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紅里の風  作者: 泉 五月
第一章
11/55

3-4


 夕ご飯は少し豪華だった。矢己しきが戻ってきたからだ。特に万理ばんりの市場で買ったという干した果物が甘くて気に入った。

 崔己さいき真尾良まおらは、万理の町並みや道中の出来事については尋ねるが、今回の一番の目的であった万理の反宋軍との接触については触れようとしない。矢己も話さない。一番年下の續己つづきでさえ、何か察しているのか両親に言い含められているのか、口を突っ込むことはない。だから、朱夏しゅかも尋ねたりしない。聞きたい時は、矢己と二人になった時に聞く。


 食事が終わった後、矢己が布と交換して持ち帰った品々を續己と物色しながら、朱夏はずっとその機会をうかがっていた。


「そろそろ、明かりを消すよ」


 真尾良が二人に声をかけると、續己が顔を上げた。


「兄ちゃんまだ戻ってきてないけど」

「星を見てるんだろ。いつものことだ」

「外套があるよ」

「あれ、あの子、着て行きなって言ったのに」


 真尾良の声に、朱夏は振り返った。

 家の梁に引っかかったままの外套は、矢己のものだ。成長した今でも、矢己は時折星を見るために家を出る。前ほど頻繁ではないが、遠出して帰ってきた日は、そうすることが多い。


「まあ、もうちょっとで帰ってくるだろ」


 真尾良はそう言うと、子供たちに上掛けの織布を渡した。崔己と矢己の寝床も準備し、その場にいない矢己以外の全員が横になると、家の梁にかかっているランプの火を消した。


 それからしばらく。

 全員の寝息が聞こえるのを確認して、朱夏は起き上がると、梁に引っかかった外套を取り家を出た。まず家の周囲を確認して、いないとわかるとシグルの畑のほうへ向かう。昼間朱夏が座っていた桟橋が、畑の向こうにある。あそこだとあまり人も来ないし、視界を遮るものが何もないから四方の星がよく見えるのだ。

 夜のシグルの畑は、黒い。群生の隙間を縫っていると、ざわざわという音は、なぜか昼間より大きく聞こえる。時折風に揺れるさまは、中で何か生き物が蠢いているようだ。


 夜は今でも、少し落ち着かない。

 畑の向こうに、小さな矢己の背中が見えた。ほっとして、外套を握っていた手の力が抜ける。

 矢己は両足を投げ出して、反らした上半身を後ろについた両腕で支えていた。後ろから近付くと、その頭の上に、ばさっと外套を落とす。

 少しは驚けばおもしろいのに、矢己は声の一つも上げずに、ずり落ちる外套を受け止めて首を捻った。


「もうちょっと、優しい渡し方はできないわけ?」

「持ってきただけでも優しいでしょ」

「どうせ、父さんたちの前で聞けないことを聞きに来ただけだろ」


 ずばりそのとおりなので、言い返さない。

 矢己は受け取った外套を肩にかけると、朱夏を振り返った。


「俺のを持ってきて、自分のは持ってこなかったわけ?」


 そう言われてみればそうだったが、そこまで寒くはない。

 矢己は肩にかけた外套の片方を持ち上げた。


「入れば」

「いいよ」

「じゃあもう戻れば」


 しれっと意地の悪いことを言う。

 朱夏が思うに、昔に比べて、矢己は可愛げがなくなった。小さい頃は、態度が素直じゃなくても考えていることはだいたいわかったが、頬のあたりの丸みが取れ、声変わりをした頃から、矢己は口数が少なくなり、こちらの出方を試すような言動も多くなった。だがまともに取り合うと、大抵最後は朱夏が言いくるめられることになるので、挑発には乗らないよう心がけている。


 隣に腰を下ろすと、矢己が持ち上げていた外套の裾を受け取ってぐいと自分のほうへ引っ張った。入れと誘ったからには、存分に暖を取ってやるつもりで中に納まる。軽くぶつかっても、矢己の体はぐらついたりしない。出会った時には朱夏のほうが明らかに背が高かったのに、十二の時に追い抜かれてからは、あっという間に引き離された。腕や足も太くはないが、必要な筋肉はきちんとついている。

 二人でいる時、矢己から口を開くことはあまりない。朱夏が何か言うまでは、大抵沈黙が続く。それは決して居心地が悪いものではないが、今日のように長旅から帰ってきた日となると、矢己のほうから情報を与えるつもりがまったくないのだということが少し気に障る。

