第15話 あっという間の夏休み
予想していた通り、壱弥の面倒を見るのは大変になった。とにかく、壱弥はじっとしていてくれない。
「きゃ~~、壱弥お坊ちゃま、そんなところに登っちゃ駄目ですよ!」
上田さんの大きな声で、みんなが慌てて壱弥のところに行く。うわ。ダイニングの椅子からテーブルに乗り移ろうとしているところだった。
「壱君!」
私がなんとか抱き上げた。椅子が傾いていて今にもひっくり返る寸前だった。
本当にほんのちょっとみんなが目を離した隙に、壱弥はハイハイで移動してしまっていた。
「さっきまでリビングでおもちゃで遊んでいたのに…」
壱弥を抱っこしたまま、リビングに戻りソファに腰掛けた。
「ここ、広いからな。どこにでも行けるから、壱もテンション上がっているんじゃないのか」
「お屋敷でも、大広間とかテンション上りまくってますもんね。これ、歩けるようになったら、庭で迷子になりそう」
「俺も迷子になったもんなあ」
うわ~~。どうしよう、そうしたら。
「GPSを服に縫い付けるから、まあ、見つかるだろうし、忍者部隊がいつも護ってくれるだろうし、大丈夫だろ」
本当に?
「俺が子どもの頃より、安全だ。安心しろ」
本当に!?
モアナさんとトモちゃんが壱弥を見てくれている時、私と一臣さん、等々力さん、樋口さんでテニスをした。樋口さんがあまりにも上手で、1ゲームを終えた後は、一臣さんが樋口さんと試合をした。
等々力さんは審判をして、私はベンチに座り試合を見ていた。そりゃもう、2人とも本気だ。だけど、年齢の差が出たか、樋口さんはだんだんと走るのが遅くなり、一臣さんが勝利を収めた。
「樋口、体がなまっているぞ」
「は~~~、何歳年が離れていると思っているんですか。一臣様も、年齢を重ねたらわかりますよ」
疲れきった樋口さんは、部屋で休みますと先にコートを出て行った。
「なんだよ、面白くないな。プールで泳ぐか」
一臣さんは、水着に着替え、さっさとプールで泳ぎ出し、私はプールサイドの椅子に座り、のんびりとした。
午後からは、私が壱弥の面倒を見た。と言っても、昼食後昼寝をしてくれたから、リビングのソファでのんびりと本を読むことができた。その間は、トモちゃんとモアナさんがプールで泳いで遊んでいた。
一臣さんはリビングのソファに寝転がり、壱弥と一緒にお昼ねタイム。
壱弥が先に起き、一臣さんの上に乗っかって起こし、
「あ~~~?なんだよ、起きたのか。わかった。遊んでやるから」
と、今度は一臣さんが壱弥の面倒を見た。
一臣さん、なんだかんだ言いつつ、壱弥と遊ぶの楽しそうだ。それを見ているのはすっごく幸せ。
目を放した隙に危ない目に合いそうになってからは、誰かが必ず壱弥を見ていることになり、なんとか無事、最終日を迎えた。今日は軽井沢で遊んで、そのまま帰る予定だ。
私と一臣さんは、壱弥をベビーカーに乗せ、3人で軽井沢の町を歩いた。人ごみもあったが、買い物をしたり、いろんなお店を覗いた。忍者部隊が見守ってくれているので、安心して過ごすことができた。
一回、「あら、可愛いわね」とベビーカーを覗いてきた女性がいて、ささっとその女性のそばに、黒影さんが来た。その後ろには、伊賀野さんの姿も見えた。
「悪いが、息子は人見知りなもんで、近づかないで頂きたい」
そう一臣さんが言って、その女性を遠ざけた。
人見知りなわけがないが、知らない人を信用するわけにもいかず、なるべく壱弥に人を近づけないようにしていた。
それって、ちょっと寂しいことかも。今後、普通のお母さんが公園に子ども連れていって遊んだり、他の子達と遊ばせたりっていうことが出来ないってことだもんね。誰もが普通にしていることが、壱弥は出来ないんだ。
