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2018年 平成30年、秋──。

 現市長自らが音頭を取って実現させた『大阪城プール』は大成功裏のうちに10月10日、ようやく閉園した。もちろん収支は黒字で、それより想定外の経済的波及効果をもたらした。当初、このプールは8月末までの予定であったが、地球温暖化のおかげ? というか9月を迎えてもいっこうに気温が下がらず、10月の声を聞いて、ようやく秋めいてきた。このまま営業を続けると温水プールを用意しろ! などとんでもない要望が飛び出してきそうなのでやむなく閉園の運びと相成った。実はここまで営業期間が伸びたのにはちゃんとした理由があった。

 大阪観光局の発表によると、円安、関西国際空港へLCC格安航空会社の増便を追い風に、来阪外国人観光客数が平成27年のなんと2倍に増えた。さらに『大阪城プール』が新しいクールジャパンと見なされ、ユニバとセットにして来阪を動機づけた。同プールでは、増えた観光客に対処するため急遽ナイター設備を架設し、営業を午後10時まで拡大した。昼の観光を終えた外国人に殊の外好評で、これといったトラブルもなく飲食屋台の売上も伸び大成功だった。もっとも、プールの目の前が、大阪府警でその巨大で重厚な建物が抑止力になったのも確かではあるが……。

 ここに来て、現市長もようやく溜飲を下げた。柄にもなく前市長を真似た派手なパフォーマンがやっと実を結び始めたのである。しかし、対話重視型の現市長はそれでも慎重であった。この秋には大阪都構想の再挑戦、その是非を問う大阪市民による再住民投票が実施される予定のはずであったが……!? 

 現市長は土壇場になって、逡巡していた!

 大阪都構想に賭ける熱情が、大阪市民にまだまだ十分に浸透していない。二重行政の解消、住民サービスの向上……、そんなものは大阪都に関係なくむしろ当たり前の施策である。オリンピック開幕に向けてカウントダウンが始まった東京に比べ、大阪は遙か彼方に置いてけぼり状態である。何をしても無駄のような閉塞感にすっぽり覆われている。

 こんな状態で住民投票を実施し賛成多数で可決されたとして、果たして大阪は本当に変われるのか!? 与野党の市会議員間で議論ばかり重ねて、実は本質を忘れている。大阪都構想は元来大阪全体の問題であるはずなのに、いつの間にか大阪府民は蚊帳の外、すっぽり抜け落ちている。

 現市長はそんな現状を打開すべく、ダブルキーパーの組織化など様々な方策を打ち出してきたが、こんな動きだけで大阪をちゃんと“洗濯”できるのか!? 大阪人が気概を持ち、大阪人自らがもっと力強くダイナミックに大阪を動かしていく。例えば、3年前イギリスがEUからの離脱を国民投票で決めたように!

 やっぱり、まだ機は熟せず──!

 これは大阪市だけの問題にしたらあかん。大阪府民も巻き込んで……! 全大阪人のコンセンサスがぜひとも必要や! せやから大阪都の是非を問う住民投票は、まだまだ時期尚早や。来年のダブル選で、もう一度争点を明確にして、もっと大きな視点から……。現市長は、大阪都構想の練り直しを決断した。

 方や前市長はというと、こちらも動きたいのに、動き倦ねていた。2年前平成28年の夏に、国際政治学者の東京知事が政治資金公私混同の責任を取り辞任した。その後釜を選ぶ知事選への出馬も取沙汰されたが、大阪への愛着が強い! と、動かなかった。さらに今年の衆議院選でも出馬しなかった。それは何故かというと、現首相の存在である。今年の秋に総裁任期が満了する現首相であったが、先月行われた総選挙で再び圧勝。その余勢を買って2年後平成32年の東京オリンピック閉幕まで、と任期延長を勝手に決めてしまったからだ。

