第8話 活気ある会議
上条グループの会議室も、緒方商事の会議室とは違い、窓ガラスが大きく開放感があった。テーブルも大きいし、明るい。観葉植物も置いてあり、水やお茶などがいつでも飲めるようにサーバーも置いてある。
あたりを見回していると、
「弥生じゃないか!」
と聞き覚えのある声がした。振り返ると、トミーさんがドアから颯爽と入ってきていた。
「トミー」
「オミ!今日は弥生も一緒なんだね!」
どんどんトミーさんは私のほうに向かって歩いてくると、私を思い切りハグしてきた。
「トミー!日本ではそういう挨拶をしないんだ。勝手に俺の妻に断りもなく、ハグしたりするな」
一臣さんは本気で切れて、私をトミーさんからひっぺがした。
「なんだよ、オミ。いいじゃないか。弥生に会ったのは久しぶりだったんだから。あ、断ればいいのか。ハグしていいかって」
「駄目だ!駄目に決まっているだろう!」
さっと私を一臣さんの後ろに隠し、一臣さんはそうトミーさんに叫んだ。
「ははははは!まったくオミは弥生を大事にしているなあ。如月から、溺愛していると聞いたが本当にそうなんだなあ」
「如月、何を言ってくれてるんだ、まったく」
トミーさんの言うことに一臣さんはぼそっとそう言ったが、それはみんなに聞こえていないようだ。それよりもトミーさんの声があまりにも大きくて、緒方商事のみんなは笑い、上条グループのメンバーは目を丸くして驚いている。
「トミーが来ていなかったから、始まらなかったようだぞ」
「ああ、すまなかった。さ、始めようか」
トミーさんは遅れたことを大して悪びれず、あっけらかんとそう言って席に座った。
私は一臣さんの横に座った。会議が始まると、すごい活気に私は正直驚いてしまった。
そして、圧倒されたまま、会議は終わった。
「どうだった?弥生」
しばらく余韻に浸っていると、資料を片付けながら一臣さんが聞いてきた。
「すごいですね、いつもこんな感じですか?」
「如月がいないから、いつもより静かだったな」
「え?!これで?」
「如月は熱いからなあ」
ぼそっとそう一臣さんが呟いたとき、
「一臣様、今後のことでご相談が」
と広尾さんが一臣さんのもとに来た。でも、なぜか今回は一定の距離を保っている。もしやさっき、樋口さんに注意されたからかな。樋口さんの顔、無表情で怖かったもん。
でも、ちらっと私を見ると、
「あ、弥生様もいらしたんですね。静か過ぎて忘れていましたわ。今日の会議いかがでした?」
と嫌味ぽっく聞いてきた。この人、こんな嫌味っぽい人だったのか。
「えっと、緒方商事内の会議と違って、とても活気がありました」
「そうではなくて。何かご意見とかありませんか?」
「は?」
「何もないんですか?提案とか、ご意見とか。とても優秀な方だと聞いていたのに、なんだかがっかりです」
「へえ、広尾。副社長婦人にケチをつけるとは、随分とえらくなったな、お前」
うわ。一臣さんのこの低い声、かなり怒っている。顔を見ると、あ、やっぱり眉間にしわ。
「いえ、ケチをつけたわけでは」
あ、広尾さん、さすがに青くなった。
「それも、上条グループの社長の一人娘に対してだよね。上条グループに喧嘩でも売ってる?」
「え?!」
トミーさんの言葉に、広尾さんはますます顔を青くさせ、一臣さんとトミーさんに囲まれ、肩をすぼめ俯いた。
「とんでもないですわ。そんな喧嘩だなんて。わたくしはただ、ご意見を…。し、失礼しました。一臣様、また社に戻ってから今後のことはご相談します。それでは」
逃げるように引きつり笑いをしながら広尾さんは、他の緒方商事のメンバーとそそくさと帰り支度を始めた。
「馬鹿だなあ、広尾さん。あんなこと言って一臣氏を怒らせたら、メンバー外されるよ。それどころか、どっか飛ばさせるよ?」
「気をつけてくれよ。一臣氏のご機嫌損なわないようにさ」
広尾さんに緒方商事のメンバーが、そう耳打ちしているのが聞こえてきた。
そっと話しているが、私の耳には入ってきた。でも、上条グループのみんなには、聞こえてないだろうな。メンバーみんなで、トミーさんとわいわいしているから。一臣さんもそっちの輪の中に入っているし、一臣さんにも聞こえていないよね。
聞こえていたら、いい気はしないだろうな。逆に怒り出すかな。
「すみませんが、そういうことを安易に会社外で口にしないようにして下さい」
すかさず、樋口さんがその人たちに注意をした。わ、さすがだ。これ、やっぱり注意をするべきことだったんだ。
「広尾さん、あなたもメンバーとして残りたいなら、余計なことは口にしないことです」
「気をつけます」
広尾さんも他のメンバーも、それ以上は何も言わず、部屋を出て行った。
「……」
トミーさんを見ると、メンバーととても楽しそうに和気藹々とやっている。
なんだか、違和感。確かに一臣様は威厳があるし、みんなに恐れられているけど、でも、それが原因で社内の会議は静かなのかな。機械金属チームは、段々と意見もはっきりと言う様になったけど、今日の会議とは全然違っていたし、そもそも、広尾さんの言い方も嫌味だったけど、私がちゃんと意見を言えばいいだけのことだよね。
帰りの車の中、ちょっと悶々と悩んでしまった。
「どうした?弥生、圧倒されて疲れたか?」
「いいえ、ただ…」
こんなこと一臣さんに言ってもいいのかなあ。
「なんだ?」
