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やくそく花火  作者: 紀舟
1/2

前篇

 この村ってこんなに人がいたんだ。


 夕方、絹野川の河川敷に向かいながら吉野よしの佳菜美かなみはそう思った。


 西の空が茜色に染まり、次第に藍色の闇が迫るこの時間。いつもだったら蝉のジージーという声しか聞こえないのに、あの煩い群勢すら聞こえないくらいの喧騒が田舎道を占拠していた。


 桜柄の浴衣姿の女の子を肩車したお父さんと紫の鮮やかな撫子の浴衣を着たお母さん。

 ビーチサンダルをぺたぺたと鳴らした少年はおじいちゃんの手を引いて飛び跳ねながら歩いている。

 大輪の紅牡丹、羽ばたく山吹の蝶、紺藍に浮かぶ芍薬……絢爛豪華な色彩に身を包んだお姉さんたちの髪には揃いの花簪が揺れていた。


 先を急ごうとする佳菜美に、道行く人々の足は遅い。しゃべりながら、下駄がゆったりカランコロンと鳴る。

 そばを通り抜けても、またすぐ違う集団に邪魔され、足踏みだ。


 この村へ来て四か月。

 目的の場所に早く着きたいともどかしく思っている今を差し引いても、佳菜美はこの、時間がゆっくりと流れる田舎特有の空気に馴染めないでいた。

 いや、ゆっくりとした空気だけではない。

 幾ら歩けども見つからないコンビニ、呼吸が苦しくなるくらいのむせ返る青葉の匂い、見たこともないくらい大きな虫たち。

 この間など道端に大きな蛙がいて卒倒しそうになった。

 今まで住んでいた町では考えられない環境に遭遇する度に、佳菜美はため息を吐く。


 この“田舎特有”は時間や不便な自然だけではない。

 人との距離感も町より近く馴れ馴れしい。

 個人に起こった些細な出来事が数時間後には他のクラスにまで広がっていたりする。

 噂が広まること自体は町でもよくあることだ。問題なのはその対応だ。

 佳菜美のいた町では噂が広まっても、表面上はみんな涼しい顔。誰々と誰々が付き合っているという噂が出回っても遠巻きに視線を送るだけで本人に確認を取ったり、ましてや二人の間にずけずけと入っていったりなんかしない。

