表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/8

第2部 2018年 平成30年 12月から現在に至る──。

♪貧乏人、宵越しの金よう持たん! 

♪金持ち、宵越しの金よう使わん!

 そんな阿呆なことを口ずさみながら大東イベントの事を考えていたら、あっちゅう間に夜が明けていた。気がつけば一銭にもならない、徹夜作業である。電気メーターも一気に上がっている。それよりダブルキーパーに夜通し監視されていて、朝まで電気を点けっぱなしやった、とまた因縁をつけられるかも? しかしながら俺もやっぱり歳である。さすがに空が白み始めたら、一気に睡魔に襲われた。で、着の身着のままそのままソファに倒れ込んだら爆睡していた。

 で、思わずブルっと、クシャミ一発! しかしながら時計を見ると、なんと昼前であった。体は冷えきっているけど、それより何より腹の方が減った。

 飯や、飯! とりあえず朝昼兼用、ブランチである。トースト1枚を食すが徹夜作業で体力を消耗したからか、これだけではどうにも腹の納まりが悪い。お代わりに冷凍ご飯をチーンして、玉子と梅干しでガサガサと食う。

 ところが、この梅干しが、大当たり! 

 油断大敵、雷、火事、頑固親父に梅干しである! 

 ガリッ! うっ!と、喉の奥から声にもならないうめき声を上げた時には、もう手遅れだった。俺は慌てて立ち上がると、キッチンのシンクに向けて口の中のものを吐き出した。

 出てきたのは、咀嚼途中の崩れ赤く染まったごはん粒に、千切れた梅干しの皮、種、その中に石のような固まり。俺の抜けた右の奥歯だった。奥歯はたばこのヤニで茶色く変色している。俺はその奥歯を指で摘み上げ、しげしげと眺めた。これが俺の奥歯かぁ! 死に体ながらも、懸命に顎に食らいついとったあの奥歯かぁ……。

 俺は水道の蛇口に口を近づけるとレバーを捻って、直接蛇口から水を口に含んだ。くちゅくちゅと口の中で数回うがいをしてから、ペッと水を吐き出す。出血はしていない。ごはん粒に赤いものが混じってはいるが、よく観察してみると、これは細かく砕かれた梅干しの果肉であった。不思議なことに、歯の痛みはまったくない。右上の奥歯がなくなり、代わりにすっぽりと空洞ができた。舌の先を奥歯に向けてはわすと、その穴から舌の先がはみ出た。

 なんだか拍子抜けした気分。あれほど腫れ物に触るように細心の注意を払ってきたのに……。しかしながら腫れ物がとれて、返ってサッパリした気分。死に体の歯に、これまでずっと気をもんできたことが急にアホらしくなった。俺は奥歯をそばにあったティッシュでくるむと、意味もなくキッチンの引き出しにしまった。で、なにごともなかったかのようにテーブルに戻ると、茶碗の残り飯にもう1個生玉子をぶっかけ、一気に喉へ流し込んだ。


 それから1週間後、師走も押し詰まった、とある夜──。

 俺は同級生のマスター、イノさんがやっている近所のバー『ガボット』にいた。大東イベントの方向性が俺の中でまとまったので、令子を通じて黒田に集合をかけた。イノさんの店を選んだのは、黒田とイノさんも幼馴染みであるからお互い気を使わなくてもいいし、万一、議論が白熱しても連れの店だから時間の融通がきく。もっとも一番の理由は俺が飲みたかったからである。このところ奥歯のガタガタをずっと気にしながらの酒であったから、酒が心底旨いと感じられなかった。今夜は思いっきり飲んで食うたるねん!  

 イノさんとそんなたわいもない話などをして待っているうちに、ドアのカウベルが鳴った。振り向くと、黒田を先頭に令子ともう一人、若い男が一緒に入ってきた。

「いらっしゃーい!」

 マスターのイノさんが元気に黒田ら3人に歓迎の挨拶をした。3人は俺を取り囲むように俺の横に令子、向かい合わせに黒田と若い男が座った。

「こいつは大東ダブルキーパー青年部の吉村英二君。大阪産業大学で学食やっとる。歳は32。令子ちゃんも吉村君も住道中学出身で、俺らの後輩や」

 吉村君と令子が頭をさげた。俺は令子の顔をちょっと見て、後輩とは知らなかったと大げさに驚いて見せた。ま、特に意味はないけど……。

「はい、お待たせ!」

 イノさんが俺たちの真ん中に生ビールの中ジョッキを4つ、デーンと置いた。

「今夜は珍しい組み合わせやなぁ。大川からちょっとだけ話聞いただけやけど、お前ら大東を強烈に売り込むイベント計画してるねんて? なんかおもろそうやん。ごっつい興味あるさかい、俺も同級生のよしみで話聞かせてもらうでぇ」

「わかった、おまえも一杯飲め。わしらの会議に自主参加ちゅうことでええやんけ」

 黒田が言った。

「ごちになりまーす」

 イノさんが、生ビールを注ぎに席を離れた。

「今夜は暮れも押し迫った慌ただしい時にも関わらず、皆さんをわざわざお呼び立ててしもうて、ほんますんません……」

 俺はまず皆に謝罪を交えた挨拶をし、それから先に乾杯をした。まずは喉を潤し、腹ごしらえである。それからしばらくの間、雑談が続いた。黒田ら3人は酒もまだほどほどなのに、ダブルキーパーの活動状況、節電問題などの話題で早くもヒートアップし始めた。このままでは俺の入る隙間がまったく見えない。そこでやむなく俺は3人の話の腰を折るべく立ち上がり、まずマスターにビールのお代わりを4つ注文し、皆に聞こえるようにこれ見よがしに、ゴホン! と大きな咳を一発かました。

「皆さんのお話はとても興味をそそられますが、今夜はそのお話はちょっと横に置いて下さい。これからのひと時は私にご注目下さい。よろしおまっか? それではさっそくプレゼンを始めます」

 俺は次に手元に裏向けて置いてあったクリアファイルを取り出し、3人にA4ペーパー数枚にまとめた企画書を配った。

「えっーとですね。この企画書はまだアイデアだけです。今の段階ではコンセプトというか、大東で新しいイベントを仕掛ける意義、方向性しかここには示していません。まずは、私から今回のご提案について、バクっと説明させていただきます……」

 俺はちょっと間を開け、大きい声で大げさにゆっくりとタイトルを読み上げた。

「イベントタイトル/祝・大大大阪都『大東エキスポ2020』(仮称)」

 俺は、待った。まずは皆がどんな反応を示すか知りたかったからだ。

「えらい、たいそうなタイトルやなぁ! なんやちょっと古くさい気もするけど……」

 黒田が第一声を発した。俺は待ってましたとばかり、プレゼンを始めた。

「2020東京オリンピックを前に、一足お先に春に『大東』で万博開催! 『大東』ちゅうおもろい所が大阪の東は北河内、生駒山の麓にあった? ということを未来永劫、強烈に人々の心象風景の中に残すことを考えてたら、こんなタイトルになりました。あの昭和の時代、1970年のこんにちは! 千里の『日本万国博覧会』をイメージしてます」

「あっ、それ、うちの親父に聞いたことあります。小学校の頃、エキスポランドに連れてってもろた時に、ここでどえらい国際大博覧会があったとか……」

 吉村君が挙手して言った。

「今ではその万博の名残り、エキスポランドもなくなってしもうた……。代わりにエキスポシティとかいうショッピングモールやガンバ大阪の本拠地、吹田スタジアムなんてのができて、あに界隈はえらい変わってもたけど……」

 黒田は、ちょっと感傷的なトーンでポツリと呟いた。

「そう、そこなんです。大阪都構想により『大大大阪都』がホントに実現すれば大東市も合併により、町名や駅名は残っても、大東という名前は消えてしまうでしょ。でも、大東というイメージだけは絶対に消したくない。そのためにはあの大東のイベントはすごかったなぁ、夢やったなぁ……と、市民の記憶に残し、のちのちまで語り草になる、そんなインパクトが絶対に不可欠なんです。そこでまずはタイトルありきで、考えてみました」

 俺はここまで一気にまくし立てた。黒田たちは黙って聞いている。

 一瞬の静寂──。

「好きです、私! うまく言えませんが、消えゆくけど未来に発展していく『大東』を象徴しているみたいで……。私は大東高校出身なんですけど、東寝屋川高校との統合により、両校の名前が消えてしまいました。校舎はそのままですけど、そのうち2つの旧学校名など確実に忘れられてしまいます。なにか一抹の寂しさを憶えるだけです」

 令子がまず賛同してくれた。その目は心なし潤んでいるかのように見える。

「わしも好きや。気に入った!」

 マスターのイノさんがカウンター越しに生ビールを掲げた。

「2025年に大阪舞洲に万博再誘致と、知事が騒いどるけど、どないなることやら? それより、大東市が大阪府に先駆け単独でエキスポ開催してしもたったら、こらなんとも痛快で、無茶苦茶オモロイやん! な、そうちゃうか、黒田!」

 イノさんが、黒田をちょっとからかった。

「せやのう、ホンマに開催出来たらそれはそれで小気味ええわなぁ。わしも『大東エキスポ』はええと思う。ただし、大東の博覧会いうても何を見せるか……、それが問題や!」

「ハイ、黒田リーダー」吉村君がまた挙手して、発言を求めた。

「大川さんが書いてはる、このコンセプトええですやん。『未来に受け継ぐ、大東のすべてを見せる』。これ、これですやん」

 吉村君が俺の企画書の中で大きな級数ポイントで書いた、赤文字のキーワードを示した。

「人、モノ、伝統……。私達がこれまで当たりのように思っていたことが、今まで気づいてないだけで実はホントは凄いことだった? 大東の再発見と再認識、そして未来への希望……。地方創生の道標に! そんなイベントになればいいなぁ……」

 令子は夢見るように、目を宙に泳がせた。

「大東のすべてを見せるというてもなぁ……。何があるねん?」

 黒田はジョッキ片手に難しい顔をしている。

「大東の名物その1、だんじりがあるやないの!」

「──」

 黒田はなぜか黙っている。

「大東中のだんじりが一斉に集まる祭なんかいっぺんもなかったなぁ。ええなぁ。大東のだんじり全部が連なってパレード。夜は青い灯、赤い灯、提灯が連なってきれいやろなぁ……。大東の名は仮に消えたとしても、いつまでも残るふるさとの風物詩!」

 マスターのイノさんが話を盛り上げてくれた。

「市役所のHPで調べたら、人口比に対するだんじり台数は大東市が大阪でダントツの一番、と載っとった。実際に大東の全だんじりの揃い踏み、この目でいっぺん見てみたいと思わんか?」

「大川、おまえ、簡単に言うけどな、だんじり動かすだけで銭もようさんかかるし……。それより問題は、各地区の保存会の長老、会長や。因習に凝り固まったジジイを口説くのがどんだけ難儀なことか!」

「今夜は『大東エキスポ』という集大成イベントに向けての大いなるブレストや。ご町内というちっぽけな枠で考えたらあかん。だんじり大集合もプランのひとつや。なんちゅてもだんじりが全部出てきよったら、大東の人口の半分は文句なしに動くやろ」