「わたし、何にも意見も提案もできなくて、申し訳ないなあと反省してました」
「なんだ、そんなことか。広尾の言ったことだったら気にするな。あいつのはただの嫉妬だ。女の醜い嫉妬ってだけだ」
「でも、私があそこでしっかりとした意見を言っていれば違ったと思うんです。がっかりしたのは本心かもしれない」
「がっかりしただなんて、副社長夫人に普通言うか?」
「言わないです。でも、それだけ広尾さんは自信があるんですよね」
「……まあ確かに。海外事業部の中でも、頑張っている。男に負けず劣らず、常に自分の意見をしっかりと持ってやっている。ただ変にいまだに俺にべったりくっついてきたり、ああいうのはいい加減やめてくれないと、変な噂にもなる。樋口がビシッと注意していたからもう、近寄っては来ないと思うがな」
「いまだに?あ、そういえば、前に懇親会の時、広尾さんは一臣さんにべったりでしたね。葛西さんも」
「…懐かしい名前が出たな。そんなにべったりしていたか?」
「はい」
「……そうか。あまり気にならなかったな」
ええ?なんであんなにくっつくの?って思ったよ。手や腕にも触っていたし、葛西さんはいつも一臣様の耳元で話したりしていたし。
「でも、もう手を切ったんだから、一切近寄らせない、安心しろ」
「はい」
はいとか頷きつつ、複雑。だって、手を切ったっていうことは、広尾さんとは付き合っていたんだよね。
あ~~~~。もう、昔の話なのに、私ったら、そんな過去のこともモヤモヤしたりして。
って、そこじゃない。私が言いたかったのはそこじゃなくて。
「弥生」
え?って、一臣さん、いきなりキスしてきた。それも濃厚な!
「今さら、広尾や葛西にヤキモチか?ん?でも、俺は奥さん一筋なんだがな」
「う…」
なんか、悩ましい目で見ながらすごいこと言ってきた!
「わ、わかってます」
「本当に?」
「はい」
か~~~~っ。顔、熱い。いまだにこういう言葉に慣れていないって、どれだけ私、一臣さんに惚れているのかな。
奥さん一筋だって!嬉しい!!
………って、そうじゃな~~~~い!
「あの、私、思ったんですっ」
私の太ももと撫でている一臣さんの手を握り締め、
「上条グループと緒方商事の差を」
と、一臣さんの目を見つめた。
「差?」
「今日、本当に活気があって、みんな熱くて、意見出し合って、トミーさんはどんな意見も提案も聞き入れて、それに対してまた、意見を出し合って…。なんだろうな。自由っていうのかな。伸び伸びしてて、みんなの顔もこう…、晴れやか?生き生き?緒方商事内の会議とは違うなって思ったんです」
「上条グループの良さだな。特にリーダーがいいんだろう。如月もいつもそうだぞ」
「やっぱり、リーダーの違い?」
「……ん?それはつまり、俺に何か言いたいことがあるってことか?弥生」
ギク。
「聞くぞ。言ってみろ」
「お、怒りませんか?」
「う~~~~~ん」
唸ってる?
「弥生が言うことは、怒れないと思う」
へ?
「甘々だからな」
「……」
そういうところがな~~~。でも、これは逆にチャンス?私の意見だったら聞いてくれるってこと?
「まず、今日の広尾さんのことです」
「ああ、なんだ?頭に来たからメンバー外すか」
「違います。私、あのくらいの嫌味たいして気になりません。ほっといてくれても大丈夫です。あ、手とか腕とか触ったりは嫌です。そこは一臣さんがバシッと言ってくださったことは感謝しています」
「…そうか?奥さんを馬鹿にしたんだ、旦那として怒ってもいいだろうが」
「いえ、あれは私がちゃんと意見を言えなかったからです。がっかりされられないように、私がしっかりとしなくちゃいけなかったんです。一臣さんは私を甘やかしすぎです。樋口さんもです」
「………」
あ、一臣さん、目を丸くして驚いている。
でも、一臣さんが黙っている隙に、言いたいこと全部言っちゃう。
「それから、あまりみんなを脅す発言もしないほうがいいと思います」
「脅す?」
「みんな、いつメンバーから外されるか、左遷させられるかって、ヒヤヒヤしてます。一臣さんの顔色伺ったりして、自分の意見を堂々と言えなくなったり」
「広尾は単なる嫌味だ!あんなことは言わないでもいいことだ。お前がいるのを忘れていたとか言ったんだぞ?!」
「う、確かに、嫌味っぽくて、あの人私好きじゃないですけど」
「お前でも嫌いな人間がいるんだな」
「え?」
「いや、言いたいことはわかった。そこが上条グループとの差ってことだな?」
「はい。もっと部下に自由に発言させ、もっとこう、伸びやかな空間って言うか、自由な発想をさせられるようなそんな場にできたらいいなあって、そう感じたんです」
「ふん。俺がいなかったらいいってことか?」
「い、いいえ。一臣さんは必要なんですけど、会議にきっと締りが出るだろうし」
「なんだよ、じゃあ、俺はどうすりゃいいんだ」
「う~~~ん?トミーさんは、明るくって自由な雰囲気があるけど、締めるときは締めているっていうか」
「俺にもっと、みんなとフランクになれっていうことか?それは無理だ。立場が違い過ぎる。あそこに上条グループの社長が来たら、やっぱりみんな緊張するだろう」
「立場?」
「ああ、そうだ。こっちは副社長だ。なあなあで仕事はできないんだよ」
あ、なんだか、一臣さん怒ってるかな。私には怒らないと言いながらも。じゃなかったら、呆れてる?