 それがここでは囃し立てられる。

 見つかるとお祭り騒ぎで野次が飛び、インタビュアーもどきが現れる。あんな嵐の中心に立たされるなんて、考えただけでも佳菜美には鳥肌の立つ所業しょぎょうだ。

 なるべる関わりたくない。静かに暮らしたい。

 噂がなくてもここは人の生活に勝手に入ってくる輩が多すぎる。

 親切とおせっかいは違うのだ。


 こんなだから、佳菜美には未だに友達と呼べる子がいなかった。


「べつに、友だちなんていなくてもいいけどね」


 持っていた巾着袋の紐をいじりながら佳菜美は呟く。

 こんな、イライラしかない田舎だけれど、彼がいるから耐えられる。


 茜の空に白光が瞬き、どんっと身体の芯に突き刺さるような音がした。

 それは開幕まで、もう間もなくと知らせる合図。

 あと15分もすれば花火が上がるだろう。今日はこの村の花火大会だった。

 佳菜美は緩やかに進む人の波に立ち止まり、辺りを見回した。

 よし! 知り合いは居ない。


 慣れない草履で先を急ぐ。

 彼はもう待ち合わせ場所に来ているかもしれない。

 速足になるが、スカートと違い浴衣の裾は佳菜美の歩みを邪魔する。

 途中、大学生くらいの若い女性にぶつかった。


「ごめんなさい!」


 前につまづきそうになりながら振り返り謝ると、本紫色の桔梗が艶やかな女性が、かすりの市松柄を粋に着こなした男性に支えられているのが目に入った。


「大丈夫ですか? すみません!」

「ええ。貴女こそ大丈夫?」


 女性は嫌な顔一つせず、逆に心配そうに佳菜美に聞き返してきた。


「は、はい。大丈夫です」

「今日は人が多いから気をつけなさいね」


 咎めるようなきつい言い方ではない柔らかな物言いに、佳菜美は頷いて彼女たちに道を譲る。

 佳菜美の横を通る時、女性の桔梗と男性の市松柄が同じ方向にさらりとなびいた。

 かすかな白檀と大人の色香が通り過ぎる。


 佳菜美は俯き、己の浴衣を見つめた。


 佳菜美の着ている浴衣は白地に大きくて真っ赤な金魚が泳ぐ柄。小学校の頃から着ているもの。


 やっぱり子供っぽい。新しいものを買ってもらえばよかった。

 あの女の人の桔梗柄、すごくきれいだったな。

 佳菜美の頭の中で紫色の桔梗が踊る。

 いつも学校で会っているとはいえ、彼に会うなら自分の一番良い恰好を見てもらいたい。

 子供っぽい姿なんて見せたくないのに……。

 もし私がもう少し大人だったら、もっと綺麗で上品な浴衣を買えるのに……。


 彼、浅村亮介との関係を聞かれると少し困ってしまう。

 親しい間柄ではあるのだが、佳菜美としては友達だとは思いたくない。できれば恋人同士、と言いたいところだが、お互い好きだと言ったわけでもなく、付き合おうと言ったわけでもないので微妙なところだ。

 友達以上恋人未満、それが正しいのだろうけれど、これも何だかどこにでもありそうな関係で佳菜美としては不満だった。


 もっときらきらした運命を感じるものが良い。例えば七夕の織姫と彦星みたいな。


 だってあの時は本当にもう会えないんじゃないかって思ったのに、こうやってまた会えるようになったんだから。




◇◆◇


 亮介と佳菜美が始めて会ったのは小学5年生の時だ。

 この辺鄙な田舎村ではない、佳菜美が前に住んでいた町に亮介が転校生として現れたのだ。

 町には全国に工場を持つ自動車会社の本社があり、親の都合で転校してくる子供は少なくなかった。

 佳菜美自身、それまで転校したことがなかったけれど、父親がその自動車工場に勤めていたので、いつ引っ越すことになってもおかしくはなかった。

 亮介が転校してきたのも、進級してクラスメイトの顔触れはほぼ変わらないが、教室の場所が2階から3階に変わり、ちょっとだけ新しい風が吹いた4月。

 そのちょっとだけ新しい風に浅村亮介という男の子がいて、佳菜美は最初「ああ、また今年も転校生が来たのね」くらいにしか思っていなかった。

 クラスの女子の何人かは亮介の顔が人気アイドルグループの一人に似てるとかで騒いでいたようだが、佳菜美にはどうでもよいことだった。その時は。


 佳菜美と亮介が急に親しくなったのは5月のこと。

 クラスの運動会実行委員に二人で選ばれたことがきっかけだった。

 運動会までの1か月という短い期間ではあったけれど、二人はほぼ毎日クラス代表として集まりに出たり運動会の準備をしたりと、放課後も下校もずっと一緒だった。

 必然、会話をする機会が増え、お互いのことを知ることになる。

 話してみると見ているテレビ番組が同じだったり、好きなお笑いコンビが一緒だったり、嫌いなものがヨーグルトで「あの酸味が苦手で」と理由まで同じで思わず二人して笑ってしまったり、と共通点が多く話題は尽きなかった。


 二人でいると楽しい。


 佳菜美が亮介を好きになったのは、そんな単純な、でも充分な理由だった。


 運動会が終わって、佳菜美と亮介は二人だけで話すことは少なくなったけれど、同じ仲の良いグループで遊ぶようになった。


 小学5年生と小学6年生の少しの間、目が合えば柔らかな眼ざしが返ってくる心地良いひととき。

 佳菜美と亮介は常に一緒だった。

 その優しい時間が壊されたのは小学6年の晩秋。


「また転校することになったんだ」


 夕日のオレンジに染まった放課後の教室で二人っきり。

 訪れる冬の寒さで震える身体に、その言葉で心も凍りついた。


 亮介には「また会えるよ」と言われたけれど、別れが近づけば近づくほど佳菜美の笑顔は少なくなり、最後の日が来て「またね」と手を振る亮介に何も言えず、手を振りかえすこともできなかった。


