第3話 おくゆかしい京子さん
初日の夜はホテルでお食事。高級レストランで緊張したが、同席したのは私と一臣さん、龍二さんと京子さん、樋口さん、細川女史だったので、ほっと胸を撫で下ろした。
壱弥はモアナさんと日野さんが見ていてくれている。一時の後追いも落ち着いたし、多分おっぱい飲んで眠くなっていたから、今頃ちゃんと寝ていてくれているはず。
日野さんとモアナさんは、私たちのディナーの前にホテル内のカフェで簡単に食事を済ませてから部屋に来た。
「日野さん、モアナさん、申し訳ないです。夕飯もゆっくりと食べられなかったですよね」
「大丈夫です。しっかりと食べてきました」
モアナさんがにこりと微笑んだ。
「でも、私たちばかりがレストランで夕飯で、日野さんたちはカフェで…」
そう言いつつチラッと一臣さんを見た。こんなの、不公平だよねっていう目で。
「弥生様、私たちホテルのカフェですら緊張したんです。レストランでなんて緊張しすぎて喉も通らなくなります」
日野さんの言葉に、モアナさんも大きくうなづいた。
「あ、そ、そうですよね?」
確かに。それ、私もそうだ。ホテルのレストラン、それもこんな高級ホテルだよ?大丈夫なの?
なんて、レストランに来るまで、緊張でガチガチになっていたんだけれど、一臣さんに手を引かれ、
「堂々としていたら大丈夫だ」
と言われ、レストランに辿りついたんだった。
マナーはきっちりと覚えた。でも、緊張していると何かしでかしそうだ。
「弥生様、それはお肉用ですよ」
「え?」
「ナイフ、今はこちらを使用します」
小声でそっと隣に座っている細川女史が教えてくれた。
「あ、ありがとうございます」
私も小声で返事をした。
「そんなに緊張するな。ここにいる人間は身内だけだぞ。今日は練習と思ってみたらどうだ?間違ったら誰かが教えるから安心しろ」
そんなやり取りを見ていた一臣さんがそう言ってくれた。
「はい」
私はただ頷くだけ。微笑み返す余裕すらない。
「緊張しますよね?私も間違えたらどなたか指摘をお願いします」
京子さんも恥ずかしそうに、誰を見るでもなくそう口にした。
その言葉に、なんとなくみんなが静かに頷いたが、でもみんなわかっていた。京子さんはこういう場に慣れていて、失敗なんて絶対にしないことを。そう。今の言葉は私に対しての優しさなんだ。
京子さんと食事を一緒にしたり、どこかに出かけることもたまにある。お屋敷に遊びに来たり、二人の住むお屋敷にお邪魔したこともある。そんな時に何気ない京子さんの気遣いを、多々感じることがあった。
それは、本当に何気ないものだ。だけど、気遣っているというのがわかりづらいくらいさり気ないから、そこまで敏感な人でなかったら気づけないかもしれない。私も最初の頃はわからなかった。今の言葉だって、京子さんのことをちゃんと知らなかったら、本気にして、京子さんも高級レストラン苦手なのね!って思っていたところだ。
京子さんは本当におくゆかしく、さわいだりはしゃいだりもしない。旦那さんをたてる奥様っていう感じで、本当にいつも龍二さんより半歩後ろを歩いているのだ。でも、龍二さんもいつも京子さんを優しく労わっているのがわかる。京子さんは体がそこまで丈夫なほうではないので、常に、
「疲れていないか?もう休むか?京子」
と声をかけている。
あの龍二さんが…。あのにくにくしい言葉を吐いていた龍二さんがだ。
2人を見ていると、本当に労わりあっている夫婦だよねって思って、心がほんわかするぐらいだ。
和やかに食事が済み、
「さて。今日はもう早々に部屋に戻って休むとするか。弥生も京子さんも疲れただろう」
と一臣さんが発した言葉に、
「はい。お気遣いありがとうございます、一臣様」
