2018年 平成30年 春──。
「大川さん、この歯、動いてますけど、どないしようもないですね……」
近所の歯医者の2代目女医は俺に手鏡を持たせて口の中を見せたまま、右上の奥歯を歯石を取る細い棒、エキスカの先でちょんちょんと突きながら説明した。俺は気の強そうないかず後家風の先生に指摘されて、手鏡に写った俺の奥歯が実際に動いている事を確認した。口を開けたままの状態で、「アァーイ!」と喉の奥から声を絞り出し、了解した旨を伝えた。
「ほんだら歯は抜かんでもええんですね」
俺は、ほっと安堵のため息を漏らした。
「ほっといても、そのうち奥歯は勝手に抜けます。抜けた時にまた来てください。入れ歯にするかインプラントにするか? その時にまた相談しましょ」
女医は椅子をくるりと回転させると立ち上がり、隣の診療台に移動した。
治療というか診察は十数秒で終わった。俺は診療台に備え付けのシンクに向かって、くちゅくちゅとうがいをし、安堵の水を吐き出した。
俺は診療椅子から降りると、診察室を出てロビーで会計を待った。
『今日はなーんも治療してないから、ひょっとしてタダかも? そんな美味い話は……』
ぼんやりそんな事を考えていると……。
「大川さーん!」
俺の名前を呼ぶ声がした。俺は立ち上がって会計へ支払に行った。
「大川さん、今日の診察代は1850円です」
年輩の女性医療事務スタッフが診療点数などを明記した明細書と、健康保険被保険者証を返した。
『ムッチャクチャ高ッ!』
俺は心の中で毒づいた。診療台に座って「ア〜ン」と口を開けただけである。時間にすれば30秒ほど!? とにかく俺のような貧乏人には弱り目に祟り目である。
『どうせ俺の歯は腐っとるんや。もう2度と歯医者なんかに来るかい!』
2千円払って150円の釣り銭を受け取り小銭入れにしまう時、どういうわけか俺の頭に一瞬“生活保護”という言葉が浮かんだ。
話は大きく飛躍してしまうが、こんなご時世からか、65歳以上の高齢者生活保護受給世帯が増えている。平成28年度時点で、その数実に82万世帯、総受給世帯数163万人世帯の過半数を越える。しかもその高齢受給者のうち9割が単身世帯である。
俺ももうすぐ高齢者へ一直線、仲間入り世代である。とても人ごとではない。しかしそれにも増して生活保護は魅力である。生活給付金もさることながら、それにも増して医療費がなんと“タダ”になる。これなら歯医者も病気も、みんな恐くない!
いっそのこと自己破産したろか!?
雀の涙の年金もらうより、生活保護受給者を選んで安心老後かな……、である。
春になって、『OSAKAダブル条例』発令に伴う節電への呼びかけは少し静かになった。しかしながらこの条例は、わずかひと冬の間にいつの間にか大阪市の垣根を飛び越えて一気に大阪府下にまで以心伝心していた。今度は趣向を変え新たな啓発運動として機能し始めたのだ。この条例には、もともと法令の定める条規や罰則があるわけではない。“ダブル”という摩訶不思議な単語で、節電への意識づけや取り組みを大阪人に印象づけようとしただけである。曖昧であるだけに、どんな風にも解釈できる便利な条例でもある。
現市長は『炬燵』から抜け出すと、また密かに前市長の指令を受けたのか突然、春の模様替えを始めた。今度の記者会見場は趣向を大きく変え、なんとラジオのDJブース風に仕様変更された。現市長がパーソナリティ、女子職員がアシスタントを務めた。
今日もオープニングのジングルが流れ、会見がスタートした。
「ハーイ、皆さん、お元気ですかぁ? 大阪市と府の共同会見『省エネタイム』の時間がやってまいりました。さっそく今日もいろいろとお手紙が届いています……」
現市長はちょっとお固めの教育番組風ながら、DJもなんなくこなした。