 それがこうやってまた一緒の学校に通うことができるなんて、夢にも思わなかった。

 あの日から2年、中学2年生になった佳菜美に両親はこの村への転校を告げた。この亮介のいる村に。

 もう会えないと思っていたのに会えるようになったのだ、運命を感じても可笑しくはない。




◇◆◇

 

 鼻緒が擦れ、足の親指と人差し指の間にちりりとした痛みが走る。

 せっかくのお祭りで彼と二人っきりだというのに、浴衣は子どもが着るような柄、足は痛いし、クラスメイトに見つからないようにこそこそしなければならない。

 イライラする。

 でも、亮介の顔を思い出すとそれが全然、些細なことのように思えてきて不思議だ。

 イライラもモヤモヤも飛び越えて、好きという気持ちがあふれだす。


 また空でどおん、と大きな音が上がった。

 早く待ち合わせ場所の河川敷近くのおやしろに向かおう。彼が待っている。


 痛む足を前に進める。

 河川敷まで列を作る人達を掻いくぐり佳菜美は道を進んだ。

 裾をちょっとだけ手で持ち上げ、歩きやすいように隙間を作り、歩幅は小さく、小走りで駆ける。

 流れる風が涼しくて気持ち良い。


 花火大会会場の河川敷の近くには鬱蒼と茂る林に囲まれた神社があった。その入り口である鳥居は花火大会に訪れた人々の恰好の待ち合わせ場所だ。

 佳菜美も他の見物人に紛れて鳥居まで来たが、鳥居では待たず神社の敷地内へと入っていく。薄暗くなった木々を抜け、本殿のさらに奥へと進んだ。

 クラスメイトに見つからないように、なるべく人目につかないようなところを待ち合わせ場所に指定していた。

 佳菜美はずんずんと進み、ある社の前まで来る。

 本殿と違い古びた木造で黒く塗られた屋根もところどころ剥げている、小さな小さな社だ。


「亮介、いる?」


 暗がりにおそるおそる声をかける。

 すると社の裏から佳菜美と同じ年頃の少年が顔を出した。

 目鼻立ちがすっきりとした涼しげな印象の少年、浅村亮介だ。

 佳菜美は亮介を確認するとホッと胸をなでおろした。


「待った?」

「いや、ここには今来たところ。と言ってもちょっと早く来すぎてその辺の屋台、冷やかしてたけど」


 言いながら亮介が紙のカップを掲げた。

 暗くて何味かは分からないが、かき氷のようだ。


「ここに来るとき誰かに見られなかった?」


 社に寄りかかりながら亮介がため息を吐く。


「それさぁ……別によくない? 見つかっても。俺は全然気にしないんだけど」

「絶対イヤ! あいつらガキっぽく騒ぎ立てるんだもの」

「それは否定しないけど。初めのうちだけだろ? 慣れればあいつらも騒ぎ立てなくなる」

「それでもイヤなの!」


 口を尖らせて怒ったら、頬を突かれた。気にしすぎだよ、と言いながら。

 佳菜美は騒がれるのも嫌だが、何よりも亮介との時間を邪魔されるのが嫌なのだ。

 会うなら二人きりが良い。


「で? 見られた?」

「大丈夫、見られてないよ」


 亮介の答えに佳菜美は気を良くして彼の隣に行き腕を絡めた。


「じゃあ、会場に行くか」

「まだダメ!」

「ええ? まだなんかあるの?」


 今はまだ花火が始まっていない。人々の目はまだ地上にあり、佳菜美と亮介が一緒にいるところを見られやすい。移動するなら花火が上がってからだ。

 空の花に視線が向けば、地上の人波など影にすぎなくなる。


「花火が上がってからの方が見つかりにくいと思うの」

「じゃあそれまでここで待機か」

「イヤ?」


