第一部
つゆとおち つゆときへにし わがみかな なにわの事も ゆめの又ゆめ
秀吉の辞世の句である。十六世紀の後半、天下を統一し関白、太政大臣にまで栄進した豊臣秀吉ではあるが、この世の謳歌とは裏腹に、心の中ではすでに達観していた──。
露の世の露として生まれ落ち、露の世の露として消えてゆく我が身である。なにわの事もすべては儚く消えてゆく夢のまた夢であることよ……。
時は移り行きて、平成27年5月──。
悲願の大阪都構想実現を大阪市民に問う前代未聞の住民投票が行われた。
その結果は? 賛成49・6%、反対50・4%。反対がほんの僅差で上回った。これにより前大阪市長が政治に足を踏み入れて7年半、それから苦節5年間に渡って掲げてきた大阪市を解体し5つの特別区に分割するという、大阪都構想が脆くも崩れた。
「大阪市民の皆さん、重要な意思表示をしていただきありがとうございます。……日本の民主主義は相当レベルアップしました。……叩き潰すと言って、僕のほうが叩き潰された。大層な喧嘩を仕掛けて負けても命を取られないというのは、素晴らしい政治体制です。任期満了まではやり遂げますけど、あとはもう政治家はやりません」
前市長は敗れて淡々、どこか意味深にも受け取れる爽やかな笑顔を残し、政界からの引退を高らかに宣言した。
あれほど天下を注目させ大阪市民を二分した住民投票が終わり、果たして本当に大阪は変わることができたのか!?
否!
変化を訴える人が、変化を望まぬ人を説伏することの難しさを改めて痛感しただけである。そして、大阪市民に残されたのは、喪失感の入り混じった妙な虚脱感『ロスト大阪都現象』だけであった。
大阪を変える! などという事は、やはり生まれてはすぐに消える世の露、夢のまた夢なのか──。
ところがどっこいぎっちょんちょん……! 前市長は、大阪城の外堀を徐々に埋めてゆき豊臣家を滅亡に追い込んだ徳川家康の如く、将来の政界復帰に向けて大阪を舞台に密かに実に巧妙に権謀術数を張り廻らせていたのである。その満を持する第一の謀が前市長人気満了に伴う大阪冬の陣、平成27年11月のダブル選、大阪市長・大阪府知事選挙でベールを脱いだ。
そして、ここから再び大阪の新しい歴史が始まった……。
第1部
2017年 平成29年 冬──。
「平成29年11月22日、OSAKAダブル条例を発令します!」
大阪市長が居並ぶ市議会議員たちを前に、高らかに宣言した。
☓ ☓
平成27年の秋、前大阪市長、大阪府知事の任期満了に伴うダブル選で、電光石火衆議院議員から鞍替え、市長選に登場し、鳶が油揚げを掻っ攫うかのごとく初当選したのが現大阪市長である。
前市長及び現市長の共通点は、共に20代で難関司法試験に合格した弁護士出身。年齢は違うが高校時代には二人共ラグビーに打ち込み、しかもポジションはどちらも左ウイングである。バックス陣の一番左のライン際に位置取りする花型ポジションで、パスを受けそのままゴールに向けて突進! 逃げ足に絶対の自信がいる。余談ではあるがどちらも子沢山、前市長は7人、現市長は3人の子供がいる。
今だから言えるが、実は正直なところ、前市長は焦っていた。市長選での対抗馬は、大阪都構想反対の旗印、最大野党の大阪市議団幹事長である。
「大阪市廃止ならば住民サービスが低下する!」
幹事長は大阪市民、特に高齢者層に切々と訴え、平成27年5月に実施された大阪都構想の是非を問う住民投票で、構想を阻止した。だからこの年、秋の大阪市長選挙に当たり、幹事長はすでに過半数の支持、得票数を持っていると計算できる。しかも、幹事長は党派を超えたオール大阪体勢、大阪市議会野党すべての推薦をバックに選挙に望んでいる。
対する現市長の“売り”は、若さと賢明さである。しかし、それだけでは弱い。マスコミに再三登場し前市長と侃々諤々の論争を飛ばした幹事長に比べ、知名度ではるかに劣る。そこで前市長が取った作戦は、自分の選挙でもないのに自らがフル活動することである。
特に前市長が力を入れたのは大阪市24区のうち、平野区や西成区など前回、大阪都構想実現の是非を問う住民投票で、反対多数により敗れた南部地区13区である。前市長はここを“絨毯爆撃”した。これらの地区で勝利をもぎ取ることができるか否かが、重大な分かれ目となる。選挙期間は2週間しかない。そんな短い選挙期間にも関わらず、前市長は毎日これらの区に自ら100回以上足を運び、大阪都構想再挑戦への理解を求め訴えた。