「市長、たった今、大阪府下へ派遣していたレポーターから現地報告が届きました」
女子職員が、パソコン画面を見つめて言った。この記者会見はネットを通じて、日本はもちろん全世界に発信されている。ロビー併設の大型モニターに、レポーターが画面の下からフレームインで登場した。なんと突然出てきたのは、現知事の顔のアップだった。
「本日のレポーターは? あ〜ら知事ではあ〜りませんか! なんでまた!? そんなことはどっちでもよろしいって……。わかりました。今、どちらに?」現市長が尋ねた。
「今日はですね。大阪の南に位置する千早赤
阪村に来ています。皆さん、見て下さい。どうです、この豊かな自然。大阪にもまだまだこんなに緑がたくさんあるんですよ」
知事を捉えていたカメラは、パーンしてのどかな田舎の景色を写した。
「ところで知事、きょうはそこからなんのレポートですか?」
「はい、よく尋ねてくださいました。今日は洗濯機の話題です。ここ千早赤坂村には、今ではすっかり珍しくなった2槽式洗濯機を大切にお使いのおばあちゃんがいらっしゃるんです。山田梅子さん、85歳。もう半世紀以上、この洗濯機をお使いなんです」
カメラは、大きな農家の軒下で洗濯機をのぞき込んでいるおばあちゃんにパーンした。
「梅ちゃん、この洗濯機の使いがってはどないですか?」
レポーターこと知事がインタビューを開始した。
「この洗濯機は、わてと一緒でとにかく丈夫や。50年間、故障しらずでっせ!」
「この洗濯機のええとこは、どんなとこですのん?」
「娘のとこに洗濯から乾燥まで自動で勝手にやってくれる洗濯機がありまっけど、あれはあきまへん。ようさん水使う割には、なんかいまいちや。この洗濯機は脱水機に洗濯もん移すのがじゃまくさいけど、量によって水の量も加減できるのがよろしおますな!」
梅ちゃんは、カメラに向かって、どうだいとばかりご自慢の洗濯機を撫で回した。
「それから現市長、2槽式はですね。別に脱水機を使わなくても、靴下など手で絞って干せば手の運動にもなり、電気代も節約でき……という優れものです」
「なるほど2槽式で水も電気も節約。おまけに手の運動にもなってまさに一挙両得! 加えて太陽の恵み、殺菌作用もあります。なるほど……、梅ちゃんには、感心しました。知事、ごくろうさんでした。で、知事、次回はどちらへレポートに?」
現市長がそろそろまとめに入った。
「はい、来週は堺へ、世界遺産登録を目指す百舌鳥・古市古墳群に行ってみようかと……」
「それは面白い! ぜひ堺市長も誘ってください。大阪創生に向けて知事と堺市長がガッチリスクラム。いいなぁ……。大阪市を代表して、ぼくも行こうかなぁ……」
知事がレポーターをかって出たのも、実は前市長の差金である。前市長は大阪都構想再挑戦に向け、密かに陰で糸を引き続けている。選挙後も現市長、知事の中の良さを大阪府市民に見せつけてアピール。そこからこの風通しの良い動きの中に、堺市長を自然な流れで巻き込んでいくという算段である。政令指定都市・堺の自治権がなくなる、と大阪都構想に頑なに反対する手強い堺市長を懐柔するには、まずは土台固めとして大阪府、市、堺の各会派の壁を取り払い、大阪が一丸となるムーブメントを創りあげることが先決である。その隙に堺市長の潜在意識に、大阪創生のためには“オール大阪”体制、しいては『大阪都構想』もありいかなっと、サブリミナル効果的に摺りこんでいく。時間はかかるが……。
「……さて、そろそろお別れの時間が近づいてまいりました。リスナーの皆様これからもいろいろな省エネ、エコ活動への取り組みを教えて下さいね!」
エンディング音楽が流れ、ブースの前に集まった記者、聴衆の拍手に送られ、現市長はDJブースを降りた。
もちろん在阪のラジオ局だって、ただ袖手傍観していたわけではない!