 かき氷をスプーンで掬い、口に頬張りがりがりとかみ砕く亮介。


「お好きなように」


 その言い方が、ぶっきらぼうで、佳菜美は少し不安になる。

 色々と面倒臭い奴だと思われたかしら。


「やっぱり私とじゃなくみんなと一緒が良かった?」

「あいつらから誘いがあったのは確かだけど、俺は今、佳菜美とここにいるし…………まぁ、そういうことだ」


 かき氷のカップを見つめ、まるで親の仇とでも言うようにストローのスプーンで乱暴に氷をかき混ぜる。


「佳菜美といるのが嫌なら断ってるし」


 しばらくの間、ガシャガシャと氷がぶつかる音だけが辺りに響いた。

 嫌なら断る、ということはこの状況は嫌じゃないってこと?


 佳菜美は意味もなく巾着袋ぶんぶんと振り回す。

 亮介はどこか慌てたようにかき氷を口に掻き込んだ。


「「あ、あのさ」」


 声が重なる。沈黙を破ったのは二人同時だった。


「いや、何でもない。何?」

「え? えーと……美味しそうなお店あった? たこ焼きとかお好み焼きとか」

「ああ……あったよ。タコがはみ出した大たこ焼きとか、佳菜美の好きなクレープもすげぇクリーム盛られたやつがあったし」

「うわぁ! それ絶対あとで食べる!」

「……そう、だな」


 久しぶりに人目を気にしないで気兼ねなくできる会話に、佳菜美は嬉しくて可笑しいことを言ってないのに笑いたくなった。

 しかし亮介の反応はいまひとつで、何処か上の空だ。


「どうかした?」

「いや、あのさ」


 亮介が何かを決めたという顔で口を開いた時、神社の本殿へと向かう道から騒がしい声と足音が聞こえてきた。


「こっちであってるの?」

「たぶん、この道の先にちっこい社があるからそこで待ち合わせだって」

「何で鳥居のとこじゃダメなんだよ。面倒くせぇ」

「上山が虫好きだから。ギリギリまで明日取るカブトムシの罠仕掛けたいとか言い出すから」

「それに待つなら鳥居のとこよりこっちの方が日陰で涼しーってさ」

「はぁ? 完璧オレら待たせる気じゃねえかあいつ。ぜってーでかいカブト取ったら没収だな」


 人影は見えないが、声の感じから佳菜美たちと同い年くらいの少年三、四人といったところか。真っ直ぐこちらに向かってくる。

 彼らが言っていた社とは佳菜美たちがいる所に違いない。


「佳菜美、こっち」


 亮介が手を引き、道とは反対側の茂みへと誘導する。

 佳菜美の腰くらいの高さの茂みは亮介と二人しゃがんでも十分隠れることができた。

 息を殺してじっと待つ。


「涼しさとか全然変わんなくね?」


 やってきたのは同じクラスの男子四人だった。

 クラスでも一番、うるさくてガキっぽい集団。絶対に見つかりたくない奴らだ。


「佐竹たちか……」


 立ち上がりそうになる亮介に、佳菜美はTシャツの裾を掴み、引っ張って制した。

 と、強く引っ張りすぎたのか、亮介の身体が傾き、佳菜美に寄りかかるように倒れてきた。

 佳菜美も体勢を崩して地面に腰を打つ。


 茂みがカサッと小さく揺れた。

 亮介は手をついて完全に佳菜美に倒れ込むことはなかったが、鼻と鼻がつくくらい二人の距離が近づく。

 

 佳菜美も亮介も慌てて離れようとするが、「ん? 何か音がした?」という声に、動きを止めた。


 互いの息遣いが聞こえてきそうなほど近い。

 鼓動が早鐘のように打った。

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