結果、前市長の戦略がばっちりと嵌まった。住民投票で敗北した区での巻き返しに成功し、現市長誕生への礎となったのは周知の事実である。しかも大阪市民の目には、現市長を通して前市長の背後霊がしっかりと見えていた……。
☓ ☓
現市長が就任してから、あっという間に2年が過ぎた。前市長が“対決・発信型”とすれば、現市長は“対話と協調型”である。現市長はその政治色の違いを見せるため議会では、修正や調整に応じる柔軟な姿勢で対処し、就任後直ちにその手腕を発揮して見せた。大阪市大と府大の統合準備、外国人旅行者に宿泊先の確保を目的とする民泊条例やヘイトスピーチ抑止条例などを可決させた。これらがその好例であり、いずれも前市長の任期中は継続審議となっていた案件ばかりである。
さらに、平成28年の3月には大阪都構想の設計図づくりを担当する大阪府と市の事務局『副首都推進局』を共同設置した。これにより悲願の大阪都構想を、平成31年秋の任期満了までに実現させる、と大阪知事とスクラムを組んでの再挑戦が始まった。
しかしながら大阪市を廃止し『特別区』を設置する大阪都構想と、大阪市はそのまま残し24行政区を再編するという野党の掲げる『総合区』との明確な違いが、大阪市民には今持ってよくわからない。やっぱり、大阪市長なんて誰がやっても同じ。オリンピックもリニアもな〜んにも来ん大阪はますます地盤沈下やぁ〜! あちこちからそんな声がぼちぼち立ち始め、市民の間に再び厭世気分が蔓延しだした。
現市長は秘密裏に、前市長に向けて伝令を飛ばした。
『我二、唯一無二ノ秘策アリ! 大阪人のオッチョコチョイのイッチョカミ精神ヲ刺激シ、ソノ大イナル意識をコチョコチョ洗脳シ、大阪都構想実現ノ精鋭ナル実行部隊ト成ス。シカシテ、ソノ一策ナルヤ、通称【ヨシハシマゲドン】……』
「へぇ〜、こんなんで市民が乗ってきますかぁ……!」
現市長は、この秘策に対してあくまで半信半疑、いやむしろ落胆の色を隠せない。
徒然なるままに物憂いだけのこの現状を打破すべし!
と、前市長が現市長に実行するように提案したのは、誰にとっても今更ながらのマナーとモラル向上が目的の啓発条例であった。市民は会議ばかりで実感の伴わない大阪都構想論議のなんたるかが理解できておらず、堂々巡りばかり続ける大阪市長と野党議員たちの論争ごっこに、うんざり食傷気味であった。
任期満了後、市井の中に身を宿している前市長は、その民意を敏感にキャッチしたのであろう。手元からするりと抜け落ちてしまった『ふわっとした民意』をもう一度ガッチリ引き戻さなければならないと、痛感していた。
その民意の琴線に触れるべく、与野党膠着状態の間隙をぬって提起されたのが冒頭の『OSAKAダブル条例』である。
『OSAKAダブル条例』とは、広く大阪市民に【節電】を呼びかけるものである。
現市長が提唱するこの発案に対し、野党議員らはいささか拍子抜け。でもあまりにまともで常識的だから、どこにも反対する理由が見つからない。ただそんな理由だけで、大阪市議会全会一致で可決された。同様に知事が府議会でも諮ったところ、こちらも野党議員らから一切の反論も文句なし、満場一致で可決された。
だから条例の目的は、いたってシンプル。市民が一丸となって、もっともっと節電に取り組みましょう! という行政指導型の市民運動みたいなものである。市民が節電協力することで、在阪企業への安定した電力供給につながり一石二鳥。おまけに家庭の電気代もお安くなってまさに一挙両得! さらには官民一体となって節電することで、温室ガスの排出量削減にも貢献できる! 一つ守るだけで、知らず知らずのうちに誰もがどこまでもダブルの利益が得られることから『OSAKAダブル条例』と名付けられた。
もっともネーミングの謂われには、平成23年11月の大阪府知事、市長のダブル選に続き平成27年も完勝したことから、験を担いで“ダブル”という言葉にあやかっただけというのがもっぱらの巷の噂であるが……。
とにもかくにも東日本大震災以降、日本の電力事情はずっと厳しい状況である。とりわけ原発に依存してきた関西電力管内の電力事情は、ずっと深刻な状態が続いている。平成26年には初めて原発ゼロの夏を迎え、安定供給に最低限必要とされる供給余力(予備率)3%を確保するため、ほかの電力会社から電力融通を受ける必要性にかられた。もっとも国内の電力事情を鑑みれば、老朽化や定期点検を余儀なくされる火力発電だけに頼ることは大きな不安材料でもある。
シベリア寒気団に急襲され、毎年寒さを増している冬は、もうそこまで来ている!