ラジオ大阪では朝の情報番組の中に、記者会見とそっくりのコーナー枠を設けた。DJとリポーターには上方漫才界のベテラン、大阪のオバちゃんに根強い人気のある松竹芸能の兄弟漫才『酒井くにお・とおる』が起用された。
「ちょっと兄さん、きょうはどちらへ?」
番組DJを務める弟のとおるが尋ねた。
「はい、私の家からでーす! と〜るちゃんっ!」
電話を通して、兄貴のくにおが答えた。
「なんで、あんたの家やねん。交通費も出んのかいな。ほんまセコい番組でんなぁ」
「と〜るちゃんっ! そんな事言わんと、聞いてください。我が家の省エネ作戦第1、いつもお風呂は、浴槽の蓋を半分閉めて首だけ出して浸かります。これにより熱効率が高まります。ほいでから、我が家の省エネ作戦第2、洗う時は頭のてっぺんから足のつま先まで一気に洗ってから、直立不動の体制で、洗面器一杯のお湯で流します……」
「あんた、そんなじゃまくさいお風呂の入り方してるのん?」
「そうですよ、と〜るちゃんっ! 水道の蛇口をひねりっぱなしにしておくと1分間で12㍑の水が流れて消えてしまうのよ、と〜るちゃんっ!」
「さいでっか、それはええ方法ですな、兄さん。水道料金の節約にもなって……」
その時、電話を通して水が流れる音が聞こえてきた。くにおの鼻歌も混じっている。
「お湯は頭のさきからゆっくり湯をかけて、全身を流します。ほらっ、と〜るちゃんっ!」
「あんた、生放送中に風呂入ってるのん。もうええわ! リスナーの皆様お役に立ったでしょうか? 『どっちでもええわの省エネアワー』でした」
こんな風に在阪のラジオ各局で同じような “予算が省エネ”番組がぞくぞくと作られた。
ともあれ大阪市長、知事がタッグで取り組むエコ活動が俄然注目を集め、2人の株を一気に押し上げた……。
歯医者の女医に手遅れだと宣告されたものの、今のところ俺の歯は懸命にもなんとか持ちこたえている。実を言うと、俺には歯の持病がもうひとつある。20年前から、顎関節炎である。モノを噛む度に顎の骨がコキコキ鳴って、往生している。原因はストレスだ!
話はまた突然それるが大学生の頃の俺は勉学より遊びに夢中で、金がいるからバイトばかりしていた。ちょうど日本が高度経済成長まっしぐらの頃で、いくらでもバイトがあった。バイト代は日給で平均5千円。引っ越しのバイトなどは祝儀も貰えて、日給7〜8千円になることもあった。その時たまたま、バイト先の仲間からイベント会社のバイトを紹介してもらった。バイトは、今でいうところの『TVキャラクターショー』。ぬいぐるみショーに出演するというものである。
出し物は﹃仮面ライダーショー﹄だった。俺の与えられた役は悪玉怪獣の雑魚、ショッカー軍団の一人だ。当日、指定されたスーパー屋上の特設イベント会場に行くと、いきなり全身黒装束の衣装とマスクを渡された。今でこそ、キャラクターショーの出演者たちはどこかの劇団員で構成され、それなりのリハーサルを繰り返してショーを作り上げているが、キャラショーの黎明期ということでスポンサーも客も実におおらかだった。
本番前に簡単なリハーサルがあっただけである。カセットテープに吹き込まれた完パケをラジカセで聞き、セリフに合わせて動くだけ。演出するディレクターもおらず、台本もない。指導は仮面ライダー役のバイト歴の少しだけ長い先輩であった。
俺がこのバイトを気に入ったのは、30分のショーに2回出演するだけでギャラがもらえたことだ。おまけに今でいうロケ弁、アゴ代と言って弁当が出た。こんなええバイトはないと、土日にはこのバイトで、ずっと大阪府下のスーパーマーケット巡りをしていた。正月には、別に御祝儀としてお年玉も出た。ハローワークに通っても、仕事がなかなか見つからないという今のご時世からは、とても考えられない厚遇だ。
このキャラショーが縁で、すっかりイベントの仕事が気に入ってしまった。そのうち、イベントのチーフにも抜擢され、漫才や歌謡ショーなど色物のイベントも任されるようになった。ミニ芸能界にいるような気分になり、自分はこの仕事が一番向いているなどと勝手に思い込み、勉学よりイベントのバイトの方が楽しくなってしまった。当然大学へは足がまったく向かなくなり、授業料滞納も重なって大学から除籍抹消の通知が実家に届いた。
だけど、親父だけには、今になって本当に申し訳ないことをしてしまった。それを考えると、未だに胸が痛む……。
時は突然遡ること、昭和48年──。
俺がまだ小学生の頃、第四次中東戦争勃発に伴う第一次オイルショックが日本を直撃した。1971年のニクソンショックによる円の切り上げ、OPEC6カ国による石油公示価格の引き上げなど、その影響で親父の務めていた銅の精錬会社はあえなく倒産した。それでも親父は縁をたぐって安月給ながらも再就職し、途中入社という肩身の狭い思いにも耐えて頑張った。
親父は昭和の戦前生まれの男である。まじめだけが取り柄の無骨な男だが、決して弱音を吐かなかった。息子が大学出て、親方日の丸の会社へ入ることだけを楽しみに……。
そんな親父の頑張り、希望を無にしてしまった俺は、最低の男だ!
