第2話 昔の女?
飛行機では、壱弥は気圧で耳が気持ち悪かったのか、一時ぐずった。でも、みんながあやしたりおやつをあげたりしてくれて、そのうちに機嫌が直り、無事アメリカに到着した。
飛行場ではアマンダさんと、旦那さんのボブ、もう一人いかつい黒人のSPがついてくれた。龍二さんと京子さんにも別の秘書とSPがついていた。それに、知らぬ間に消えた忍者部隊も見守ってくれているようだし、侍部隊も後ろからついて来てくれたから、まったくもって安心できた。
私たち家族と龍二さん、京子さんはリムジンに乗り、他のみんなもそれぞれ迎えの車が来て乗り込んだ。そして、アメリカで滞在するホテルに着いた。
行ったことがある海外はハワイだけ。ニューヨークとはまったく違う。そりゃそうだろうけれど、ホテルも立派過ぎて見上げて頭がクラッとしたほどだ。だが、一臣さんと龍二さんは慣れているのか堂々としている。
「立派なホテルですね」
京子さんが私に小声で話しかけてきた。
「ですよね」
飛行機をチャーターしたり、こんな立派なホテルのスイートルームに泊まれたりと、本当に緒方財閥って計り知れないんだな。その御曹司の奥さんだって自覚、全然なかったかも。
う、でもなあ。こんな贅沢していいものかどうか、疑問だなあ。経営不振で閉鎖になった工場もあるのに。やっぱり、自家用ジェットを買うと言い出しても、断固反対しよう。
ホテルだって、こんなに最高級のレベルでなくてもいいのに。
「そうはいかない。ここはセキュリティの面でもトップクラスだからな。そんじょそこいらのホテルに泊まって壱に何かあってみろ。ん?後悔するのは目に見えている」
「そこまでここのホテルはすごいんですか?」
「各国の首脳陣や、国王クラスも泊まるからな」
どひゃ。そんなにすごいところなんだ。
「何年も昔から緒方財閥の人間は、ニューヨークに来るとこのホテルに世話になるから、緒方財閥専用のスタッフがいるんだ。長年の信用がある」
「そうなんですね…」
じゃあ、そうそうホテルを変えるってこともできないんだなあ。
それにしても…。ニューヨークって、別世界だ。窓から外を見ても、映画の中にでも入っちゃったかのような錯覚に陥る。
「あ~~~~!」
そんな中、床を元気に壱弥がハイハイしだした。
「あ…、現実に戻った」
壱弥を見たら現実にあっという間に戻ったや。
「壱君、元気だね」
「こいつはどこでも元気だな」
一臣さんはちょっとお疲れの様子。ソファに座った。
「ここも広いお部屋ですね。寝室と別にリビングもあって」
「そうだな。服とかクローゼットに入れるか」
「はい。わかりました。しばらくここにいるんですもんね」
「ああ、いい。誰か手伝わせる」
「ホテルの方ですか?」
「いいや、何のために呼んだと思ってる」
「?」
一臣さんは携帯で誰かを呼んだ。するとドアをノックする音が聞こえ、一臣さんはドアを開けに行った。
入ってきたのは、樋口さん、細川女史、モアナさん、日野さん。
「スーツケースの服、しまってくれるか」
そう言うと日野さんが、「かしこまりました」としまいだし、モアナさんは壱弥のものを引き出しにしまいだした。
「樋口、細川女史、今後のスケジュール」
「はい」
樋口さんがさっと手帳を出して、一臣さんにスケジュールを伝え始め、その横で細川女史も、手帳を見ながら頷いている。
「そうか。そこまでハードじゃないな。壱弥を一緒に連れ出すのは2~3日あとだし、それまではここでモアナたちに面倒をみてもらうか」
「かしこまりました」
クローゼットから2人が顔を出して答えた。
「あ、私も片付け手伝います」
「大丈夫です。ゆっくりなさって下さい」
「じゃあ、みんなのお茶を入れます。えっと」
キョロキョロとあたりを見回していると、そこにまたノックの音がして、ホテルのスタッフが入ってきた。おや、日本人らしい女性だ。
「一臣様、ご無沙汰しております」
「ああ、アリー。今回もアリーが担当か?」
「はい。わたくしと母が担当します」
「そうか…。あ、アリー、俺の奥さんの弥生だ」
「弥生様、初めまして。アリー・マツダです」
ハーフなのかな。綺麗な人…。黒髪、黒い瞳だけど、背が高くてスタイルがいい。少し日本人離れしている顔立ち。
「弥生です。よろしくお願いします」
挨拶をすると、アリーさんは微笑んでから、少しだけ暗い表情を見せた。
「アリー、早速だがお茶を入れてくれ。みんな紅茶でいいか?」
「わたくしたちは失礼しますのでけっこうです。では、また後ほど夕飯の時に」
「ああ」
樋口さん、細川女子は出て行った。モアナさんと日野さんも片づけが済むと、
「私たちも部屋に戻りますね。また用があったらお呼びください」
と出て行ってしまった。
「お茶、入りました」
「ありがとうございます」
「弥生様は、可愛らしい方ですね。まだお年もお若いんですね」
「え?」
「アリーより1歳上くらいだ」
「え?!」
アリーさんが目を丸くした。
「そ、そうなんですね。失礼しました」
そんなに私、幼いのかな。確かにアリーさんの方が大人っぽいけれど。っていうか、色っぽい。
「アリー、何か用だったのか?」
「はい。色々とお手伝いに来たのですが」
「今回は秘書やメイドもたくさんついてきたから、来なくても大丈夫だ。何か用があったら呼ぶから、もう下がっていい」
「はい。わかりました」
アリーさんは小さくお辞儀をして、なんだか寂しそうに出て行った。