 やはり世界に冠するオリンピックの“力”は計り知れない。今、こちょこちょ動き回ったところで、すべてオリンピックの影に隠れてしまう。それよりは、世界の祭典が終わるまで、梃子でも動かない! だから、前市長はもうしばらく洞ヶ峠を決め込み、現首相の動きに歩調を合わせることを決めた。なぜって、党は違えども、現首相が唯一目を掛けているのが、前市長である。二人はずっと憲法改正、集団的自衛権の行使容認などで同調している。しかも現首相の退陣後、政界を引っ張って行く強烈なリーダーが見当たらないとすれば──! オリンピック後の政界再編の密約がすでにできていると、永田町では密かに噂も飛び交っている。

 真の日本のリーダーになる第一の条件とは? それは自分が真っ先に提唱した大阪大改革“大阪維新”を実現することである。

 ここに来て前市長は、もう一度大阪府市民を巻き込んでの大阪都構想を提唱する現市長に初めて同調した。


「大阪都構想、練り直しの第一歩は西成から! 西成を制するものこそ、大阪を制する!」

 前市長がシンプルなお好み焼き、豚玉をテコで切り分けながら、原点回帰を提唱した。その前市長と鉄板を挟んで向い合せにいるのは、元から同志の知事に新たな朋輩、現市長である。今夜は秘密共闘会議の日である。3人は天神橋筋商店街のはずれ、路地を少し入った所にある隠れ家的存在、小さなお好み焼き屋の2階を占居し、密談を重ねていた。3人には前東京都知事が公私混同したホテルのスィートルームを押さえる予算もないし、大阪府も市も渋チンだから、領収書を計上したところで、絶対に認めてもらえない……。

「以前の大阪都構想の目玉も、西成特区構想でしたなぁ、代表」

 知事は平べったいコテの先に載せたイカ、豚、海老のミックス焼きの断片に、熱さ冷ましにフゥフゥ息をかけかぶりついている。

「西成のおっちゃんは、安モンの芸人よりぜんぜんおもろいですもんね!」

 現市長のオーダーは、お好み焼きの上に焼きそばが載ったモダン焼きである。

 話を元に戻すと、大阪都構想とは別に大阪市の新しいカタチとして、野党が提唱する『総合区』制度の導入が協議されてきた。大阪市の24区を再編し、行政区長の権限を強化する構想である。前市長の会派は大阪都構想で5区にする合区案を譲らない。これに対し、対抗派の野党は11区にまとめるイレブン・プランを押す。しかし、未だにどちらにするか区割り案の絞り込みができずにいる。そのネックのひとつに『西成区問題』があった。

 西成区は税収が大阪市の中で一番低く、あいりん地区を抱えているというだけで一緒になる他の区の住民が嫌がった。日雇い労働者の数は年々減少を続け、今では最盛期の10分の1というのに……。根本には西成区の3人に1人が高齢者、4人に1人が生活保護受給者という現実問題が大きく立ちはだかっていた。

「西成が変われば大阪、そして日本が変わる。西成を徹底的にえこひいきする!」

 前市長の時代には、イメージを変えるべく西成区を教育・観光の拠点として税金を集中投下した。子育て世代を呼び込み西成区の活性化を促進する『西成特区構想』をはじめ、都構想実現の暁には、5つの特別区のひとつ中央区に西成区を組み込み、現在の西成区役所を『中央区役所』にするとまで公言した。

 現市長は、モダン焼きの焼きそばと悪戦苦闘していた。焼きそばの1本がピザチーズのごとく細く伸び、その長さ約30㌢。なおも現市長が腕を伸ばして引っ張ると、そのそばが途中でプツンと切れ、現市長の頬にパチンと張り付いた。現市長の右頬はソースまみれである。──が、その時、現市長の“勘ピューター”が、ピピピッと閃いた。