そこで冬の到来を前に、大阪市民に気持ちだけでもひと足早く防寒の心構え、冬支度をしてもらう必要があった。厳しい電力事情を市民に訴え、市民自らが危機管理意識を持って節電に取り組むべし! というのが、この新条例施行の正しい目的でもある。
数値目標など一切なし! 守るも破るもあんた次第! 『OSAKAダブル条例』!
スローガンだけではまったくなんのこっちゃわからない。ところがであ〜る! この人を食った条例が、平成29年冬の節電キャンペーンをきっかけに、市民運動の枠を越えて日本全国に波及、とんでもない効能、効果を発揮しはじめたのだ。
そんなアホなぁ……! が、まさかぁ! に大きく変態した! と、大阪外史は後々語る事になる──。
「こんな端金で、どないして食うて行け、ちゅうねん……」
俺は届いたばかりの「ねんきん定期便」を見て愕然とした。俺が受け取れる老齢年金の見込額は、62歳からで年間64万2134円、一ヶ月当たりでは約5万3千5百円。65歳からは116万5千6百円で、ひと月当たり約9万7千円。俺は年金に加入した期間が遅く、辛うじて年金受給資格300月をクリアしたに過ぎない。
俺はリビングのソファにゴロンと横になったまま、日本年金機構が管理する加入記録表を見つめて一人で黄昏れていると、急に息苦しさを覚えた。
『おまえ、なに考えとるねん! この先どないして食うていくねん!』
突然、オカンの小言が天からドスンと落ちてきた。
「そや、それが一番の問題や!」
俺の名は大川孝一。バツイチ、子供なし、御歳57才にして独身。商売に行き詰まり、宿無し文無し。借金だけが残り行き場を無くした俺は、どうにも困り果てて実家に出戻りしたというわけである。オトンはというと8年前に亡くなり、以来ずっとオカンとの二人暮らしであった。情けない話、親に依存するオッサンのパラサイト・シングルである。それが先月、米寿を迎えたばかりの母親、寿子を肺炎で亡くした。
オカンを見送ってからは、しばらくの間、主に相続を中心に諸々の手続きや後始末やら七面倒な手続きに追われていた。だから今後の人生というか身の振り方についてろくに考えもしなかった。もっとも考えたところでさしたる方策が浮かぶというわけでもないが……。これから先のことを考える時間ができると、オカンがいなくなった寂しさより心許なさばかりが増した。なにしろ俺もあと3年で還暦、歳だけは老人街道まっしぐらである。
俺はオカンが残してくれたわずかばかりの貯金を弟と分け、弟が受取を拒否したこの実家を相続した。とりあえずネグラだけは確保したが、それでも不安定な状態であることには変わりなし。というのも俺が相続したこの家は、昭和の高度成長期と呼ばれていた頃に、オカンとオトンが馬車馬のごとく働いて手にした一戸建て住宅である。しかし、土地は別、借地である。今でこそ不動産販売に際し、定地借地権付住宅と呼ばれて借地期限を定められているが、そんな定義が曖昧だった昭和の時代に借りた土地である。だから売りたくとも勝手に売れない、ある意味曰くの家なのである。
