第11話 事件が起きた!
その日は私と一臣さんとで、都内の工場に視察に行った日だった。工場長と事務で話をしている時に、樋口さんに誰かから電話が入った。そして、一臣さんのもとに来て、小声で樋口さんが何やら伝えると、
「辰巳氏が?」
と一臣さんは眉をひそめた。
「工場長、今日は色々と忙しい中すまなかった。すごく参考になった」
「いいえ。こちらこそ、副社長自ら来て頂いたのに、なんのおかまいもできず申し訳ないです」
「いや…。では、そろそろこれで失礼する」
「はい」
一臣さんは足早に樋口さんと事務所を出た。私もその後ろをちょこちょことついて行くと、
「弥生、少し急げ」
と言われ、駆け足で追いついた。
車に乗り込み、
「辰巳氏が至急戻れって、どういうことだ?」
と樋口さんに一臣さんが聞いた。等々力さんもすぐに車を発進させ、
「高速乗って急いで戻ります」
と、一臣さんに告げた。
「ああ、どうやら事件が起きたようだな」
「事件?!」
私が一臣さんの言葉に驚くと、
「辰巳氏が呼び戻すくらいだからな」
と一臣さんはクールに言った。事件が起きても、一臣さんは冷静なんだな。
と、そんなことを思っていると、また車内の電話に辰巳さんが電話をしてきた。
「辰巳さん?急用のようだが、何か事件でも?」
一臣さんが、樋口さんから電話を替わった。
「………なるほど。で?それは確実に緒方商事の託児所の人間?」
託児所?!
「樋口や俺からは、そんな依頼もしていない。勝手にやったことだろ。ああ、すぐに対処を頼む」
一臣さんは電話を切り、ふうっとため息を吐いた。
「あの、託児所って…。あ!まさか、壱君に何か」
「ああ。お前、白岡っていう保育士知ってるか?」
「はい。若いかわいらしい方ですよね」
「一臣様のことで、弥生様にあれこれ詮索していたことがありましたね。白岡って保育士が問題を起こしましたか?」
「俺のことで?あ、弥生が若い保育士がいて、俺が浮気しないかどうか不安になっていたな」
「浮気なんて、そんなことまで疑ったりしていませんけど…」
慌ててそう言ったあとに、不安がどっと押し寄せてきた。
「壱君に何かしたとか?まさか、誘拐とか?!」
「それはない。なにしろ警備が万全だ。託児所の周りも忍者部隊が待機しているし、モニターもあるしな。あ、でもモニターではわからなかったのか…」
「な、何がですか?まさか、壱君に虐待とか」
「違う違う。安心しろ。いや、安心もしていられないか」
「じゃあ、いったい…」
ドキドキした。彼女は一臣さんのことを想っていた。一臣さんの子どもっていうだけで、壱弥に対しての思いもほかの子と違っただろうし、最近は一臣さんにも会えないから、思いつめたりして、とんでもない行動に出たりとかしていないだろうか。
樋口さんも前に心配していたよね。安心してもいられないって、どういうこと?!
「裏組織で対処するなら、ある程度は防げたかと思うが。何しろSNSは一気に広まるからな。どこまで対処できるかは、わからないな」
「SNSですか?」
「そうだ、樋口…。辰巳氏は俺か樋口がわざとアピールさせるために、保育士に書かせたかとも思ったらしいがな」
「あの、いったいどういうことですか?」
「SNSにその白岡って女が、壱の写真を載せたんだ」
「え?!」
「広報誌に書かれていることも一部抜粋して、今、私は副社長の息子さんのいる託児所で働いています。本当に副社長は子煩悩です。息子さんの壱弥様もとっても可愛いですとコメントも書いてな」
「……で、でも、HPだって壱君の安全のために顔をふせてて」
「ああ。顔は変なシールだか、スタンプだかで隠してある。だが、あんなのはプロの手にかかれば、簡単に外れるんだ。つまり、壱弥の顔を公にさらしたのと同じだ」
「壱君の顔が…」
「もうそのSNSも削除したし、白岡も今頃侍部隊につかまってるだろ。だが、どこまで広がっているかわかったもんじゃないよな…」
「それも、広報誌は社内だけのものですからね。社外秘だってこともわかっていないんですね」
「まあ、社員の誰かに見せてもらったとか、おおかたそんなところだろうがな」
「社外秘なんですね」
ぼそっと私が呟くと、
「そりゃ、わざわざSNSで言うことではないな」
と一臣さんは冷静に答えた。
「……壱君の顔が広まったら、どうなっちゃうんですか?」