「近代になって大阪がもっとも輝いていたのは大正から昭和のはじめ、そう『大大阪時代』です。その象徴が通天閣のある新世界地区でした。これにプラスしてエリアをもう少し広げて……。あの素晴らしい愛をもう一度! もとい! あの素晴らしい栄光をもう一度! うん、これ! デンボみたいに痛い“もうひとつの大阪・西成”もよう動かさんで、大阪が変わるはずがない。西成の活性化、イメージ転換こそが、大阪都構想復活&大躍進のカギです! 言うなれば、もうひとつ大きく動くということで、もうひとつ“大”をおまけして『大大大阪都』構想! 前市長に知事、きょうからこれでいきます!」

「わかりました。新たなる【ヨシハシマゲドン】の投下ですね」

 前市長がニヤリと微笑み、それを合図に3人はビアジョッキで乾杯した。

 現市長は次の日、さっそく行動を開始した。彼がキーマンとしてまずアタックしたのは、西成区のPR大使に任命され、今や上方落語の重鎮でもある桂文枝、その人である。

「皆さん、いらっしゃ〜い! 西成はええとこだっせ。ここは今も昔も変わらず古き良き大阪、レトロな街並みと人情が今もしっかり残る街です。その一方、世界各国から外人さんもようさん遊びに来られます。せやから語学力も一気にあがります。せやせや、皆さんにお知らせです。わたい、創作落語500本記念として『未来世紀西成』を創りましてん。今度お披露目独演会を開きまっから、皆さん、連れだって聞きに、いらっしゃ〜い!」

 70歳を回って、ますます血気盛ん。上方落語協会の会長として君臨する桂文枝が、現市長の意向を受け、老体にむち打ち、ぼけが来る前に創り上げたのが、西成地区再生をテーマにした新作落語『未来世紀西成』だ。落語は90分を超える長巻物。西成再生をテーマに、西成出身の日雇い労働者が持ち前の腕と体力をベースに、特殊な才能を持つ大阪人達との出逢いにより、隠れていた天賦の才能を開花。やがて日本を導くリーダーへと変貌していくという、夢と希望に溢れる未来の大阪を語る力作である。

 文枝は西成親善大使として、単身全国行脚独演会へと繰り出した。ところが、この独演会が思わぬ反響を呼んだ。文枝のまさに八面六臂の大奮闘、今は亡き立川談志も魅了されたという、その巧妙な話術が全国の人々を引きつけた。特にこの新作『未来世紀西成』にいたく共感したのが団塊の世代である。

 この世代はすでに70代にさしかかってはいるが、こちらもまだまだ血気盛ん。同世代の文枝に共鳴したこともあるが、20世紀昭和の半ばに闘志を燃やし挫折した学生運動の灯火が、これら団塊の世代の心の底のどこかでくすぶり続けていたのであろう。昭和の時代に暴動騒ぎがしょっちゅうあり、大阪の癌とまで言われた西成闘争が、学生運動とオーバーラップしたのかもしれない。挫折から立ち直り、華麗に変身していく西成地区の姿に、自分たちが抱くも成し得なかった見果てぬ夢を見たのかも知れない。文枝の独演会と呼応したかのごとく、全国から団塊の世代男女がぞくぞく西成を目指した。

 これに刺激されたのか、西成の隣、浪速区の新世界でも新たな動きが出てきた。明治期には万国博覧会が開催され、初代通天閣はパリのエッフェル塔を模したとも言われている。戦前まではこの地区は日本一の繁華街、工業都市として発展し、人口も日本一となった『大大阪』と呼ばれた時代の象徴でもあったのだ。

 もともと新世界には、叩き売りに代表されるように沿道で芸を披露する大道芸人たちが多くいた。誰が呼んだか知らないが近頃では外人観光客に混じって世界中からパフォーマーが通天閣に集い、芸を披露しあっている。これも誰が言ったが知らないが、『日本の大道芸の聖地から東洋を代表するパフォーマンスのメッカへ』がパフォーマー達のスローガンとなった。その声が現市長を動かし、この秋の目玉として新たな【ヨシハシマゲドン】をドカンと投下した。『新世界・ニューワールド・パフォーマーズ・コンペティション』の開催である。これはアイデア、技量、エンタティナーに溢れたパフォーマー達を世界中から呼び寄せ競わそうというものである。