 俺は企画書の余白に赤のサインペンで『だんじり』とメモ書きした。それから俺たちの会議は、酔いも手伝って一気にヒートアップした。

「大東のうまいもん言うたら?」

 俺は話題を少し変えた。

「『丸正』の餃子に『シャロン』のステーキ、『三ツ川』のコロッケ、『いまくら』のフレンチ……」

 吉村君が右手を挙げた。

「『シャノワール』のチーズケーキに、『レジェール』の銘菓・野崎小唄!」

 令子が続く。

「おっと皆さん、もうひとつええ店忘れてまへんか! ここ『ガボット』でんがな。ここのミックスピザは、チーズもどっさり入ってなかなかのもんでっせ!」

 俺は『大東の名物その2、大東の胃袋・うまいもん市』と、メモ書きした。

 夜が進み、店も他の客で埋まってきた。そのほとんどが常連客である。その中には俺たちの同級生、飲み友達の大西と林がいる。2人は、いつの間にか会話の中に混じっている。

「話は変わるけど、大東出身のプロ野球の選手って、けっこうおるぞ!」

 大西が芋焼酎のお湯割りを手に、俺にもしゃべらせろと割り込んできた。

「古いところでは中日の牛島和彦、西武のお代わり君こと大東市民栄誉賞第一号の中村剛也に、阪神の西岡剛もそうや」

「大東市に縁のあるプロ野球人という括りにしたら、もっとようさんおるで」

 俺が提案した。

「そういう意味で、大阪桐蔭は今やPL学園に代わるプロ野球養成所、虎の穴や」

 林も割り込んできた。ここから林と大西の会話がしばらく続き、令子はトイレに立った。

「日ハムの中田翔に阪神の藤浪晋太郎、岩田稔、へてから中日の平田……」

「もう引退してしもたけど、中日の今岡慎二さんもです!」

 大阪桐蔭高校と縁のある大阪産業大学の学食業者、吉村君がすぐに答える。

「巨人にはピッチャー今村信貴、彼だけは太成学院大学高ですけど……」

 吉村君があげた名前に、皆揃って「ふーん!」と頷いた。

「俺、今、思い出した。俺、中学生の時、野球部やってん。俺らの5つ上で十亀さんという住中でキャプテンにしてピッチャー、4番という先輩がおってな……」

 突然、林がわけのわからんことを言い出した。

「君ら、十亀という名前に聞き覚えはないか?」

 しばし、沈黙──。皆、ぽかーんとアホな表情を浮かべている。

「君らはやっぱり生粋の阪神ファンや。十亀さんの息子は十亀剣言うてな、東尾の背番号21を継承しとる。今や西武の大国柱や!」

「その息子の剣はひょっとして大阪桐蔭か?」

 大西は自分の無知を恥じるように、なぜか林に恐る恐る尋ねた。

「ちゃうちゃう、息子は愛工大明電や」

「おまえ、まさかぁ! その十亀先輩が大東出身やからというて、息子の剣も……!?」

「ええやんけ! おとっつあんのDNAは大東や。その血を息子が継いどるねんさかい!」

「そらまた苦しいなぁ。ま、おもろい繋がりやから、それもあり、オーケー、OK牧場!」

 大西と林は勝手に盛り上がっている。俺は企画書の余白に『大東の名物その3、大東のプロ野球選手たち』と書いた。

「あのう……大東市と縁のあるスポーツ選手と言えば、バトミントン。そのアイドルとして、オリンピックにも出場したコンビ、オグシオこと小椋久美子と塩田玲子の二人は、当時、三洋電機の所属で、大東の寮に住んでいました」

 トイレから戻った令子は、新たに注文したカシスオレンジに口をつけて言った。

「バトミントンと言えば、古くは北田スミ子。バトミントンの名門、四条畷学園出身や。もう40年も前になるかなぁ。確か全日本社会人選手権でシングル5連覇達成しはった」

 林が懐かしむように煙草を燻らせている。

「そうそうオリンピックと言えば、南郷中学校出身、張義和さんという人がおった……」

 大西は林の前に置いてあるメビウスの箱の中から勝手に煙草を1本抜き、口に銜えた。吉村君がさっと両手で100円ライターを包みこむように持ち、火をつけた。

「おった、その張さんこそ大東が生んだチャリの弾丸ライダーや!」

 林がすかさず呼応した。

「張さんは自転車競技で、金メダル確実やと言われとった」

「昔、南郷にある農協のビルの壁面に『おめでとう、張選手、オリンピック出場!』と垂れ幕が下がっとったな。で、張さん、どうやったんや。金メダル取ってたら俺も憶えてるはずやが……」

 林が大西に目で尋ねた。

「あれはモスクワオリンピックの時や。ソ連のアフガン侵攻に反対して西側諸国がボイコット。当然、日本もアメリカさんに右へ倣へで不参加。でも張さんが出とったら……!」

「大東が生んだスーパースター誕生! 国民栄誉賞もんや!」

 林が叫んだ。今さらながら悲劇のサイクルライダーに皆心を傷め、しばし沈黙した。

「大東は相撲も盛んや。大相撲春場所開催時になると、相撲部屋がなんと4つもできる。片男波部屋に朝日山部屋、式秀部屋、尾上部屋や。尾上部屋の把瑠都が大阪場所で大関昇進決めた時には、ごっつい盛り上がったなぁ。懐かしいけど、彼も引退してもうおらん、残念!」

「黒田、それ、もろた! ええやん! 相撲取りに『大東エキスポ』のPR頼もう!」

 俺は『大相撲力士・大東エキスポPR』と勝手にメモした。

「あっ、マスター、こっちに生中2つ。なんやったかな……。あっ、そうそう、僕の同級生のねえちゃんの友達にプロのミュージシャンがおりまして……」

「ちょっと待ってや、ややこしいな。おっちゃんアホやから、すぐに理解でけへん。友達の同級生のねえちゃんのまたその友達に……? はよ、そいつの名前教えてくれ!」

 大西が吉村くんに先を促せた。

「エゴラッピンです」

「えごらっぴん? なんやけったいな虫みたいな名前やな。一体なにもんや!」

 大西は自分は知らないものだから照れ隠しに茶化している。

「ホンマに知りませんの? 男女ディオですけど、ボーカルの中納良恵さんが大東出身なんです。曲はこんな感じです」

 吉村君がスマホでジャズ調の代表曲を流した。

「うちの店にも専属タレントがおるで!」

 イノさんがまたわけのわからん事を言いだした。

「まだアマチュアやけども、うちの店のテーマソング作って歌ってくれてんねん。それでは皆さんにご紹介します。我が店の専属バンド『無我夢酎』のお二人です。どうぞ!」

 カウンターの端でBGM代わりにギターを弾いていた男2人が立ち上がって、演奏をはじめた。ひと時の歓談タイムである。

「♪腹減ったら、『ガボット』に来なはれ。酒は安いし……」

 一人はいつもハンチング帽を被っている奥井君、もう一人はいつも橙色系の服を着ているオレンジこと豊田君である2人は勝手気ままに生ギターでライブを始めた。

「♪雨が降っても傘はいりまへん。端から端までアーケードだっせ……、いらっしゃい、いらっしゃい、住道本通り商店街へ……」

「あっ、この歌、聞いたことある!」

 令子が反応した。

「そうなんです。今のは『住道本通り商店街』のテーマソングなんです。趣味で大東の歌、ようさん作ってるねん。ご当地ミュージシャンの一人に加えといたってや」

 イノさんが皆に紹介した。俺は、またメモった。『大東の名物その4 大東を駆け抜けたアスリートたち』『大東の名物その5 大東ミュージックフレンド』、その5の下に、ご当地ソング=『大東エキスポ』のテーマソングも必用と書いた。

「芸能界という枠で括ってみると大東に縁のあるタレント、芸人もいっぱいおるで」

 イノさんが『無我夢酎』の演奏に合わせて手拍子しながら、言った。

「松竹芸能からは赤井の交差点角にある木本自動車の息子、TKOの木本。木下とコンビで来てもらおか! 吉本からは元ベーブルースの高山トモヒロに、なるみがおるね。ぐっさんは四條畷やけど、片町線に乗って丸正に餃子よう食いに来とった。ついでや、呼べ」

「おいおい、電車に乗って……、そんなんありか、林! おまえいつからかってにイベント・プロデューサーになったんや」俺は呆れて林の顔をまじまじと見つめた。

「ほかに米朝事務所からは、桂南光師匠がおるで!」

 今度は、マスターのイノさんが割り込んできた。

「南光に襲名披露する前は、“べかこ”という名前でな、新婚さんの時に駅前の川中住宅に住んではった。それから桂文珍師匠が大阪産大の落研出身とちゃうかったかなぁ」

「ほな、落語会もありやな。題して『大東・上方落語大全』といきましょか? 住道から野崎へと続く道中もの『野崎参り』という、上方落語を代表する演目もあるこっちゃし」

 大西と林は部外者なのに、いつの間にかスタッフ気分でいる。

「そうそう、女優には真中瞳さん、今は東風万智子という名前ですが、大東出身ですね」

 令子はスマホを操作して、大東出身のタレントを捜していたようだ。

「ええねぇ! そういう綺麗所もおらんと華やかにはならんしね」

 林はやっぱりプロデューサー気分でいるようだ。

 時刻はすでに午前0時──。話が予想以上に盛り上がり、なんとなく慌ただしい気分の年の瀬だというのに誰も席を立たない。令子も追加でカンパリソーダを頼んでいる。

 それからもブレストは続いた。『大東の優れもの・ナンバー1展』というアイデアも上がった。内容としては、大東が誇るナンバーワン企業を全国に向けて紹介しようというもの。

 例えば、『株式会社光新星』。この会社はパチンコ玉の生産量日本一、月産能力3億個を誇る。あるいは義肢のトップメーカー『川村義肢』。平成21年にはケガをしたウミガメのために義肢を作ったことでニュースにもなった。また、女性の視点から引っ越し業務を見直し、『アート引っ越しセンター』を急成長させた大東の女傑、寺田千代乃社長などの人物像を紹介する。そのほか大東のご当地企業出展による合同企業パビリオンを創り、各企業の新製品紹介なども兼ねた大東見本市はどうか? などいろいろアイデアが上がった。

 それにしてもここにいる連中は皆、大東市という街の事情をよく知っている。なにしろここにいる連中は生まれてこの方60年近く大東に住んでいるのである。根っからの“土着民”である。おまけに黒田みたいに地車保存会の会長やダブルキーパーのリーダーなどを兼務していると文句無しの土地の名士である。当然顔役的な存在となり、より地域との繋がりが濃くなるというわけだ。

 もし仮にである。現市長がこのところ声高に提唱している大阪市の隣接都市を巻き込んで『大大大阪都構想』の是非を問う住民投票が行われ、可決されたとなると……!

