第13話 夏休みバカンス前の心配
白岡さんの事件が起きてから、2週間が過ぎた。託児所では、一応白岡さんの家庭の事情で長期休暇を取っているという事になっているが、白岡さんは謹慎処分も終わり、本日付で退職という処置が下った。
裏組織の情報網を駆使して、白岡さんについて探りまくったが、特に何の裏もなかったようで、クビになったということだった。
解雇されたことで初めて彼女は、大変なことをしでかしてしまったとわかったらしいが、時遅かりしだった。
「結局のところ、何がしたかったんでしょうね」
15階の一臣さんのオフィスで、矢部さんが首をかしげながら細川女史に聞いた。
「女心は複雑ってところじゃないの?」
細川女子はそう言ったあと、
「私にはあまり、女心はわかりませんけどね」
とクールに言い、また仕事をし始めた。
「私にも理解できません」
矢部さんはそう言うと、パソコンに目を向けて仕事を再開した。
「はあ…」
「弥生様、14階での仕事は?」
「終わりました。他に何もすることが無いからって、戻されました」
一臣さんも外出中で、暇な私は矢部さんと細川女子とお茶をしていたが、2人とも仕事を再開してしまった。
「忙しいんですか?私、何かお手伝いすることありますか?」
「いいえ。いつも忙しくしているんですから、ゆっくりとなさってはいかがですか?」
矢部さん、手持ち無沙汰って辛いんだよって言っても、わかってもらえないだろうなあ。
「明日から夏休みですね。お2人はどこかに行かれるんですか?」
「はい。実家に行きます」
「矢部さん、一人暮らし?実家ってどちらですか?」
「埼玉です。電車でも通える範囲ですけど、1時間はかかるから、一人暮らし始めました」
「最近?」
「はい。4月からです。昇給したから、思い切って」
そう嬉しそうに矢部さんが答えた。
「細川女子は夏休みどうするんですか?」
「私も田舎に帰ります。お墓参りもあるし」
「田舎?どちらですか?」
「新潟です」
「そうなんですか!へえ。いいですね、田舎があるって」
「ど田舎ですよ。山しかない。妙高ってわかります?」
「う~~~ん?空気がきれいそうですね」
「空気はきれいですけどね。何も無いです」
細川女史って、忍者部隊だから、親も親戚もここらあたりに住んでいるのかと思った。
「弥生様は一臣様とバカンスですよね?」
「はい。壱君も連れて、軽井沢の別荘に行ってきます」
「素敵ですね、軽井沢なんて!」
「街は人がたくさんいて落ち着かないから、きっとずっと別荘にいると思います。壱君もいるからのんびりするくらいかなあ。一応ベビーシッターにメイドさんもついてくるし、樋口さんや等々力さんも来るから、壱君の面倒を見てくれている間に遊ぶぞ…って、一臣さんは言っていましたけど」
「明日からのお休みのために、スケジュールつめこんでいましたもんね、一臣様は」
「はい。なんか、申し訳なくて。私ばかりがのんびりしている…」
私もついていくと言ったのに、今日も置いていかれた。足手まといなのかな。
「秒単位といってもいいスケジュールですからね。弥生様まで巻き込めなかったんじゃないですか。なにしろ一臣様は、弥生様を溺愛していますから」
「どひゃ。何を言い出すんですか、細川女史」
私が真っ赤になると、矢部さんがくすくすと笑った。
「白岡さんの件も一件落着したし、まあ、警護は強化されたままですけれど、弥生様も壱弥様もこのビルにいたら安全ですしね。一臣様も仕事に専念できているんじゃないですか?」
「そうですね…」
「長野の別荘もセキュリティ万全なんですか?」
矢部さんがちょっと心配そうに聞いてきた。
「はい。以前よりも強化されていますし、それにあそこら辺の土地一帯が緒方財閥の土地で、会員制のホテルに泊まるよりもよほど、万全に守られているそうです」
「そういうこと。だから、弥生様は心配いりませんよ」
細川女史がなぜかドヤ顔だ。
「すごいですね、緒方財閥って」
矢部さんは目を丸くした。私もまだまだ、緒方財閥のすごさを実感できていない。
「あ。そろそろ壱君を迎えに行ってきます」
5時20分だ。もう迎えに行ってもいい頃だな。
「はい、行ってらっしゃい」
2人に見送られながら、私はエレベーターに乗り託児所に向かった。
「あ、壱君、ママ来たよ」
保育士さんが壱弥を呼びに行った。その間に、壱弥の荷物をまとめていると、
「明日から1週間、お休みなんですよね?」
と所長さんが聞いてきた。
「あ、はい。夏休み取っています」
「いいですねえ。ご家族で旅行とかですか?」
「はい!」
嬉しくてにこにこしながら頷くと、なぜか所長さんは顔をしかめた。
あれ?なんでかな。気を悪くした?もしや、自分にはそんな夏休みがないのに、長期休暇取るなんてとんでもないって怒ってる?