帰りの車の中で、そのことをなんとなく一臣さんに話してみた。
「俺や隆二もそうだった。そのへんの公園で遊んだことなど一回も無いどころか、遊園地にだって行ったことはない」
「え?そうなんですか?」
私、家族で何度か行ったことあるよ。
「俺は友達もいなかったしな。隆二は習い事をしていて、何人か屋敷に友達を連れてきていた。壱弥は、託児所にも遊び相手はいるし、屋敷のプレイルームでも遊んでいるだろ。コックたちの子と。まあ、俺もおふくろがいない間、喜多見さんの子どもに遊んでもらったりはしていたけどな。壱にはいるからいいじゃないか」
「…そうですけど」
「俺の時みたいに、幼い頃から大人たちの中にはいれる気はないから安心しろ。俺は、小学生の頃、学校終わったら迎えが来て、家に帰ってからは家庭教師が来て勉強を無理強いされ、そんな毎日の繰り返しで、修学旅行だの、臨海学校だのにも行ったこともなかったしな」
「隆二さんは?」
「修学旅行には行っていた。が、大変だった」
「何がですか?」
「SPが常に隆二のそばにいた。回りの学生や先生が気をつかっていたそうだぞ。だから、行かない方が、他のやつのためではあるんだけどな。もし、何か危険なことがあったら、一般人を巻き込んだら悪いだろ」
確かに。今日もそれは感じた。普通の人なのに、声をかけてきただけでも、忍者部隊がやってくる。ついていてくれる忍者部隊の人にも申し訳ないし、声をかけてきてくれた人もみんな疑っちゃって、申し訳ないって思うし。
上条家は、そういうの無頓着だったな。さらわれそうになったこともあるのに、平気で野放しで私たちを外で遊ばせていたし。高校からは、まったくと言っていいほど援助すらなくなっていたし。
「高校の頃は、樋口なんかはそばにいたが、たまにうざくなって、俺はこっそり逃げ出してた」
「え?逃げ出すって?」
「車かっとばしたり。まあ、それでとんでもない事故起こして、反省はしたけどなあ」
ああ、そうか。あの頃の話か。
「ガキだったからな。あれ以来反省して、樋口がそばにいても、逃げ出すことは無くなった。それに樋口は口出しもしなかったし、パーティだの、女遊びだの、俺の勝手にさせてくれていたからなあ。思えば、あいつ寛容なやつだな。いや、呆れていたのかもなあ」
「女遊び…」
「あ。昔の話だぞ?」
わかっているけど、ちょっと嫌かも。なんだって樋口さんも等々力さんも、なんにも注意しなかったのかな。やっぱり、御曹司だと思うと注意できないものなのかしら。
「……。樋口は思えば、お前のことを最初から気に入っていたっけ」
「はい?」
いきなり話が飛んだ。
「等々力もだなあ」
遠い目をしながら、一臣さんは語りだしたぞ。壱弥は車だとすぐに寝ちゃうから熟睡中。
「俺が夜眠れないのも、樋口や喜多見さんは心配してた。それが、お前が横にいたら寝れるようになっただろ。樋口、良かったですね…って、無表情のまま俺に言ったことがあったんだ。だけど、お前のことを見る目が妙に優しげで、あ、樋口は弥生のこと気に入ったんだなって、すぐにわかった」
「樋口さん、最初の頃から優しかったです」
「うん。あいつは、仕事中は鉄仮面だけどな。心は暖かいやつだからな。屋敷だと素になるだろ?弥生には最初の頃から素を出していたから、俺は、樋口や喜多見さん、等々力の心を最初っから掴んでいたこいつは、すげえやつだって、そう思っていたぞ」
「私のことをですか?」
「ああ。そうえば、いつだったかな。樋口がぽつりと言っていたことがあった」
「どんなことをですか?」