俺の住まいは大阪のローカルエリア、生駒山の麓、大阪市の東隣に位置する大東市にある。都会のすぐそばに位置するので、田舎というか故郷という感覚はまったくない。しかしながらこうして独り身になってみると、どこへも行く所がないから、返ってこの地に愛着みたいなものを強く感じるようになってきた。
話は突然変わるが、俺が小学生の時に想定外の水害に見舞われたことがあった。大東水害である。大東市を含む大阪東部一帯、北河内地区は『寝屋川流域』と呼ばれ、南北を淀川と大和川、東西を生駒山地と上町台地に囲まれている。日本書紀によると、古代の上町台地東側には大阪湾につながる広大な湖や入江であった。
“なにわ”は【浪花、浪速、難波】として綴りがいろいろあり、『大阪市及びその付近の古称』と広辞苑にある。ほかに【魚庭】というこの語源の一節がある。これは波が穏やかで魚が豊富な大阪湾を指す。だからこのエリアに属する大東市は低湿地帯であり、もともと水捌けが悪い。さらに間が悪いことに、寝屋川と恩智川に挟まれた俺の住む地区は海抜ゼロメートル地帯である。大雨の影響でこの二つの川があっという間に氾濫し、一帯は完璧なまでに水没した。トーゼン、俺の家も見事なまでに床上浸水の被害を被った。
しかしながら2回目はもうないやろ! と誰もが高を括っていたら、それから数年後、梅雨の長雨に祟られ再び予期せぬ水害に見舞われた。俺の家はまたしてもあえなく水没した。当時住んでいた家は安普請の木造家屋である。おかげで家は満身創痍のボロボロ、水に浸かった土壁の部分が剥がれ落ち、床下は風通しも水捌けも悪かったのだろう、腐りはじめていた。
大東市はこれを契機に水害対策事業に本格的に取り組みはじめ、その一環として下水工事もスタートした。そんな大東市の治水対策が、オトンとオカンの背中を押した。
昭和のヒト桁生まれの人は決してへこたれず、強かった! オカンとオトンはまた一念奮起して、今度は当時流行の最先端、プレハブ住宅に家を建て替えた。便所も汲み取り式のポットン便所から、水洗式に代わった。
この家はすでに築40年──。いろいろな歴史を刻んできた。オカンが悪質なリフォーム業者に騙されたこともあった。傷んでもいないのに、阪神大震災の影響で瓦がずれていると脅かされ、法外な値段で屋根を修理させられたのだ。そんなこんながあった家ではあるが、俺が住む分にはなんら問題がない。
「そんなことより今晩何を食うかが問題や! 野菜も高いしなぁ……」
俺はよっこいショーイチ! と掛け声と共に立ち上がると冷蔵庫の中を物色した。中には玉子が1個、赤いビニール包装のポールウインナーが3本、発泡酒の缶が1本残っているだけである。外食したいけど、不安である。なぜって? 年のせいなのか不摂生が原因なのかここんところ俺の歯の状態が悪く、固いものが噛めない。もっとも根本原因は懐事情である。財布の中がなんとも寂しいから、歯医者へ足が向かない。おまけに今年の冬は例年より一段と寒さ厳しいと来るから、外に出るのもますまます億劫となる。
近年夏はますます暑く、冬はその反動からか年々寒さが増している。夏と冬の季節がどんどん伸びて長くなり、春と秋を浸食している。寒さの要因のひとつに、北極の温暖化の影響があるという。北極海の氷が溶け始め、北極回りの航路が周航するなど経済的メリットも増えたが、氷解と共に冷たいシベリア寒気団が日本を襲う!
