許されると思ってるの?」

「やめろ、朱夏」


 途斗ととが声を低めた。

 途斗がなぜ自分に怒るのか、朱夏にはわからなかった。怒るのならこの男に怒ればいい。

 ふー、と傷の男が長く息を吐いた。


「宋重のやり方を教えよう」


 ぽつりと呟くと、膝をついていた途斗に向き直る。次の瞬間、その右手が唸った。

 がき、と鈍い音がした。

 殴ったのは男の拳ではない。ずっと脇に抱えていた兜だった。倒れた途斗の額から、赤い血が流れる。周りの人垣から悲鳴が上がった。

 男は血のついた兜をそばの兵士に放り投げると、今度は向きを変え大股に朱夏に近付いた。咄嗟に動けずにいると、男が固く握った拳を真横に振り払った。


「朱夏!」


 まともに裏拳をくらい、首が思いきり外を向いた。足がよろめく。その体を、矢己しきが支えた。


「犠牲は最小限に、だ」


 男が埃を払うように拳を開いた。その表情からはそれまでの柔らかい雰囲気が消え、冷酷な支配者の顔があった。


「そもそも、今お前は『簡単に村を焼いて』と言ったが、それは、今は亡きお前たちの王が、私たちの王の提案を拒んだからだろう。わざわざ犠牲を出す道を選んだのは、お前たちのほうだ」

