第7話 京子さんの悩み事
翌朝、また細川女史と樋口さんが部屋に来て、スケジュールを伝えてくれた。私と一臣さんはまだ朝食の最中。足元では、壱弥が元気に今日もハイハイしている。
「タ~~~~~!」
あ、向こうの部屋まで突進していった。元気だなあ。この部屋、広くて気に入っているのかな。
「弥生様、今日の午前中は一臣様と別行動になりますが、京子様が体調を崩し部屋にいるそうなので、お一人での行動になります」
「え?」
「アマンダがまた、通訳に同行しますがご不安なようでしたらキャンセルしますか?」
細川女史が心配そうに聞いてきた。
「アマンダさんがいるなら大丈夫です。ただ、京子さんのほうが心配で」
「詳しくは聞いていませんが」
「疲れが出たんだろう。多分ずっと気を張っていたはずだ」
「そうですね。わたくしもそう思います」
細川女史も頷いた。
そうか。そうだよね。もともと体が丈夫なほうじゃないんだし。そんなことを私も思い、朝食後準備をして、私と一臣さんは一緒に部屋を出た。
すでにモアナさんが壱弥の面倒を見に来てくれていて、一緒におもちゃで遊んでくれている。
ロビーでアマンダさんとボブさんと合流し、一臣さんとは別れ、車に乗り込んだ。細川女史もいるし、通訳にアマンダさんがいれば、私は心強かった。実際その日の午前中に訪れたショップでも、ビップ室に通されたが、アマンダさんの通訳で無事平和な時間が過ぎていった。
「このあと、京子様と弥生様でショッピングの予定でしたが、どういたしますか?お一人でもショッピング行かれますか?」
「もうアポイントは取ってあるんですよね?細川女史」
「いいえ、特に今日はお二人のためだけに予定を入れましたから、アポイントは取っていません。若い子に人気の洋服を見に行く予定でした」
「だったら、ホテルに戻ろうかな。壱弥にも会いたいし、京子さんのお見舞いにも行きたいし」
「オッケー!」
細川女史よりも早くにアマンダさんが返事をして、アマンダさんは運転手にホテルに向かうよう告げ、30分もかからずホテルに戻った。まずは、京子さんの部屋にお見舞いに行くことにした。
一応ボブさんはSPだから、京子さんの部屋にもアマンダさんとついてきてくれた。ドアをノックして、
「京子さん、弥生です」
と声をかけると、中から京子さんの返事が聞こえ、ドアが開いた。
「大丈夫ですか?」
「弥生さん…。今日はごめんなさい」
あ、思った以上に顔色が悪い。
「おひとりですか?あの、体調が悪いと聞いたんですけど、どこか苦しいとか熱があるとか」
「いいえ。そういうんじゃなくって」
私を部屋に入れてくれ、アマンダさんとボブさんには、京子さんは英語で何か話をして、二人は去っていった。
「どうぞ。お茶でも入れますね」
「私がします。京子さんは休んでいて下さい」
慌ててお茶を入れに行くと、京子さんは力なく笑い、
「大丈夫なんです。体が悪いわけではないですから」
と、私にはソファに座るよう促した。
体が悪いわけじゃない?えっと?
「どうぞ」
ちょっと私が考え込んでいるうちに、京子さんは私の前のテーブルにカップを置いた。そして自分もソファに腰かけ、
「はあ…」
とため息をついた。
「私、自分が情けないです」
ん?どうしたの?暗い顔をしている。
「どうしたんですか?」
お茶を一口飲んでからそう聞いてみた。
「自信がなくなってしまったんです」
「え?いったいなんで?京子さん、英語もできるし、昨日だって皆さんと落ち着いて笑顔をたやさず対応されてて、私、見習わないとって思っていました。私こそ、全然ダメだって自信をなくしていたところだったのに」
「……。私は、弥生さんが羨ましかったです」
どこが?!
「一臣様は本当に弥生さんを大事にしていますよね」
「龍二さんだって、大事にされてますよね?」
「……」
あれ?違うの?
もしかして二人でいるときは、俺様なのかしら。あ、そういうことだったら、一臣さんだって十分俺様だよね。もしかして、冷たいとか?意外と亭主関白とか?
「昨日、パーティで龍二さんに何人か女性の方が声をかけてきて…。それは、その、アメリカにも長くいたわけだし、知り合いがいるのは当然なんでしょうけど、でも、とても仲良さげだったり、私の知らないことを話していたり」
「あ、龍二さんの留学の時の知り合いですか?」
「…その頃のことを自慢げに言って、また遊ぼうとか、パーティを抜け出そうとまでいう女性もいたし、わたくしの存在など全く無視したり、見下しような目つきで見られたり」
「それは私もありました」
「一臣様って、そんなとき必ず弥生さんを優先するでしょ?弥生さんから離れないし、ちゃんとそういう女性から弥生さんを守るじゃないですか」
「はい」
「ああ、羨ましいです。そうやって、堂々とはいって言える弥生さんが」
「え?龍二さんは違うんですか?私から見たら、ちゃんと京子さんと寄り添っているように見えました」
「何も言って下さらないんです。私も横でへらへら笑うばかりで、どうしていいかわからなくて」
へらへら笑う?そんなふうに見えないけど?