一説によると、日本から遙か離れた北欧・スカンジナビア半島沖のパレンツ海の氷の溶解が起因しているという。パレンツ海で発生した冬の低気圧は、新しく周航した北極航路をどんどん東へ進む。その影響でロシア内陸のシベリア高気圧が北に張り出し、結果、高気圧に押し出された寒気団が降りてきて日本列島をすっぽり包んでしまうというわけだ。
その寒気団があたかも俺の家を急襲したかのように、俺は思わずブルッと身震いした。
最初『OSAKAダブル条例』は単なる語呂合わせ条例と揶揄された。ところが前市長から作戦指導を受けた現市長は、まったく中身のない条例をなんとしても大阪市民に浸透させるために、これまでの殻を破り自ら稀代のトリックスターを演じることを決意した。その手始めが、なんとも人を喰った記者会見の実行である。
マスコミへのパブリシティ効果を狙って、話題作りのため大阪市役所1階ロビーに、なんと掘り炬燵のセットを持ち込んだのだ。炬燵を囲んで同席した記者達に現市長自らみかんを剥いて振舞い、マスコミを通じて市民に節電を呼びかけた。
『炬燵で膝触れ合うのも多生の縁。掘り炬燵から愛を込めて、あったか〜いのOSAKAダブル条例!』
このなんとも人を食った現市長の記者会見が、この年の冬、定例化した。
「大阪市民の皆さん、日本の伝統的な暖房器具、炬燵を見直しましょう! 温度を2度下げ家族で炬燵に入れば、約十パーセントの節電効果になります。子供の宿題を見てやるとか、家族で正月の旅行計画を考えるとか、カップルなら将来の夢を語り合うなど、炬燵を有効に使えば絆も強くなります。さぁ、皆さん、今夜もご一緒に炬燵に入りましょう!」
この掘り炬燵、記者会見時以外は一般市民に開放された。朝はご近所の老人達の休憩スペース、午後はこの炬燵からパソコンで原稿を送る横着な記者達のプレスルームと化し、夕方になるとカップルの新しい待ち合わせスポットとなった。
通称『OSAKA掘り炬燵名所』としての話題が高まるにつれ、大阪地区での炬燵の需要が爆発的に高まった。気を良くした門真市にある電器メーカーから、特別仕様で消費電力表示機能付き、最新型の超省エネ遠赤外線掘り炬燵が提供された。
というわけで、市役所ロビー『大阪掘り炬燵スポット』はあっという間に大阪中之島の新名所となった。この冬、大阪に行ったら絶対寄りたい穴場、ナンバーワンにも選ばれた。そうなると、じっとしていられないのが大阪のオバハン軍団である。連日、お上りさん気分で押し掛け、あっという間に炬燵を占拠してしまった。
これに商魂たくましい天王寺にあるお菓子メーカーが目をつけた。オバハン達を動く広告塔と捉え、彼女たちがいつも携帯している【飴ちゃん】をサンプリング提供した。
しかしながら厚かましさにかまけては、大阪のオバハンが断トツの日本一いや世界一! 毎日、大阪市役所に大挙してやって来ては、お土産にと、飴をバッグがぱんぱんになるまで詰めるので、配布してもあっという間になくなってしまう。そこで、オバハンの良心に訴えようと『飴ちゃんはお一人様3個までで、お願いします』とマナーポスターを貼って対処したが、オバハンたちにはまるで効果無し!
「一回であかんなら二回、三回と並んだら、数は問題ないやん」と、まるで意に介さない。いっその事【飴ちゃん】は、やめようと大阪市の議案にも登った。だが、ここでオバハンらの機嫌を損ねては次の選挙にも支障が出る、と市議はみんな二の足を踏んだ。もちろんやっと存在感がましてきた、現市長にしても同様である。ここで、ハイそうですね、と簡単に引き下がるわけにいかない。その対策には協賛メーカーを増やすのが一番と、大阪にある大手菓子メーカー、江崎グリコに明治製菓、UHA味覚糖、パイン飴、ノーベル製菓、千雀飴、豊下製菓に協賛を呼びかけた。
協賛メーカーは宣伝費を出し合い、『飴ちゃんは、オバちゃんの元気の素!』をキャッチフレーズに全社統一のゆるキャラを創った。丸い飴の形をした顔の『飴マー』と呼ばれる飴まきキャラクターである。今日も職員が着ぐるみを被り、午前と午後、飴を配布し、オバハンらに愛想を振りまいては記念写真に収まっている。
