3-6
「朱夏」
膝をついた途斗が、名前を呼んだ。その声には咎める響きがあったが、朱夏は構わず口にした。
「あんたたちは、あたしたちの暮らしをめちゃくちゃにしただけじゃない。反抗する組織ができるのだって、あんたたちに原因があるからでしょ! 何の不満もなければ、そんなもの最初からできるはずがないんだから!」
感情の高ぶりと共に、声が大きくなった。
「朱夏」
気付けば矢己が後ろにいた。朱夏の腕を強く引っ張っている。それでも朱夏は男を睨みつけたまま引かなかった。だが男のほうは、そんなものは意に介さない様子で淡々と返す。
「気をつけたほうがいい。そんな口をきくと、君も宋重をよく思ってない人間の一人だと思われるぞ」
「だったら何だって言うの」
「朱夏、やめろ。矢己」
途斗が背後の矢己に、さっさと連れて行け、と顎をしゃくった。
力を込められる前に、朱夏は矢己の手を振り解く。
「簡単に人を殺して、簡単に村を焼いて。証拠もないのに連行して拷問する。自分たちは何をしても許されると思ってるの?」
「やめろ、朱夏」
途斗が声を低めた。
途斗がなぜ自分に怒るのか、朱夏にはわからなかった。怒るのならこの男に怒ればいい。
ふー、と傷の男が長く息を吐いた。
「宋重のやり方を教えよう」
ぽつりと呟くと、膝をついていた途斗に向き直る。次の瞬間、その右手が唸った。
がき、と鈍い音がした。
殴ったのは男の拳ではない。ずっと脇に抱えていた兜だった。倒れた途斗の額から、赤い血が流れる。周りの人垣から悲鳴が上がった。
男は血のついた兜をそばの兵士に放り投げると、今度は向きを変え大股に朱夏に近付いた。咄嗟に動けずにいると、男が固く握った拳を真横に振り払った。
「朱夏!」
まともに裏拳をくらい、首が思いきり外を向いた。足がよろめく。その体を、矢己が支えた。
「犠牲は最小限に、だ」
男が埃を払うように拳を開いた。その表情からはそれまでの柔らかい雰囲気が消え、冷酷な支配者の顔があった。
「そもそも、今お前は『簡単に村を焼いて』と言ったが、それは、今は亡きお前たちの王が、私たちの王の提案を拒んだからだろう。わざわざ犠牲を出す道を選んだのは、お前たちのほうだ」
「何を……」
「協力すればすぐに帰ると言っている。一人が行けばみんなが無事だ。いいことじゃないか」
じんわりと熱を持ってきた頬に触れ、朱夏は到底賛同できない案を出す男に首を戻した。
「わかった、じゃあこうしよう。お前に先に死んでもらって、この男を連れて行く。犠牲は二人になるが、あとは幸せだ。悪くないだろう?」
「……あんたたちは、腐ってる」
「それも嫌か」
やれやれ、と男が首を振った。
「どうやら、牧羊や紅里と同じ運命を辿りたいらしい」
男が口にした故郷の名前に、心臓が揺さぶられた。
懐かしい紅里。一夜にして、なくなってしまった故郷。
「犠牲を増やすのは俺たちじゃない。いつもお前たちだ」
胸の奥の炎が、ゆらりと立ち上がる。
熱い。
かきむしりたくなる、焦がれるような熱さが。
「…………やる」
「朱夏、やめろ」
「何だ?」
体を支えていた矢己が、痛いぐらいの力で腕を掴んだ。それでも、朱夏は止まらなかった。
吐き出さないと、この熱さに耐えられない。
迸る熱に、朱夏自身が、燃えてしまう。
「殺してやる! あんたたちなんか、絶対許さない!」
「いい返事だ」
朱夏の叫びを聞いた男が、腰の剣に手をかけた。
「矢己! さっさと連れて行け!」
「待ってくれ!」
「やめて!」
悲鳴や怒鳴り声が響く中、矢己が朱夏を後ろから羽交い絞めにする。そのまま引きずろうとするのに全力で抗った。
「あたしを殺すって言うの? やってみなさいよ! あんたが斬ったところと同じところを、その剣を奪って斬ってやる!」
「待ちな!!」
大音量が、その場を震わせた。
騒然となっていた場のざわめきが、潮が引くように急に小さくなる。
力のある声が新たなる脅威なのかそれとも救世主なのか、誰もが声の発生源を探し、そして、見つけた。
全員の視線が集まる場所にいたのは、途斗の妻の茗野だった。