「部屋に帰ってから、龍二さんがフォローしてくれたりしないんですか?」
「フォロー?」
「えっと、優しくしてくれるとか、大丈夫だって言ってくれるとか」
「全然」
「全然?」
「あ、私もなんでもないようなふりしちゃうからかもしれない」
「……」
そうか。私の場合、顔に全部出ちゃうんだっけ。なんでも一臣さん、お見通しなんだよね。
「龍二さん、もしかしてもしかすると、案外鈍いかもしれないから、ちゃんと話したほうがいいかもしれないです。私の場合、顔に出ちゃうから、一臣さんに筒抜けなんですけど」
「筒抜け?」
「思っていることが全部わかっちゃうみたいで」
「でも、私がこんなことでうじうじしているの、龍二さんからしてみたら鬱陶しくないですか?」
「え?そんなこといったら、私なんてめっちゃ鬱陶しいですよ?」
「弥生さんが?いつでも明るくて、前向きで、元気なのに」
「はい。私、しぶといしちょっとやそっとのことでへこたれない自信あります。でも、一臣さんが絡んでくるとすんごい弱いんです」
「…そうなんですか?」
「そのへんも一臣さんは知っていて、ちゃんと見ていてくれるっていうか。あ、最初は違いました。俺様で、優しくなんかなかったんですけど。逆にずばずばひどいこと言って、あれはもうわざと私を困らせたり、落ち込ませていたんじゃないかなって思うほど」
「そうだったんですか?あ、そういえば、冷たかった時ありましたよね」
京子さんは目線を上にあげ、昔を思い出しているようだった。
「はい。冷たかったんです」
「じゃあ、いったいいつから変わったんですか?」
「ん~~~~?いつからかな?」
もう覚えていないなあ。
いつから、あんなに過保護になったのかな。周りから溺愛しているとか、そんなふうに言われるようになったのっていつから?この人大丈夫かな?って私ですら思うほど、甘々になっちゃったんだよね。
「いつからかなあ?」
しばらく考え込んでいると、
「私も素直になればいいんでしょうか」
と京子さんが聞いてきた。
「そうですよ。素直になんでも話してみたら?」
「嫌われないですか?」
「ええ?龍二さんが?龍二さんって、京子さんにベタぼれですよ?」
「えええ?!」
あ、まっかっかだ。
「そんなこと、誰も言ってくれないし、龍二さんだって、言ってくれません」
「何も言葉にしてくれないんですか?」
「…そういえば、あまり」
まじ?龍二さん、なにやってるの?
「きっと甘えてるんだ!」
「え?」
「京子さんが優しいから、龍二さんのほうが甘えているんです。絶対そうだ」
「私、優しくなんてないです。ただ、嫌われるのが怖くて、何も言えないだけで」
そうか。いつもにこやかで穏やかでいるけど、嫌われたくないっていう思いからなんだ。でも、そういう気持ちもすごくわかるなあ。
ああ、京子さんがいじらしい!それなのに、龍二さんは、そんな京子さんの思いをわかってあげていないなんて!
「私、もう少し、素直になって龍二さんに話してみます。お昼はちゃんとみんなと食べますね?」
「無理しないでいいですよ。今日のお昼もなんとかって会社の社長と一緒だって、樋口さんが言っていました」
「そ、そうですか。じゃあ、わたくし、一人でここで食べています」
「それも寂しいですよね。あ、私の部屋でモアナさんと壱弥がいるから、一緒にお昼をどうですか?壱君うるさいかもしれないけど、よかったら」
「壱弥君と?」
京子さんの顔がぱあっと明るくなった。
「京子さん、赤ちゃんとか大丈夫ですか?うちの壱君、やんちゃだから疲れるかも」
「いいえ。子ども大好きなんです」
え?そうなの?今まで、うちに遊びに来た時、あまり壱弥と遊んだりしていなかったけど、無理してない?
「じゃあ、お邪魔してもいいですか?」
「はい。お昼はルームサービス頼んで、モアナさんと食べてください。モアナさんもすっごく優しくて、可愛らしい人だから、安心してくださいね」
「はい」
京子さんは嬉しそうに頷いた。
うん。一人でここでふさぎ込んでいるよりずっといいよね。
私はアマンダさんに携帯で連絡を取り、またボブさんと京子さんの部屋に迎えに来てくれた。そして私の部屋に一緒に移動して、モアナさんに説明をした。
「わかりました!」
モアナさんは喜んでいた。壱弥と二人きりよりも、話し相手にもなるし、京子さんがいたほうが嬉しいようだ。
「私、赤ちゃん大好きだけど、どう扱ったらいいかわからないから、モアナさん教えてください」
あ、なるほど。子どもが苦手なんじゃなくって、扱い方がわからないだけで遊べなかったのか。
「はい!」
モアナさんが元気に返事をすると、京子さんは嬉しそうに笑った。