 ねえ、と前を見たまま呼びかけた。


黒雀こくじゃくって知ってる?」


 矢己が答えるまでに、少し間があった。


「……どこでその名前聞いた?」

計磨けいまから来た商人が言ってた」

「何て?」

「『黒雀がまた、宋重そうじゅうにちょっかいかけたらしい』って」

「…………」


 矢己はしばらく黙っていた。朱夏はそれを待つ。矢己が朱夏の質問を無視することはない。話すことと話さないことは分けている節があるが、黙ったまま何も答えないということはまずない。


「……興味を持たないほうがいい」

「何で?」


 即座に返した朱夏を、首を捻って矢己が見る。あきれた顔だ。


「興味を持つなって今言ったろ」

「何もわからないほうが気になるじゃない」

「本当の狙いが何なのか、俺たちにもわからないんだよ」


 俺たち、というのは途斗ととも含めた反宋軍全体のことを言うのだろう。今や矢己は、すっかりその一員だ。


「狙いって、どういうこと?」


 興味しかない朱夏の目から逃れるように、矢己が顔を前に戻した。


「どうせ朱夏は、黒雀も宋重に敵対する何かだと思ってるんだろうけど、そうとは言い切れない」

「でも、たった三、四人で宋重の兵三十人をこてんぱんにしたんでしょ」

「それは少し違う」


 矢己は訂正した。


「国境付近でたまたま出くわした十人かそこらの小隊と交戦して、金を巻き上げただけだ。好戦的なのは確かだろうけど、わざわざ狙ってけしかけたわけじゃない」

「ほんとに?」

「証拠に、やつらが戦うのは宋重だけじゃない。黒雀はキスパを根城に、列佳にも計磨にも現れて、何かしら騒ぎを起こしてる」


 前を見る矢己を覗き込んだ。


「接触しないの?」

「何のために?」


 そんなことはまったく考えていないという顔で矢己がこちらを見た。


「目的がわかれば、互いに協力できることもあるかもしれないじゃない。正規の兵士をやっつけられるんだから、腕は相当でしょ?」

「黒雀は、ただの盗賊だ」

「どうして言い切れるの?」


 口を尖らせた朱夏に、矢己が表情を曇らせる。


「あいつらは、死人から物を盗るんだぞ」


 朱夏がしつこいからか、言った内容で気分を害したのか、矢己の声が低くなった。


「きっと、俺たちとは相容れない」


 言ってから、矢己はまた朱夏から顔をそらした。


「それに、関わる人間を余計に増やしすぎると、逆に統率が取れなくなる」


 万理の根城は暴かれて、朴羊ぼくようの反乱は不発に終わった。警戒を強める宋重に、慎重になるのはわかる。


「朱夏」


 ぽつりと、矢己が呼んだ。


「何?」

「変なこと考えるなよ」

「何が」

「途斗が認めてくれないからって、黒雀に近付いてみようとか」

「思ってない」

「ほんとに?」

「思ってないって」


 矢己の疑わしげな視線が向けられる。

 黒雀に興味を持ったのは確かだ。宋重に敵対する意思があるというだけで、朱夏には十分興味を持つきっかけになりえた。自分の仲間がまだいると思ったのだ。今の矢己の話だと、仲間だと思ったのは早計だったかもしれないが、宋重の意にならない者がいるということが気を晴れさせる。

 でも、と朱夏は付け加える。


「途斗もいい加減、認めてくれてもいいんじゃないかとは思ってる」


 茗野めいのは、女だけど反宋軍の一員だ。矢己のように、朱夏より年下で仲間になった者もいると聞いている。じゃあ何で自分はだめなのか。動機なら十分すぎるほどある。まだ途斗には敵わないが、剣の腕だって男に引けを取らない自信がある。それなのに、いつまで経っても認められないのは理不尽だ。

 それに関して、矢己は自分の考えを言わなかった。朱夏も同意は求めない。


 矢己はもう、星を見てはいなかった。朱夏が見つめるラングルの向こうを、一緒に見つめている。

 こうして二人で草原を眺めていると、あの夜のことを思い出す。岩場から、燃えていく草原を見つめていた。二人並んで、一言も交わすことなく、ただじっと見ていた。聞こえるはずのない悲鳴が聞こえて、その度に足を抱えた腕に力をこめた。


 今はもう、燃やされた場所にも新しい草が生えているだろう。宋重も、自分のものになった国土を焼くことはないはずだ。それでも時折、真っ暗な草原の地平線に、幻の炎がぽっとともる。そしてそれはじわじわと広がっていき、空をも赤く染めるのだ。

 だが、その炎が朱夏の足元まで来ることはない。現実にラングルという川が横たわっていることはもちろんだが、その前に、あの日との堺が曖昧になる朱夏を、矢己が連れ戻してくれるからだった。