 我が街『大東』も合併効果で田舎から都会へと俄にバージョンアップ、『大阪都区』に昇格するのである。俺のような零細企業にとっては、ある意味朗報かもしれない。住所が『大阪府大東市』から『大阪都○○区』になるのである。『大東』が残って『大東区』にでもなれば儲けもの。ま、一緒に合併するほかの市の事を考え合わせれば、それはないか!? とにかく安い家賃を求めて移転、登記住所を変更する中小零細企業が続出するかもしれない。

 俺ならそうする。同じ大阪都区内という括りの中で住所を移転するのだから、落ちぶれたという印象はあまり持たれないだろう。事務所を自宅兼用にすれば余分な家賃もいらず、交通費も不要になる。飯だって家で内食にすれば、節約もできる。疲れたらというか仕事がなかったら、ふてくされて昼寝だって堂々とできるのである!

 俺の目の前では大西と林、令子に吉村君、それにマスターのイノさんまで客そっちのけで『大東』をテーマに最高潮に盛り上がっている。皆ますますハイになって、全員もうトリップ状態である。俺も久しぶりの酒に酔いもいつになく回って、すっかり夢心地。俺の頭の中では勝手に『大東エキスポ』が開幕していた。

「ところで、みんな、ちょっとええか。そろそろ丑三つ時や。空想ばっかりの話は無責任でおもろい。せやけど、よう考えてくれ、ほんまに『大東エキスポ』なんて大それた事できるんか? いったい、なんぼ銭いるねん? 大川、おまえの考えてる数字はなんぼや!」

 黒田はどういうわけか苛立ちを隠そうともせず、テーブルの上に広げた企画書をボールペンの先でせわしなく叩いている。俺は黒田に痛いところを突かれて現実に戻った。

「いきなり金の事言われてもなぁ。まだ、なにも決まってへんし……。目安としてはざくっと1億ぐらいみといたら、まぁ、そこそこのもんできるのんとちゃうかぁ」

「1億!? はぁ!? 大川、あほか、おまえ! 何、眠たいこと言うてるねん。冗談言うてる時間は終わりや! 金はない、と初めに言うといたわな。忘れたんか、おまえ!」

 黒田が酔いから醒めたように、冷めた声で言い放った。

「参考までに、年末恒例の阪神大震災の復興イベント『神戸ルミナリエ』は3億5千万円ほどかかっとる」

 俺はバッグから手帳を取りだし、ページを開いて説明を続けた。

「大阪市で考えたら、前市長の肝いりでスタートした『御堂筋イルミネーション』がある。中之島と御堂筋が舞台で、予算的には『神戸』と似たりよったりやな。ちなみに『神戸』は約340万人、『御堂筋』は300万人、毎年、客が来とる」

「それだけ動員あったら、経済の波及効果もごっついやろなぁ。電車賃使うし、クリスマスプレゼントも買うし飯も食う。そのまま彼女とお泊まりもあるわな……」

 イノさんがうまく俺のあとをフォローしてくれる。

「せやけど、ここは大東や。大東市長に、1億出して頂戴と言うたら腰抜かしよるわ!」

 黒田は呆れたように天井を仰いだ。

「話は飛躍するけど広島が被爆から復興できたんもマツダや中国醸造など地元企業のおかげや。社長らが夢を語らい、自分ら市民が……と、寄付して支えた。その代表格がプロ野球球団『広島東洋カープ』や。それを参考に……。今からシンキングタイムやね」

 その林の言葉を合図に、一座は沈黙した。イノさんが場の気分を変えようと、皆にバーボンの水割りを配りCDをチェンジした。曲はデューク・エリントンの『A列車で行こう!』。軽快なスイングジャズオーケストラの演奏が店内に満ちた。

 俺は目を閉じて夢想した。俺の体がリズムに合わせて左右にスイングする……。そのうち霞がかかるかのように睡魔が襲ってきた。夢現の状態である。その時、どういうわけか目の前にふわ〜と銀河が広がり、どこからともなくけたたましい警笛音がぐんぐん迫ってきた。ビーッ! 警笛が耳をつんざかんばかりに最高潮に達した時、突然、銀河の中から蒸気機関車が現れ、俺の目の前に差し迫った──! と、同時に俺はヒーローに変身していた。

 俺は“大東HOBOホーボー”やぁ〜! 

 『HOBO』とは、無賃乗車で放浪を続ける浮浪者の事である。昔『北国の帝王』というアメリカ映画があった。主演のリー・マービン演じるホーボーことエース・ナンバーワンが、アーネスト・ボーグナイン演じる鬼車掌シャックが次々と投じるあの手この手の攻撃を交わし、仲間のために物資を調達、夢を叶えるというストーリーである。

 俺は大東のエース・ナンバーワンや! 俺は自由やぁ! もう逃げるのはやんぴ! 今こそ夢を叶える、その時や! 

 叫ぶ間もなく蒸気機関車のフロントノーズが俺の顔面に突っ込み、一気に俺の頭の中を駆け抜けた──! そこから先はゲップのあとみたいに、胸につかえていたもやもや感が一気に吹っ飛んだ。

「やっぱり、無理や! 俺らド素人に1億なんて大金集められるわけない。もうすぐ夜明けも近いこっちゃし、きょうのところはここまで! イノさん、チェックや」

 黒田が黒の長財布を出し、苛立ちを隠せず手の平でパンパン叩いた。

「ちょっと、待ったぁ!」俺は手を挙げて立ち上がった。

「今やらなあかん商売が目の前にある。せやけど手元に金は一銭もあれへん。けど、今が旬や! こつこつ金貯めとったら間に合わん! 時期逃す! 考えても埒あかん。ほだら、どうする? アクションや! 動いてなんぼや!」

「大川、まだ眠たいこと言うてんのか! イノさん、早よ、勘定せえや!」

 黒田が鬱陶しい眼で俺を睨んだ。

「黒田、まぁ、待て。帰るのはいつでも帰れる。せやけど俺の話を聞いてからにしたら、どない?」

「──!? きょうのところはもう話も出尽くしたやろ。まだ、何があるねん?」

「前市長や!」俺は冷めた声でひと言発した。

 一瞬の沈黙──。

 スイングジャズのシンバル音が静寂を打ち破った。

「前市長? なんや、それ」

「にぶいやっちゃな! 引退してもますます血気盛んなあの人やがな!」

 俺はぶっきらぼうに言い放ち、妙にすっきりした気分でグラスに口をつけた。バーボンの甘い香りと液体が俺の五臓六腑に染み渡っていく。突如、黒田が素っ頓狂な声を上げた。

「え──────────────────────────────っっっっっっ!」

「そないびっくりせんでもよろしい。こんなええ手があるとは……。やっぱりブレストした甲斐がありました。な、皆さん!」

 俺はグラスをちょっと持ち上げ、皆に軽く会釈した。皆、俺の話に好奇心をいたく刺激され、耳がダンボになっている。

「つまり、こういうこっちゃ。我々のイベント成功の鍵を握るのは前市長や。ここは何が何でも前市長に動いてもらわなあかん。いや、動かさなあかん!」

「大川、おまえ、動かす言うたって……。前市長に顔利く国会議員でも知ってるのんか?」

 黒田はこいつアホとちゃうかと、見下すような目で俺を見た。

「前市長と現市長がつるんどるのは、すでに公然の秘密や。最近になって現市長は、俺らの街『大東』みたいな隣接都市をも巻き込んでスケールアップ! オール大阪で取り組む大阪都の実現が必要や、と言い出しよった。裏で糸引いとるのは、誰が見ても前市長! その前市長をやな、今度はおまはんらが使いこなすんや」

「使いこなすって──!? おまえ、自分がなに言うてるのかわかってるんか!」

 黒田は俺におちょくられていると勘違いして、ブチ切れる寸前である。

「つまりやな、♪やめて、染めて、薄めて消えてしまうかもしれん『大東』には『蛍の光』やけど、大阪都区として生まれ変わる『大東』には、ドボルザークの『新世界』や!」

 俺は黒田をからかい、焦らすことに快感すら覚えてきた。

「前市長には、ひとまず『大東エキスポ』の名誉顧問にでも納まっていただきましょう。ひょっとしたら大阪都構想にだけはずっと反対してきた堺市民も、我々大東の成功を目の当たりにしたら、『大大大阪都構想』に参加するのも、ありぃはありぃーやなと、思い直しよるやもしれません。ですから、この話は前市長、大東市民相互にメリットがあるのです」

 俺は明らかに夜郎自大になっている。ペラペラ口からでまかせの連発で、ああ快感! 

「せやけど、わしらに前市長を動かすような力はどう考えたって、ないない! おまえの話おもろいけど、あかん、あかん、無理無理!」

 黒田はあくまで疑心暗鬼である。一方、俺はますます饒舌になってきた。

「おまえらダブルキーパーは、いうなれば影の軍団! 『大大大阪都構想』がほんまに注目を集めだし、仮にここ『大東』で大阪都移行の是非を問う住民投票が実施されるような事にでもなってみぃ。あんさんらトーゼン前市長の手下になって、水面下で動くのとちゃうの?」

「──」

「黒田、おまえにこの話を最初に聞いた時、正直言うて、なんで俺なん? それは金がないから、俺をタダでこき使たろ、と思いよったんや。くっそー! と思うたけど、ちょっと待てよ。どっかに埋蔵金隠しとるんや。『大東エキスポ、どや!』と、大風呂敷広げたったら、なんか出てくるんちゃうやろかと、一応は期待したんやけどなぁ……」

「せやから、金は無いと、はじめっから言うとるやんけ! おまえもしつこい奴っちゃなぁ!」

 黒田は呆れた眼で俺を睨み、大きくため息をひとつついた。再び重い沈黙が一座の口許にぶら下がった。その沈黙を破るため、俺は力強く決起した。その弾みで、椅子が大きな音をブチたてて後に倒れた。

「いつまでも、こないな議論ばっかり重ねても埒あかん! 夜明けも間近やから、そろそろ本題に入るわ! 題して『大東エキスポ・パブリシティ大作戦』や!」

「なんじゃそら、スパイ大作戦のパクリか? 聞き終えたら自動的に消滅するんか?」

 大西はおどけているが、その目は興味津々だ。俺は、皆の目が早く先を急げと訴えていることを確認すると、もったいをつけてから口を開いた。

「それでは御一統様、長らくお待たせいたしました。稲妻に打たれたごとく、私の脳裏に閃いた起死回生策についてご説明させていただきます。まず『大東エキスポ』を開催するに当たり、最大のネックは“金”です。予算を捻出するためには、大企業に冠スポンサーになっていただくか、あるいは地元企業多数から協賛金を募ることが絶対条件です」

「そら、そうや、スポンサーあるのとないのとではえらい違いや! せやけどわしら素人やんけ。だんじりの“花”は集められても、スポンサーからどないして金引っぱって来いちゅうねん!」

 黒田は投げやりな態度で、首を振った。

「そう、我々だけではスポンサードなんてものは到底難しいでしょう。最終的には我々が動かなあかんのですが、それは協賛金の集金に行く時です」

「はぁ!? ますますおまえの言うてることわからんわ」

 黒田は飲まんとやっとられんわと、マスターにグラスを突きつけた。

「要は前市長に『大東エキスポ』の広報担当、スポークスマンになっていただくのです!」

「大川、おまえ、アホか。誰が好きこのんで消滅してしまうかもしれん鼻糞みたいなどうしようもない地方都市の営業してくれるねん! 第一、そんな大それた事、誰が頼みに行けるねん!」