「アリーさんのお母さんも、ここで仕事をしているんですか」
「そうだ。旦那は侍部隊だ。日本で親父の護衛をしていたが、今はアメリカにいる緒方財閥のSPをしている。今回も親父が来たら、親父のSPになる」
「へえ…。アメリカにも侍部隊がいるって、そういえば前に聞いたことあります」
「ああ。で、このホテルで親父のSPとして何度も泊まっていた時に、今の奥さんと知り合って結婚して、その娘もここで働くようになったってわけだ」
なるほど。
「親父のSPだけじゃなく、俺のことも護ってくれていたから、奥さんと娘とも面識があって、このホテルに泊まった時は、奥さんとアリーが俺の世話をするようになったんだ」
「じゃあ、アリーさんとはもう前からの知り合い」
「そうだな。10歳くらいから知ってるな。ここで働くようになってからも、何回か会っているし」
「留学のころも?」
「いや。ニューヨークじゃなかったし、ホテル住まいでもなかったしな」
そうなんだ。それにしても、気になったなあ。私に微笑んだあとの暗い顔。
「アリーのことは気にするな。な?」
「え?はい」
ん?何も言っていないのに。なんで、そんなこと言い出したのかな。逆に気になる。
「一臣さん」
「なんだ?」
ソファに座ってゆったりと紅茶を飲んでいる一臣さんの隣に、壱弥を抱っこして座り、
「アリーさんって、スタイルよかったですね。足も長くて、胸も大きくて」
と聞いてみた。
「そうか?」
じ~~~~。一臣さん、ちょっと変。言葉少ない。
「な、なんだ?」
「女の勘が働くようになりました」
「はあ?」
一臣さんの片眉が上がった。
「知らなくてもいいだろ?もう過去のことだ」
「やっぱり。付き合ったことがあるんですか?」
「付き合っていたわけじゃない。あっちが勝手に熱を上げただけだ。本気になられても困るだけだからな。一回きりだ」
ズ~~~~ン。ああ、聞かなければよかった。馬鹿だなあ、私。女の勘なんていらないかも。
「それも、たいしたところに行ったわけじゃない。アリーが20歳過ぎたから、ホテルのバーで飲んだだけだ」
「それから?」
「タクシー拾って、送っておしまいだ」
「え?それだけですか?」
「そうだ。あ、まさか、体の関係でもあるかと思ったのか。言っただろ。遊んでいる女としか寝ない。本気っぽいやつには手は出さない。やっかいだからな」
「…そうなんですね」
あまりすっきりしないなあ。アリーさんとは何にもなかったにせよ、遊んでいた女性とはそういう関係があったってことでしょ。アメリカでもあったのかなあ。
「弥生」
一臣さんが顔を近づけキスをした。すると壱弥が一臣さんの顔をぺチンと叩いた。
「いてえなあ、なんだよ」
「あ~!!」
壱弥はなぜか怒ったように声を発し、私のほうを向くとブチュッとキスをしてきた。
「ああ!壱!!!何勝手に弥生にキスしてるんだよ!」
息子に怒ってもなあ。
私の胸に顔をすりすりする壱弥に、一臣さんは、
「離れろ。俺の弥生だぞ」
と怒っているし。大人気ない。
「眠いのかも…。それかお腹空いたかな?」
案の定、お腹が空いていたようで、おっぱいに吸い付いた。
「は~~あ、いつまでおっぱい飲んでいるんだ?こいつは」
一臣さん、すんごいため息。
「弥生」
「はい?」
「多分大丈夫だとは思うが、念のため言っておく」
何かな。改まって。
「アリーには手を出したりしなかった。だが、これからのパーティでもしかすると、俺と遊んでいた女と出くわすこともあるかもしれない」
え?!!!
「すでに結婚しているかもしれないし、今もまだ独身でいるかもしれないが、いわゆるお嬢様と言われるような女性にも、遊んでいたのもいたからな」
「………」
「婚約者がいようが、旦那がいようが男と遊ぶ…、女版の俺みたいなやつが」
「え、出くわしたらどうしたらいいんですか?」
「う~~~ん。社交界だったら、自分が遊んでいるのは隠しているやつも多いから、直接は言って来ないだろうが。まあ、俺が一緒にいれば守ってやるし、アマンダやSPにも守らせるが」
「守る?」
「嫌味を言ってきたり、何かしかけてきたり」
「何かって?」
「わからないが…。まあ、そんなことがあるかもしれないが、ちゃんと守るから安心しろ」
「…そ、そんなに多くの人と一臣さんは、遊んでいたんですか?」
「いや。アメリカではそうでもないな。基本外人の女は好きじゃない。でかいし、巨乳も嫌いだし」
「……」
でも、遊んでいたんだ。なんだって、アメリカに来てまで、そういうこと気にしないとならないのかなあ。
「弥生は堂々と俺に引っ付いてろ。正式な奥さんなんだからな」
「正式…?」
「そうだ。仲のいいところを見せてやるぞ」
「はい」
ただでさえ、パーティとか憂鬱なのに、さらに気持ちが凹むような要素が増えてしまった。
いや、ここは頑張らなくっちゃ!私には味方だって多いんだから!!
そう思い、ひそかに私はガッツポーズをした。一臣さんにはバレていたけれど。
「あ~~~~う」
お腹いっぱいになった壱弥はなぜかご機嫌。私の膝の上でご満悦のようで、なかなか離れず、時々私の胸に抱きついた。
「見慣れないところだからでしょうか。離れないですね」
「さっきは元気でハイハイしていたのにな」
「ですよね」
でも、壱弥のぬくもりや匂いのおかげで、癒されたかも。
「ありがとうね、壱君」
「あ~~」
もしかすると、私の不安を感じ取って癒してくれていたのかなあ。