 それは、朱夏を呼ぶ声だったり、肩を叩く手だったり、気まぐれに深く吸う息だったりする。今夜は、問いかける声がその合図だった。


「あれ、どこの歌?」


 割り込んできた声に朱夏が二度瞬きをすると、幻の炎は消えていった。残ったのは、星を散りばめた濃紺の夜空と、揺るぎない黒い地平線だ。外套の中で矢己の体と触れている左側が温かかった。


「……あれって何?」


 問い返す声は、案外するりと喉を過ぎた。

 歌なんて聞こえない。聞こえるのはラングルのせせらぎと、シグルの葉が擦れ合う音だけだ。


「昼間歌ってたやつ。紡ぎ場で」

「ああ……」


 矢己の聞きたいことがわかると、懐かしい記憶につながる糸口に、肩が少し落ちる。


「あれは、母さんの歌。覚えてない?」

「母さんの歌?」

「あんたがうちにいた時も、何度か聴いてると思うけど。西のほうの、母さんの故郷の歌」


 ああ、と矢己は声を漏らした。


「だから、どっか懐かしい感じがしたのかな」


 その言葉が上辺だけではないのがわかって、朱夏は肩にかけた外套の裾を握り締めた。


 大好きな歌だった。

 途斗が村を留守にしている間、することがなかった朱夏は、紡ぎ場に集まる女たちの子供を預けられることがあった。女たちも、朱夏に剣を持たせるよりは、赤子を抱かせたほうがいいと思ったのだろう。だが振り返れば、朱夏はそれまで自分の足で立てない子供の面倒を、一人で見たことがなかった。いきなり「ほら」と渡されても、何をしたらいいのかわからなかったのだ。そして当然のごとく赤子が泣いた時の、対処の仕方も知らなかった。慌てふためき、どうあやそうか迷った末に、思い浮かんだのがあの歌だった。


「朱夏の子守り、評判いいみたいだな」

「そうなの?」

「母さんが言ってた。今日紡ぎ場にいた人も」


 褒め言葉だとはわかっていたが、朱夏はどこか困ったように笑った。

 そうやって暮らすことを――村の子供の面倒を見て、女たちとおしゃべりして、毎日を穏やかに暮らすことを、誰もが朱夏に望んでいることはわかっている。途斗もそう思っているから、朱夏が反宋軍に参加するのを絶対に認めない。崔己も真尾良も、みんなが朱夏を止めるのだ。


 でも、朱夏は止まれない。

 四年前、誓ったのだ。

 許さないと。

 必ず復讐すると。

 朱夏の中の熱いとぐろが消えない限り。夜の草原に幻の炎を見る限り。

 朱夏に、みんなが望む普通の生活は無理なのだ。


「戻ろう」


 矢己は前屈みになって立ち上がると、朱夏を振り返った。朱夏は左側にたるんだ布を持ち上げると、自分の右肩にかかったままだった外套をはずして、矢己に差し出した。


「これ」

「いい」


 断る矢己に、朱夏も立ち上がって丸めた外套を押し付ける。


「だって、あたしはあんたにこれを渡しに来たのよ」

「でも、そっちのほうが寒がりだろ」

「まあ……そうだけど」


 でも今は、そこまで寒くない。二人でくっついてくるまっていたぶん、家まで帰るくらいなら外套はいらなかった。


「まあ、今夜はそんなに寒くないし、無理に着る必要もないけど」


 朱夏の手から外套を取った矢己は、大雑把に二つに折って小脇に挟んだ。


「帰ろう」


 朱夏のほうへ手を差し出す。

 朱夏もその手を握った。

 手を繋いだ二人は、ゆっくりと家へ向かって歩き出す。

 昔より大きくなった手。手のひらは硬くなったし、いつも少し冷たいけど、握り方は優しい。


 この手があったから、あの燃え盛る村から逃げ出すことができた。この手のおかげで、今の朱夏がある。

 あの時は、考えるよりも先に体が動いて、そうした理由が自分でもよくわかっていなかったが、朱夏があの場を離れたのは、矢己の存在があったからだ。この子を守らなきゃいけないと、そう思ったから。

 だってそれは、朋朱との約束だったのだ。崔己に頼まれていたことだったからだ。

 朱夏はお姉さんなんだから、矢己の面倒を見てあげなきゃいけないよ、と。


 あの時矢己は泣いていた。でも朱夏は、ずっとそれに気付いていなかった。矢己に怒鳴られるまで。

 それで思い出したのだ、誰よりも好きな朋朱との約束を。その約束が、あの時の朱夏を生きながらえさせた。つまり、矢己の存在が。


 それはわかっている。

 わかってはいる、けど。


 朱夏はもう一度、あの炎の中に飛び込まずにはいられないのだ。



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