「子供相手にむきになるなんて、宋重の男は思った以上に小さいね」
腕を組んだ茗野は、すでに自分の相手を見定めていた。
一方傷の男は剣を抜きかけていた手を止めて、茗野の顔をまじまじと見返す。
「あんたたちが探してるのは、あたしでしょう」
茗野は言うと、腕を解いて騒ぎの中心に近付いていった。茗野が近付くにつれて、男の表情が変わっていった。
「これはこれは……こんなところに隠れてたのか。どうせならもっと早くに出てきてくれればいいものを」
「生憎、人見知りなんだよ」
口の端から血を流している朱夏と、その後ろの矢己に目をやって茗野は言った。
「矢己、朱夏を早く連れて行きな。頭を冷やさせるんだ」
「茗野!」
朱夏の抗議の声に、茗野は取り合わなかった。すでに体を起こしてはいたが、左の額から頬が真っ赤になり、右半身が土だらけになっている途斗に目を移す。
「あと、そいつを連れてったところで何も出てこないよ。村の人たちも何も知らない」
「その言葉を信じると思うか?」
「そもそもあんたたちに人を信じる気持ちがあるとは思ってない」
「これは心外だな」
茗野の冷たい言葉に、男は喉で笑った。
どうするかな、と楽しげに呟く。
「お前を連れて行ったところで、他の仲間が生きてたんじゃ意味がない。だが、この村を皆殺しにするのも、賢いやり方じゃない」
「覇生王も、これ以上の火種を抱えるのはさすがにまずいんじゃない?」
茗野の言葉に、男は首を傾げる。
「どうだろう。だが、あの方は国を潰したいわけじゃないからな。殺しすぎて人がいなくなるのは困る」
「じゃあ、どうする?」
「…………」
腕を組んだ茗野の問いかけに考える素振りを見せた後、男は途斗のそばに立つ兵士に顎をしゃくった。
「その男はいらん。こっちを連れて行け」
兵士たちが今度は、茗野の両脇に移動する。それを見て、朱夏はまた激昂する。
「ちょっ……待ってよ! 茗野! 何でこいつらなんかに……!」
「朱夏、あんたは下がってなさい」
「茗野!」
茗野が大人しく兵士に挟まれたのを見届けると、傷の男は散らばっていた兵士たちを集め、無造作にそれを二つに分けた。
「お前らはその女を連れて俺と来い。残りは村を焼いてから帰って来い。一軒残らずだ、いいな」
男の命令に、村人はそれこそ火のついたような騒ぎになった。
「やめてくれ!」
「どうして!」
連れて行かれることは了承した茗野も、抗議の声を上げた。
「ちょっと! 村を焼く必要がどこにあるの」
口々に叫ぶ村人を尻目に、男はそばにいた兵士から受け取った、血のついた兜をマントの裾で拭いながら言った。
「知っていたにせよ知らなかったにせよ、これはお前を匿っていた罰だ」
「村のみんなは関係ないって言ってるでしょ!」
「それはどうかな」
兜をかぶり、部下が引いてきた馬にひらりと乗ると、男は馬上から騒いでいる村人を見渡した。
「いいか、宋重は寛大な国だ。……歯向かいさえしなければな」
周りの騒ぎに落ち着かない馬をなだめ、続ける。
「次に何かわかれば、今度焼かれるのは家じゃなく、お前ら自身だということを覚えておけ」
男は言い捨てると、馬首を返した。茗野を連れた兵士たちも、次々と従う。
残された村人の多くは、兵士が動き出すのを呆然と見ているしかできなかった。
「茗野!」
暴れた朱夏が矢己の腕を逃れ、茗野を乗せた馬を追いかける。止めに入った兵士の一人を殴ろうとして、それを止めようとした矢己が加勢すると思われたのか、別の兵士に取り押さえられた。
しかし、朱夏の心は痛まなかった。むしろ何で邪魔をするのかと矢己を詰った。さらに兵士が一人寄ってきて、朱夏を前後から挟んだ。
やるつもりなら、望むところだ。手元に剣がないのが痛いが、仕方がない。ないのなら、目の前の兵士から奪えばいい。
しかし、肩を掴まれて振り返った瞬間、鳩尾に重い拳が入った。急に息ができなくなり、気が遠くなる。
狭まる視界に映ったのは、兵士ではなかった。額の半分が赤く染まった、途斗の苦々しい顔だった。