と、京子さんは返した。さすがだ。京子さんは生粋のお嬢様だよね。言葉が違うもの。私じゃ、こんな上品に言えないもの。
「なんだ?弥生はまだまだ元気なのか?一緒にバーで飲むか?」
あ、私が黙っていたからか。
「いえ。壱君のことも気になるし、もう部屋に戻ります。一臣さんはお酒飲まれるんですか?樋口さん、龍二さんとバーに行かれますか?」
「え?」
ん?今の「え?」は京子さんの声?小さくてわからないぐらいだったけれど。
「龍二さん…」
京子さんはまた小声で隣にいる龍二さんの顔を、とっても寂しそうに見つめながら呼んだ。
「ああ、俺は京子と部屋に行く。飲むなら部屋で飲む。兄貴たちと話すこともないし」
京子さんは明らかにほっとした。なるほど。ああいうアピールはちゃんと旦那さんにするんだなあ。今の、わかりやすかったもの。
「よし。俺も部屋で飲む。ここで今日は解散だな。また明日だ。樋口、朝電話で起こしてくれ」
「はい、かしこまりました」
席を立ち、一臣さんは私の腰に手を回し歩き出した。結局はエレベーターホールまではみんな一緒に行くわけだが、一臣さんはいつものごとくマイペースで私にべったり。
なんとな~く後ろを見ると、京子さんは龍二さんに手を引かれ、半歩後ろを歩いている。わあ、おくゆかしいなあ。でも、私の場合、一臣さんがいつも腰に手を回したり、背中に手を回しているから半歩後ろなんて歩けないんだよなあ。
エレベーターにも樋口さんと細川女史が一緒に乗り込んだ。プラス、黒人のいかついSPも乗ってきた。レストランの前で待機をしていたようだが、この人たちっていったいいつ食事しているのかしら。大変な仕事だよね。
樋口さん、細川女子は泊まっている階が違うので、私たち夫婦と龍二さん夫婦だけがエレベーターを降りた。2人のSPは、それぞれの部屋の前まで分かれて護衛してくれた。そして、キーをいれ一臣さんがドアを開けると、先に部屋の中の様子をSPが見てくれた。
「おかえりなさいませ。壱弥様ならぐっすりと眠っています」
日野さんが気がつき、部屋の奥からやってきた。
「そうか。ご苦労だった。もう部屋に戻って休んでいいぞ」
「はい。かしこまりました」
日野さん、モアナさんが部屋を出て行き、SPも廊下を一回見回してからドアを閉めようとした。
ドアが閉まる寸前、
「ご苦労様です。ありがとうございます」
と私が声をかけると、黒人のSPは目を優しくして頷いた。
バタン。
レストランに行く間もこのSPがついて来てくれたが、本当に大変なお仕事。
「あの、いつもは忍者部隊の方が護ってくれていますよね。ここでは黒人のSPなんですね」
「忍者部隊も、レストランにいたぞ。何かあった時には総出で護ってくれる」
「そうなんですか」
「ああやって見た目ごつそうなのがついていたほうが、変なやつがなかなか近寄って来れないから安心だろ?」
「目立っていましたもんね。みんな、いったい私たちは誰なんだって言う目で見ていたし」
「このホテルなら、国王クラスも泊まっているんだ。あんなSP、みんな見慣れているだろ。大物が宿泊しているんだな、くらいに思っているさ」
「日本でレストランに行っても、SPはつかないですよね」
「この国はそういう国なんだよ。もちろんこのホテルはセキュリティはばっちりなんだけどな」
忍者部隊の人もいるのに、さらにSPなのね。
「…。私、SPのお仕事って大変って思っていたけれど、忍者部隊のほうが大変ですよね。姿現さず護るって、すごいことですよね」
「そりゃ、そういう訓練を受けているし、それが専門だ。あいつらにとっては、別に大変なことじゃない」
「だけど、食事とかいつしているんですか?」
「そりゃ、交代で取っているさ」
「どこかに身を隠したまま?」
「はははははは!」
ん?なんで笑った?