と、その当時はこれっぽちも思わなかった。若気の至りというか無鉄砲というか、イベントの仕事はちょろい。大学へ行っている場合やない! 早いこと商売にせんと損や、と勝手に思い込んでしまった。昼と夜、時には夜中のバイトも組み込んで、2ヶ月足らずで事務所開設資金を作った。といっても、狭くでチンケなワンルームマンションではあるが……。
俺が会社を立ち上げた80年代半ばは、高度経済成長期のまさにピークであった。日本の輸出力が圧倒的に強くなり、アメリカでは対日赤字が拡大していた。米国市民が日本車をぶっ壊すシーンが、ニュースで何度も流れた。「アメリカ製品を買いましょう」と、外圧を受けた中曽根康弘首相はテレビから日本国民にずっと呼びかけていたなぁ……。
結果円高不況を招き、再び日本列島にオイルショック以来の暗雲が垂れ込めた。その不況を克服するため対策として講じられた金融緩和策が、逆に不動産投機の高騰を招いた。これが俗に言うバブルの始まりである。
世はバブル景気に狂瀾乱舞し、俺は熱心に営業活動などしていないのに、仕事がばんばん入ってきた。その頃、ミニブームとなっていた地方博覧会、企業メセナと称したコンサートやスポーツの冠イベント、企業の周年行事に新商品発表展示会などなど……。
まだ二十代の若造ながら、いつの間にか社員も7人に増えていた。大阪市北区東天満のオフィスビルに事務所を移転し、個人商店から株式会社へと資本強化した。接待を兼ねて、当たり前のように毎晩飲み歩きもした。社員も含めてみんな若かった。将来に対して、なんの不安もなかった。30歳を前に、仕事で仲良くなったフリーのイベントMCの女と結婚もした。これからも仕事は増え続け、会社が大きくなるものとばかり安心しきっていた。
その幻想は平成7年1月17日未明、神戸を襲った『阪神淡路大震災』で脆くも崩れた。関西人はそれまで、関西に大地震は絶対にないと信じ込んでいたのにである! 神戸エリアは壊滅状態であったが、大阪は一部の地域を除きそれほどでもなかった。
なのに、俺の会社は、あっけなく崩壊した──!
地震の影響で世の中は総じて自粛ムードとなり、春から予定していたイベントの仕事はすべてキャンセルとなった。売掛金と多少の蓄えもあったが、金が回らなくなるのは時間の問題だった。仕事はなくとも、待ってくれない社員の給料に家賃、税金に社会保険……。
震災から2ヶ月経った。当時、震災の影響で窮状を訴える中小企業が続出した。復興対策費の意味もあったのだろう。中小企業対策に大阪市役所が保証人となる緊急融資の受付が始まった。俺の会社も認定を受け、大阪市保証協会を通して銀行からすぐに金が下りた。金額は運転資金として5百万円。
金は貯めるのに時を要するが、無くなるのはあっちゅう間である! 融資金は数ヶ月で底をついた。それでも金がいる。手っ取り早く金を作るためカードローン、サラ金など手当たり次第に借りまくった。その場しのぎである。案の定、借金は雪だるま式に増えた。
もちろん、当然のごとく返済に汲々しだした。返済が滞ると国金、銀行からはたちまち催促の電話、サラ金からはしつこい取立はあるわで、高い金利の利息を返すだけで汲々! この状況を目の当たりにして、社員もさすがにやばいと感じたのであろう、夏を過ぎると、一人欠け、また一人欠け……と、そのうち誰もいなくなってしまった。
嫁に給料を渡せない月が続き、購入したばかりのマンションのローンの支払いにも困窮しだした。じっとしていても金は回ってこない。嫁はまたMCの仕事を再開した。俺はイベントの仕事が極端に減ったのに対し、嫁の仕事は、阪神淡路大震災を契機に爆発的に普及し始めた携帯電話のおかげで増えた。ギャラは安くとも、毎日キャンペーンがある。嫁は昔とった杵柄、MCの仕事に再び快感を覚え、いつの間にか、俺と収入が逆転していた。
「あんた、そのコキコキと鳴る顎の骨の音、きもい! ごはんがおいしなくなる!」
唐突に嫁にそう指摘され俺は愕然とした。まさか、人に聞かれるような“悲鳴”を俺の顎が発していたとは──! 神戸は早々と復興したのに、俺の顎の調子は悪化する一方。これまでずっと奥歯を食いしばって耐えてきたからであろう。そのせいで俺の歯もボロボロ、もはや壊滅状態というべきか!? その結果、ストレスが溜まって顎関節炎になった!?