 この動きに刺激され、寄席や大衆演芸場も復活した。桂文枝の提唱で、創作落語だけを演じる「新世界繁盛亭」が新たにオープンした。もちろん大衆演劇も負けていない。活性化に一躍買い、翌年の春には隣接する天王寺公園内に舞台が広がった。特設の大型テントで全国座長大会が開かれ、連日芝居と歌謡ショーが繰り広げられた。

 この新世界の変化は、かつて泥棒市とさえ言われた西成の象徴、三角公園にブーメラン効果をもたらした。泥棒市に代わってアーティスト達がアクセサリーや小物、美術作品などを販売する蚤の市や古本、稀少本を集めたブック市、フリーマーケットなどが日替わりで開催される「NISHINARI DELTA PARK」と、今度は横文字で呼ばれるようになった。

 その公園に続く通りには、おしゃれなオープンカフェも登場した。その原動力となっているのが大幅に増えたインバウンド、バックパッカーの外人観光客たちである。これら外人さんたちは安い宿を求めて西成のドヤ、木賃宿、今ではゲストハウスと呼称を変えた宿泊施設に集まってきたのだ。夕方になると、英語やフランス語、イタリア語にスペイン語が飛び交い、コップ酒よりワイン、ペリエが似合うハイカラタウンへと変貌した。

 視察に訪れた現市長は、一気に動き出した大阪改変のウェイブをダイレクトに感じていた。それに連動して“勘ピューター”がまたクルクルと回り出し……。

「見てください、この西成の軽快なフットワーク! 大阪人が真剣にアクション起こしたらこうまで変身するんです。この勢いに乗じて、大阪都構想をもっとダイナミックにスケールアップさせて、今まで以上に……! そう、3つの“大”で、『大大大阪都』の躍進を実現させなければ! ですから、2度あることは3度ある! 来年のダブル選でもう一度全大阪人に真を問います」

 現市長は口を固く閉じると、自分に言い聞かせるかの如く大きく頷いた。


  2018年 平成30年 秋つづき──。

 現市長は去年の冬、大阪市長就任2年目を機に、『OSAKAダブル条例』を発令した。それに伴い前市長の指令により、知事とタッグを組んだ【ヨシハシマゲドン】を季節が巡るごとに次々と繰り出した。この施策に連動するように『ダブルキーパー』なる新たな市民団体が府下に続々誕生し、大阪人の意識も大きく変わってきた。市長も知事も何も頼んでもいないのに、ダブルキーパーたちは自主的に大阪を良くするため、と勝手に錦の御旗を掲げ活動をはじめたのである。これに前市長に教唆された現市長の予測不能、奇想天外な行動が、大阪人の遺伝子、イッチョカミのイチビリ精神に拍車をかけた。

 ひょっとしたら、ひょっとする!? これは偉いことですよ、これは!? 

 大阪が変わるには、現市長が突然このところ声高に提唱し始めた『大大大阪都構想』もありぃ〜かも!? 

 なんとなくではあるが妙な期待感を大阪人に抱かせた。そんな大阪だけのちょっぴり高揚した世相を反映したような仕事が、大手印刷会社から俺の会社に舞い込んだ。

 俺が受けたのは『花と緑の街・鶴見ネオタウン』の街開きイベントである。ここは1990年に『国際花と緑の博覧会』、通称『花博』が開催されたおなじみの地区である。その鶴見緑地公園に隣接するエリアを再開発すべく、大阪鶴見区、大手ゼネコン、ハウスメーカーを中心に電機、電力、ガス、それに俺の仕事の発注先の印刷会社も出資するJV共同事業として着工した。総工費はなんと1500億円! 1千世帯、人口3千人が暮らすまったく新しい街として、“大阪都誕生”の前哨戦を祝うべくこの秋ようやく誕生した。