「弥生は勘違いをしているな。あいつらは変装の名人でもある。服の早換えも特技だ」
「?」
「あのレストランで普通に食事をしていたぞ。堂々と、怪しまれないように」
「えええ?」
「柱の影、天井裏で隠れているわけではない。まあ、そういう隠れ方をしている場合もあるが、たいていが同じ場に変装などをして身を隠す。俺が見たってわからないくらい変装がうまい。だから、隣の席で飯を食っている可能性も高い」
「そ、そうだったんですね」
「ただし、味わっているかどうかはわからんがな。常に回りに気をめぐらしているわけだからな」
「じゃあ、落ち着いて食事ができないですよね」
「それは、家に帰ってからでもしているだろ。時間も交代制だし、ちゃんと休んでいる時間もあるんだ。そう心配するな」
「はい」
一臣さんはスーツの上着を脱ぐと、壱弥の顔をのぞきに隣の部屋に行った。私もついていくと、
「壱、可愛い寝顔だなあ」
と一臣さんは嬉しそうに呟いた。
「ぐっすりと寝ているから一緒に風呂はいるか」
「起きて泣いちゃったら大変だから、別々に入ります。先にどうぞ?」
「……。なんだよ。つまらないな。あ、壱、風呂に入れられなかったな。ま、1日くらい入らないでもいいか」
一臣さんはそう言うと、さっさとシャワールームに入っていった。
「はあ…」
ドスン。ソファに座り、しばらくぼけっとした。アメリカ、ニューヨーク。半月は滞在するんだよねえ。
「ああ、もう日本が恋しい」
コック長の和食も恋しい。和食ってアメリカで食べられるのかな。なんでもいい。焼き鳥でもおでんでもなんでもいい。食べたい…。
まだ、1日目なのに。どうしよう、あと半月。
ガチャリ。一臣さんがバスローブ姿で出てきた。
「弥生の番だぞ」
「はい」
髪が塗れてくるくるしてる。バスローブから胸があらわになっていて、なんとも色っぽい一臣さんだ。ちょっとだけ見惚れていると、
「今日は疲れているし、無理だ」
と言われてしまった。
「べ、別にそういう気ありませんから!ちょっと見惚れて元気もらっただけです」
「俺の裸見ると元気になるのか?やばいだろ。欲情しても今日は無理だってさっきも」
「欲情じゃありません!普通に元気ってことです!」
もう!どうしていつも、あんなエロなんだろうか。
シャワーを浴びている間、ああ、一臣さんはどこに行っても一臣さんだなあ…とつくづく思った。
このバスルームはシャワーだけじゃなく浴槽もあって、日野さんがしてくれたのかな。あったかいお湯がはってあった。
広いしこれなら壱弥も一緒に、3人で入れるかな…。
バスタブにはいり、ゆったりとした。そういえば、一臣さんはさっさと出てきたけれど、ゆっくりあったまれたのかな。私に気を使って早めに出てきてくれたのかな。もしかしてそうかも。一臣さんの優しさかも。
日本が恋しくなったけれど、私の大好きな一臣さんも壱弥も一緒なんだもん。離れ離れになるよりずっといい。
そうだよ、弥生。日本に残って半月一臣さんに会えないよりずっといいじゃない。
うん、元気出てきた!
すっかり気分を良くしてお風呂から上がってバスローブで部屋に行くと、お酒を片手に持って寛いでいた一臣さんが、立ち上がって私のまん前にスタスタやってきた。
「?」
ギュム!ん?突然抱きしめてきたぞ。
そのうえ、首筋にキスまでしてくるし、片手は私の胸元に入れてくるし。
「今日は無理ってさっき言っていましたよね?」
「う~~ん。バスローブの弥生が珍しく色っぽく見えた」
珍しく?!そういえば前に、バスローブ着ても色気が出ないって言われたっけ。
「相当酔ったのかな?俺は」
どういう意味だ!
「弥生…」
うわ。熱いキスしてきた!
「今日はしないけどな。だけど、これからのアメリカ生活でも、夜の生活も活発にしような?」
「は?」
「案外、2人目ができちゃうかもしれないな」
え~~~~?!!!
にやけている一臣さんを見て、ああ、日本でもどこでも変わらないわ…と、半分呆れて、半分安心した。亜美ちゃん、トモちゃん、喜多見さんが恋しくなってしまうかもしれないけれど、そんな時は一臣さんに甘えちゃおう。きっと、いつものようにこの調子で一臣さんは私を愛してくれる。
そして、一臣さんの私に対する溺愛ぶりは、アメリカでもおおいに発揮され、私の不安も心配もどっかにすっ飛ぶこととなった。そんな私たちを間近で半月間見ていたあのおくゆかしい京子さんが、私たちを羨ましがり、帰るころには態度も変わってしまった程、影響力大の溺愛ぶり。
その辺、次回からお話していきます。