嫁とは、その一件以来、一緒に飯を食わなくなってしまった。顎の骨が鳴るのは、明らかに体に異常をきたしている! なのに、嫁は俺の体を心配するより、気味悪さを問題にしている。嫁とはもう軌道修正できないのかなぁ……。
今、振り返って考えてみると、初診料はレントゲンなど撮られ数千円かかったが、当時、社会保険の診療自己負担は一割だったのだ。一割負担のうちにしっかり治しておくべきだった、と今になって悔やんでもあとの祭。年輩の歯科医は顎のずれを直すには手術がベストですよと言った。ほかに矯正用のマウスピースを着用する方法もあると言った。ただし、治るのに何年かかるかわからない。しかも24時間着用していなければならない。なのに俺は考えるまでなく、治療費の安いマウスピースを選択した。
上の歯の型を取られ、数日後特注のマウスピースを渡された。実際、マウスピースを嵌めていると、これが舌のじゃまをして呂律が回らない。おまけに喉も渇くし、タバコも吸えず、なにより気が散る。それにこれを嵌めていると、さすがに嫁とのナイトライフを……という気になどならない。おかげで震災以後、嫁とはまったく肉体的接触がなくなった。顎間接炎も離婚の一因と言えるだろう。顎は未だ治らず、不快音を奏で続けている。
そんな箸にも棒にもかからぬ昔の事を思い出しては、何もかもを“今は昔”の震災のせいにしている自分が情けない。舌の先で奥歯をちょんちょんと突いては、あと何日持つかなぁ、と無意識に口を開けて呆けている、今日この頃である……。
携帯が鳴って、意識が現実に引き戻された。電話に出ると、河内弁まるだし、近所に住む小学校からの同級生、大西慎吾のでかいだみ声が俺の耳に飛び込んできた。
「まいど、どや、元気? 今度の日曜、毎年恒例の春の焼き肉大会するでぇ〜!」
「ああ、せやけど……」
「ワシにまかさんかい。オカンの四十九日もとうに終わってることやし、おまえもたまにはちょっとくらい羽伸ばせや」
「せやな、桜もええ感じに咲いとることやろしなぁ……」
土曜の朝、大西夫婦が新車のハイブリッドタイプのワンボックス車で迎えに来た。
俺たちのクルマは寝屋川に架かる住道大橋の交差点で。信号待ちのため停車した。
「もう、いややわ。あの人ら。鬱陶しいわ。朝から──!」
助手席から大西の嫁の智ちゃんが、もろに不満の声を発した。智ちゃんの視線の先には、3月の声を聞くや啓蟄のごとくモコモコと登場した『ダブルキーパー』と呼ばれるボランティア達がいた。ダブルキーパーは2人で一組、合計8名が交差点の4つの角に分かれて立ち、早朝からクルマを監視している。
☓ ☓
このダブルキーパーも、元を正せば『OSAKAダブル条例』から出た瓢箪から駒、灰吹きから蛇が出たみたいなものである。条例の発足当初、市民が節電意識を高め現市長の好感度がアップすれば儲けもの……ぐらいの軽い考えだった。ところが年が明けて春を迎えてもなお意識の高まりが続いている。その反響の大きさに、現市長は改めてびっくり仰天する間もなく、前市長から新たな指令が下った。
通称【ヨシハシマゲドン】第2弾の投下開始である。
ボランティア組織『OSAKAエコ・節電サポーター』の募集である。大阪市の新たな取り組みとして市民に募集をかけたところ、とんでもない数の応募があった。そこで、現市長は苦肉の策としてボランティアを大阪市の24区に振り分け、各区ごとにサポーターとして登録させた。例えば北区なら『OSAKA・KITA・エコ節電サポーター』として、それぞれの区単位で団体組織化した。
加えて節電、エコ活動に貢献した団体を月間MVP、年間MVPとして表彰する制度を設けた。これが、各区に思わぬ競争意識を目覚めさせた。節電は、区の規模、住民数、商業地区、工業地区、文教地区などにより電力需要が異なるので、各区とも昨年度の電気使用量と比較して、どれだけ節電できたかでしのぎを削った。
もっともサポーター達の中には通称『プロ市民』もけっこう混じっている。『人権』『平和』『環境』などをテーマに市民運動を展開する人々である。自分たちの運動はすべて『善』であり、『正義』だと信じて疑わない人々、融通がきかず自分勝手の『正義』を他人に頑固なまでに押し掛ける。どこか前市長に相通じるところもあるが……!