 この街のキャッチコピーは『大阪にも地球にもむっちゃ、やさしい街!』である。最大の売りは省エネ、エコ、環境への配慮を再優先に考えた環境配慮型都市、スマートタウンである。集合住宅、戸建て住宅を問わずすべてに太陽電池、ガスで発電するエネファーム、電気を貯める蓄電池システムを完備。消費エネルギーを自給自足できる未来型住宅仕様で、すべてがエネルギー収支ゼロの『ネット・ゼロ・エネルギーハウス』だ。俺の家にも大手電機メーカーの営業マンが売りこみに来たHEMS、ホームエネルギーマネジメントシステムで制御されている。

 さらに環境保全への取り組みを徹底するために、EV車、ハイブリッド車、水素を燃料とする新型燃料電池車FCV以外はこの街への乗り入れが禁止されている。その結果、CO2を50%以上削減できるという。ほかに街路灯はすべてセンサー付きのLEDで制御され、防犯カメラが何台も取り付けられ、24時間体制で住民の安全を監視している。

 計画では、この日の街開きまでに全戸完売が目標であった。ターゲットは幼少期『花博』を訪れたことのある30代後半から40代前半のファミリー層である。この層は節電、エコへの関心が高く、『花博』への幼少期体験も購入の動機付けを後押しすると期待された。だが、思うように販売には結びつかなかった。結果、まだ2割近くが売れずに残っている。

 大阪の中心街へ10〜15分圏内で行ける超利便性と、中心の販売価格帯が集合住宅で3千万円代という値頃感が発表時に注目を集めた。さらに平成31年10月まで消費増税が延長されたことにより、増税前の駆け込み需要が期待されたにも関わらずである。

 やっぱり大阪の景気はまだまだ上昇気流を描けていない!? 

 ま、そんなの俺には関係おまへん! 与えられた仕事を粛々とこなすだけである。

 天高く馬肥ゆる秋空の下、時刻は午前8時50分──。

 『花と緑の街・鶴見ネオタウン』の街開きを告げるオープニングセレモニー、テープカットが、まもなく執り行われようとしていた。花と木をシンボリックにデザインしたレリーフが埋め込まれたアーチ型の街の入口ゲート下に、絨毯代わりの赤いパンチカーペットが敷かれ、テープカッター達がすでに整列している。セレモニー前の独特の緊張感が、静かにその時を待つ人々から伝わってくる。少し冷たい朝の風に、アスファルトや壁材の新築の匂いが混じっていた。

 テープカッターは鶴見区長を筆頭にゼネコン、電機メーカーなどJV共同事業主の各代表者、集合、戸建て住宅の住民代表に加えて男女のダブルキーパーが2名加わり、総勢20名である。はて? この街にも、もうダブルキーパーが!? 俺は訝しげに見つめているうちに、時刻は、午前9時になった。同時に俺の思考も中断した。

 俺の合図で、そばに控えていた吹奏楽団が高らかにファンファーレを奏でた。オープニングを知らしめる管楽器の高らかな音が敷地内に響き渡り、演奏が終わるやテープカッター達が一斉に真っ赤なリボンに鋏を入れた。

「『花と緑の街・鶴見ネオタウン』ただ今、誕生しました!」

 俺が手配した女性MCが、マイクで街開きを伝えた。

「このあと、午前10時から、ただ今演奏していただいている大阪市消防局の吹奏楽団によるふれあいコンサート、続いて地元、鶴見区だんじり保存会の皆様による祭り太鼓の演奏……」

 今回の街開きイベントでは、まず入居住民相互の親睦と交流を目的としている。なぜかというと、住人相互の良好な関係を街のいたるところで見せつけることで、来訪者に対して街も住人も素敵だなぁと実感させることができる。その結果、ここにいっぺん住んでみたい、それにはやっぱり買わなあかんわなぁ……と、暗黙の購入動機を行う、というのが実際の目的なのである。