「誘拐犯にとっては、有利な情報が入手できたってことだ」
「誘拐?!」
「安心しろ。緒方商事内と、屋敷にいれば安全だ」
「…そ、そっか。セキュリティばっちりですもんね」
「まあな。だが、アメリカに秋に行くだろ?そこではどうだか…」
う…。そうか。アメリカでも誘拐とか考えられるのか。
「ある意味、日本よりやばいかもしれないんだが…」
「ですが、壱弥様をお連れして行動をするとしたら、同じですよ。一臣様がお連れしている時点で壱弥様のお顔は世間に知れ渡ります」
「そうだな~、樋口。遅かれ早かれそうなるな。だけどな、アメリカに連れて行っても、パーティなんかの公の場には壱弥を連れて行くのをよそうと思っていたんだ。ホテルでベビーシッターと残して、俺と弥生だけがパーティに参加するとかして」
「そうですね。ホテルのセキュリティを万全にしてはいかがですか?」
「そうだなあ。侍部隊、忍者部隊に守らせて、アメリカの警察にもお願いして、ベビーシッターも忍者部隊のクノイチに頼むか」
「黒影さんとかですか?」
「ああ、いいかもな、弥生、黒影なら安心だろ?」
「はい」
それにしても、すごいおおごとになるんだな。壱君、大丈夫なんだろうか。アメリカに行くのも不安になってきた。私、ずっとそばにいられないの?壱君と別行動することになるんだ。
「こうなったら、公にも顔を出すか」
「え?!」
「親子三人の顔でもどうどうと見せるか?」
「それはあまりいい案とは言えないですね、一臣様」
「俺はどうだった?樋口。何歳頃公に顔を出した?」
「確か小学生に上がるか上がらないかの時に、パーティに社長がお連れしたと思いますよ」
「5~6歳か」
「ええ。その頃から社交界に出ていらしたと思います」
「そうか…。壱弥もその頃には顔をさらすんだな」
「…そうですね。ですが、もうしばらくは、せめて一人でちゃんと何かを判断できるようになるまでは、隠しておいたほうがよろしいと思いますよ。今は逃げることすらできませんしね」
「そうだな…。簡単に誰かが抱っこして行っちゃうわけだからな。いくら、あんなにやんちゃでもな」
ドキドキしてきた。緒方財閥は、やっぱり上条グループとは全然違うんだ。
「心配するな、弥生。今回のこともちゃんと対処する」
一臣さんは私の不安を察知したのか、そう言ってくれた。
「それにしても、緒方商事や託児所の信用問題にもなるからな。きっちりと対処しないとだな」
「そうですね、一臣様、今後託児所に雇う保育士も厳選しなげればならないですね」
「厳選しなかったのか?とんでもないやつを雇ったもんだな」
「そうですね…。所長にも何か処罰が下されるでしょうね。託児所内で携帯を使ったのでしょうから、それを把握できていないのは問題ですね」
「ああ、そうだな…。携帯は仕事中は持たせないように管理させないとな」
「……まあ、今回のようなことは、常識で考えたら有り得ないことですが、今の若い人たちは常識が通用しないのでしょう」
「そうだな。今後は徹底的に教育も必要だな」
そうだよね。副社長の子だからって問題なわけじゃない。他の子だとしても、写真をSNSに載せちゃうなんてあってはならないことだ。そんな託児所に安心して子どもを預けられないよね。
「樋口はもちろんわかっているだろうが、弥生、今回のことは誰にも言うな。白岡はクビになるだろうが、直接的な理由は他言無用だ。他の理由をでっちあげて、辞めさせる」
「はい」
「他の保育士にもふせておけ。もちろん、子どもを預けている母親にもだ」
「他の保育士がツイッターを見ていないかどうかわかりませんね」
「そうか~~~。もう見たやつも保育士の中にいるかもしれないのか…」
「まあ、そのへんも辰巳氏のことですから、すでに手を打っているかもしれませんけどね」
「そうだな」
ああ、なんだか、聞いているだけでも頭が痛い。胸も痛む。
白岡さんはなぜ、そんなことを書いてしまったのか。自慢したかった?注目してほしかった?それとも、一臣さんの気を引きたかったんだろうか。
オフィスまでの車内で私は、もんもんとした。一臣さんも私には安心しろと言いつつも、難しい顔をしていた。
辰巳さんからの連絡は、それ以降なかった。そして、緒方商事に戻るや否や、樋口さん、一臣さん、それから私も一緒に、裏組織の本部へと赴いた。