そういうわけで、節電サポーターも一部の市民に煽動された感もあり、行動が尖鋭化し始めた。
節電サポーター達が、今度は自主的に区内を見回り指導を始めたのだ。一例を上げると、
あるサポーター達は『町内見守り隊』と称して、深夜も巡回見守り作業を始めた。あくまで民間レベルの自警団ではあったが、これはこれで犯罪の抑止力にもなった。ある区では住宅街に潜んでいた変質者を捕らえ、ある区では早朝の工場街で倉庫のボヤを消し止めた。こうして各区に様々な見守り隊が登場したことにより、それまで全国ワースト1の称号を得ていた『ひったくりナンバー1大阪』の汚名を一気に返上するまでになった。
「皆さんは大阪人の誇りです。皆さんのおかげで大阪はめちゃくちゃええ街になりました。皆さんは単なる節電サポーターだけでなく、大阪を守るゴールキーパーでもあります。これからは、皆さんの事を『OSAKAダブルキーパー』と呼ばせてもらいます」
現市長は各区長に対し、その活動支援のため助成金を増やすよう通達した。市長のこんな大胆な市政戦略を後押ししたのは、大阪市民からの意見、パブリックコメントだった。過去最多25万3298件の意見が寄せられた。
「OSAKAダブルキーパーの皆様の指導のお陰で寒さにも慣れ、最低限の電気しかない暮らしも楽しいものだと悦に入ってます」(東淀川区・48歳・主婦)
「脱法ハーブをやって完全に頭の飛んだ若者を補導しました。クルマに乗り込む前でした。若者の事故を未然に救えたと自負しています」(中央区・53歳・男性・飲食業)
「僕の将来の夢はダブルキーパーになって、日本を守ることです。電気を作って、悪い奴らをやっつけ、おいしいもんをいっぱい食べます」(鶴見区・9歳・男性・小学生)
多くの市民からお墨付きをもらったことで、『OSAKAダブルキーパー』に選ばれたボランティア達はますます自信と誇りを持ち勢いづいた。そして、あっという間に大阪市の枠を越えて府下までダブルキーパーの輪が広がった。
こうして知名度が上がるに連れ、大阪府下全域で入会希望者が殺到した。俄に不動の地位を確立した『ダブルキーパー』は、地域の青年団や消防団以上の存在となった。そのリーダーには地元の名士及び金持ち2代目ボンボンなど、必然的に金銭的にも時間的にも余裕のある者が選ばれた。だが、なにより市民が市民を監視する権力と権限を持ち始めたことが、府下各地で思わぬ波紋を広げた──。
☓ ☓
住道大橋袂の交差点で信号待ちしていた俺たちは、無言でダブルキーパー達の行動を見つめていた。彼らは民間の警備会社を思わせるシルバーの警備服に身を包み、頭には緑のヘルメット、その正面にはオレンジ色で『W』のイニシャルが浮かんでいた。
彼らは警棒など武器は携行していないが、パトロールも兼ねるこのチームは、比較的体格のごつい体育会系の成年男子で構成されている。だから武器などなくとも、その存在自体が抑止力になる。ダブルキーパーは2人ひと組で4つの交差点角に立ち、信号待ちになると並んだ車のフロントガラスを順にのぞき込んで行く。俺たちは黙ってその様子を窺っている。すると、交差点の東角で停車中の車を順にチェックしていたダブルキーパーの足が交差点から3台目の車の前で止まった。ダブルキーパーの一人は、フロントガラスをのぞき込んで何かを確認している。もう一人は少しクルマから離れて、ナンバープレートとフロントガラス越しに見えるドライバーを同時にカメラに納めた。
「ほんま、気の毒や。せっかくの休みの朝にダブルキーパーにやられるとは……!」
ハンドルに顎を乗せて前方を注視していた大西が毒づいた。