 入口ゲート横には受付ブースが設けられ、来訪者=ゲストに向けて様々な現地体験イベントの案内が告知されている。なかでも一番人気のプログラムは、『花と緑の街・現地体験ツアー』と冠ネームが付いた現地見学会である。これは、この街の住民の代表つまりダブルキーパーがガイドとなって、ゲストと一緒にタウン内を巡るというツアーだ。要は事業者に代わって居住者たちにこの街の魅力をゲストにPRしてもらうことで、より説得力のあるプレゼンテーションを行おうというわけである。

 大手印刷会社の担当者はテープカットが無事に終了したのを確認すると、どこかへ消えてしまった。担当者は売上など微々たるもので、手間ばかりかかるイベントになどまるで関心がない。印刷という本来の業務にはない、余分なイベントの仕事はいつもこんな風に丸投げである。

「さっさと片づけてちょうだい! 通行の妨げになるでしょ!」

 バイト君と二人で屈んでパンチカーペットを丸めていると、頭上からヒステリックなオバハンの声が雷のごとく落ちてきた。受付前で現地ツアーの誘導をしている女性ダブルキーパーである。さらにオバハンは声を荒らげた。

「あそこのゴミ! 早く片づけてちょうだい! 目障りやわ!」

 俺のスポンサーは大手印刷会社であり、このオバハンではない。なのに、命令される。オバハンは俺たちを金で雇っている業者だから、どんな風に使おうが勝手だと思い込んでいる。俺たちの仕事の契約に、街の清掃業務は含まれていない。自分の街は自分たちできれいにしようという意識がないのか? それより自分はダブルキーパーに選ばれたのだから、“偉い”と勘違いしている。

「おまえは先にゴミ拾いしてくれ。あのオバハンのヒステリがまた爆発する前に……」

 バイト君が拾い集めたゴミは、受付で配ったばかりのチラシであった。俺たちはそそくさと機材をまとめると、オバハンに見つからないように受付を離れた。

 俺たちは街の中心、イベント会場のある中央広場に移動した。会場の隅に、スタッフ用に設営した休憩テントがある。バイト君に俺たちイベントスタッフの弁当とお茶を、街の中にオープンしたばかりのスーパーマーケットに買いに行かせた。

 とりあえず弁当待ちである。イベント広場に設けたテントの屋台村から煙が立ち、バーベキューの焼ける香ばしい匂いが俺の待機しているテントの中まで漂ってきた。ちょうどお昼時ということもあり、テントの前には長蛇の列ができている。そんななごやかな風景をぼんやり眺めていると、俺が手配した女性MCの声が聞こえた。

「皆さん、ご注意下さい。バーベキューコーナーでは、お食事券とお引き換えにお一人様1枚、紙皿をお配りしています。バーベキューは並んでいるご本人様にしかお配りできません。皆様、どうかマナーを守って、どうぞよろしくお願いします……」

 MCはハンディタイプのトランペット型メガホン、通称トラメガを手に何度も繰り返している。どうやら俺の知らないところで、いつの間にか場内整理をさせられていた。しばらくして、MCが休憩テントに戻ってきた。

「もう、鬱陶しいわ! 実行委員のオバハンにいきなりトラメガ渡され、行列の整理させられた。ここの住民、ほんま食い意地張ってるわ! 家から勝手に紙皿持って来て並んでるねん。ずっと整理やらされそうやから、打合せがありますからと言うて逃げてきたわ!」

 MCに代わって、実行委員のオバハンがトラメガに向かって叫んでいた。

「列にお並びの皆様、お皿は各自1枚がルールです。あっ、そこの奥さん、列への横入りはダメです! お並びの皆様へご迷惑です」

「とりあえず弁当でも食うて、機嫌治して……」

 俺はバイト君が買ってきたばかりの弁当をMCに配った。

『仕事の打ち上げは、鶴橋かな。ここよりうまい肉食わしたらなあかんやろなぁ……』

 今度は俺が少し憂鬱な気分になった。

 昼飯を食ったら、夕方の機材撤去搬出まですることがない。そこで、時間潰しと腹ごなしを兼ねて、俺は竣工間もないピッカピカの街を少しぶらついてみることにした。

 広場を囲むように配置された戸建て住宅街には、秋の花々が咲き誇りウッドデッキや芝生のある庭が何軒も続いた。それぞれの庭がお互いを意識し合っているのだろう。競い合うようにあちらこちらの庭先でイベント会場とはまったく別物の料理やオードブル皿が並ぶ豪華なランチパーティーが開かれている。新築祝いなのだろう。ドンペリやモエなど高価なシャンパンやワインが、これ見よがしにどこのテーブルにも飾られている。