「別に、なあなあになれって言ってるわけじゃなくてですね…」
う、言葉につまった。なんて言えば、一臣さんは怒らないかな。
「そうか!!!」
うわ。びっくりした。いきなり大声出すから。
「お前がいる」
「え?」
「俺が場をぎゅっと締める役。お前は伸び伸びと自由にさせる役。お前、いるだけでほんわかするもんな」
「ほんわかするだけじゃなくて、活気が欲しいです」
「お前、やる気出すとすごいだろ。ガッツポーズして、俄然張り切るじゃないか。で、すごいスピードで仕事をできる。癒しの存在でありながら、エネルギッシュだ」
「う、う~~~~ん」
「例えて言うなら、レッサーパンダの癖に、カモシカのように走る…みたいな?」
「もう~~~、わけのわからない例えはいらないです。そんなの想像することもできない」
「だな?」
もう、面白がってる?本当に私の言うことには怒らないんだな。一瞬怒ったかとも思ったのに。
「ははは」
「なんで笑うんですか?」
「いや、顔がレッサーパンダで体がカモシカを想像して」
ガクー。やっぱり、面白がってる。
「こうやって、改革していくんだな」
「え?」
「どんどん意見を言っていいぞ。取り入れる。そうだ。樋口にも言おう。あいつも能面で怖がられているからな。樋口を怖がっている連中も多いしな」
「確かに。秘書課の皆さん、怖がっています」
「そうか」
「……。でも、ある程度は必要なんでしょうか。そういう怖い存在」
「う~~~ん。上条グループを見ていると、結局は信頼なんだろうなと思う」
「信頼?」
「お前は人を疑うよりも信じろと言われて育ったんだろ?」
「はい」
「部下に対しての信頼、上司に対しての信頼、そういうのを如月とトミーを見ていても感じるんだ。多分、緒方商事にはそれが足りていない。例えば、俺と樋口は信頼関係がしっかりとしている。細川女史もだ」
「はい」
「親父も辰巳氏や、侍部隊、忍者部隊との信頼関係は半端ないんだ」
「辰巳さんは、お義父様のこと、信頼というか尊敬…いえ、畏敬の念を抱いていますよね」
「完全服従だな。時代が違えば、殿と重臣みたいな関係だろうな」
「それはそれで、すごいですよね」
「まあ、あそこまでにはならないでもいいとは思うが、信頼関係は本当に必要だな。それは多分、俺の苦手な分野だ」
「え?でも、たくさんいらっしゃいますよね。樋口さん、等々力さん」
「みな、親父の部下だ。俺を小さな頃から面倒を見て、情もあるんだ。俺が作った信頼関係ではない」
「……」
「弥生の親父さんに指摘されて気づいた。俺には、トミーのような右腕がいない」
一臣さんはそう言うと、窓の外を見た。
私は何も言えなくなって、そのまま黙り込んだ。もしかして、如月お兄様とトミーさんの関係がうらやましいのかな。
「私が男だったら」
「ん?」
「絶対、一臣さんのこと信頼して、一臣さんのために頑張ります。右腕になります」
「そうか?でも、男だったら結婚ができないぞ」
「…そうですね。それは困ります」
「エッチもできない。いや、できるか?だが、男を抱く気にはならないし、そもそも子ども産めないし」
「例え話です。そんなことまであれこれと、考えないで下さい!」
「ははははは」
また笑う~~~~。
「弥生と話していると面白いな」
「真剣に聞いてます!?」
「ああ。これからは、部下を育てていくことを真剣に考えた。俺が社長になった時、誰が副社長になり、誰を部下として動かすか…。今は、誰も浮かんでこない。これはかなり、やばいな」
「……」
そうか。真剣に考えているんだ。
「まだ、社長になるまで時間はあるが、その間に部下を育てないとな?」
「はい」
「……信頼関係か…」
お義父様はどうやって、部下と信頼関係を結んだんだろう。辰巳さんとはどうやって築いていったのかな。
「そういうのは、弥生のほうが得意なんだろうな」
ぼそっと一臣さんが呟いた。私が?
私はしばらくぼんやりと考え込んでしまった。