「そら、大東市民に決まっとるがな! そのためには映画の『スティング』みたいに前市長をうまいこと引っかけなあかん。わしらのエキスポの権威を高めるためにも、ビッグネームは絶対にいるねん。ついでに現市長、おまけに大阪府知事もいっとこか!」

 黒田は俺にまたしても虚を突かれ、完全に狐につままれた状態である。

「前市長を動かすのは、大東市民の総意と熱情や! まだ、わからんか、黒田!」

「お、大川、聞くけど、大東市民の総意を具体的にどうやって、前市長に伝えるねん?」

「それは、署名や! 『私達大東市民は、歴史を今に伝え、そして、未来に架ける橋、大東エキスポを市民の総意として、且つ市民の力を結集して開催します!』平成30年12月吉日、大東市三住町、黒田崇、57歳。黒田、おまえは大東市民を代表して、署名第1号や!」

「それから署名には『私達大東市民は、大大大阪都構想の実現を応援しています』とのキャッチも絶対に入れとかなあかん。現市長に対する、べんちゃら、くすぐりも大事や」

「大川、大東市民の署名と、おまえは簡単に言うけど、なんぼほど集めたらええねん」

 黒田は急に尻込みしだした。

「今、『大東』の総人口ってなんぼおる?」

「約12万人とちょっとですね」

 今まで黙って聞いていた令子が即答した。

「よっしゃ! 大東の総人口数12万人以上を目標にいっとこか!」

「大川、おまえはアホか! おまえ、むちゃばっかり言うてるやないけ。わしら、おちょくってんのか! 第一、そないようさんの署名、どないして集めるねん?」

 黒田は、呆れて天を仰いだ。

「そら、人海戦術に決まっとる! 金無かったら体使わんかい! 加えておまえはダブルキーパーのリーダーやら、だんじりの会長、大東商工会の役員にも名前連ねてるやろ。ちょっとした名士やんけ、おまえのネットワークふるに使うたら……」

「うーん、考えただけで熱出るわ! 12万人の署名集めようと思うたら、毎日百人の署名集めたとして1200日、1千人で120日、2千人で60日……。熱出そう!」

 黒田はイベントを簡単に考えていたのであろう。それがまだ準備にもいたらない段階で、余分な命題を課せられ鬱陶しいと思いはじめている。露骨に顔をしかめている。

「なにより大東市民には直筆で署名してもらわなあかん。せやけどこれはある意味、大東市民に対してのしっかりしたええPRにもなる」

「……!」

 黒田は完全に沈黙した。事は、大事に転換してしまった。

「黒田、それにやな、この12万人分の署名には……」

 俺の中で妄想がどんどん膨らみ始めていた。勝手にストーリーも出来上がっている。ちょっと人たらしになった痛快な気分である。

「すごいとこが、もうひとつあるねん。君らには、わからんよな、ほな、教えたる。わしらの署名活動は頼まれもせんのに、選挙運動を勝手にやったってるみたいなもんや。前市長にほぼ大東市民全員の署名が渡るねんぞ。ということは住民投票の際には『大東』の票がごっそり確実に取れるちゅうこっちゃ! 現市長にとってもこんな美味しい話はない。なんちゅうても“ふわっとした民意”の頼み事や! 断る理由がな〜んもあれへん」

 俺は、そう言い終えると腕を組んで、黒田の目をまっすぐ見た。

 しばし、沈黙──。あとは、黒田の決断待ちだ。

「確かに大川の言う通りかもしれん。『大東』の人間もよう口説かんようやったら、エキスポもへったくれもないわな。せやけどもなぁ……!?」

 黒田はまだ渋っている。

「みんな、すまんな、夜中のこんな時間まで、付きあわせてしもうて……! せやけど、俺、今むちゃくちゃ新鮮な気持ちで、ごっつい嬉しい! 今、えらい興奮してるねん……」

 俺は黒田に考える時間を少し猶予すべく、且つ、俺の中に沸いてきた熱いものを一気に吐き出したくなった。

「笑わんといてや、みんな。俺、今夜、なんか生きる希望が沸々と湧いてきとるねん! これまで、何かせなあかん、とずっとそんな事ばっかり考えとった。せやけどよう考えてみたら、何かせなあかんと思とるだけで、何をしてええのかわからず、何かせなあかんということだけをこの歳になってもまだ考え続けてるだけや。せやから結局、このまま死ぬまでず〜と何もせん! けど皆と話してたら、パァーっと目の前が開けた。たぶん、俺の妄想やろ。俺自信が見果てぬ夢物語に酔うてるねんな。『大東エキスポ』なんかやったって、一銭にもならん事も、ようわかってる。せやけど、なんか……!」

 俺はそう言うと皆の顔を見回した。

「わしら見た目はオッサンやけど、若い時から感性というか考え方というか頭の中身はぜんぜん変わっとらん。せやのに何もせんとこのまま枯れていくのも、なんか癪にさわるわな。せやけどほんま言うたら、日本人は賢いんや、苦しい時にこそ、冷静沈着に問題解決策を出しよる。俺らは日本、いや大阪を代表する大東人や! それくらいの気概持ってやってみるのも、ええかものぅ!」

 俺と目の合った林があとを続けた。

「俺、好き、林のその考え! 賛成! 今こそ、大東のオッサンパワーを結集してやな、大阪の歴史に未来永劫残るような傷をつけたろやないか!」

「イノさん、それ、ええねぇ。大東から大阪変えるくらい、グサッと傷つけたろやないの! 大東から『大大大阪都』のヒストリーが始まった! かっこええがな、このストーリー!」

 俺も調子に乗って吠えた。

「みんな、ええかぁ! 俺らのこれからの行動指針は、必死のパッチや! イェーイ!」

 大西が立ち上がって、グラスを掲げた。黒田をのぞく全員がいっせいに勝鬨をあげた。

「黒田リーダー、やりましょう! まずは動くだけ動いてみましょう!」

「えっ!」

 俺たちは一瞬固まり、一斉に令子を見た。令子の目は真剣だ。

「虚心坦懐! 素の心! どや!? 黒田、いっぺん動いてみようや。大東市民がどんな反応示しよるか、ダイレクトに伝わるぞ。やるか、やらんかは、その後で……」

 黒田は目をつぶったまま黙然としている。しばらくして、カァーっと目を見開くと、しっかりした声で言い放った。

「わかった! せやけど金はない。まずはリサーチや!」

「よっしょ、決まりや。マスター、団結式や! 誓いの乾杯や!」


 年が開けた──。

 俺は活動拠点を、日本ダブルキーパー大東支部に移した。ここで俺は最初の仕事として『大東エキスポ開催署名募集』原稿を作った。

『私達大東市民は、歴史を今に伝え、そして、未来に架ける橋『2020大東EXPO』を市民の総意として開催する事を計画しています。実行委員会名誉会長には、前市長の就任を望んでいます。下記の欄にあなたの会ってみたい大東にゆかりのある有名人をご記入下さい。なお、この署名は個人情報保護のため、本目的以外には使用いたしません』

 この原稿をコピー機でB5サイズ千枚に白黒コピーした。同時にリーダーの令子を筆頭に30代、40代のダブルキーパー、精鋭女性部隊6名による『大東エキスポ署名活動隊』が編成された。目標は、1週間で千人の署名を集めること。いうなれば、この第一段階は、黒田を納得させるプレゼンみたいなものである。

「あなたの署名で実現させよう、大東エキスポ! お願いしま〜す」

「えっ? エキスポ、なんですのん、それ?」

 介護用の手押し歩行車を止めたおばあちゃんが尋ねた。

「へぇ、大東で万博しまんのん。来年? ここに住所と名前書いたらええのん? 判子はいらん? そうでっか、ご苦労さん、はい、飴ちゃん」

 署名活動は、危惧するまでもなく快調に滑り出した。『大東エキスポ』というタイトルが人々の好奇心をくすぐるのであろう。“エキスポ”という言葉が元気な頃の日本、なにより活気溢れていたあの頃の大阪を連想させたのかもしれない。令子たちは予定より早く3日間であっという間に千人の署名を集めてしまった。

「署名集まったというてもなぁ……。あとまだ11万9千人、先の長い話やなぁ……」

 黒田はまだ迷っていた。その時、事務所の電話がなった。

「はい、ダブルキーパー大東支部です。どちら様ですか? 黒田ですか? お約束ですか? はぁ、それはなんとも……。少々お待ち下さい」

 電話番の女性スタッフが電話の保留ボタンを押した。

「黒田リーダー、新聞社から電話が入っています」

「新聞社?」

 黒田と対峙していた俺は、ピピッときた。目で黒田に早く出ろと催促した。黒田は立ち上がり、受話器を受け取った。黒田は保留ボタンを押して通話を解除した。

「はい、電話代わりました。黒田ですが……取材? ちょっと待って下さい。予定が……」

 黒田は受話器を手で押さえて俺に訴えた。顔には動揺した表情が浮かんでいる。

「おい、大川どないすんねん? 産朝新聞の真田とかいう記者が取材言うとるぞ……」

 俺は嬉しくなった。こんなにも早くマスコミが食いついてくるとは……!

「さっそく新聞記者が食いついてきよった。黒田。お前、腹くくるしかないわ!」

「アホ、もうええわ!」

 黒田はくるりと向きを変えると、受話器に向かって言った。

「お待たせしました。昼一なら……。わかりました。明日の1時ですね。お待ちしてます」

 黒田は席に戻ってきた。額にはうっすら汗が浮かんでいる。

「せやけど、ほんま、えらいこっちゃ! 新聞記者に何を聞かれるんやろ?」

「そうやなぁ……、まだ何も決まってへん。プログラムは構想中ということで逃げといたらええんとちゃう?」

「大川、そんなんでええんか!? 新聞記者ってしつこいんとちゃうか?」

「そらそうやろ、どこの新聞社も特ダネ探しとるからなぁ! それより黒田、名刺や!」

 黒田を見ると、不安を隠せず今からもう緊張している。

 

 記者は午後1時ピッタリに来た。黒田と俺は、事務所の会議室で記者を迎えた。

 記者の名前は真田幸雄、産朝新聞大阪本社、社会部と肩書きがあった。記者を目の前に、その容姿を見て俺達は少々面食らった。記者はカジュアルな出で立ちでイマ風、なにより若い。記者は俺達オッサンを前にしても物怖じせず、気さくな感じで取材を始めた。

「……実は、うちの販売部の人間からこの情報もらったんです。そいつが新聞販売店の挨拶回りを終わって、夕方、住道駅でごっつい美人に声かけられまして……」

 俺と黒田は、真田記者の問いかけに思わず目を合わせ声を揃えた。

「令子ちゃんや!」

「何ですかと、その別嬪さんに尋ねたら、来年、大東でエキスポを開催します。今はその予備調査で署名を集めています。詳しいことはこっちの事務所にいる代表の黒田さんに尋ねて下さいということで、ここを教えてもらったという次第です」