「あ~~~!」
壱弥が嬉しそうに保育士さんに抱っこされながら来た。壱弥を抱っこして、鞄を持とうとすると、
「最近の壱弥様の様子をお話したいので、こちらまで来て下さいますか?」
と、所長室に呼ばれてしまった。
なんか、壱君、問題でも起こした?ドキドキしながら椅子に座ると、
「誰かに聞かれたら困るので、小声で話します」
と所長はぼそぼそと小声で話し始めた。
「警護は強化されているので、大丈夫だとは思いますが、明日からの夏休み、気をつけてくださいね。辰巳氏にも報告はしましたが」
「え?なんのことですか?」
「白岡さんです。逆恨みとか、一臣様に執念とかあれば、何をするかわかりませんですから」
「……」
白岡さんの逆恨みって?
「白岡さんに似ている人を会社付近で見かけたっていう保育士もいて、皆さん、家庭の事情でまだ休んでいると思っているから不思議がっていて。警備員に扮している侍部隊の者が近づくと、そそくさと逃げていくんですって。そのうえ最近、アパートも引き払ったらしく、今、どこに住んでいるかも消息が掴めていないそうですよ」
え~~~。なんか、もしかしてかなりやばい?
「不審な人が近づいてきたらすぐに、そばにいるボディガードに言って下さいね。まあ、必ず誰かが護衛していますから、大丈夫だとは思いますが」
「はい」
だからさっき、所長さんは顔をしかめたんだな。
「わかりました。忠告ありがとうございます」
「いいえ」
所長さんの顔は、笑みを浮かべながらも力強かった。やっぱりこの人も、侍部隊の血筋なんだな。緒方財閥を護る使命を持っている人の顔だ。
壱弥を連れて15階に戻った。その時にも忍者部隊の誰かが見守ってくれているのが、なんとなくわかった。ビルの中でもこうやって、最近は見守られている。
「壱!」
一臣さんのオフィスのドアを開けると、一臣さんがいた。そして、壱を抱っこして思い切りあやしだし、そのあと私を引き寄せキスをしてきた。
「ああ、壱と弥生には癒されるなあ」
「お疲れ様です。秒刻みのスケジュールも、今日で終わりですね」
「ああ。明日から休暇だ。羽をのばすぞ」
「一臣さん、こんな時になんなんですが、さっき所長さんに実は、白岡さんのことで注意を受けまして」
「知ってる。樋口にも辰巳氏から連絡が来た。ま、護衛がいるんだから、任せておけばいい。俺らはしっかりと休暇を楽しむぞ」
「…」
「暗い顔をするな。弥生の持ち前の明るさはどうした?」
「はい、そうですね。楽しみます!」
「壱も楽しみだな~~。プールも入れるぞ。テニスもできる」
「壱にはまだできません」
「そうだな。ま、屋敷にいてもプールにも入れるんだがな。ん?そう思うと屋敷でもあまり変らないか?まあ、別荘だ。バカンス気分は味わえるな。あそこの料理も美味しいしな」
「はい!」
「あはは。やっぱり、弥生は料理が一番か。花より団子だよなあ」
一臣さんが笑うと、ひざの上にいる壱もきゃきゃきゃっと嬉しそうだ。
そうだよね。心配していてもしょうがない。思い切り楽しんじゃおう。
それに、万が一白岡さんがついて来たとしても、一人で何もできないもんね。
さあ、家に帰って明日からの休暇の準備に取り掛かるぞ。わあい。ワクワクしてきた!




