第9話 溺愛しているって噂
夜はお義父様とお義母様も一緒に、パーティに出席した。上条グループと提携して建てたビルが、10月にオープンをする。その関係者を呼んでのうちわのパーティだ。
アメリカ支社の支社長夫婦も出席し、上条グループからは、如月お兄様夫婦も、トミーさんも来ている。トミーさんの奥様である瑠美ちゃんは来ていない。今、妊娠3か月でつわりが大変だからこういうパーティには出席できないらしい。
「弥生!」
如月お兄様が私を見つけ、駆け寄ってきた。
「久しぶりだな、弥生」
「はい、お兄様、お元気で何よりです」
「ああ、壱弥は元気か?」
「はい、めちゃくちゃ元気です」
「めちゃくちゃ元気なのか。一回アメリカにいる間に、うちに連れて来いよ」
「如月」
一臣さんも少し離れたところにいたが、私のそばに来てお兄様に声をかけた。
「よう、オミ」
二人は私を残し、なんだか意気投合している。そこへ、
「弥生、オミ!」
とトミーさんもやってきて、トミーさんも話に加わった。
えっと、私だけ置いてけぼりだ。なにしろ仕事の話で盛り上がっちゃっているし。この3人って集まれば、仕事の話に夢中になるよね。いいけどさ。
ぼけっと周りを見回すと、京子さんもぽつんと一人でいた。夜のパーティは出席できたんだなあ。
「京子さん、具合大丈夫ですか?」
「はい」
「あれ?龍二さんは?」
「あそこに...」
京子さんが指さすほうを見ると、龍二さんが奇麗な女の人と話していた。
ああ、まったくもう。どこの誰に捕まっているのよ。多分年上の外人さん。黒髪ロング、ちょっと見、一臣さんの好きなタイプに見えるけど。
「一臣様!」
私の横を通り抜け、誰か一臣さんのもとに駆け寄った。
「広尾。そういえばアメリカ支社にお前も来るようになったんだったな」
「はい。10月1日付でアメリカ支社の海外事業部に移動が決まりました」
「念願だったんだろ?叶ってよかったな」
「一臣様と一緒に仕事ができないのが残念ですけどね」
「俺もたまにこっちに顔を出すから、その時には会えるだろ」
「え?」
あ、広尾さんの顔が輝いたよ。ちょっと一臣さん、今の言い方は意味深にとれる!
「そうだ。弥生!」
一臣さんが私を呼んだ。
「はい」
なんだろう。
「広尾も知っていると思うが、上条グループの上条如月氏と、赤坂氏。如月氏は弥生のお兄さんだ」
「はい。存じております」
広尾さんは兄たちに微笑みかけた。でも、私のほうは見ない。
「広尾女史は優秀だよな。オミ、いい部下を持ったな」
トミーさんがそう言うと、広尾さんは明らかに喜びの表情を見せた。
「ああ、そうだな。広尾は期待できる。海外で仕事をするのを前々から希望していたしな。それがしたくてわが社に入社したとも聞いた」
「はい」
「へ~。仕事に情熱を持っているんだね。ところで広尾女史は独身?」
トミーさんがそんなプライベートなことを聞いてきた。
「え?ええ。そ、そうですけど?」
広尾さんの顔がいきなり変わった。独身ですけど何か?っていうような、そんな表情。
「いや、このパーティは夫婦同伴だからさ。アメリカでのパーティって基本夫婦同伴なんだ。僕は今奥さんがつわりで、とてもこういう場に来れないから辞退させてもらってるけどね」
「まあ、そうなんですね。赤坂さんも独身かと思っていました」
「ん?そう見えますか?」
トミーさんはちょっとおどけて見せた。
「ええ。独身貴族を楽しんでいるように見えましたので」
「ははは。そんなふうに見えているのかなあ」
トミーさんは明るく笑ったが、
「遊び人に見えているってことだろ?」
と一臣さんは肩眉を上げた。
「え、いえ、そういうことではなくて。仕事が優秀ですので、私のように仕事に生きているのかなと思いまして」
「え?広尾女史、仕事を生きがいにしているの?」
またトミーさんはおどけて見せた。
あ、広尾さん、また顔色が変わった。
「龍二!こっちに来いよ。京子さんも」
京子さん、しまった。私ったら、京子さんを一人残してきちゃった。でも、龍二さんが京子さんのもとに来ていたようだ。二人は一臣さんに呼ばれて、こっちにやってきた。
「俺の弟の龍二。如月とトミーは知っているよな?」
「何度か会ったこともある。大阪支社にも行ったしな」
如月お兄様が答えた。
「そうか。京子さんは初対面か?龍二の奥さんだ」
「初めまして。いや~、大和なでしこっていうのは君みたいなことを言うんだろうなあ」
「トミーさん、それ、私にも言ってましたよね」
あ、思わずそんなことが口から出てた。でも、あまりにも調子いいんだもん。瑠美ちゃんがいるくせに。
「そうだったっけ?」
「じゃあ、瑠美ちゃんは?大和なでしこじゃないんですか?」
「瑠美?瑠美は違うよ」
え?そうなの?奥さんがいないところでまさかの悪口。
「彼女は僕にとって、天使かな」
うわ~~~。この人も一臣さんと変わらないくらいとんでもないことを平気で言う人だった!聞いててこっちが恥ずかしい。
ほら。龍二さんも広尾さんも目が点。あ、なぜか京子さんは羨ましそうな顔になってる。そして、
「ははははは」
と大笑いしたのは一臣さん。如月お兄様はやれやれって顔をしている。
「なんだよ、オミ。オミだって弥生のことを天使だって思っているんじゃないのか?」
「俺が?弥生を?」
天使だなんて思っていないでしょ。あ、でも、なんだか恥ずかしいことを言いそうな予感。
「まさか、一臣様がそんなことを思うわけないですわ。ふふふ」
広尾さんまでが笑い出した。でも、ほんのちょっと私をバカにしたような目で見た気がする。
「広尾女史、結婚する気はないの?結婚はいいよ」
トミーさんがそう言うと、
「今は結婚なんて考えられません。仕事で精いっぱいです」
と広尾女史は微笑んだ。
「そうなのか?広尾、結婚もいいぞ。子どももすごく可愛い」
「え?!」
一臣さんの言葉に、広尾さんが目を丸くした。
「子ども可愛いのか?オミ」
「ああ、すごく可愛い」
「ああ、僕もベイビーが楽しみだ。また天使が増える!」
「ははは。天使か。確かにうちの壱も天使だが、すんごいやんちゃな天使だ。な?弥生」
「え?はい」
いきなり一臣さんが私の腰に手をまわしてきた。な、なんでこんなところで?