 俺はなるべくパーティーの群と目を合わないように歩いているのだが、どうにも庭先から俺に放たれる視線がチクチク刺して痛い。どの視線にも幸福感の中に潜む優越感にも似た選民意識が混じっているのだ。

『そらそうやろな、高い金出して買うた家や。おもいっきり楽しみたいわな。きれいな嫁はんがおったらなおさらや! 通行人にも幸せな風景見せつけたくなるちゅうもんや』

 俺は無関心を装っているが、庭のそばを通る度にこれら新興の成金家族がどこか羨ましく映り、ますます卑屈にさせられる。俺はぶつくさ呪文を唱えながら、無意識に舌の先で“動く奥歯”を押さえていた。

 俺は歩行速度を少し早足にギアチェンジし、集合住宅棟に入った。今では4、50階以上の新築高層マンションが当たり前の大阪市内のマンション事情下にあって、このエリアにある5棟の分譲マンションはすべて25階建て、高層ビル特有の威圧感がない。

「鶴見ネオタウンの素晴らしさは、私達の目に見える緑を市内のどこの街よりも多く、つまり『緑視率』を高めたことです……」

 女性ダブルキーパーが数人の男女を前に、タブレットPC片手に熱心にこの街の素晴らしさを解説していた。ダブルキーパー率いる現地体験ツアーの一団だ。

「この街では緑視率を高めるために、里山をイメージした盛り土をし、そこに白樫やモチノキ、紅葉、つつじなど数十種類の樹木と、ローズマリー、タイムなど下草を植え込みました。盛り土をして表面積を大きくとることで、緑がよく映える効果があるんです」

 それから夕方まで、ぜんぜん退屈することなく、俺は街歩きを楽しませてもらった。というのもこの街の仕掛けがけっこう面白くて興味津々。俺には単なる暇つぶしの座興にすぎなかったが、まるで新しい都市伝説を発掘するごとく、途中からはダブルキーパー率いる体験ツアー一行を発見すべく、自分から率先して街中を探し回ったくらいだ。

 住人専用駐車場には規約通りEV車、ハイブリッド車に新型燃料電池車FCVだけしか駐車していなかった。急速充電スタンドも3機設置されていて、その前ではオッサンのダブルキーパーが、ズラリ取り囲んだツアー一行を前に熱心に説明している。

「すべての駐車場の屋根には太陽光パネルが組み込まれています。その再生エネルギーをこの充電スタンドに蓄え、さらに余った電気はあちらの大容量蓄電池に蓄電します」

 オッサンが指した方向には、フェンスで被われた巨大な蓄電池が何台も駐車場を取り囲むように設置されていた。

「あの大容量蓄電池は、この街のいたる所に設置してある太陽光発電から作った電気を集め蓄電しています。だから万一計画停電が実施されるような事があっても、この街は大丈夫です。すべての家庭に最低7日間電気を供給できる能力があります」

「ほんまに停電知らずなん? ほんまにだいじょうぶなん?」

 珍しくツアー参加者の男性から疑問の声が上がった。

「ご心配は御無用。私はこういうものです」

 ダブルキーパーは首からぶら下げていた身分証明書を胸の前に、誇らしく突き出した。

「『家庭の省エネ診断エキスパート』……ですか?」

「省エネ、創エネ、蓄エネ! 皆様に快適に電気を使っていただけるよう、私が心を込めてご指導させていただきます。それから入居者の皆様には全車共通の非常時給電機能が付いたアダプターをお配りしております。万一の時にこのアダプアターを全車に連結します。平均1台当たり1500㍗給電できるので、全車が揃うと……」