「婚約者が、弥生様で良かったですね。俺がまだ、弥生を受け入れていなかった頃だ。いや、弥生のことを好きにはなっていたんだろうが、それを自分で認めていなかった頃だ」
「……」
「だから、お前が婚約破棄をすると言い出した時、樋口は俺と同じぐらい胸を痛めていたんだ。本気で俺のことも弥生のことも心配してた」
「……」
う。なんか、涙出そう。
「ああ、お前が思いっきり泣きながら、オフィス飛び出して久世のところに行っただろ?樋口、迎えに行って、本当にお前のこと心配していたしな」
ああ、あの時…。
「壱弥にも、樋口みたいな秘書がつくといいな」
「はい。私もそう思います」
私も、樋口さんは大好き。等々力さんも喜多見さんも、コック長もメイドのみんなも、大好きだ。
壱弥が、普通の子とは違った環境で育つとしても、たくさんの人に大事にされることには変わりないし、壱弥が可哀想だとか、あれこれ不安に思ったり心配したりする必要はないんだね。
あっという間に、何事もなくサマーバカンスは終わった。
「あ~~、明日からまた仕事か」
一臣さんは、屋敷に戻ると珍しくベッドにドサッと横になった。
壱弥は屋敷に戻って目が覚めると、早速部屋で遊びだした。隣の部屋の子どもの遊び場で、おもちゃを振り回したりして遊んでいるようだ。頑丈な囲いがあるから、そこからは脱走も出来ないし、高いところによじ登る場所も無いし、安全だ。
「壱~~~。DVDでも見るか?」
子供向けのDVDをつけ、壱弥を抱っこして一臣さんはテレビの前のソファに座った。そして2人で、楽しくDVDを見始めた。
寮に住んでいた頃、休みの日は家族水入らずで過ごしていたし、ゴロゴロしながらDVDも見たりしていたから、屋敷の自分たちの部屋に戻ると、一臣さんは壱弥とDVDを見て、のんびりとするのが当たり前になったようだ。
「なんだかなあ」
ぽつりと一臣さんが口を開いた。
「はい?」
なんだろう?
「わざわざ軽井沢の別荘に行くより、屋敷でこうやってのんびりと過ごすほうが、楽でいいな」
そうか。せっかくの夏の休暇だったのに、疲れちゃったのかな。
「ここなら、家族3人水入らず。他のやつが介入することもないしな」
「そうですね」
「寮でも楽しかったしな」
「はい!」
「なあ?壱。お前も案外、屋敷が一番なんじゃないのか?」
「壱君はきっと、パパやママと一緒なら、どこでもいいかもしれないです」
「……そうだな。しばらくは、屋敷でも十分夏休み気分を味わえるよな。カブトムシを取りにもいけるし、プールもあるし、テニスコートはあるし…。あれ?やっぱり、軽井沢行く必要ってあったのか?」
「………」
私もはて?と考え込んでしまった。でも、
「気分転換にはなりましたよ」
と言うと、一臣さんのほうが首をかしげた。
「壱弥がいたから、弥生とエッチも一回しかできなかったし、プールでいちゃつくこともできなかったし」
「うわ!そんなこと壱君の前で言わないでください!」
「なんだよ。まだわかるわけないだろ?」
ふんっと一臣さんは口をへの字にした。
まあ、私も、本当のところを言うと、サマーバカンスの間、もう少し一臣さんと2人の時間も取れるかと思っていたし、いちゃつけるかなって期待もしていた。だけど、ほとんど、そんな時間なかったもんなあ。
「今日は、壱弥、早く寝かすからな」
一臣さんはそう言って、壱弥にも「早くに寝ろ」と念じていた。
え~~~~。私、けっこう疲れてクタクタなんだけどな。一臣さんだってさっき、ベッドに疲れたって、倒れこんでいたじゃない。
だけど、残念ながら、壱弥がなかなか寝てくれず、二人の甘い時間はおあずけとなってしまった。




