第10話 寛容になること
翌週、また海外事業部のミーティングがあった。今回は緒方商事内だけのミーティングだったが、
「弥生も来い」
と一臣さんに言われ、一緒にくっついていった。
会議室のドアを開けると、資料を配っている広尾さんがいて、バチっと私と目が合ってしまった。
「よろしくお願いします」
ぺこりとお辞儀をすると、広尾さんはさっと視線を外し、また資料を配りだした。
…。無視されたかな?
「広尾、会議は14時からだよな。まだみんな準備できていないのか」
「あ、はい。申し訳ありません。急ぎます」
広尾さんは少し顔を引きつらせ、慌てたように資料を配りだした。他のメンバーもプロジェクターを用意したり、ホワイトボードを移動させたり忙しそうだ。
「私も手伝います」
広尾さんの手元にある資料をもらおうと手を伸ばすと、
「副社長夫人にそんなことさせられません」
と、きっぱりと断られてしまった。
なんか、傷つく。
「弥生、いいから座ってろ。準備が遅くなったんだから、広尾が悪い」
「え?」
広尾さんがますます顔を引きつらせ、一臣さんを見た。
「申し訳ありませんでした。ここを使っていたマーケティング部の会議が長引いて、ついさっき終わったばかりだったんです。すぐに始めます」
そう言ったのは、副リーダーの男性だ。
「ふん、そうか」
「私、やっぱり手伝います。それですぐにでも会議を始めましょう」
私はまた立ち上がり、
「この資料も配るんですか」
と、まだテーブルの端にあったプリントの束を手にした。
「はい。ではお願いします」
広尾さんにそう言われ、私もそそくさとそれらをみんなに配りだした。他の人もあわただしく動き、5分もかからないうちにみんな席に着くことができた。
私も一臣さんの隣に座った。
「始めるぞ」
一臣さんの声でミーティングは始まった。
先週の上条グループとの会議とは違い、どこかみんな大人しめ。一臣さんの顔色を気にしているのかなあ。
「その改善策、たいして改善されていないじゃないか」
あ、バシッと一臣さんが言い切った。
「すみません。至急検討して…」
「至急?それ、すぐにでも策を出さないとならない案件だろ。この前の上条グループとの会議で指摘を受けたところだ。上条グループにこの会議が終わったら、すぐにでも連絡することになっている」
「あ、は、はい」
「どうするんだ」
「あ、あの!この場でみんなで考えたらどうでしょう。みんなのほうがいろんな案も出るかもしれないですし」
「それでしたら、まず副社長夫人のご意見をいただきたいです」
「広尾さん、なんだってまた、そういうこと…」
広尾さんの横で男性社員が慌てている。
「一臣さん、私も意見を言ったりしていいですか?」
こそっと一臣さんに聞いた。
「ああ。あればどんどん発言していいぞ。お前、発想がユニークだからな」
一臣さんは特に広尾さんのことは、怒らなかったみたいだ。良かった。ますます一臣さんがへそ曲げちゃったら、みんなが意見を言い出しにくくなっちゃう。
上条グループで良かった点は、みんなの意見を発言しやすい場になっていたことだ。どんな意見も、
「へえ。それは面白そうだな」
とトミーさんが喜んで聞いていた。だから、どんどんみんなが意見を発言していた。
「では。まず1個目」
私は改善できると思われることを、3個上げた。
「この辺は多分、皆さんも思われたことだとは思うんです。で、このくらいのことやったって、たいして変化ないだろってことだとは思うので、もっと意外性を考えてみました」
そう前置きをしてから、その後の策はかなり変り種を提案した。そして、全部で10件上げてみた。
「う~~~~ん。面白いことは面白いが、突拍子もないようなことばかりだな。うむ。でも、最後の案は使えそうだな」
一臣さんの言葉に、
「そうですか?じゃ、他の皆さんはどう思いますか?」
私の質問に、自分はこれが使えると思うだとか、こんな改善策もあるとか、みんなが意見を出だした。
広尾さんも、どんどんと発言をする。
「広尾さんは違う視点でものを考えられるんですね!素晴らしいです」
本気でそう私が褒めると、
「は?!」
と、広尾さんは真顔で私を見た。周りのみんなもびっくりしている。なんで?
「私、変なこと言いましたか」
焦って、隣にいる一臣さんに小声で聞くと、
「いや、弥生が感じたことを言っただけだろ?別にいいんじゃないのか。なあ、広尾」
「え?あ、はい」
広尾さんは一臣さんには微笑みかけ、私のほうはもう見なかった。
ミーティングは、あっという間に時間を過ぎた。
「意見がたくさん出たな。広尾、今日の分、まとめておいてくれ」
「はい」
「それらを一度、俺のPCに送ってくれるか。見返してみてから、トミー…、赤坂氏のところに送っておくから」
「かしこまりました」
「さ、弥生、行くぞ」
一臣さんが席をたった。私も立ち上がり、一臣さんの後ろから部屋を出ようとすると、
「弥生様」
と、広尾さんが声をかけてきた。
「はい」
「先ほどはありがとうございました」
「は?!」
ありがとう?なんでお礼を言われたの?