「何を……」

「協力すればすぐに帰ると言っている。一人が行けばみんなが無事だ。いいことじゃないか」


 じんわりと熱を持ってきた頬に触れ、朱夏しゅかは到底賛同できない案を出す男に首を戻した。


「わかった、じゃあこうしよう。お前に先に死んでもらって、この男を連れて行く。犠牲は二人になるが、あとは幸せだ。悪くないだろう?」

「……あんたたちは、腐ってる」

「それも嫌か」


 やれやれ、と男が首を振った。


「どうやら、牧羊ぼくよう紅里こうりと同じ運命を辿りたいらしい」


 男が口にした故郷の名前に、心臓が揺さぶられた。

 懐かしい紅里。一夜にして、なくなってしまった故郷。


「犠牲を増やすのは俺たちじゃない。いつもお前たちだ」


 胸の奥の炎が、ゆらりと立ち上がる。

 熱い。

 かきむしりたくなる、焦がれるような熱さが。


「…………やる」

「朱夏、やめろ」

「何だ?」


 体を支えていた矢己しきが、痛いぐらいの力で腕を掴んだ。それでも、朱夏は止まらなかった。

 吐き出さないと、この熱さに耐えられない。

 迸る熱に、朱夏自身が、燃えてしまう。


「殺してやる! あんたたちなんか、絶対許さない!」

「いい返事だ」


 朱夏の叫びを聞いた男が、腰の剣に手をかけた。


矢己しき! さっさと連れて行け!」

「待ってくれ!」

「やめて!」


 悲鳴や怒鳴り声が響く中、矢己が朱夏を後ろから羽交い絞めにする。そのまま引きずろうとするのに全力で抗った。


「あたしを殺すって言うの? やってみなさいよ! あんたが斬ったところと同じところを、その剣を奪って斬ってやる!」

「待ちな!!」


 大音量が、その場を震わせた。

 騒然となっていた場のざわめきが、潮が引くように急に小さくなる。

 力のある声が新たなる脅威なのかそれとも救世主なのか、誰もが声の発生源を探し、そして、見つけた。

 全員の視線が集まる場所にいたのは、途斗の妻の茗野めいのだった。


「子供相手にむきになるなんて、宋重の男は思った以上に小さいね」


 腕を組んだ茗野は、すでに自分の相手を見定めていた。

 一方傷の男は剣を抜きかけていた手を止めて、茗野の顔をまじまじと見返す。


「あんたたちが探してるのは、あたしでしょう」


 茗野は言うと、腕を解いて騒ぎの中心に近付いていった。茗野が近付くにつれて、男の表情が変わっていった。


「これはこれは……こんなところに隠れてたのか。どうせならもっと早くに出てきてくれればいいものを」

「生憎、人見知りなんだよ」


 口の端から血を流している朱夏しゅかと、その後ろの矢己しきに目をやって茗野は言った。


「矢己、朱夏を早く連れて行きな。頭を冷やさせるんだ」

「茗野!」


 朱夏の抗議の声に、茗野は取り合わなかった。すでに体を起こしてはいたが、左の額から頬が真っ赤になり、右半身が土だらけになっている途斗ととに目を移す。


「あと、そいつを連れてったところで何も出てこないよ。村の人たちも何も知らない」

「その言葉を信じると思うか?」

「そもそもあんたたちに人を信じる気持ちがあるとは思ってない」

「これは心外だな」


 茗野の冷たい言葉に、男は喉で笑った。

 どうするかな、と楽しげに呟く。


「お前を連れて行ったところで、他の仲間が生きてたんじゃ意味がない。だが、この村を皆殺しにするのも、賢いやり方じゃない」

覇生はき王も、これ以上の火種を抱えるのはさすがにまずいんじゃない?」


 茗野めいのの言葉に、男は首を傾げる。


「どうだろう。だが、あの方は国を潰したいわけじゃないからな。殺しすぎて人がいなくなるのは困る」

「じゃあ、どうする?」

「…………」


 腕を組んだ茗野の問いかけに考える素振りを見せた後、男は途斗ととのそばに立つ兵士に顎をしゃくった。


「その男はいらん。こっちを連れて行け」


 兵士たちが今度は、茗野の両脇に移動する。それを見て、朱夏はまた激昂する。


「ちょっ……待ってよ! 茗野! 何でこいつらなんかに……!」

「朱夏、あんたは下がってなさい」

「茗野!」


 茗野が大人しく兵士に挟まれたのを見届けると、傷の男は散らばっていた兵士たちを集め、無造作にそれを二つに分けた。


「お前らはその女を連れて俺と来い。残りは村を焼いてから帰って来い。一軒残らずだ、いいな」


 男の命令に、村人はそれこそ火のついたような騒ぎになった。


「やめてくれ!」

「どうして!」


 連れて行かれることは了承した茗野めいのも、抗議の声を上げた。


「ちょっと! 村を焼く必要がどこにあるの」


 口々に叫ぶ村人を尻目に、男はそばにいた兵士から受け取った、血のついた兜をマントの裾で拭いながら言った。


「知っていたにせよ知らなかったにせよ、これはお前を匿っていた罰だ」

「村のみんなは関係ないって言ってるでしょ!」

「それはどうかな」


 兜をかぶり、部下が引いてきた馬にひらりと乗ると、男は馬上から騒いでいる村人を見渡した。


「いいか、宋重は寛大な国だ。……歯向かいさえしなければな」


 周りの騒ぎに落ち着かない馬をなだめ、続ける。


「次に何かわかれば、今度焼かれるのは家じゃなく、お前ら自身だということを覚えておけ」


 男は言い捨てると、馬首を返した。茗野を連れた兵士たちも、次々と従う。

 残された村人の多くは、兵士が動き出すのを呆然と見ているしかできなかった。


茗野めいの!」


 暴れた朱夏しゅか矢己しきの腕を逃れ、茗野を乗せた馬を追いかける。止めに入った兵士の一人を殴ろうとして、それを止めようとした矢己が加勢すると思われたのか、別の兵士に取り押さえられた。

 しかし、朱夏の心は痛まなかった。むしろ何で邪魔をするのかと矢己を詰った。さらに兵士が一人寄ってきて、朱夏を前後から挟んだ。

 やるつもりなら、望むところだ。手元に剣がないのが痛いが、仕方がない。ないのなら、目の前の兵士から奪えばいい。


 しかし、肩を掴まれて振り返った瞬間、鳩尾に重い拳が入った。急に息ができなくなり、気が遠くなる。

 狭まる視界に映ったのは、兵士ではなかった。額の半分が赤く染まった、途斗の苦々しい顔だった。



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