『ダブルキーパー』と名称を変えてから、ボランティア達の役割と権限がさらに強くなった。大阪創生に向けて府下各地のダブルキーパー達が地域の特色を生かした施策を練り上げ、市議会や地方議会で条例として通過させた。今、俺たちが住道大橋の袂で目撃しているこのダブルキーパー達の監視指導は、すでに府下全域で実行されている施策だ。
題して『やめましょ! シングルドライブ』──。
要は、乗用車を一人で運転してはあきまへん! という条例なのだ。昔、阪神タイガースのテレビCMで助っ人外人、オマリーが「甲子園には駐車場はおまへーん!」と、変な大阪弁で啓発していたようなものである。
では、どうして一人で運転したらあかんのか? その根底には、CO2削減問題がある。ドライバー一人での運転をやめたら、クルマに乗る回数が減り、CO2も減るだろうという非常に安直な条令なのだ。こんなアホみたいな条例がまかり通り、それをありがたく遵守し管理しようとする輩も輩だが……! これも【ヨシハシマゲドン】の変形版!?
信号が青に替わり、大西がクルマを静かに発信させ交差点を右折した。クルマは、違反車両? のそばに差しかかった。見ると何とも気の弱そうな中年男が運転席で、横に立つダブルキーパーに向かって何度も頭を下げている。だが、そのダブルキーパーは有無を言わさず、カメラと一体となったチェックライターから、イエローカードを発行した。
「ほんま、鬱陶しい! 人ごとちゃうで! 俺も一人になったから、もう運転も叶わん! ほんまにもうほんま、むちゃくちゃでござりまするわぁ」
「今は実験中みたいやけど、そのうち、あのイエローカード2枚で指導、3枚で罰金……がかかるようになる。知事が議会に計っとる」
大西が苦々しげに言った。
「なんで一人でクルマ乗るだけで文句言われなあかんねん。ホンマ、鬱陶しい! “黒田”もようダブルキーパーのえらいさんなんか引き受けとるわ……。あいつの気が知れん!」
大西が発した“黒田”という名前の男が、俺にもちょっと引っかかった。
黒田というのは小中学時代の同級生で、あだ名は『プリンス』。要は地元の大金持ち、地主の息子である。ガキの頃から俺たちよりずっと恵まれた生活をしていて、子供心にも羨ましさと疎ましさを憶えたものだ。成人してからは腰掛け程度に就職していた時期もあったが、すぐに親父の財産を引き継いで食っている、ホンマもんのボンボンである……。
もともと黒田の実家は百姓であったが、黒田の親父がやり手であった。バブル期に土地を担保に一儲けし、大東市内にマンションやハイツをいろいろ建てた。息子の黒田はといえば、今は亡き親父の残した財産を管理するのが主な仕事である。時間はタップリあるから、ダブルキーパーとして地域リーダーに君臨する他、地元の地車保存会会長、大東商工会議所、ロータリークラブ、民生委員などいろいろ兼務している。
「そのうち市長にでも立候補しよるんとちゃうか! なんせ、今は『キング』やからな!」
大西が吐き捨てるように言った。
「そうかぁ、『プリンス』卒業して『キング』かぁ! そいでもって次は市長かぁ──!」
俺も毒づいてみたものの、そんな負け惜しみ言ってる自分が卑屈でなんとも情けない。
「もう、クルマ、いらんなぁ……。駐車場代も税金も保険もバカにならんし……」
俺はすっかり諦めの境地、今さらながらのように大きくため息をついた。
俺たちは途中大量のビールと酒を買い込み目的地である大阪外環、府道176号線沿いにある深北緑地に到着した。この公園内のバーベキュー広場へ出向くと、すでに準備は完了し20人近い同級生達が集っていた。
「忘れんうちに、会費徴収! 一人2千円。どなたさんもニコニコ現金払いでお願いします。大西君、お酒のレシート頂戴。あとで精算します」
こんなイベント開催時に、決まって会計担当になる西田京子が全員に申し渡した。米屋の女房、京子は商売がら几帳面な性格で、同級生から次々に会費を受け取ると蛍光ペンで名簿にきちんとチェックした。集金が終わると、全員にドリンクが配られた。