 真田記者はテーブルの上にある即席の名刺、黒田と俺の名刺を見て言った。

「さっそくですが、なんでまた『大東エキスポ』なんですか?」

 真田記者がメモ帳を取り出して取材を始めた。

「名刺に準備室とあるように、まだあくまで調査段階なんです。『大東エキスポ』は……」

 黒田が、大東エキスポ開催の意義についてかい摘んで話した……。

「なるほど、現市長と前市長が陰で糸を引く『大大大阪都構想』が仮に実現したとしても大東の火を消したくない。全大東市民の意識の中に、大東というイメージをいつまでも残すには、強烈な祭りというか仕掛けが必要やという訳ですね」

「都市の名前が消えてしまうというのは、なんか故郷が突然喪失してしまうような気がするんです。以前、自分の通う大東の小学校が統廃合により消滅することに寂しさと憤りを憶えた男子生徒がいました。彼は自らの命と引き換えに必死で中止を訴えました。その切ない気持が、なんや今になってわかるような気がします」

 俺は黒田のあとを続けた。

「もちろん、『大大大阪都構想』により変貌する期待感の方が大きいです。せやけど、その流れにただ棹さして乗ってしまうのも、なんかおもろない! やっぱり大東の人間は違う! あいつらどえらいことやりよった! あんなこと大東の人間にしかできん! 大東という名称が地図から消えることがあっても、大東魂は永久に不滅ですわ!」

「……ということは『大東エキスポ』を開催することで、新たな大東伝説を作りあげ、人々の心象風景の中に『大東』というイメージを永遠に残そうというわけですね……」

 真田記者が黒田の目を見て確認した。

「そうそれ、大東伝説ですわ。最低でもこの北河内地区でイニシアチブを取れるように今から意識改革と方向付けをしっかりしとかなあかん。その確認の第一歩が……」

「署名活動の『大東ローラー作戦』というわけですか」

 真田記者が、黒田の説明を受けてメモした。さらに黒田は続けた。

「『大東エキスポ』は、大東の街そのものがパビリオンですねん。大東の端から端までまるごと使うた街博やと思うてください。テーマは『街がおもろい・大東、人がおもろい・大東、どこから切ってもおもろい・大東』。市民はもちろん、各界から大東に縁のあるおもろい人物がぞくぞく集うヒューマン・エキスポですな。乞う、ご期待!」

 いつの間にやら黒田は、『大東エキスポ』という蜃気楼に魅せられてしまったようだ。

「しかし、エキスポと銘を打つ以上、ある程度のお金をかけないと……。予算の出処は?」

 真田記者が質問した。

「我々は行政に協力はお願いしても、金は当てにしていません。あくまで民間主導です。そうですねぇ、これからかき集める予算の目標は1億円と想定しているのですが……」

 黒田に代わって、今度は俺が記者の質問に答えた。

「ひぇ〜、1億円!? 皆さん、素人でしょ。そんなお金、本当に集められるんですか?」

 真田記者が一転、疑わしい目で俺たちを見た。

「その手段の第一歩が署名活動です。これはマーケティング・リサーチも兼ねているんです。『大東エキスポ』やる言うても、大東の人間が賛同せんかったら、何も始まらんでしょ」

 俺は会議テーブルの上に積み上げていた署名用紙の束を手でパンパン叩いて見せた。

「3日間で千人の署名が集まりました。おまけに、頼んでもないのに産朝新聞という大新聞社が食いついて来ました! これはどういうことでしょう?」

「そら、まぁ、興味もあるし、僕自身、前市長という人間も気になって……」

 真田記者は俺の切り返しに、無防備に本音をのぞかせた。

「問題は人脈なし、コネなし! せやけど金はいる! 協賛募るにも、こっちもそれなりの説得材料を用意しとかなあかん。そのひとつの手段が署名です。署名する事で、みんなの心がひとつになり、大きなモノを動かす原動力に! 真田さんにもぜひお願いします」

 俺は真田記者に署名用紙を差し出した。黒田も俺の横で深々と頭を下げてお願いした。


『新たな大東伝説!? ハイブリッド万博・大東エキスポ! 人も街も、おもろい大東てんこ盛り! 前市長にラブコール! 『大大大阪都構想』にも一役買いまっせ!』

 事務所で俺たちは産朝新聞朝刊に見入っていた。記事は我々実行委員会が『大東エキスポ』実現に向けて、12万人の署名獲得活動に東奔西走している様子が掲載されている。さらに行政に頼らず市民が主役となって創るユニークな街博として、課題の地方創生、今後の街づくりを考える起爆剤になるかも? と結ばれていた。

「リーダー、決断を!」

 令子は黒田に迫った。黒田はまだ逡巡していたが、やおら椅子から立ち上がると──。

「よっしゃ、やろ! 『大東ローラー作戦』全面突撃開始や! 吉村君、大至急印刷屋に連絡! 署名原稿12万、いや余裕みて15万部刷っとこか」

 この日を境に、問い合わせが殺到した。新聞PRと署名を終えた大東人の口コミ効果もあって、署名希望の市民が後を絶たず、いつの間にか署名することが大東人の義務みたいな風潮になってきた。さらに俺たちは署名を獲得するために考えられるあらゆる方法、人海戦術を駆使した。『大東エキスポ応援、署名デスク』を市役所、郵便局、銀行、JR各駅、各商店会振興組合に話をつけ商業ビルや商店街にも設けた。ほかに創価学会に天理教、カソリック教会など協力してくれそうな団体には宗派を問わず手を広げた。

 こうした甲斐があって、大東の白地図はマーカーでほぼ塗りつぶされた。署名活動をスタートして28日目になんと目標の12万人を突破した。これにインターネットで募集した地方からの署名分を含めると、14万2563人分もの署名が集まったのだ。署名は特に締め切りを設けていないので、毎日、増え続けている。

 12万人分の署名を獲得達成した記念に「ガボット」で、マスターのイノさんと大西、林の3人が俺たちのために、ささやかな宴を開いてくれた。参加者は俺に黒田、令子、吉村君、それに『無我夢酎』の奥井君と豊田君である。

「お疲れさん!」

 大西の音頭でまずはビールで乾杯した。

「しかし、なんですなぁ……。やってみたらなんとかなるもんやなぁ。どこぞのウイスキーメーカーの社長さんの『あんた、いっぺんやってみなはれ』は、的を得た格言ですなぁ」

 林は、今さらながら感心している。

「それより、これからがほんまの正念場、勝負の時や。俺らの手には大東市民の総意、『大東エキスポ』開催に向けての血判状とも言える署名大全集がある。すぐにでも前市長に届けに行かなあかん」

「せやな、前市長のスケジュール早急に調べなあかんな」

「あかん、あかん、黒田。署名大全集、大至急明日にでも届けなあかん。こいつら一分一秒を争っとる、足下にもケツにも火がついとる! 俺らのやる気、本気度を真剣に前市長に見せつけなあかん! それこそ、俺らの合い言葉、必死のパッチや!」

「せやけど前市長は、党の法律顧問やし、それでのうても新年度を前に挨拶回りやらテレビのレギュラー番組の収録やらでいろいろと忙しいのとちゃうか……」

「ええやんけ! こっちから勝手に押しかけたって、花の東京から第一声『大東エキスポ』開催を全国に向けてぶち撒けたる! ごっついええPRになりよるで。これは──!」

「大川、おまえ、経費なんぼかかるかわかってるんか!」

 黒田は熱出そう! とばかり悲観的に首を何度も横に振っている。

「はい、リーダー、夜中に高速走ったら、ETC割引で3割安です。ぼく、運転します」

 吉村君が例のごとく挙手して宣言した。

「そう、その心意気! ここは前市長流で押さなあかん! 少々強引な手を使うてでもやな、こっちの主張を無理矢理にでも押し通さなあかん。呑気に構えて待ってたら、あかんのや!」

「黒田さん、こんな時にこそ、ダブルキーパーのコネ使わなあかんのとちゃいまっか? 本部の偉いさんやったら前市長ともツーカーでっしゃろ!」。

 今度はマスターのイノさんが黒田をけしかけた。

「四の五の悩んどってもしゃあない! 0泊3日の弾丸ツアー決行や! 党本部へ陳情や! 皆の衆、よいか! 明日の真夜中、いざ出陣じゃい!」

「──」

 俺の呼びかけに黒田は答えず、令子と吉村君はしっかりと頷いた。

 

 次の日、午前零時──。

 東京への弾丸ツアーを決行するために、俺達は大西所有のワンボックスカーをチャーターした。弾丸ツアーの陳情隊は、リーダーの黒田、令子に吉村君、それに俺の4人だ。

 黒田が道中の安全、無事を祈って、ワゴン車のボディとタイヤに塩をまいた。

「皆の衆、用意万端整ったでござるな。よし、それでは花のお江戸に向けて旅立ちの時でござる。いざ、いざ、い〜ざ!」

 吉村君が運転席、黒田は助手席に、俺と令子は2列目シートに並んで乗り込んだ。

 乾坤一擲、俺たちの大一番、勝負の幕が開いた!


 翌朝午前10時──。

 俺たちのワンボックスカーは、東京都港区にある前市長が顧問を務める国政政党本部に到着した。俺たちのクルマが駐車すると、ワッとカメラマンたちに取り囲まれ、一斉にカメラのフラッシュが閃光した。テレビのビデオクルーも結構いる。これは俺も予想だにしなかったことだ。一体全体なんの騒ぎ? 俺達にはなんのこっちゃか、まるでわけが分からない。取りあえず緊張した面持ちで恐る恐るワゴン車を降りるや、たちまち記者連中に取り囲まれてしまった。

「本当に運送屋も頼めないほどお金が無いのですか?」

「あんたたちの行動は単なる売名行為? 実際、真相はどうなの?」

「道中、富士山は見えましたか……?」

 俺たちは記者たちの質問に、スクープされた芸能人のごとく黙りを決め込むしかなかった。玄関前の騒ぎに気がついたのだろう。党職員が出てきて、群がる記者を整理した。

「おお──!」

 吉村君がワンボックスカーのリアドアを開けるや、荷台の段ボールの山を見た記者からどよめきが起こった。

 俺たちは職員に案内されて、まだ無人の会見室に入った。俺たちは段ボールから署名の束を取りだし、長テーブルの上に積み上げ紅白幕で覆った。

 しばらくすると前市長が秘書に誘導されて入ってきた。その後に玄関先で俺たちをもみくちゃにした記者連中がドカドカと続いた。

「いやぁ、皆さん、遠路はるばる東京までご足労をおかけしましたね。お疲れさまです」

 前市長は満面の笑みを浮かべて、俺たちと順に握手を交わした。黒田も令子も吉村君もそして俺までも、すっかり生の前市長を前に、極度の緊張と感激で圧倒されている。

「いやぁ、実におもしろい。『大東エキスポ』は『大大大阪都構想』を盛り上げ、前哨戦ともなる民間主導のイベントですね。大阪を活性化させるだけでなく、大阪の副首都化、全国自治体での統治機構改革の起爆剤にもつながります。こういう乗りのいい民間人がぞくぞく出てくれることを僕は待ち望んでいたんですよ」