「広尾、結婚はいいぞ。特にアメリカはいいな。夫婦同伴でのパーティ。奥さんとこんなにべったりしていてもとやかく言われないしな」
「おい。そこまでべったりしないぞ、普通」
あ、如月お兄様があきれてる。
「なんだよ。如月の奥さんは旦那放っておいて、奥さん同士で話に花が咲いているじゃないか。いつも放っておかれているのか?かわいそうに」
「なんでオミに同情されなきゃいけないんだ。あいつにはアメリカでの友人が多いんだ」
「そうか。なるほどな。でも、俺はなるべく弥生とはくっついていたいけどな。な?弥生」
「……」
あ、広尾さんが固まってる。
「龍二もべったりしていたほうがいいぞ。京子さんのことをトミーみたいな手が早い奴が、狙っているかもしれないぞ」
「おい、オミ。俺は瑠美一筋なんだよ」
「へえ、いきなり大和なでしこだなんて口説いていたじゃないか」
「あれは、女性に対しての礼儀のようなもので」
「へえ。ま、いいけどな。妊婦は不安になることも多いようだから、優しくしてやれよな」
「わかってるさ、オミに言われなくたって」
「オミは特別弥生に甘いからな。噂聞いてるぞ。副社長は奥さんのことを溺愛しているって」
え?!何それ。
「如月、どこでそんな噂を聞くんだ」
「うちの会社でも、緒方商事の海外事業部でも噂を聞いたけどな。広尾女史も聞いているんじゃないんですか?」
「え、ええ。でも、噂だけで本気にしている人も少ないようですわ。わたくしも本気にしていませんでしたし」
広尾さんの顔が引きつってる。
「広尾は本気にしていなかったのか?噂は本当だ。周りにも言っておけ。副社長は奥さんにも子にもぞっこんで、特に奥さんのことを溺愛しているってな」
うわ。またそういうことを平気で言う~~~。どんな顔をしたらいいの?
「え、ええ。はい」
ああ、もう広尾さん、引きつって笑いもしない。ちらっと私を見て、それから失礼しますと、その場を去って行ってしまった。
「もう、一臣さん、恥ずかしいからやめてください」
「なんでだ?噂は本当だと言って何が悪い。お前だって広尾みたいなのが俺に近づいてくるのは嫌だろ?さすがにこれだけ言えば、あいつも俺にはもう近づかないだろ」
「それでわざとあんなこと言ったんですか?」
「そうだ」
「へえ、そうか。本当に弥生のこと大事にしているんだね」
トミーさんの言葉に、如月お兄様はにこにこと笑った。
「龍二も、女が寄ってきたら必要以上に京子さんにべったりくっついておけよ。京子さんが不安がるだろ?」
「俺?」
龍二さんがびっくりしている。そして京子さんのほうを見た。
「それとも、京子さんそっちのけで女と仲良くする気だったのか?」
「まさか!」
あ、龍二さんが怒った。
「京子さんも弥生も、お人形のようにかわいいから、放っておいたらその辺の男に連れ去られるよ。べったりくっついていたほうがいいね」
トミーさんまでがそんなことを言った。龍二さんは一瞬トミーさんをにらみ、
「ああ、言われなくてもそうするよ」
とふてくされた感じでそう答えた。
ああ、今のも京子さん、傷ついたのかな。顔が暗くなっちゃった。と思った矢先、
「京子、俺にくっついていて。べったりとくっついていていいから」
と言い、京子さんの背中に手を回して、その場から去っていった。
「あれだけ言えば、さすがに龍二もわかるんじゃないか?」
肩眉を上げ、一臣さんがそう言うと、
「京子さん、奇麗だからなあ。本当に龍二君は引っ付いていたほうがいいと思うよ~。ほかの女に気なんて回していたら、持っていかれる」
と、トミーさんはまだぶつぶつと言っていた。
「弥生もだ。べったり俺にくっついていろ。な?」
一臣さんは私の腰に手を回したまま、他の人にも挨拶をしに行った。
えっと。ずっともしかして、このままべったり?さすがにここまでしている夫婦いないんですけど。
ちょっと恥ずかしくて私はずうっと顔をほてらせたままだった。
ちらっと龍二さんを見た。龍二さんはここまでべったりじゃなかったけれど、ちゃんと京子さんの背中に手を回し、みんなに京子さんを紹介している。よかった。京子さんも表情が明るくなってる。
それにしても、副社長は奥さんを溺愛しているなんて噂、あちらこちらに流れているなんて、うれしいような恥ずかしいような。でも、仮面夫婦って言われているよりもずっといいよね。