「本日はお日柄も良く、絶好の花見日和となりました。これも皆様の日頃の行いがええ事の賜やと思います。それでは、皆様のご健康とご多幸をお祈りしまして、かんぱーい!」
大西が、乾杯の発声を終えた。それを合図にオッサン、オバハンたちの年に一度の恒例大花見大会が始まった。
俺は缶ビール片手に、のんびりとバーベキュー広場を見回した。桜は満開ではあるが、花見の情緒はまるでない。広場は芋の子を洗う様、大勢のグループでビッシリ埋まっている。あちらこちらで白煙が上がり、のんびり桜の下でお花見という風情も情緒もまるでなし。まだ昼前だというのに、もうすっかり出来上がっているオッサン、オバハンの群ればかりである。マイク片手にカラオケに熱中、すっかりご機嫌さんグループもいる。
そんな好奇な眼で人間ウォッチングを続けていると、意外にも若者、ファミリー客が少ない事に気がついた。小中学生くらいのガキの数が、圧倒的に少ない。それより老人たちがやけに目立つ。こんな所にも少子化の影響かぁ……!?
俺たちの横でも、敬老会であろうか10人ばかりのご老人グループが盛り上がっている。ご老人達は元気に溢れているのか、ただ耳が遠いだけなのか、やたら声がでかい。
「先月まで、肺炎で2週間入院しとった。病院の飯は味が薄うてどうも口にあわん。あんなん食べとったら、治るもんも治らん! 年寄りバカにしたらあかん! 肉食うて、タンパク質しっかり摂らんとあかん! いっぺん院長に言うてきかしたるねん」
ジジイがきたない唾を飛ばし太い濁声で、隣に座った婆さんにほざいている。
「それよりあんさん、食い気ばっかりで、あっちの方はさっぱりやん!」
婆さんも酔ってるのか、負けてない!
「何言うてけつかるねん! わしの息子、いっぺん拝ましたろか。そら、ビックリするでぇ!」
「いらん、いらん、そんな軟弱息子、お呼びじゃない! わての姫はずっとお隠れあそばされております……」
『ババアの天照にジジイの大国主命かぁ‥……』
春の陽気が元気にさせているのは、老人たちばかりかもしれない。
『お花見バーベキューと掛けてファミリーと解く。その心はジジ、ババ早朝から元気に場所取り、ファミリーの居場所なし! 若もんもこんだけ年寄りが多かったら寄りつかんわなぁ……。今時、花見なんぞ若もんにはダサイ歳事にしか映らんのかなぁ……』
などと独りごちていると、
「大川、しっかり食え。おまえ、独りもんやから焼肉食いに行くこと、まぁないやろ」
電気屋の林が焼肉をどっさり盛った紙皿と箸を俺に差し出した。
「俺、奥歯、ボロボロやねん。ハラミだけ頂戴。ロースもカルビもいらん。生レバーがあったらもっとええねんけどもなぁ……。ついでにユッケも復活せんかなぁ」
「京子ちゃ〜ん、ビール!」
林は、右手でVサインを作って西田京子に催促した。
「はい、お待ち。大川君、久しぶりやね」
京子が親切にも、ビールを俺たちに届けてくれた。
「ありがとう。京子ちゃん、最近どない?」
「あかん、厳しいねぇ。うちみたいな田舎の米屋はとっくの昔に斜陽産業やん。お米だけでは食べていかれへんから、旦那にバイトに行ってもらってるねん。大川君とこは?」
「俺も一人やから話にもならん。借金返すのにフーフー。俺もバイト探そうかな……」
「お金の事心配するのんやんぴ。それより今日は会費分、しっかり食べて帰ったるねん!」
京子は開き直っている。大阪のオナゴは強い!
「そうそう、その調子。飲んで先の事は忘れて、放っといチチキチィ〜ッや!」
オッサン、オバハン総勢20人による花見はますます宴もたけなわ。誰も頭上で満開の桜を見ていない。
夕方が近づくにつれ少し風が出てきた。やがて花見の終了を告げるかのように、桜吹雪が大きく舞った……。