 前市長は開口一番、こちらがまだな〜んにも頼みも説明もしていないのに、勝手に仕切り進行している。

「前市長! それは党綱領の精神にも相通じますね」

 記者席から声が上がった。前市長の番記者なのだろう、明らかによいしょである。

「そうです! 我々は脱官僚主義、中央集権型の国家運営モデルとの決別。自立する個人、地域、地方行政の実現を目指しています。『大東エキスポ』は、大阪の大東市民による自助と共助で成り立つ博覧会です。これに行政の公助が少し加われば……!」

 俺に促されて、黒田が一歩前に出た。そして、少し上擦った声で、

「あ、あの〜、私達は『大東エキスポ』開催に当たり、大東市民の賛同を問うべく署名を募りました。こ、これは大東復権に思いを馳せる大東市民の総意であります。ど、どうぞ、お受取り下さい」

 黒田の挨拶終わりで令子と吉村君が、紅白幕を引いた。中から、署名の山が現れた。

「『大東エキスポ』実現を願う大東市民及び全国の賛同者からの署名です!」

「署名数は、合計16万5571人。内訳は主に大東市内を中心に対面による署名活動で14万8人分。これにインターネットで募集した地方からの署名分が2万5563人です」

 令子は数字を空で憶えている。

「それからもうひとつ大東市民の総意として、前市長に大東エキスポ名誉会長への就任をお願い致します。これにより『大大大阪都構想』で変貌を遂げるやも知れぬ“大東の新しい歴史”と“大阪改革”の始まりを、ご自分の目で実際に見てご確認いただきたいのです。ぜひ、お願いします!」

 黒田を筆頭に俺たち4人は前市長に対し、額ずかんばかりに頭を下げた。

「わかりました。やりましょう! 私にできることなら喜んで応援しましょう!」

 前市長が俺たち4人と一緒にがっちりと握手を重ねた。同時にカメラのフラッシュが一斉に閃光した。

「しかし、なんで今更の博覧会なんですかね? 所詮、地方のお祭ごっこの延長みたいなイベントでしょ。そんなものに客が入りますかね?」 

 記者席から覚めた声で、質問がきた。

「大丈夫、絶対に成功間違いなしですよ!」

 前市長は記者席に向かって署名用紙の山を両手の平でバンバン叩いて見せた。

「この署名者総数の半分と見積もっても、8万人以上の動員が見込めるでは、あ〜りませんか! これは実に大東市の人口の半数が動くのですよ。かなりの経済効果も期待できますね」 

 元弁護士でもある前市長は冷静に分析し、俺たちを後押ししてくれた。これで一気に気持が軽くなった。東京ふんだりまでわざわざ出てきた甲斐があったというものである。

 前市長との会見は当初の予定時間を大幅に過ぎ、秘書が次の予定を告げるまで続いた。記者達が会場を去ったあともまだ残っている者がいた。産朝新聞の真田記者である。

「皆さん、記者会見は大成功でしたね。前市長という大きな山を動かしましたね」

 俺は納得した。記者会見が大事になったのは、ひょっとして真田記者が情報をリークした? 

「真田さん、お手数をおかけしました。我々のために、こんな盛大な記者会見までセッティングしていただいて……」

「なんのことですか? 僕は知りませんよ」

「もう、ご謙遜なさって……。だって東京へもこうして……」

「僕も新聞記者の端くれです。特ダネをほかの社に漏らすなんてことは絶対にしません。

相手は前市長ですよ。彼はある意味、日本一の宣伝マンです! 東京でも彼の番記者が各社にいます。それだけでも……。ね!」  

 真田記者は壁に貼られた歴代のPRポスターを示した。そのポスターの中の1枚に写る前市長は、俺たちに向かって「どやっ!」と、まっすぐ人差しを突きつけていた。


 東京での記者会見から2週間後──。

 今日は地元で行う『大東エキスポ開催発表記者会見』である。記者会見場は大東市が30年前に市政30周年を記念してオープンさせた文化会館『サーティホール』である。

 吉村君がパソコンをいじって回線をチェックしている。俺は前市長がいる党本部と結ばれたテレビ会議用のスクリーンを見つめて呟いた。

『前市長には、開催日に来てもろたらええんや。今はまだ東京におってもろて、いつも大東の事気にかけてる、見ているでぇ! と、世間に思わせることが大事なんや……!』

 午後1時──。

 ぞくぞくと記者が集まってきた。受付では記者から名刺を受け取り、『大東エキスポ』開催概要など資料が入ったプレスリリースを渡した。俺はホッとすると同時に、生まれて初めて経験する強烈なプレッシャーをひしひしと感じていた。もうあとには戻れない!

 午後1時25分──。

 開演5分前を告げる予鈴が会場全体に鳴り響いた。

「ご来場の記者の皆様方にご案内申し上げます。まもなく開演します。ロビーにいらしゃる記者様は、どうぞお席へおつき下さい」令子が影アナで案内コメントを入れた。

 ステージに本日の出席者、実行委員長の黒田を筆頭に大東市長、大阪府知事、大阪市長の3つの“大”がつく首長が入ってきた。次に市会議員など理事数名、大東市のゆるキャラ『ダイトン』が続いた。最後にダブルキーパーなどボランティア達がVIPを取り囲むように、その後ろにズラリ勢揃いし整列した。

 午後1時30分──。開演を告げる本ベルが場内に鳴り響いた。

「♪大東の名前消えても、心の灯火消えない ♪心で感じる、大東 ♪おもろい街、大東♪人がいっちゃんおもろい、大東エキスポ ♪……」

 大東出身のバンド『無我夢酎』のPRソング演奏が先に流れ、ゆっくりと緞帳が開いた。曲が終わると、演奏者の2人は下がり、ボランティアの列の中に加わった。

「本日は大東エキスポ開催発表記者会見にご臨席賜り、誠にありがとうございます……」

 令子の進行で記者会見がいよいよスタートした。

「まず皆様に、大東エキスポ実行委員会の方々をご紹介いたします……」

 令子が大東市長など実行委員会の役員を順に紹介した。

「……そして、我らが大東エキスポ実行委員会名誉会長です」

 ステージに設置された大型モニターの中に映しだされた前市長が頭を下げた。

 令子は式次第に乗っ取って、プログラムを進行していく。黒田が大東エキスポ開催意義を述べ、続いて俺がざっと予定しているプログラムについて、かいつまんで説明した。

「大東を舞台に現在・過去・未来、人と人がクロスオーバー! 文化の衝突、交流を通じて昇華が起こり、街に生きる人々の新たな価値観、創造力をかき立てる! そのプログラムをざっとご紹介いたしますと……。まず、だんじりは岸和田だけやおまへん! 大東の全だんじりが集結し競演する『大東だんじりカーニバル』。はたまた大東に縁のあるミュージシャンがじゃんじゃん登場! 音楽で綴る夢の大東『大東ミュージックフレンド』。もちろんお笑い陣も黙っていません! 『笑い転げて大東平和座』……」

 俺は極度の緊張と高揚感で気持ちがすっかり舞い上がっている。概要書を読み上げるだけでもう必死のパッチである。

「『大東エキスポ』は『大大大阪都構想』を応援する初の都市型イベント『街ぐるみ博覧会』です。皆さん、今から来年の春の行楽計画に『大東』をぜひ組み込んでおいてください」

 説明を終えると、俺の額から滴り落ちる汗がステージに水たまりを作っていた。

「お待たせしました。続きまして、エキスポ名誉会長より大東エキスポ開催に当たり、ひと言メッセージをいただきたいと思います。名誉会長、よろしくお願いします」

 令子がスクリーン中に鎮座まします前市長こと名誉会長へ呼びかけた。

「記者の皆様ご苦労様です。『大東エキスポ』は市民自らが企画して運営するシティプロモーション、市民の市民による市民のための博覧会です。我々はサポーターにすぎません……略……大東には日本を代表する素晴らしい企業もいろいろありますね。女性社長ならではの気配りが素晴らしい『アート引っ越しセンター』、日本経済の指針、稲森哲学の『京セラ』。世界の『パナソニック』に『船井電機』、僕も遠足には必ず持っていきました『象印魔法瓶』、大相撲の振興にも一役買ってます『摂津倉庫』。それからなんとパチンコ玉の生産量日本一『光新星』、へてから義肢のトップメーカー『川村義肢』。お買物するなら『京阪百貨店』に『ダイエー』『マックスバリュー』『イズミヤ』『スーパー万代』……」

 名誉会長が打合せ通り、企業の名前を次々に読み上げた。彼は言葉巧みに企業紹介メッセージを折り込んではいるが、ひと言も協賛金にはふれていない。

「それから大東に縁のある芸能人、スポーツ関係者の皆さん、みんな『大東エキスポ』に集合です。あっ、言い忘れましたが、ギャラは出ません。有名人の皆さん、大東の企業の皆様、大東市民のためにぜひ力を貸してください。みんな必死のパッチなんです!」

 名誉会長がスクリーンの中で頭を下げた。さすがに千両役者である。我々が期待した以上のプレゼン力を発揮してくれた。

「私達大東市民は、名誉会長から逆に勇気をもらいました。名誉会長は多忙につき、ここで退席とさせていただきます。ありがとうございました」

 令子のコメント終わりで、スクリーンの名誉会長が消えた。

「続きまして大東エキスポ実行委員会役員より順に、ひとこと御挨拶申し上げます」

 壇上の役員達が名誉会長に負けじと存在感を示すべく、『大東エキスポ』への協力体制について熱く語り始めた。いつの間にやらパネルディスカッションの様相を呈している。

「大東市は福祉事業、人口定住事業に多くの予算を割いているので、お金は厳しいです。その代わり大東の主要施設はすべて優先して『大東エキスポ』にタダで開放します」  

 と、大東市長がこうのたまえば、現市長も黙っていない。

「大阪市は全面協力します。だって、この万博は大阪復活に賭ける、言うなれば『大大大阪都構想』の魁となる実験イベントですからね。あっ、そうそう『御堂筋イルミネーション』で使ってるLED貸出します。大東の夜を七色の光に染めて、そらぁ、きれいですぅ〜」

 もちろん、大阪府知事だって負けていない。

「僕んとこは、うちの観光特使と一緒に巡る『ガイジンさん、いらっしゃい! 新野崎参り』をやります! 目標、来阪外国人1800万人も見えてきたなぁ……」

「知事、この万博、大阪の二重、いや三重行政の解消のいい手本になりますね。大阪府・市・大東という3つの“大”がつく首長が揃ってスクラムを組んだんです。手間と無駄を省いて、一気に高まる『大大大阪都構想』!」

 現市長に呼応して知事、大東市長が大きく頷いた。これに記者達の質疑応答が入り交じり、記者会見は予定終了時間を過ぎても治まらず、地方創世を考える大討論会へとヒートアップした!