一臣さんもドアの向こう側から振り返り、なんだか驚きの表情をしている。
「わたくしの意見を認めていただき、ありがとうございます」
「え?い、いえ。そんな。お礼なんていいです。私、本当に広尾さんはお仕事ができる優秀な方だなって、そう感じて。でも、あの、かえって差し出がましいこと言っちゃったかなって思っていました」
「……」
また、真顔。表情がないから、心が読めない。怒ってる?それとも、何かな。
「わたくしも、弥生様の柔軟なアイデア、ユニークな発想、今後参考にさせていただきたいと思いました」
「そうだな。こいつはいつでも発想が豊かだし、バイタリティもある。俺の補佐として優秀なんだ。わかったか?広尾」
一臣さん、ドヤ顔。
「はい」
広尾さんはまた一臣さんに笑顔を向けた。そして、私にはなぜか真面目な顔をして、
「この前は失礼しました」
と謝ってきた。
「え?いいえ。大丈夫です。私もこの前は何の意見も言えず、申し訳なかったです」
私もぺこりとお辞儀をした。
「弥生、行くぞ」
「はい」
広尾さんの表情はまだ硬かった。でも、また私にお辞儀をした。
それも、会議室のドアが閉まるまで、広尾さんは頭を下げたままだった。
15階のオフィスに戻ると、
「お前は面白いやつだな」
と一臣さんがハグしてきた。
「…突然なんですか。まあ、面白いとはよく言われていたけど」
また、狸に似ているとか、そういうこと?
「広尾を褒めたりするから、みんな驚いてた」
「なんでですか?広尾さんの意見面白かったです。広尾さんはやっぱり優秀ですよね」
「…そういうところだよなあ」
「?」
「ちゃんと人を認められるところが弥生のすごいところだ」
「それは一臣さんもでしょう?」
「まあ、確かに。だが、明らかに自分を嫌ったり、見下しているようなやつとは仕事も一緒にしたくなくなるがな」
「……だけど、一臣さんはそういう人ともちゃんとお仕事していますよね」
「できれば、関わりたくないけどな。まあ、しょうがない。そんな人間はどこにでもいる。だから、弥生も今後気にすることはないぞ。こっちからおべっか使ったり、愛想よくする必要も無い」
「え?私、広尾さんに愛想よくしたわけじゃ…」
「わかってるよ。広尾のほうが心が狭くてお前のほうが寛容だったっていうことだ。まあ、上に立つ人間は寛容でないとやっていけないってことだよな」
一臣さんはそう言うと、私の頭にほほずりした。
うん。私もそう思う。だけど、私はまだまだだ。無視されたりすれば傷つくし、見下されたら落ち込むし。
でも、一臣さんと一緒に、何が今一番大事か、最善は尽くしていきたいなあ。
「そういえば、広報誌が出来たぞ。見るか?HPにもこの前のインタビューが載っている」
「あ、はい。写真も出ちゃっているんですよね。私、すっぴんだったけど、大丈夫かな」
ドキドキしつつ広報誌を見ると、一臣さんは超かっこいい。私はと言えば、何気に修正が入っているような気もしなくもない。顔もテカッていないし、写真もうまく撮れていた。カメラマンの腕だよなあ。
「今の技術はすごいな」
ん?一臣さんがHPを見ながらそう言った。それはどういうこと?
「ほら。弥生の肌、おでこのテカリもないし、鼻の頭の毛穴もカバーできている」
え~~~~!いつもの私、毛穴開いているってこと!?
ちょっとショックを受けながら、私もHPを見ると、一臣さんはやっぱりかっこいい。でも、
「一臣さんは実物のほうが素敵ですね。なんでかな?」
「そりゃ、写真じゃ俺のかっこよさは伝わらないからだろう。よく社内で会う女性社員から、実物のほうが素敵と言われるぞ」
と、ドヤ顔で言われた。ここまで言われると、何も言いかえせない。
「弥生の可愛らしさも、写真じゃ伝わらないけどな。あ~~~、可愛いよなあ」
また、頭にすりすりしてきた。それにお尻も撫でてるし。
その後14階のオフィスに行くと、
「HPのインタビューを見たわよ。社内でも一臣様は子煩悩って噂が流れているようよ」
と大塚さんが教えてくれた。
「それに、弥生様ともラブラブですねって、カフェでそんな声も聞こえました」
大塚派の秘書課の女性だ。にこにこ顔で私に話しかけてくる。
「一臣様が壱弥様を抱っこしている写真もいいですね~~」
「壱弥さまは後頭部しか写っていないけどね。やっぱり、顔は出せないのか」
「そうなんです、大塚さん。でも、そのうち顔をお披露目するかもしれないけれど、小さい頃はあまり顔を表に出さないようにして、誘拐とか事件に巻き込まれないよう警戒しているんですって」
そう私が言うと、秘書課のみんなはなるほどね、大変だねとうなずいていた。
「まあ、会社と屋敷の往復だけで、そうそう外にも出ないから安心なんですけどね。屋敷もセキュリティばっちりですし」
「会社の託児所も安全なんでしょ?」
「はい。このビル自体が安全だし、モニターでちゃんと監視…じゃなくって、えっと警備の部屋で見てくれているみたいだから」
危ない、危ない。侍部隊のこととか言えないもんね。
「怪しい人が入って来れないもんねえ。預けているお母さんだって、IDカード持っているわけだし、他の人が子供を迎えに来ることもないわけだし。そういう意味でも会社の託児所は安全よね」
「はい」
そんな話を大塚さんたちと話している矢先に、ある事件が起きてしまったのだ。