大阪のテレビ各局は、朝のモーニング番組の中でこぞってお笑いレポーターを市役所に派遣し、オバハンらがこの冬実践する消エネへの取り組みを伝えた。なかでも今や本職の落語家よりレポーターとしての地位を不動にした月亭八光がマイクを差し向けると……、
「わては、ダブルウール。毛糸のパンツの上に毛糸のタイツ。ほんまにぬくいわ、これ。でも、ちょっとお便所するのが難儀やけど……」
オバハンはサービス精神を発揮して、わざわざ厚手のスカートをめくってカメラに見せた。こうなるともうどうにも止まらないのが、大阪のオバハン特有の出たがり精神である。
「うちはダブルババシャツ。半袖シャツの上に長袖ババシャツの重ね着や!」
このオバハンはコートを脱ぐと八光に渡し、何を思ったか続いて上着を脱ごうとしたので、八光は慌てて制した。その隙に別のオバハンが、カメラの前に強引に割り込んできた。
「八光ちゃん、見て、見て、うちはダブルカイロやで!」
おばはんは上着を少しめくり上げ、カメラの前で白鳥の湖を踊るように、くるくる回った。すると出てきたのは大きく突き出た下腹にまず1枚、くるりと反転すると腰に1枚使い捨てカイロが貼られていた。これを契機に、八光を取り巻いたオバハンたちが勝手に、節電ウォーム自慢を披露し始めた。
「わては、パイルの靴下二枚のダブルソックス作戦!」
「うちは早くぬくなって、神経痛も治って儲かりますように……! 石切さんと戎っさんのお守り二つで、ダブル神さん!」
「八光ちゃん、喉の痛みと風邪予防には、生姜の飴ちゃん、2つやで」
なんでもダブルにひっかけたらいいというものでもない。オバハンらがバラバラにしゃべり出すともう止まらない。こうして大阪市役所の朝はオバハンの無法地帯と化した。
「大変お見苦しい映像でした、それでは、現場から失礼します!」
番組の最後は、八光がオバハンらにもみくちゃにされるお決まりのパターンであった。
余談ではあるが、このオバハン達の映像があまりにもおもろく、低予算で番組のコーナーを制作できるのを見過ごす手はないと、関西のU局やケーブルテレビが次から次へと取材に押しかけた。お隣の京都府からはKBS京都の長老パーソナリティ、関西ものまね界の重鎮、田淵岩夫が突撃レポに現れた。
「あのう、もしもし……。世間では僕の事をアホ、アホと言いましゅ。せやけど、アホは風邪ひかんやろと言いますやろ。ところで、オバハンもアホでしゅか?」
と持ちネタの藤山寛美を演じて、久々に存在感を見せつけた。
さらに冬の椿事として、吉本所属の漫才コンビ『Wヤング』が覚醒した。『OSAKAダブル条例』とコンビ名とが“ダブル”繋がりというだけで、炬燵と同じく骨董品化していた漫才コンビにテレビ、ラジオの出演が殺到した。復活へのきっかけは、笑福亭仁鶴が司会を務めるNHK、土曜のお昼の生活バラエティ番組に、相談員として登場したことだった。
『Wヤング』はエコに関する法律相談をギャグをまじえて漫才のネタで演じた。平川幸雄が背広の肩をちょっとずらして女形を演じる「ちょっと奥さん、聞いたぁ」の懐かしギャグが大阪のオバハンの間で思わぬ流行語として蘇り、相方の佐藤武志の駄洒落がオッサンに受けた。
「今日の体調は“サンザンオールスターズ”。ちょいと“カゼフスタン”気味で“アセるバルジャン”。せやから母ちゃん、今日は、酒を“温水洋一”。もう、はよ“ネルトン・ジョン”……」
このような一連のお笑い啓発運動がきっかけとなり、関西電力は電気料金値上げ以来中止していた企業広告を啓発広告に限って解禁した。その伝道師としての役割を与えられたのがこの『Wヤング』である。
「ちょっと奥さん、聞いたぁ。ホンマ、使わん電気は元から消して、役にたたん亭主も放り出す。これがホンマのダブル節電やぁ!」
関西ローカルの低予算、大阪ならではのベタCMとして注目を集めた。が、本当のことを明かせば、すべての原発が停止して以来、赤字を続ける関西電力には制作費がほんどなく、『Wヤング』のギャラも限りなくゼロに近かったというのがホンネであった……。
しかしながら『炬燵で膝触れ合うのも多生の縁、バンザイOSAKAダブル条例!』は、ひと冬だけのブームに終わらなかった。前市長が提案し現市長が悪乗りして打ち出した大阪発の啓発条例がとんでもない狂想序曲となり、この冬以降大阪中に響き渡ることになるのである……。