 大阪でのマスコミ記者発表は大成功であった。しかも『大東』という大阪のちっぽけなローカルタウンから強烈な一発を全国に向けて放ったのだ。驚いたことにさっそく前市長・名誉会長が挨拶の中に折り込んだ企業から、問い合わせ、申し出がいろいろとあった。オフィシャルスポンサーとして、ぜひ協賛したいという。象印マホービンなどは、記念のマグボトルや保温ランチボックスなども企画したいという。ノベルティや記念グッズ、土産などを揃えることも今後の課題に上がっていただけに、まさに棚から牡丹餅、誠にありがたいご提案である。

 さらに大阪を代表する二大お笑いプロダクション、吉本興業と松竹芸能からもぜひとも協力したいと申し出があった。

「協力してもらえるのは、ほんま、ありがたいです。名誉会長が言うてましたように、ギャラはでません。弁当も出るか、出ないかです。それでもご協力いただけるのなら……」

「そうですよね。ケチと渋ちんはちゃいますもんね。大阪は情が一番ですもんね。大東出身芸人のフィギュアやキーホルダーなど作って、土産に売りましょか?」

 やはり、ただでは転ばぬのが吉本である。ちゃんと転ばぬ先の杖を用意している。

 入れ替わりにもうひとつの笑いの殿堂、松竹芸能の営業マネージャーが直接尋ねてきた。

「うちの社長は、以前、大阪府の教育委員会に選ばれてました。うちの取り組み『笑育わらいく』は子供たちの国語読解力向上のお役に立ちました。うちは『笑育』を通じて、『大東エキスポ』のおもしろさ、楽しさを子供たちと共にプレゼンしていきます」    

 以後、俺を取り巻く環境は激変した。やることがあまりに多すぎて、東天満の事務所には、まったく顔を出せなくなった。もちろん俺の資金繰りは、無茶苦茶厳しい。飲みに行けなくなり、タバコも東京へ弾丸ツアーに行って以来、ピタリとやめた。

 貧乏は好きではないが、慣れるものである。貧乏でも確かな目標があると、とりあえず煩悩という貧乏人にはじゃまにしかならない邪念なるものは、一気に霧散してしまうものである。それより俺たちはもう後には引けない。乗りかかってしまった船だ。荒海で沈まぬように一致団結協力して、なんとしても渡りきるしかないのだ!

 

『金はない! 大東エキスポ』──。

 俺たちは人を喰ったこの言葉をキャッチコピーにし、且つ強烈なセールスアピールにした。無一文からのスタートである。本当に金がないのは、真実である。

「金やない、人や!」

 俺はこの年になってやっとわかった。単純に頑張ればええねん! やろうと思った時が、旬やん! 金が無かったら、作らんかい! あるいは、金いらん方法考えたらええねん! とにかくやってみたら、なんとかなるねん! 失敗しても、命まではとられへん! と最後は開き直りだが、本気で一生懸命動けば、必ず人に伝わる。 

「産朝新聞で見た。うちの空店舗を事務局に使うたらええやん!」

 こう言ってくれたのは大東のドン、摂津倉庫の会長だった。大相撲春場所開催時には、相撲部屋も誘致している谷町でもある。会長は空き店舗を無料で提供してくれた。場所は、住道商店街の一画。今でこそ、周辺に7店舗以上も増えた大型スーパーや百貨店の進出により、お決まりのシャッター商店街と化しているが、駅前から徒歩30秒というロケーションだけはバツグンである。    

 住道駅そばでアーケードがあるから雨が降っても濡れない。アマチュアバンド『無我夢酎』が「♪雨が降っても、傘はいりまへん。端から端までアーケードでっせ……♪」と、テーマソングを唄っているあの商店街である。

 会長が提供してくれた店舗は、元婦人服の洋装店で50坪近い広さがある。間口が3間近くあり、2階部分も事務所として使用できる。がら空きのショーウインドウに開催告知ポスターをベタベタと貼っていると、さっそくおもろい人物が飛び込んできた。

「はじめまして。どうぞ、こっちお入り。そうでっか、おおきにはばかりさん……」

 着物姿の男が一人でツッコミ、ボケをかまして入ってきた。男の正体は、落語家の桂出丸である。出丸は桂ざこばの弟子で上方落語の中堅どころ。大東市出身、地元の南郷中学校卒業で、商店街の中ほどにあるちゃんこ料理屋『二瀬龍』で『本通り寄席』という落語会を定期的に開いている。もうかれこれ15年以上は続いている。

「今日はどないしはったんですか? 出丸さん自ら本通り寄席のPRですか? 3時開演ですね。あとでちょっとのぞきますわ」俺が応対すると……。

「ありがとうございます。ではお代は前金で……。ちゃいます。何を言わせますねん。きょう寄せてもろたのは、『大東エキスポ』の応援です」

「……?」

「名誉会長さんがニュースで言うてはりました。芸人さんのPR大使募集中でーす! 同じ商店街で事務所出しはったから、これも何かのご縁かなっと……。これはいの一番にかけつけなあかんということで、こうやってさっそく寄せてもろうたという次第であります」

「さいでっか! それはまぁ、なんとも奇特な! そういうことならば、思い立ったが吉日。さっそく僕の独断と偏見でPR大使に任命しましょう!」

 俺は出丸に真顔で言い、続けて念を押した。

「ご存知のように『金はない! 大東エキスポ』。ほんまに、ギャラは出まへんで!」

「わかってます。ここの本通り寄席も万年、ギャラは雀の涙! それはガッテン、承知の助。その代わり打ち上げする時は、必ず呼んどくなはれ。それで、手うちましょ!」

 桂出丸がPR大使第1号である。俺は咄嗟に閃いた。出丸が着物姿なのも、これ幸い。事務所の奥でパソコンに向かっている、吉村君にビデオカメラを持って来るように言った。

「出丸さん、PR大使第1号です。おめでとうございます。そこでさっそくですが……」

 俺のいきなりのお願いに出丸は明らかに警戒心を抱いている。思わず、後ずさりした。

「そないびっくりせんでもよろしい。これから桂出丸PR大使の初仕事です。大東のえええとこPRしてもらいます。その模様を編集してビデオやネットで流します。ええ考えでしょ!」

「そう言うことでありましたら、オッケー、OK牧場、京阪電車はオーケイはん!」

 出丸は警戒を解いた。

 俺と吉村君は急遽、本通り寄席の会場『二瀬龍』に移動した。客席は年配の客でほぼ埋まっている。吉村君は席の一番後ろにビデオと三脚をセットした。CDに録音した太鼓と三味線による出囃子演奏が始まった。客席に拍手が鳴り響き、出丸が高座に上がった。出丸が見台の前に座り、パチンと小拍子を打った。客席が静まり、出丸の落語が始まった。

「まぁ皆さん、聞いてください。私、この度、大東エキスポPR大使第一号に任命されました。第一号でっせ! ギャラ出んからほかになり手がおらん、どうせ暇やし、時間は腐るほどある。こんなピッタリな芸人、私しかおらん! 商店街歩いてここまで来たら目の前に事務所もあるし、これも何かの縁やとさっき自分から売りこみに行ってきました……」

 出丸は打合せもしてないのに、落語の演目の枕に『大東エキスポ』のPRを盛り込んだ。

「『大東』には、ごっつい熱心な大相撲ファンが大勢おります。春場所開催時には相撲部屋が4つもでき駅前に力士の派手な幟が立ち並び、お相撲さんも歩いています。ここのちゃんこ屋の大将も元は……」

 ホームページに桂出丸PR大使第1号のプロモーションビデオをアップしたら、協力先の松竹芸能からさっそく連絡が入った。

「うちはTKO・木下と木本をPR大使に推薦しますわ。ぜひ、使うたってください」

 TKOの二人をアップしたら、間髪入れず今度は吉本興業からだ。

「私とこは住道中学出身の高山、野崎高校出身のなるみを出します。ほかにホンコン、丸むし商店とかロケやらで住道を訪れたことのある芸人を選抜してます。……なんですって、ギャラは出ません! うちも大概きつい会社やけど、大東さんはその上いきまんな……」

 大御所だって、黙っていない。上方落語会の重鎮、桂南光と元MBSアナウンサー角淳一がひょっこり事務局に現れた。

「すんません、わざわざご足労いただいて……。いずれ、こちらから御挨拶にと……」

 広報窓口の俺は二人に恐縮した。

「気ぃつこうてもらわんでもよろしい。この商店街の角にある洋食屋『三ツ川』へ久しぶりにハンバーグでも食いに行こかと、南光ちゃんと住道駅で途中下車したもんやから……」

 角さんが取り繕うように言った。令子が奥から盆を持って現れ、お茶を二人の前に並べ、俺の横に座った。

「えらい別嬪さんやなぁ……」南光師匠が令子に見とれている。

「南光ちゃんはまだまだ元気やね」角さんが南光師匠の脇を肘でつついた。

「何ですって、角さん? ああ、せやせや、この間、米朝一門会で、桂出丸君に会いました。その時に、こちらでは今、『大東エキスポ』のPR大使を募集してはるとか……。兄さんも昔住道に住んではったよしみで、登録だけでもしときなはれと……。なんや狂犬病の予防接種受けに行けみたいに言われたもんやから……」

 南光師匠が来訪の目的を告げた。

「それは、それは、ありがとうございます。ただし……」俺が言いかけると……。

「ギャラは出まへん!」南光師匠と角さんの二人が声を揃えた。

「よくご存知で。それからもうひとつ。これも何かのご縁、立っている者、親でも使え! と諺にもあるように、角さんにはエキスポ開幕式で総合司会をお願いしようかなっと……。南光さんには『野崎参り』なんかを演じてもらえたら、嬉しいかなっと……」

 令子がちょっとブリッ子して、上目遣いで二人にお願いを込めた。

「ほんま、美人に言われたらしゃあないでんな。角さん!」

 南光師匠が角さんに同意を求めた。

「ただし……!」令子は南光と角さんを交互にしっかり見て、

「ギャラは出まへん!」令子も念を押した。

「お宅、可愛い顔して、けっこうえげつないこと言いまんね!」

 南光師匠はあきれた目で、令子の顔をまじまじと見つめた。

 こんなことがきっかけで大東に縁のある芸人、タレント、スポーツ選手、ミュージシャン、文化人などが次々に任命されていき、大東エキスポPR大使の輪が一気に広がった。しかもPR大使は海外にまで波及し、なんとベンチャーズのリーダー、ドン・ウイルソンからオファーがあった。以前サーティホールでコンサートをやった事があり、メンバーが『大東エキスポ』を最後のジャパンツアーのステージにすべく、どっこらしょと立ち上がったのである。もちろん彼らにも「ギャランティ・イズ・オールナッシング、ノーギャラや!」と交渉した上で快諾を得ている。

 俺たちは、大東エキスポPR大使のマスコミへのさらなる露出、パブリシティ効果を狙って、PR大使の証明となるピンバッジを限定で作った。大東市のマークに『2020大東EXPO』のロゴを重ねてデザインした。バッジの第一号は名誉会長に真っ先に届けた。これが予想を超えるものすごい反響をもたらした。

 現市長、知事、大東市長をはじめ傘下の府市会議員をはじめ大阪を基盤とする国会議員など皆、党派を問わず、ピンバッジを欲しがった。さらにテレビのレギュラー番組で名誉会長が芸能人達に応援を呼びかけたことで、芸能界にピンバッジがあっ中間に浸透していった。この大使バッジを付けることが、2019年芸能界のトレンドとなった。余談ではあるが……。


  『大東エキスポ開催まで、あと240日』(平成31年8月)

 時の経つのは早い──。

 膨大な作業に日夜追われているうちに、気がつけば夏になっていた。時節は盆である。さすがに俺もこの時期だけはお休みである。しかしながらオカンの3回忌があり、あっという間に盆休みも過ぎていった。油断していたわけでないが、休みの最終日に、どっと疲れが出た。仕事の緊張感から急に開放されたせいであろう、リズムが狂い体が怠くて重い。体にまとわりつく不快指数を吹っ飛ばすため、昼間からクーラーをガンガンに回した。

 『家庭の省エネ診断エキスパート・令子』も、さすがにお盆は指導に来ないだろう。それに、なんたって同志だ。仮に指導に来たって、俺は1日のほとんどを事務局で過ごしているから、俺んちの電気代は限りなくゼロに近い。だから、誰にも文句は言わせん! 