「ほぉー!」 

 ツアー参加者から一斉に驚きと感動の声が上がり、省エネ診断エキスパートのオッサンは聴衆を見回し、どうだい! と、胸を張った。

 この街には節電だけでなく、エコへの様々な取り組みや仕掛けも施してあった。特に俺がビックリしたのは各棟にそれぞれ併設されたここのゴミ集積場の大きさだ。優に3LDKのマンション一室くらいの広さはあるだろうか? どういうわけかこの集積場の中に場違いなパイプ椅子が並べられている。これから何か講演でもあるのだろう。俺は冷やかし気分で覗いただけなのに、会場整理の若い女と目が合ってしまった。

「どうぞ、空いてる席から順にお座りください」

 俺は歩いて少々お疲れ気味だったので、これ幸いと一番後ろの隅の席に座った。しばらくして、セミナーが始まった。講師は、ダブルキーパーのデブのオバハンだった。

「初めまして、私、ゴミの分別ソムリエの……」

 オバハンの自己紹介が始まった。俺だけかもしれないが、ゴミの分別にもソムリエがいると知ってちょいとばかりビックリした。オバハンはもともと『OSAKAエコ・節電サポーター』の一員だった。それが自分が中心になって町内あげて節電に取り組んだ結果、鶴見区代表としてみごとに月間MVPに選ばれ表彰されたという。

 さらにこれを契機に俄然奮起! 今度はもっと違う角度から社会に貢献をと、主婦を対象にゴミの分別指導をはじめたという。そうこうしているうちに、またその仕事ぶりと熱心さが鶴見区長の目に止まった。区長を通じて現市長に推薦され、特別表彰されると共にゴミの分別ソムリエの称号を与えられたという。オバハンは長い自慢話を終えると、この街のゴミの回収システムについての説明をようやく始めた。

 要点は、ここのゴミの集積場は厳重にロックされている。解除するのには専用のICカードが必要だと言う。横に立つアシスタントの若い女が皆にわかるように、ICカードを手で翳して見せた。ただし、このICカードがあれば、ゴミは毎日いつ出してもOKだと言った。なぜなら、このICカードがここの住民すべてのゴミを管理しているからだという。

 集積場には紙、ペット、キャップ、プラ、アルミ缶、スチール缶、牛乳パック、食品トレイなど事細かにおよそ30品目に分類され、カードリーダーと暗証番号を打ち込むキーパッドのついた大容量のゴミ箱がズラリと並べて置いてある。

「この街は、循環型環境社会実現に向けてのモデル地区として実験使命を帯びています。私達が正しくゴミを分別することで、ゴミの山は都市鉱山として生まれ変わるんです」

 俺はここの住人でもないのに、このゴミソムリエオバハンが、毎日ゴミ置き場の陰から見張っていそうな気がして、なんだか鬱陶しくなってきた。

「今日こうして皆様とお会いできたのも一期一会、何か強いご縁のようなものを感じます。棟内モデルルームは午後8時まで開いております。まだまだ皆さんにお見せしたい秘密がいろいろあります。ご案内はこちらのエコ・コンシェルジュが……」

 壁際に並んだ数名のダブルキーパーの女達が右手を大きく挙げ、満面の笑みを浮かべながら客席の横に移動した。それぞれ横一列に順に並んだパイプ椅子の端に立ち、客を順にモデルルームへと案内するのだろう。席を立つ者は誰もいなかった。俺はどうしようかと迷っていたが、意を決して立ち上がった。

「あのう、トイレはどこですかぁ?」

 俺はそばにいたエコ・コンシェルジュとやらの女に尋ねた。

 そろそろイベントの終了時刻も近づいてきた。中央広場には、もう住人もゲストも誰もいなかった。夕焼けの中、廃墟のごとく竦むテントの影に、バイト君だけが所在なさげにポツンと番をしていた──。   

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