 そんなことをボォーと考えながら、ごろ寝のまま無意識にテレビをつけた。画面に夏の全国高校野球選手権大会が写った。ちょうどイニングのインターバルである。画面の3分の1にCMテロップが流れ、残り3分の2に甲子園球場内野アルプス席の応援風景が写っている。今日は決勝戦なのだ。大東の星、甲子園の常勝校、大阪桐蔭高校は今年も下馬評通り決勝に駒を進めた。カメラは大阪桐蔭高校内野応援席を撮影していた。カメラがゆっくりパーンして客席を追いかけ、ある女子高生グループの前で止まった。

 女子高生は5人組。みんな粒ぞろいでかっわいい! 5人はカメラに愛嬌タップリに笑顔で手を振っている。5人はカメラを独占している事を確認すると、クルリと回って背中を向けた。彼女たちのTシャツの背中がテレビの画面いっぱいにアップとなった。

 その瞬間、俺はビクッと条件反射し、起きあがりこぼしのようにパッと上半身が跳ね上がった。その拍子、テレビ画面に吸い寄せられるように、俺の首がグッと伸びた。

『絶対優勝! 大阪桐蔭高校』

『金はない! 大東EXPO』

『バンザイ! 2020大東EXPO』

『人も街もオモロイ! 大東』

『みんなでおいで、おいで! 大東EXPO』

 これだけで日本中に『大東エキスポ』をPRするにはインパクト十分であった。

 チラリとではあるが画面の中の女子高校生の面々を見た時、どこか見覚えがあるなと考えていたら、はたと思い当たった。ひと月ほど前、珍しく粒揃いの可愛い子ちゃん、女子高校生5人組がボランティア登録に来たのだ。女子高生達は夏休みを有効利用して大東のために何かをしたいと言っていたが、こういうことだったのだ。

 5人は大阪桐蔭高校の生徒ではない。甲子園で、隙あらば試合の合間に『大東エキスポ』を全国にPRすることを虎視眈々と狙っていたのだ。彼女達のアイデア、大東を思う気持が俺には何よりのカンフル剤となった。俺は5人から元気と勇気をもらった。俺はシャツとパンツを脱ぎ捨てると、風呂場に飛び込んだ。俺は完全に復活した。

 翌日の朝刊各紙に甲子園常勝校、大阪桐蔭高校優勝の文字が踊っていたが、いつもと様相が違う。今回はその優勝に絡めて『大大大阪都構想の星・大東、我が郷土に捧げる優勝』『号砲! 大東EXPOに向けて弾み』……など、『大東』という文字がやたら目につく。特に産朝新聞は真田記者が書いたのであろう、めざとくテレビ中継に写った5人の女子高校生を見つけだし、写真と共に簡単にプロフィールまで掲載している。

『もうひとつの熱闘甲子園、大東エキスポサポート隊『女子高生・JK5人組』活躍する。全国の皆さん、大東へいらっしゃ〜い!』

 俺は朝刊からJKの記事を切り抜いた。

 この女子高生たちの熱闘甲子園PRをきっかけに再びあの手この手の『大東エキスポ・パブリシティ大作戦』が始まった。金を集めるためにも全国の注目を集め、期待を高めていく必要がある。だから、どんどんいろんなニュースを発信していかねばならない。その主役に一躍躍り出たのが、JK5人組である。JKたちは大阪桐蔭高校全国制覇を後押ししたその験の良さを買われて、高校野球終了後もなぜか甲子園球場で引っ張り凧となった。

 夏の甲子園の間、死のロードに出ていた阪神タイガースも珍しく勝ち越し、優勝戦線に踏みとどまっていた。次節のシリーズで勝ち越せば、優勝も夢ではないと、期待が一気に膨らんだ。そして、阪神ファンが目をつけたのが、JK5人組だった。

 今年、全国優勝した大阪桐蔭高校は大東市にあり、タイガースにも大阪桐蔭出身の選手が数多くいる。今や大エースに成長した藤浪晋太郎にチームキャプテン、西岡剛、さらに

ベテランの域に達したエース岩田稔である。共通するキーワードは、『大東』である。それがJK5人組を甲子園の勝利の女神に祭り上げた。今度はJKが甲子園に来ると、タイガースは負けないという甲子園不敗神話がファンの間でまことしやかに囁かれた。

 ライト側外野席応援スタンドに陣取ったJK5人組の応援風景は、テレビ中継が入る時には必ずイニングのインサートに使われ、試合終了後には六甲おろしとセットで流れた。JKはいつの間にか『大東エキスポ』の枠を越え、甲子園のマスコットガールとして全国区に躍り出た。俺は彼女たちの活躍に敬意を表して、スペシャル大使に任命した。

 秋の野球シーズンが終わるまでは『大東エキスポ・パブリシティ大作戦』の主役は、JKでいいだろう。俺はJKの管理は吉村君にまかせて、新たな作戦『大東エキスポ・PR大作戦』を考えることにした。マスコミへのパブリシティ活動と並行して、JR学研線沿線へのさらなる告知PRを徹底する必要がある。

「どや、集金は? 順調かぁ?」

 今夜は珍しく黒田が実行委員長席に陣取り、難しい顔して書類に目を通している。俺の質問に対し黒田は老眼鏡を鼻の下にずらして上目遣いに俺を見た。

「名誉会長の鶴のひと声で名指しされた企業の協賛金ポンポンポーンと取れて、あっちゅう間に3千万突破しよった。それから大口、小口合わせて5千万。やっとこさ目標金額の半分まできたけど、9月の声聞くや急にペースダウン。協賛も寄付も募金も伸び悩んどる」

 黒田は体を起こし椅子の背もたれに大きく体をそらして預けると、バランスを取るように両手を頭の後ろに回して天を見上げ、大きな溜息をひとつついた。

「阪神、今年こそ絶対優勝して、ついでに日本一になってくれよらんかなぁ。そしたら皆気い大きなって、祝儀たーんと弾んでくれよると思うねんけどもなぁ……」

 黒田はまだブツブツ言っている。

「心配すな。甲子園の女神、JK5人組がおる! 今年こそ阪神優勝、おまけに日本一や! それより、じっとしとっても金は増えんで。こんな時にこそ議員動かさんかい。エキスポの実行委員会に名前連ねとる以上、あちこち頭下げさして協賛金取ってこささな」

 黒田は俺が言う事を嫌みに受け取ったのか、返事をしない。

「そうそう、一般大衆への告知媒体として、速報『大東エキスポ・ジャーナル』作るで!」

「──!?」

「エキスポのニュース発信、ネットだけやと寂しいやん。そこで閃いたんが、手作り感満載の壁新聞や! あちこちにバンバン貼って、緊急速報! 金が足らんことを世間にアピールや!」

 たぶん、黒田は壁新聞の製作費がいくらかかるのか想像できないのであろう。唐突に予期せぬ出金項目がひとつ増え、頭クラクラ目が宙を泳ぎだした。

「心配せんでええ。そないようさん刷らん。それからおまはんに、もうひとつ仕事がある」

 黒田は俺に、また何を頼まれるのかと警戒して、今度は椅子を引いて身構えた。

「JRのえらいさんに、学研都市線や環状線の駅貼りポスター用のJR枠タダで貸してくれるように交渉してくれ。それから……」

「まだ、あるんか!」

「名誉会長に言うて東京と大阪の党事務所にも壁新聞貼らしてもろてくれ。これはおまえさんの強力なパイプ作りになるで! ということは……、黒田代議士誕生も近い!?」

 黒田は机の上の書類の束を掴むや、俺に投げた。

「あほんだら! 政治家みたいな鬱陶しい仕事、誰がするねん! 『大東エキスポ』で手一杯、おまけに10月のだんじり祭りに向けて、準備もせなあかんし花も集めなあかん! ほんま金も暇もないわ」

「イッツ、ジョーク! それから、壁新聞の広告も募集しております。あとはよろしく!」

 俺は拾い上げた書類を黒田の前に嫌みたらしくきちんと並べて置くと、クルリと踵を返した。

 壁新聞『大東エキスポ・ジャーナル』第1号は、どぎついインパクトを出すために、白地に赤一色刷り。開催目標予算1億円を獲得するまでは、赤字を強調する意味で赤一色である。人の同情に訴えようという大阪独特の開き直り商法である。

『速報! 大東エキスポ・ジャーナル/金はない! 大東エキスポ/今日までの協賛金総額5018万円/予算の目処がつかなければ、実行委員会全員で缶拾いも!』(見出し)

「大東エキスポまで開催まであと半年余りと迫り、実行委員会はこれまでに寄せられた協賛、寄付金を集計しこのほど発表した。9月1日現在、総額は約5千万円。実行委員会では年内になんとか予算の目処をつけたいと計画しているが、厳しい状況に変わりがない。このまま金が集まらなければ、実行委員会全員で、空き缶拾いをしてでも穴埋めしなければならない。もちろん、名誉会長にもお願いし……略……、実行委員会一同必死のパッチで頑張ると言ってはいるが……」(本文)

 右記の記事は9月末JR東西線、学研線各駅、京阪神の主要ターミナル駅、市内のショッピングセンターなどに一斉に貼り出された。ほかにA3サイズの縮小版をコピーして作り、大東市内の各町内に数百カ所ある告知板、伝言板に掲出した。

 驚いたのは事務局に空き缶や新聞紙を集めて持ってくるおじいちゃん、おばあちゃんが数多来て、これには閉口した。

「こんなもんでええねんやったら、分別ゴミに出さんようにご近所さんにも声かけて集めときまっせ。次はいつにしましょ」

 ご老人のご好意だから、にべもなく断れず、大阪人特有の自虐ネタ、ジョークであることを説明して、ご理解いただくことにずいぶん手間取った。それでもしばらくの間、ゴミの持ち込みが続き、その資源ゴミの処理に閉口した。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